第参幕






 二人が出会ったのは、今から十二年前のことになる。
 アイレスは小さな村の、とある軍人の家の長男であった。父は帝国軍と事を構えるヴェリア王国で一個中隊を率いている割と地位の高い人物であり、その父から幼少のころより軍人としての教育を施されていた。とはいえ、父は一年のかなりの時間を戦場と王国の首都で過ごしていたため、あまり思い出らしい思い出というものはない。自分に対しては常に厳しい父親だったという印象しかない。誇りではあっても、好きにはなれない父親であった。
 母親は彼には優しかったが、病気がちでいつも床についていた。長くは生きられないであろうと医者に宣告されており、この病弱な母を常に心配してはいたが、彼にとってはそこまで大切な存在というわけではなかった。冷静で落ち着きがあるように周りから見られてはいたものの、本人は誰よりもやんちゃ坊主であるという自覚があったし、だからこそずっと寝ているだけの母親は、好きではあったがその傍にずっとついているということは彼には苦痛であったのだ。結局その母親は彼が十二歳の時に首都に移った。優秀な医者も多いし、父親の勧めであった。その時は少し悲しく思いもしたが、どこか不思議と安堵したということも覚えている。親不孝なことだとは思うが、それが自分というものなのだろうと割り切ることにした。
 父親の命令で、十三歳の時に村の剣術道場に通うことになった。もともと父親から剣の稽古をつけてもらってはいたが、父親が昇格するにつれて家にいられる機会がますます減っていたので、道場に通うことになったのである。
 そこでアイレスは誰よりも強かった。学問も武術も、アイレスは物心ついた時から一日として稽古を怠ったことはない。そのアイレスにかなう相手など、同年代には一人としていなかったのだ──いや、いた。
 アイレスよりも二か月遅れて道場に入門した人物。年は同じだが、体は頭一つ小さかった。しかもその人は、綺麗な女性だった。茶色の髪、薄水色の瞳。少年アイレスは一目でその女性に惚れ込んでしまった。
 剣を合わせた時、その想いはさらに強まった。自分と同い年で、しかも女性なのに自分と互角に剣を振るう。これほどの人物が世の中にいるとは思ったこともなかった。同年代で自分と互角に戦える者などいるとは思ったこともなかったのだ。
「すごいな、君は」
 なんとか、本当にぎりぎりのところでアイレスが一本とった後、その女性に話しかけた。
「勝った奴に言われたくはないな。負けたのは初めてだ」
「これでも自分は、稽古だけは欠かしたことがないので」
「お前、名前は?」
「アイレス。君は?」
「セリア。よろしくな、アイレス」
「よろしく。もう一本、いくか?」
 セリアが頷いたので、二人はそれから何本か打ち合った。七回打ち合って、五本。それがアイレスの勝ち星であった。
(本当に強い)
 自分が二本も取られるとは思いもしなかった。だがその思いはセリアの方が強かったらしく、自分の方が負けていることに憤慨していた。
「お前、強すぎるよ」
 セリアが顔をしかめて言うので、アイレスは思わず苦笑していた。
「何、笑ってるんだよ」
「いや、すまない。それより、一つ聞いてもいいだろうか」
「何だ?」
「その、君は女性なのに、どうして剣術を習おうと思ったんだ?」
 セリアは目を丸く見開いて、それから鬼のような形相となった。次の瞬間、今まで七本打ち合った中で最も速く、セリアはアイレスを殴り倒していたのだ。
 アイレスは何故殴られたのかさえ分かっていなかった。逆にきょとんとして、自分を見下ろしているセリアを見返した。
「俺は男だっ!」
 アイレスは目を二度瞬かせて、繰り返した。
「おとこ……?」
「どうして分からないんだ、この馬鹿っ!」
 憤慨して、セリアはその日道場を早退した。つまり飛び出していったのだ。
 それが、アイレスの淡い初恋であった。






