第肆幕






 ラール皇帝が戴冠してからたったの一年で国内に恐怖と絶望が満ち溢れた。帝国軍人でなければ人にあらず、そう評しても決して過言ではなかった。民間人の生殺与奪を握っているのはまさに軍人であり、軍人に逆らったものはその場で斬り殺されても文句を言うこともできなかった。
 殺傷権。ラール皇帝が軍人に与えた権利の中でもっとも悪名高いものである。この権利を根拠とした軍人の民間人虐殺事件は後を絶たなかった。それどころか、軍という組織が積極的に民間人を虐殺することを推奨したため、その傾向は時間が経つにつれて加速していったのだ。
 軍の中に良識派と呼ばれる存在がなかったわけではない。だが、良識派とおぼしき人材はこの一年のうちにそのほとんどが逮捕、処刑されていた。
(民間人を虐殺することに何の意味がある)
 もはやラール皇帝と帝国軍の暴走を止めることができるものは国内において、いや、大陸全土に渡ってもいなかったのだ。
(このままでいいはずがない。だがどうすればいい。どうすれば、この国を元に戻すことができる)
 ルーリックの周りにいる人間は誰も信用がならなかった。軍の暴走を喜々として受け入れ、民間人の虐殺を行う者は論外であったが、中立と思われる人間ですら誰が裏で密告をしているのか分からなかった。現在の軍のあり方に不満を漏らした者がどれだけ処刑されたことか。それを考えると、誰に相談するわけにもいかない。
(私は、何をしたいんだ……)
 不満は多々あるが、それをどう形にすればいいのか、それが分からなかった。どうすれば現在の体制を変えることができるのか、どれだけ考えても答の出ない問題であった。
 そんなある日、彼の部隊に出撃命令がくだった。
「領内の一小村を襲撃しろ、と?」
 そういう辞令が下ることが最近頻発しているということを話には聞いていたものの、まさか自分の部隊がその当事者になるとは思ってもいなかった。
「何故、このような」
「ルーリック大隊長。軍人は上官に対して疑問を呈することをしてはならないということ、まさか忘れているわけではないだろうな」
 こう言われて逆らえる者などいるわけがない。この威嚇に屈せず意見をした者は、逮捕されるだけのことなのだ。
「いえ、忘れてはおりません」
「では、早速準備に取りかかれ」
(民間人を殺さなければ、反対に自分が軍に殺される)
 それは客観的に明白な結論であった。
(だが、自分の命を守るために民間人を殺してもいいなどという正当性が成り立つはずはない)
 ルーリックは自己の正義と国の正義とが真っ向から対立していることに、この時初めて気がついたのであった。






 ウィルザが住んでいる村は帝国の辺境にある、どこにでもありそうな小さなところであった。人口もそれほど多くはない。百年、二百年、それよりもずっと古い時代から、時が止まったかのように、何の変化もない村。戦争の影響を受けるわけでもない、軍隊が駐留しているわけでもない。ごくごく平和で、静かで、幸福につつまれていた。
「ルナ、それじゃあ兄ちゃん、行ってくるから」
「うん」
 たった一人の家族、妹のルナの頬にキスして、今日もウィルザはいつものように仕事へ出掛けようとした。といっても、家のすぐ傍の畑が彼の仕事場だ。亡くなった父母から受け継いだ畑。これを耕すことだけが、彼にとって唯一、永遠の仕事であった。
 妹のルナは生まれつき体が弱いこともあって、幼いころからずっとウィルザが付添い、守ってきた。本人はこれからもずっとそうだと信じて疑っていない。いつの日かルナが嫁いでいくということなど、頭の片隅にも入っていなかった。自分たちはずっと二人だ、とそう信じている。
 見れば見るほどよく似た兄妹であった。もちろん、毎日の畑仕事で体がしっかりと出来上がっている兄に対して、一日のほとんどを布団の中で過ごす妹は二回りも三回りも小さかった。それでも、色々の肌や、金色の細い髪、整った顔形などを見れば二人が兄妹であることを疑う者は誰一人いないであろう。
 ただ、二人を同時に見た時のそれぞれの印象はまるで異なる。その決定的な差は、瞳の色であった。
 兄の青い瞳は、無限の可能性を秘め、今にも羽ばたいていきそうな空の碧。それに対して妹の青い瞳は、優しさと憂いとが同居した、静かに横たわる深い海の蒼。
 よく見れば確かに似ているのに、これほど初見の印象が異なる兄妹もかなり珍しいであろう。
「ねえ、お兄ちゃん」
「なんだ、ルナ」
「今日、お兄ちゃんが帰ってきたら、お話があるの。聞いてくれる?」
「もちろん。兄ちゃんがルナの我儘を聞かなかったことがあるか?」
「ありがと」
 ウィルザは妹を溺愛していた。この時代、体が弱いということだけで捨て子にされてしまうこともあったことを考えれば、ウィルザのような優しい兄は、妹にとってどれだけ感謝しても足りない相手に違いなかった。
 しかしそのルナにも、直面している問題が決してなかったわけではなかったのだ。






