第壱幕






「アイレス、参上いたしました」
 男──アイレスは部屋の奥にいる人物に向かって敬礼した。体は長身でたくましく、その腰に帯びた剣から容易に彼が戦士であるということが分かる。さらにその瞳にこもった気迫、武骨ではあるが整った顔だち、炎を思い起こさせる印象的な赤い頭髪、いずれも戦士を強調させる外見である。
「ご苦労、こんな夜遅くにすまない」
「いえ、お気になさらないでください」
 奥にいた人物が、ゆっくりとアイレスの方へと振り返る。
「ルーリック様」
 ルーリックは、優雅に微笑を浮かべた。
 彼もまた、戦士としての外見ではアイレスに負けてはいなかった。若干、背はアイレスより劣り、体も一回り小さい。しかしそれでも一般的な戦士の外観からすれば充分に大きい。それになにより、彼にはアイレスにないものを備えていた。
 それは、威厳である。
 アイレスにそれが備わっていないとまでは言わない。しかし、ルーリックのそれと比べるとないに等しい。まさに彼こそ、この大陸の全てを統治するに相応しい威厳と覇気、そしてそれに見合う実力をかねそなえていると思わせる雰囲気を持ち合わせているのである。しかし、その澄んだ黒き瞳からは、戦士に特有の血走った殺気や気迫というものは全く感じられなく、むしろ理知的な学者風の感じを受ける。さらに滑らかに背中まで伸びている瞳と同色の髪、体格のわりに細身で繊細そうな顔つき。どれも一瞬華奢なイメージを醸しだすものであるが、それでいて威厳は全く損なわれていないのである。一人の人間として、これほど完成された外見を持ち合わせているものが、この世に二人といるであろうか。
「それにしても、急のお呼び出しでしたが、いったい何事でございましょう」
「うむ。まあかけてくれ。良いワインがあるのだ」
 見ると、テーブルの上に既に二つのグラスとワインクーラーに保存されている二本のボトルとが用意されている。どうやら、アイレスが到着するまで待っていてくれたようである。
「いただきましょう」
 返答に、ルーリックは笑って椅子を勧めた。
「お前は、ワインは知らないのであったな」
「勉強する機会がありませんでしたから」
 答えつつ、アイレスは自らボトルを手にとって二つのグラスに注ぐ。侍従はここにはいない。すなわち、重大な会話がこれからここでなされることを意味している。
「美味いワインですね。ほどよい甘味です」
「高いぞ」
「存じております。ルーリック様は二人で密談をする時に限って、高価で美味いワインを用意なさいますから」
 麗しい顔がほころぶ。それを見てアイレスも穏やかな微笑を浮かべた。
 二人が出会って、もう五年にもなる。その間、二人はたった一つの共通の目標に向かって前進してきた。そして、二人きりでワインを飲むのは、これで四回目。いずれも二人でワインを飲んでいるときに重要な決定がなされている。
「東の地、ウルバヌ山地を縄張りとする反乱軍の話、聞いているか?」
 互いにワインを二口飲んだ後、ルーリックが話を始めた。
「存じております。ウルバヌ山地近辺に布陣している帝国軍が舌をまいているとか。なかなか優秀な連中のようです」
「そうだ。敵に地の利があるばかりではない。先日はヴァール伯領へ出撃して、見事伯爵を討ち取っている」
「それは素晴らしいですね」
 その情報はアイレスの耳にはまだ到達していなかった。素直に驚き、感嘆の声をあげる。
「そこで、ついに正規軍が出撃することが決定した」
「正規軍ですか」
「そうだ。我々帝国第二軍に出撃命令がくだった」
「なんと」
 表情が陰る。
「それは予想できませんでした」
「当然だ。反乱軍がそこまで思い切ったことをするということからして想像できなかった。だが、優秀な奴らだ、きわめて優秀な。叩きのめすには、惜しい」
「おっしゃるとおりですね」
「そこで、だ」
「ルーリック様は、反乱軍を仲間にするおつもりですか?」
 先手を打たれ、ルーリックは目をかすかに見開く。
「そんなところだ。まあ、これを見てくれ」
 テーブルの端に積み上げられていた書類の山の中から、一束抜き取ったものをアイレスは手渡され、素早く中を見る。
「これは」
「反乱軍の規模、隠し砦の位置、今回の伯爵領襲撃作戦の全容、まあ他にもいろいろとあるが、反乱軍に関する現在のデータだ」
 とにかく話が先決であろうから、アイレスは素早くその数枚の書類を見通す。流し読みにすぎないものですら、その内容がどれだけ精密なものかは容易に判断できた。おそらく、これほどのデータは帝国軍には存在しないであろう。