 セリアはその村のガキ大将であった。悪餓鬼セリアといえば、それなりに村では名前が知られていたので、アイレスが知っていても本来はおかしくなかったくらいである。
 だが、セリアは毎日がつまらなかった。自分と同じだけ剣を振るう奴はいなかったし、自分と同じ視野にたって物事を考える奴もいなかった。悪餓鬼仲間は誰もセリアの優秀な頭脳、運動能力についていけなかったのだ。
 セリアの父親は、セリアが九歳の時に事故死している。それについてはこのような噂が飛び回っていた。
『父親があまりにも綺麗な自分の息子に欲情して襲いかかったが、返り討ちにあって死んでしまったのだ』
 その噂についてセリアは肯定したことも否定したこともない。アイレスも尋ねたことすらない。セリアが一番怖いのは怒っている時ではない。何も言わなくなった時だということをアイレスは良く知っていた。だからその噂についてセリアは一貫して立場を明らかにしていないということは、余程触れられたくない、もしかするとある程度の真実が含まれている話題であるということが容易に察しがついたからだ。
 その一件はともかくとしても、セリアは不思議と同性から好かれた。異性に好かれる経験も少なくはなかったが、同性のそれから比べると微々たるものであった。
 悪餓鬼仲間がからかって襲いかかったが、逆に半殺しの目に合わされたということは誰もが知っている事実だ。セリアの母親は相手の親に何度も謝りに行ったが、セリアは決して自分が悪かったという反省のようなものをちらりとも見せなかった。
 そんなことがあって、誰もセリアの傍には近寄らなくなった。セリアもそのような馬鹿な連中と付き合うことを嫌がるようになり、道場へ入門したのであった。
「鬱陶しいんだよ」
 十年前、二人が十五歳の時。アイレスは二年間結局聞きそびれていたことをとうとう聞くことができた。
「誰も彼も、俺を男だと知って襲おうとする。同年代の連中だったら返り討ちにできるけど、大人にはかなわない。だから道場に入ったんだ。自分の身を守るためにな」
 二人は親友になっていた。出会いから三か月の間、セリアはアイレスを無視しつづけていたが、何度も謝られているうちに次第に二人の間で会話が繰り返されるようになっていた。
 二人は武術だけでなく、学問の上でも互角であった。子供の頃から学問をしていたアイレスの方がセリアに教えていくということが多かったが、手に入れた知識をどう活用するかということについてはセリアの方がはるかに上手であった。アイレスがセリアにはかなわないと賞する所以である。 「もっとも、完全に女だと誤解したやつはお前くらいなもんだけどな」
「あまり、責めないでくれ。思い出すだけで恥ずかしい」
「ふん」
 こうやって人をからかう時のセリアは、おそらく自分でも意識していないのだろうが、小悪魔のようにすら見える。周りの男衆が同性だと分かりながらも意識せざるをえない理由はこのあたりにあるのではないだろうか、とアイレスなどは思う。






 九年前、二人は一度だけ大喧嘩をしたことがある。
 きっかけはもはや何だったのか二人とも覚えてはいない。だが、アイレスはセリアの禁忌に触れてしまった。
「女みたいな顔しやがって!」
 言った瞬間に後悔した。自分も感情が高ぶってしまっていて、売り言葉に買い言葉だったということはよく分かっている。すぐに我に返り、謝ろうとしたが、遅かった。セリアの表情は一瞬で凍りつき、何の意思もこもっていない瞳でアイレスを睨みつけると、くるりと踵を返してその場を後にしようとした。
 謝らなければ、と思ってすぐにその後を追いかけて肩に手を置いた──
「触るんじゃねえっ!」
 こういう時のセリアはもう手におえない。そのことはよく分かっているつもりだった。十三歳の時、悪餓鬼仲間を半殺しにしたという事実をこの時アイレスは思い知らされた。セリアは無表情で自分を殴り、蹴り、突き飛ばしてはさらに襲いかかってきた。
「いいかげんにしろっ!」
 こうなってはアイレスも黙ってはいられなくなった。自分が殴られた分だけ殴り返し、蹴られた分だけ蹴り返した。だがそれでもセリアは怯むどころかますます怒り、二人の喧嘩は延々と続いた。
 二人とも血まみれで、顔は真っ赤に腫れ上がり、それでもなお闘争心だけは消えずに対峙していた。だが、百以上も殴りあった後に先に根尽きたのはセリアの方であった。
「この、タフ野郎……」
 ばったりと倒れ、アイレスはようやく大きく息を吐いた。そして痛む体でセリアの体をかつぎあげて家まで運んだのだ。
 翌日。二人は道場でばったりと出会った。三秒、見つめ合った後、同時に爆笑した。
「アイレス! 何だお前、その顔!」
「君だって!」
 せっかくの美人が台無しだ、というと昨日の二の舞になることは分かっていたのでその言葉は何とか堪えたが、二人の笑いはしばらくおさまらなかった。
そのような喧嘩は稀であったが、小競り合いはしょっちゅうであった。セリアは割と怒りっぽく、何か起きると腹を立てていた。アイレスはよくセリアを宥めていたが、いい加減になるとセリアを放ってしまうということを覚えた。そうするとセリアの方から「悪かった」と謝りにくる。
セリアはアイレスを怒らせることによほど罪悪感を覚えるらしく、謝った後はかなり長い間神妙にしている。人を信頼するということをセリアは滅多にすることはなかったが、一度信頼した人間に怒られるということは、今までそういうことがなかっただけに、よほどセリアの心に衝撃を与えるらしい。
 アイレスはといえば、しおらしくしているセリアはどうにも居心地が悪くなってしまうので、早くいつものように悪態をついてくれるくらいに回復してほしいと願うので、よほどのことがない限りはそうやってセリアを無視してしまうということはなかったが、時にはそうやって感情を出していかないとセリアも付け上がるので、そのあたりの付き合い方は本当に微妙であった。
 だがいくら喧嘩をしても、結局は元通りになるということを考えれば、二人はまさしく友人であった。お互いがいなくなるという状況を二人は考えたことはなかったし、互いのことを一生涯の相棒だと考えていたのである。






 七年前。二人は人生の岐路に立たされることになった。王国軍が破れ、二人の住んでいる村の近くまで帝国軍が押し寄せてきたのである。
 ヴェリア王国はバルティア帝国と事を構えている。すなわち、ヴェリア王国の住民は女子供の区別なく全員が殺される。そのことを住民たちは当然知っていた。住民の半数が我先にと隣国へ落ち延びていった。どんな境遇になるにせよ、死ぬよりはましだというわけである。
 残った住民の内の半分はこの地で死にたいと思っている人間であり、残りの半分は帝国軍と戦う意思を持った者であった。とはいえ、そのほとんどが武器の持ち方もしらないような民間人である。百戦錬磨の帝国軍と戦って勝ち目があるわけではなかった。
 だが希望も残されていた。帝国軍はたしかに村に向かいつつあったが、同時に王国軍も体勢を再び整えてこちらに向かいつつあるというのだ。
 誤差は、約一日。一日持ちこたえることができれば王国軍が到着する。
 当然アイレスもセリアも村に立てこもっての防戦を主張した。だが、この時村の自治軍を率いていたのは二人が通っている道場の師範代であったのだが、彼は自治軍に出撃を命令したのである。
「出撃? 馬鹿なことを言うな! たった一日村に閉じこもっていれば援軍が来るんだ。何故自ら死にに出ていかなければならないんだ!」
 セリアの意見は表現こそ悪かったものの正論であった。
「セリアの言うとおりです。村の中で防戦さえしていれば、一日くらい充分に持ちこたえることができます。ですが、村の外に出てしまえばそれすらかなわなくなります。お考えなおしください」
 アイレスは言葉を穏和に置き換えて主張するが、それでも師範代は首を縦に振らなかった。
「村に閉じこもっていては火矢をけしかけられ、混乱に乗じて侵入されてしまうだろう。村の外で戦いつつ援軍を待つべきだ」
「正面から戦って勝ち目なんかない! たとえ混乱が生じたとしても、一日なら住民を総動員させれば絶対に防ぎきれる!」
「くどい! それに、戦う前から勝ち目がないなどと言うものではない! 必勝の信念を持ってすれば、たとえ勝てずとも一日耐えることくらい充分可能であろう!」
「信念で戦ができるか! この──」
「やめろ、セリア」
「アイレス!」
「やめろ。もう、無駄だ」
「無駄? 無駄だって? ここで無意味な出撃なんかしてみろ! 村がなくなるんだぞ、俺たちの育った村が!」
「勝てないんだよ、俺たちは」
 セリアは泣きそうな目で、アイレスに訴えた。だが、アイレスの目はもう既に何かを悟ったかのように、諦めてしまっていた。
「村が帝国軍にかなわないように、俺たちではここにいる皆を説得することはできないんだ」
「何故、何故なんだよ、アイレスッ!」
「行こう、セリア。今は他にもっと、やることがある」
 アイレスは強引にセリアを引きずり立たせると、会議室を後にした。師範代をはじめとする道場の主要な剣士たちは、裏切り者でも見るかのような目つきで二人を見送った。
 アイレスはその視線を受け、逆に睨み返し、暴れようとするセリアを宥めて出ていった。
「アイレス。俺、こんなに悔しかったこと、今までに一度もなかった」
 道場から出ると、セリアは肩も声も震わせて、やるせなさと悔しさをそのまま言葉にした。アイレスはセリアの肩に手を置き、とにかく落ちつかせようと試みる。
「自分もだよ。だが、村をこのまま滅ぼさせるわけにはいかない。俺たちの手で自治組織を作り、帝国軍の侵入を防ぐように努力しなければ」
「そんな、できるのか? 俺たちだけで」
「しなければ、村が滅びる。できるできないの問題じゃない。やるかやらないかだ。どうする、セリア?」
 泣きそうだったセリアの薄水色の瞳に、少しずつ、だがしっかりと光が戻ってくるのを、アイレスはしっかりと確認していた。
「よし、やろうアイレス」
「その意気だ。とにかく協力者を募ろう。罠を作り、柵をもっと丈夫なものにして、一日持ちこたえられるだけの設備を完成させるんだ」
「うん。とにかく片っ端から人を集めてくる」
 だが、彼らに協力する者は少なかった。いや、いなかった。若い二人の意見に耳を傾ける者はなく、戦士が集まっている道場の師範代の言うことだけが村に浸透していったのだ。村は確実に、滅びの道を歩もうとしていた。
 もう、駄目だ。
 三日間、ほとんど寝ずに動き回ったものの、収穫がまるでなかったことに、アイレスは完全に諦めてしまっていた。
 もう村を救う手段はどこにも残されてはいない。師範代が考え直してくれないかぎりは、もうどうすることもできない。
 最後の手段を取るしか、もう残されてはいないのかもしれない。
「逃げよう、セリア」
 アイレスはそう言った。だが、セリアは真剣な表情で言葉の続きを待つだけであった。
「もう、それしか生き残る方法はない。一刻も早く戦場から離れるんだ。お前の母親も連れて」
「なるほどな、それは考えていなかった。お前、案外頭が回るな」
 アイレスの言葉を途中で遮り、セリアは苦笑して答えた。
「案外、とは失礼だな」
「でも、まだ策はあるぜ」
 にやり、とあの小悪魔の微笑みを久しぶりにアイレスは見た。
「とにかく一日だ。一日足止めできれば援軍が来る。敵を足止めするんだ」
「足止め」
「そうさ、何も戦う必要はないんだ。足止めができればいい。草原に油を巻いて、火をつけてやる。それで充分足止めできるさ」
「セリア」
「どうする、やるか? やらないか?」
 アイレスは正直迷った。今逃げればまだ命は助かるのではないか。そういう思いが彼を縛っていたのだ。
「やらないと言ったら、どうするつもりだ?」
「仕方ないな。俺だけでもやるさ」
「何故、そこまでする?」
「さあ、どうしてかな。多分、村を捨てて逃げようなんて考える奴には分からないんじゃねえのか?」
 微笑みは、まだ消えていなかった。
 おそらく、その微笑みの裏側にあるのは、挑発と、失望と、期待と、不安と、その他いろいろな感情なのだろう。
 この村で育ってきた思い出。村を捨てて逃げようとする奴には、そもそも思い出なんかこの村にはないんだ。セリアが言いたいことは、まさにそのことなのだろう。
「君は、そんなにこの村に思い入れがあるのか?」
「そりゃ、生まれ育った村だからな」
「あまり、幸せだったとは言えないだろうに」
「幸せだったさ」
「どうして、そう言える?」
「……お前に、会えた」
 目頭が熱くなった。ここまで、セリアは自分のことを信頼してくれている。
 たった一人の友人として、自分が協力してくれるのだと信頼してくれている。
 唯一思い出を共有した人物であるということを信頼してくれている。
「最後だ。やるのか、やらないのか、どっちだ?」
 無論、答は決まっていた。これを断るということは、今までセリアとつきあってきたこと全てを否定することに他ならなかった。
「やろう」
「そうこなくちゃ」
 その勝ち誇ったような笑みを、アイレスは一生忘れることはないだろう。