「スパイを派遣したのですか?」
「そういうことだ。もう二年も前のことだ。もしものことを考えてな」
 反乱軍は去年から急激に勢力を伸ばし、現在では帝国軍がもっとも忌むべき相手となっている。しかし、それよりも前となると、まだ話題すらのぼっていなかったころではないか。
「そんなにも前からですか。ルーリック様もお人が悪い、私にくらいは教えてくださってもよろしかったでしょうに」
「すまんな。すっかり忘れていた」
 嘘をおっしゃい、という意味の視線を回避するかのようにルーリックは一杯目のグラスを空けた。ため息と共にアイレスは二杯目を注ぐ。
「なあ、アイレス」
 がらりと口調が変わった。真剣なものではなく、優しさと穏やかさが色濃く現れている。突然どうしたのだろう、と思う間もなくさらに言葉が続いた。
「もう五年も経ったのだな」
 アイレスは目を細めた。ルーリックの言葉の響きに、良くない兆候を発見したからだ。
「過去の話はやめましょう。今は、目の前の事象に全力を傾けるべきです」
「ああ、そうだな」






 現皇帝、ラール=バルトが教皇から帝位を頂いたのがちょうど十年前。その時から、大陸は混沌と化した。
 バルティア帝国は帝国に服従を誓わない諸外国に対しては完膚無きまでに侵略を繰り返していた。帝国に服従し、臣下となるならばよし、もしそうでなければ領主はおろか、住民残らず抹殺するという手段で侵略活動を行っていたのである。帝国は圧倒的な軍事力で侵略と殺戮を繰り返し、領土を拡張していった。
 国内においても混乱は激しかった。帝国軍に所属しているものはあらゆる特権を手にすることができた。中でも殺傷権と呼ばれるものは統治下の住民たちを怯えさせた。軍人は民間人に対して、自由に傷つけ、殺す権利を与えられていたのである。これにより万単位の人数が帝国からの脱出を図ったが、そのことごとくが逃亡罪として捕まり、死刑となっている。
 もはや、大陸のどこにも安住の地はない。そういう時代であった。
 五年前。彼らが出会ったのは戦場。冬、初雪の降る夜のことであった。
 都市国家バロンでの攻防戦において、帝国軍を指揮していたのは当時第十三軍の指揮官であったルーリックであり、アイレスはその戦いにおいてバロンの傭兵として参加していた。
 外壁が破られ、民家に火が放たれ、もはや勝利が望めなくなった時、アイレスは起死回生の博打に出ることにした。すなわち、将軍ルーリックを打ち倒し、命令系統を混乱させることである。
 運良く、アイレスとその仲間数名はルーリックの本陣に襲撃をかけることができた。本陣にはほとんど人もなく、まさにルーリックを討ち取る絶好の機会だったといえた。アイレスは剣には自信があり、ルーリックと一騎討ちに持ち込むことができれば倒せると考えていた。だが、現実はそこまで甘くなかった。ルーリックの剣技はアイレスのそれと五分、いやむしろルーリックの方が優勢であった。
 仲間たちは次第に打ち倒され、最終的にアイレスも捕らえられてしまった。しかしすぐには処断されなかった。本陣に襲撃をかけた仲間数名と共にルーリックの館へと極秘に運ばれたのである。そこで、改めてルーリックと出会った。
 アイレスから見ての第一印象は『王者』であった。真にこれほどの人物がいるとは思ってもみなかった。これほどの人物が帝国軍にいるとは、天は無情だ。そうアイレスはしきりに繰り返し思っていた。
『ラール皇帝を謀殺する計画に加担する気はないか?』
 だが、ルーリックのこの言葉に困惑を覚えた。いったい何を考えているのか、何を企んでいるのか、全く判断できなかった。
『この大陸でバルティア帝国軍にかなう軍隊など存在しない。ラール皇帝はまだ若く、あと三十年は混乱の時代が続くかもしれない。それまでに大陸は死に絶えてしまう。大陸を救うには、最低でもあと十年のうちにはラール皇帝に逝去なさってもらうほかはない』
『帝国の将軍の言葉を信じろと? 平気で虐殺を行う将軍の言葉を?』
『信じろ、という方が無理であろうな。だが、皇帝を打倒するにはこれが最善の方法だ。皇帝の目を欺き、地下で仲間を集める。いつか、時が来るまで』






 アイレスはその言葉を信じたわけではなかった。それでもルーリックの言葉に従い、今まで行動を共にしてきたのは、彼のその王者としての威厳に期待してのことだ。そして今では彼が真剣にラール皇帝の打倒を考えていることを知っているし、自分が従う君主は彼以外にいないと思っている。