「見えるか、アイレス」
「ああ、よく見える」
「成功したんだよ、俺たちは!」
「そうだな。君に賭けて、よかった」
 草原が燃えている。その下で多数の兵士たちが焼かれている。それは二人の火計がぎりぎりで成功したことの証であった。
「これで、村が救われる」
「そうだな。全て君のおかげだ、セリア」
「何言ってるんだよ、お前がいなかったら成功しなかっただろうが」
「いや。自分は正直諦めていたよ。村を捨てて逃げることしか考えていなかった。君が叱咤してくれなかったら、自分は本当にそうしていただろう」
「お互いさまさ。道場を出た時、お前はできるできないの問題じゃない、やるかやらないかの問題だと言っただろう。あの言葉がなかったら、ここまでやる気になんかなれなかったさ」
 それは間違いなくセリアの本心であった。完全に動揺し、もはや八方塞がりだと思っていたあの時、アイレスが背中を押してくれた。だからこそ、最後までアイレスを信用することができたし、最後まで投げ出すこともしなかった。
 アイレスには感謝している……感謝している。
 もちろん言葉に出して言うことはできないが、それが偽らざるセリアの本当の気持ちであった。
「よし、急いで村に戻ろう。あとはこのまま一晩──」
 その時、二人の後方、村から火の手が上がった。
『なっ──』
 二人はその方角を見て言葉を失った。
 村が燃えている。夕陽のせいではなく、炎のせいで空が赤く焦げている。
「やられた……」
 セリアは呻いた。
「別働隊がいたんだ。帝国軍は二方向から村に迫っていたんだ」
「そんな、たかが一小村に」
「けど、これが現実だ」
 その説明に、アイレスは愕然とした。たしかに目の前で敵軍は完全に混乱しきっている。では、だとすればあの火の手はどう説明すればいいのか。セリアの言っていること以外に説明のしようもなかった。
「……母さん」
 空の赤とは対照的に、蒼白な表情でセリアが駆けだした。
「母さんっ!」
「セリアッ!」
 それを追って、アイレスも駆けだした。だが、こういう時のセリアは止めることができない。いくら全力で追っても、もうセリアには追いつかなかった。
「くそっ、セリア……セリアッ!」
 だが、アイレスは止まらなかった。そしてセリアの後を追って火の海となっている村へ飛び込んでいった。