 そしてアイレスも彼の信頼を一番に受けている副官となっていた。当初ルーリック一人の構想にすぎなかった皇帝謀殺の計画は、アイレスの意見を受けて大幅に修正されている。副官として、そして戦士として、アイレスは事実上のナンバーツーとなっていたのである。
 一方で、五年間で二人が集めた信頼できる勇士はようやく百人に達していた。だが、まだ足りない。皇帝の側近は人間ばなれした強者ぞろいである。それも何十人という数にのぼる。その側近一人と互角に戦えるのは、おそらくはルーリックとアイレスの二人しかいないであろう。もっと仲間たちの戦力を向上し、人数を増やす必要があるのだ。そうしなければ、ラール皇帝に自分たちの剣は届かない。
 あれから五年。二人は力を合わせてようやくここまで来た。石橋を叩いて叩いて、それでも用心に用心を重ねてきたのだ。
「反乱軍の力は、皇帝の打倒にきっと利用することができる。だが、いまはまだ時期が早い。皇帝の基盤は安定しすぎている。今戦っても勝ち目はない」
「同感です。帝国軍の戦力はもっと削られなければなりません。そして、まだ帝国の支配下に置かれていない諸国の力を集め、国内においても反乱意識を高め、あと三年。彼らの活動は三年早いといえましょう」
「そこで、反乱軍への対処だが」
「壊滅させたと見せかけ、地下へ隠すことがよろしいでしょう」
「まあ、それが賢明だろうな。だが、それには一つ重大な障害がある」
「こちらの意図が、反乱軍に伝わらなければなりません」
「そうだ。それをどうするか良い知恵がないか、聞きたかったのだ」
 なるほど、と頷く。だが直接そう聞いてくるということは、互いに思っていることは同じだということであろう。アイレスは自らも一杯目のを空けて答えた。
「では、その役目をいただきましょう」
「頼む」
「我々の仲間から、何人か連れていってもかまいませんか?」
「人選は任せる」
 今度はルーリックの方からアイレスにワインを注ぎ返す。
「価値のあるワインですね。ルーリック様から直接いただけるとは」
「心して飲め」
 これは餞別と思ってよいのだろうか、と苦笑する。
 二人が言葉にもせずに理解しあったこと。それは、アイレスが直接反乱軍の拠点まで行って、こちらの意図を伝えるということである。
 もちろん、危険は大きい。なにしろこちらは反乱軍の敵、帝国軍である。何を言ったところで信用されない可能性が高い。だが、それでも行動せざるをえなかった。自分たちの夢のためには。
「出発する前に、妹に会っていけ」
 そのグラスに口をつけた時、不意に言葉が投げかけられた。しばし悩んで、グラスをテーブルに戻す。
「ルーリック様、自分は」
「分かっている。だが、あれもお前のことを気にかけているのだ。危険な任務であればこそ、二度と会えぬかもしれん」
「……」
「あれのためにも、会ってやってはくれないだろうか」
「分かりました。では、一目」
「やれやれ、お前も妹も、もう少し素直になればいいものを」
 言いながら、ルーリックは自分のグラスに自らワインを注ぐ。それをアイレスはあえて止めなかった。
「それから、彼らのことなのだが」
「はい。了解しております。ですが未だ百人の強者を指揮できる者はルーリック様と自分の他にはございません」
「ふむ。今はそれでいいとしても、今後彼らだけで行動する時は必ず来るだろう。その時、仮にでも指揮を取ることができる人物を育てる必要があるな」
「そのことなのですが」
 少々控えめに発言する。が、その態度はルーリックの失笑をかった。
「お前らしくない。はっきりと言え」
「はい。自分の友人に、百人の強者を指揮することのできる人物がおります。ただ、今は居所が分からないのですが」
「ほう、そんな者がいるとはな」
「自分もずっと探していたのですが、なかなか見つからず」
「名を聞いておこうか」
「セリア、といいます。剣の腕は自分より若干劣りますが、戦略・戦術においては自分をはるかに凌駕しております」
「なるほど。お前が推挙するほどの人物というわけか。今まで、そんな者は誰一人としていなかったのにな」
「あいつは、特別です」
「分かった。その名前は覚えておく。見つかりしだい、私の下へ連れてきてほしい」
「はい。必ず」
 そこでまた会話が途切れた。二人ともグラスを空け、互いに互いのグラスを満たす。
「あと、三年だな」
「はい」
 この大陸が死滅するまで、概算で、あと三年。それを過ぎれば、もはやこの大陸が息を吹き返すことはなくなるだろう。決して、そうさせるわけにはいかない。






 しばらくして。アイレスは将軍の部屋を辞し、別の部屋へと赴いていた。ルーリックの唯一の肉親である妹、ティアラの部屋である。
 だが、この部屋の前まできて彼は、この部屋に入ることを躊躇っていた。あまりにも遅い時間になりすぎていたということも無論ある。しかし、それ以上に彼女に会いたくなかったのだ。会えば、気持ちが揺らぐかもしれない。
 これほど自分が心を揺り動かされた女性は過去に一人もいなかった。しかもそれが、敬愛する主君、ルーリックの妹とは。
 彼女が愛おしい。会えば離れたくなくなる。それが分かっているからこそ、会いたくはなかった。せめて、この戦乱の世が終わるまでは。
 す、と扉が勝手に開いた。中から見慣れた、護衛である女騎士の姿が現れる。どうやら、自分がここへ来ていたことが既に悟られていたらしい。
 観念して、彼は招かれるがままに部屋の中へと歩みを進めた。
「お久しぶりですね、アイレス殿」
「はい。姫もお元気そうで何よりです」
 部屋の中には明かりが二つ。それでも、はっきりと彼女の顔は確認できる。いつものように、慈愛に満ちた、美しい笑顔。そして艶やかな兄と同じ黒く長い髪、深い闇のような瞳、触れただけで壊れてしまいそうな華奢な体。月女神が降臨したのかと思わせるほどの美しさである。
「姫、はおやめください。私は」
「あなたは、現世のどの姫君よりも、お美しくあらせられます」
 笑顔が一瞬引く。そして再び、ゆっくりと戻ってくる。
「ありがとうございます。アイレス殿に言われることが、一番嬉しいです」
 彼は答えなかった。そして、いつものように二歩、部屋の中へ入り、そこで片膝をついて畏まる。
 ここが、二人の境界線であった。自分もこれ以上近づかない、姫もこれ以上近づいてこない。それは、二人が最初にとりかわした契約である。
「兄から、聞きました」
「はい」
「危険な任に就かれるとのこと」
「はい」
「無事、還ってこられることを、お待ちしております」
「ありがとうございます。そのお言葉に沿えますよう、全力で任にあたらせていただきます」
 二人の会話は、常時このようなものだ。互いに、互いがもっとも大切であるが故に、あえて親しく接することはない。
 ティアラはアイレスが何を考え、どう行動しようとしているかを知っている。その夢が叶うまで、ラール皇帝の打倒が叶うまでは、決して結ばれることがないと理解し、彼の行動の妨げになるようなことはしない。ただ、彼がこの部屋へ年に数度訪れてきてくれることを楽しみに待つだけだ。
 アイレスは、自分がいつ死ぬかもしれない状況であることをよくわきまえている。ティアラと結ばれたとしても、彼女を幸せにすることはおそらくできないということも理解している。だからこそ、彼女に近づくことはできなかった。だが、彼女に身を裂かれんばかりに焦がれていることも事実。そのため、何度もこうして顔を見に通っている。
 二人が出会って四年。ずっと、こうした関係が続いている。若い二人にとっては、辛く長い時間である。そしてまだ、このような関係はこれからも続いていくことになる。
「ですがもし、自分が戻って来なかった場合は」
「それは、おっしゃらないでください。その言葉だけは、聞きたくはないのです」
「失言でした。お忘れくださいますよう」
 この地上で、自分のことを一番に思ってくれている人が、この女性であることは疑いもないことだ。その女性の前で、自分は一瞬、何を言おうとしたのだろうか。
「アイレス殿は、何かというと私にそう言うのですね」
「は」
「まるで、私という存在がアイレス殿の重荷になっているのでは」
「そのような!」
 思わず声を荒らげていたことに気づき、冷静を取り戻す。
「そのようなことはございません。姫の存在がなくば、私の還るところも失われてしまいます」
 沈黙。やがて、彼女は視線をそらし、一つだけ頷いた。
「ですがもし、私よりも大切な方がおありでしたら、私に遠慮はなさらないでください。私はアイレス殿のお役に立てるようなものではありません。もし他に大切な女性がいらっしゃるなら」
「姫!」
 小さいが、鋭い声で制する。が、彼女はくすくすと忍び笑いを漏らした。
「申し訳ありません」
 そしてすぐに謝罪される。どうやら、からかわれていたようだ。
「ですが、そういうことが気にならないというわけでもないのです。アイレス殿にはそうした、心にかける女性が他にいるのではないかと、よく考えます。私に会いに来てくださらないのは、もしかしたら、と」
「姫」
「聞いても、かまいませんか?」
 突然口調が明るいものに変わる。
「は」