 村に駆け込んでいったセリアは、一目散に自分の家へと向かっていた。だが、すぐにその足が止まった。
(帝国兵!)
 思わずセリアは木の陰に隠れた。三人といったところか、村人を探しているようであった。
(住民狩りか)
 もはやこうなっては生き延びることができる住民などほんのわずか、もしかしたら一人もいないかもしれない。最悪、自分ですらも。
(目につかないようにして行動しなければ)
 帝国兵の三人くらい、セリアならば簡単に打ち倒すことができたであろう。だが目立つわけにはいかない。
(母さん)
 こんな状況になってしまったのは自分のミスだ。そして、こんな状況で母親の傍にいてやれない自分が恨めしかった。
(……つくづく、親不孝だな、俺は)
 幼い頃からただ一人自分の味方になってくれた母親。自分にとってたった一人の肉親。それを失いたくはなかった。助けたかった。
セリアは帝国兵に見つからないようにして自分の家へと急いだ。幸い、道場を制圧するのに帝国軍が主力を注いでいるようであったので、自分の家の辺りはまだ帝国兵の姿は少なかった。
 母は戦いにはまるで疎い。一人では逃げることもままならないだろう。帝国兵に見つかる前に、なんとしてでも逃がさなければならない。
 そう思って家へなんとか入ることができた。そして急いで母親の部屋の扉を開けた。
「母さ──」
 そこで、彼は絶句した。
 布団の上に寝ている母。
 その胸に突き刺さった長い槍。
 その体を死姦している若い兵士たち。
「……………………」
 兵士たちは下卑た表情でセリアを睨みつけた。何か侮辱するような言葉が吐かれたようであったが、その声はセリアの耳にまでは届かなかった。
「うああああああああああっ!」
 一瞬で、セリアは抜刀すると今母親にまたがっている男の首を撥ね飛ばすと、続けて残りの兵士たちを斬殺した。文字通り一瞬であった。少なくとも、本人の意識の中では一秒もたってはいなかった。
 だがそれが供養になるなどとは、セリアは無論思わなかった。
「母さん……っ!」
 苦痛の表情で天井を見上げているその死に顔は、突然の事態を受け入れることもできず、恐怖と絶望に満ちていた。それを見て、セリアの目に涙が溢れた。
「ごめん……ごめん、母さん……!」