「私と出会う前でもかまいません。アイレス殿に、誰か気になっている方はいらっしゃらないのですか? そして、その人はどのような方なのでしょうか」
「姫、私には」
「何も、今、とは申していませんよ。たまにはアイレス殿のお話を聞かせてくださってもかまわないのではないですか?」
 たしかに、いつも二人が会う時は彼女の方がよく話している。そして、ある程度の時間が流れた時、彼は急にその場を辞する。世間話のようなことは今までしたことはなかったかもしれない。
「例えば、初恋の話とか」
 自分の顔がひきつったのが分かった。そしてその表情は彼女に察知されてしまった。
「何か、面白いお話でも?」
「まことに、恥ずかしい話ではありますが」
 若干、顔は赤らんでいたかもしれない。それも仕方のないことではあるが。
「そのお話を聞いてもかまいませんか?」
「ええ。今となっては昔のことです」
 少し遠い目をして、苦笑いを浮かべる。
「あれは、まだ自分が十代の頃です。今からもう十年も前になりましょうか。自分がいた都市は帝国軍と敵対しておりまして、これは後に滅ぼされたのですが、そこで自分は剣の腕を磨き、戦略や戦術を研究しておりました」
 彼女は微笑みながら、頷きつつ話を聞いている。
「自分は軍事訓練場に通っていたのですが、そこで自分と同じくらいに剣の腕を持った者に出会ったのです。その者は絶世の美貌でして、蒼く大きい、思い込んだら一途というような瞳がとても印象的でした。髪は茶色で、肩にかかるくらいでしたか。体格は自分よりも頭一つ分ほど小さく、そして何よりも笑顔がとても綺麗だったのです。自分は一目見て、そして剣を合わせてさらに、その者に惚れ込んだのです」
「素敵な女性なのですね」
 羨望の眼差しを向ける彼女に対し、今度は彼の方が忍び笑いを漏らした。
「姫。彼は男性だったのです」
「……は?」
「後で知って、自分は顔が真っ赤になったことを覚えております。世にこれほど美しい男性がいるとは自分も正直思っておりませんでした。ですが性格は真に男性のそれでして、言葉も悪く、喧嘩早く、ガキ大将でしたよ、あいつは。一度だけあいつを女みたいだとからかったことがありましたが、その時は二人とも血だらけになって喧嘩をしたものです」
「まあ」
「それが自分の初恋でして。あまりに恥ずかしいので、今まで人に言ったことはなかったのですが」
 くすり、と彼女が笑いを抑えきれずに零す。
「面白いお話でしたわ」
「まあ、あの頃はあいつもまだ少年でしたから。今ではきっと立派な好青年となっているでしょう」
「今は、どちらに?」
「分かりません。故郷が滅びて以来、一度も。きっと生きている、そうは思うのですが」
「お名前は、なんと?」
「セリア、といいます」
「セリアさん。女性のようなお名前ですね」
「それもまた、彼が気にやんでいたところでして。ですが腕は一流です。戦士としては自分よりも若干劣っていたかもしれませんが、軍師としては自分をはるかに凌駕しておりました」
「アイレス殿を、ですか?」
「野にはそれだけ、有望な士がまだいるということです。ちょうど今日、ルーリック様に推挙したところなのですが、居場所が分からないのでどうしようもなく」
「再会できると、よろしいですね」
「そう思います。あいつならばきっと、自分よりもはるかにルーリック様のお役にたてるはず」
 と、その時。彼女の顔から先程までの笑顔が失われ、変わって悲しみが溢れていた。
「姫、いかがなされました?」
「あなたはやはり、戦士なのですね」
 俯き、悲しげな声を上げる。
「私に向けてくださる笑顔もたしかにあなたの一面なのでしょう。でも、今あなたが私に見せた顔は、戦士のものでした。戦う殿方の表情でした」
「姫」
「責めているのではありません。ですが、私には」
 彼はそこで立ち上がった。少々、場が重くなってしまった。そろそろ潮時なのだろう。
「今日はこれで戻ります、姫」
「また、来てくださいますか?」
「必ず」
「信じます」
「必ず、再び姫の下へ」
 逃げるように、彼は部屋を辞した。そして大きくため息をつく。
 失態であった。
 彼女の前では、戦に関することは失言だということは分かっていたはずなのに、自分はその話をしてしまった。
「まだまだだな、自分も」
 早足で、彼は自分の部屋へと戻っていった。
 明日は早朝の出発。早く戻ってゆっくりと眠りたかった。名残は惜しかったが。










第弐幕

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