 アイレスはようやくセリアの家へ到着すると、静かに中に入った。
「……セリア?」
 一度、声をかける。だが、返答はない。
 家の間取りは覚えている。自分の家よりこの家のことの方が詳しいくらいだ。アイレスはセリアの部屋を覗いてみて、誰もいないことを確認する。
 そして、セリアの母親の部屋──
「入るな!」
 中から、制止する声が響いた。
「……すぐ、行くから……」
 その声で、中の様子が想像できた。セリアは、間に合わなかったのだ。
 言葉通り、セリアはすぐに出てきた。返り血を浴び、涙を流している様子は、今までにアイレスが見たこともない、ただの母親を失った一人の子供の姿であった。
「セリア……」
 その頭を、アイレスは抱き寄せた。セリアは声を押し殺して、泣いた。






 戦いは夜半には決着した。当初の予定を裏切り、その日のうちに王国軍が到着したのだ。王国軍は到着するなり、二人の火計によって半数となっている帝国軍を蹴散らし、退却させるにいたったのだ。
 もし師範代が二人の意見をいれていれば、確実に村を守りきることができたであろうが、それも既に後の祭りである。その点では二人とも後悔はしていなかった。後悔していたのは、自分たちの読みの甘さであった。
「なあ、アイレス」
「……なんだ?」
 すっかり、二人はいつもの様子に戻っていた。もっともそれは表面的なものにすぎなかった。二人とも失うものは大きかったのだから。
「結局、戦いっていうのは個人じゃできないんだな」
「そうだな。軍を率いる指揮官の質が、勝敗を左右するようなものだ」
「俺は、探すつもりだ」
「探す?」
「ああ。自分が本当に仕えるべき主人。俺の意見に耳を傾け、冷静で正しい選択をしながら帝国軍と戦っていける、本当の指揮官をだ」
「……そうか」
「……なあ、アイレス」
「…………」
 だが、セリアはその先を言うことはできなかった。
 自分と、アイレスは違う。自分は全て──アイレス以外の全てを失った。だが、アイレスはまだ首都に家族がいる。
「……いや、何でもない」
「そうか」
 アイレスは、望んでいたのかもしれない。セリアに、一緒に来てくれないかと言ってくれることを。それは、その後七年たった現在でも容易に答の出ない問題であった。
「約束、しよう」
 代わりに、アイレスはそう切り出した。
「約束?」
「そうだ。いつか、二人で、帝国を打倒しよう。お互い今よりもっと力を手に入れて、協力して帝国を討つんだ」
「アイレス」
「必ずだ」
「分かった、誓おう。たった一人の、俺の大切な友人。お前といつか二人で帝国を打倒しよう」
「誓いの儀式、するか?」
「必要ないさ、俺とお前の仲だ。儀式なんかしなくたって、誓いは必ず果たされる。俺はそう信じている」
「そうだな」
「俺は明日すぐに発つよ。お前は軍について首都へ行けばいい」
「ああ、そうするよ」






 明朝、二人は言葉もなく別れた。
 ヴェリア王国はそれから一年のうちに崩壊し、一兵士であったアイレスはなんとか生き延びて傭兵となった。その翌年、ルーリックと運命の出会いを果たすことになる。
 セリアもまた戦場から戦場へと移り渡り、何度も自分が仕えるべき主君を決めようとしたものの、結局最後までその人物を信じきれずに動き続けた。ウィルザと運命の出会いを果たすのは、故郷を失ってから三年が過ぎた時のことであった。
 二人とも自分の主君にお互いを紹介したいと考え、そのまま数年が過ぎ去っていた。
 その二人の再会が近いということは、当然彼らには知るべくもなかった。










第肆幕

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