 昨年から行われている小村狩りとでもいおうか、いずれにせよこの蛮行は、後に振り返ってみると皇帝ラールが、将兵たちが自分の意にいかなる場合でも従う覚悟があるものかどうかを見極める意味があったのではないだろうか、とも考えられる。現に、この辞令に従わずに逮捕、投獄された隊長、ないしは兵卒の数ははかりしれなかった。その結果として、それから九年たった現在では軍でラール皇帝に反発する意気込みのあるものは、少なくとも表立っては誰もいなくなってしまっていたのだ。
 それに、もう一つおかしなことがあった。それは、大隊長クラスの出撃とはいえ、記録係に皇帝の親衛隊が着任したということである。親衛隊とはその名前が意味する通り、皇帝の身辺を警護するものであるが、それだけが任務ではない。皇帝の意に沿わない者を粛清したり、諜報活動で諸外国や国内の情報をいち早く皇帝に届けることなど、多岐にわたっていた。
 親衛隊はいずれも最精鋭の強者であり、ルーリックが剣技を競うのだとすれば、おそらくはその強者たちと五分以上の戦いができたであろうが、同時に二人を相手にしては勝ち目などまるでなかった。とはいえ、当時の親衛隊の数は五十に満たない程度。集団として恐れるには足りない、と考えていた。
 が、初めて親衛隊の一人と出会った時、ルーリックは恐怖を覚えた。
「はじめまして。今回記録係として同行することになりました、ヴァールといいます」
「今回の任務を仰せつかりました、大隊長のルーリックです。よろしくお願いします」
(これは、人間ではない)
 短めの黒髪はぼさぼさになっていてまるで騎士らしくなく、前髪が目の下まで垂れていてだらしない。口許はにやけていて、これで騎士の鎧を着ていなければどこかの乞食と見間違えそうな風体である。だが、時折髪の合間から覗く紫色の隻眼、視線、ではなく、死線、とでもいおうか。左目は縦に大きな傷があってどうやら見えていないようだが、右目からはまさに悪魔のものとでもいうべき、体が凍りつくかのような恐怖と悪寒を感じた。
(かなわない)
 少なくとも、今の自分ではどうあがいても勝てない。この殺気だけで、白旗を上げる以外に自分が打つ手はなくなってしまう。
(親衛隊。噂には聞いていたが、それ以上だ。まさか自分が初見で、ここまで戦慄を覚える相手に出会うなど、いるとは思わなかった)
 しかもヴァールは親衛隊の中でも下っぱだというのだから、親衛隊の隊長ともなるといったいどのような化け物が現れるのか、想像することもできない。
「よい、瞳をしておいでだ」
 ヴァールは口調だけは軽やかに、しかし全身の殺気は少しも揺るがずに話を続けた。
「ありがとうございます」
「ルーリック殿は近い将来、きっと我が軍の重鎮となられるでありましょうな」
「滅相もありません」
「いえ、ボクのこの手の予言は当たるのですよ。不思議と、ね」
 ヴァールはルーリックを、国家に対して害ある人物ではない、さらに言えば皇帝に対して反旗を翻すような勇気ある人物ではない。そう評したかのようであった。
「では今後とも、末永く、よろしく」
ルーリックはヴァールが部屋から出ていくのを、唇をかみしめて見送った。






 ウィルザは妹の『お願い』に、しばらく硬直して何も話せないでいた。
『私も、仕事がしたい』
 ウィルザにはルナがそう言わなければならない事情も理由も分からなかったし、そもそも妹が仕事をする必要すら認めていなかったのだから、戸惑いは激しかったといえよう。
「どう……してだ、ルナ?」
 まるで思考がまとまっていなかったことを示すかのように、いつもは多弁なウィルザがごく最低限の言葉しか口にできないでいた。
「だって、私も今年で十五だし。いつか、お嫁に行くことを考えたら、何かお仕事ができないと」
「ルナにはそんなことをする必要はないって、この間言っただろ?」
「ううん、必要はあるよ、やっぱり」
 これまでウィルザはルナのためならばなんでもしてきたし、これからもそうするであろう。しかし、今回のお願いとやらだけは聞き入れることはできそうになかった。
 とはいえ、そのお願いはルナにとってあまりに切実なものであった。今はこれでいいのかもしれない。体も丈夫ではなく、病気がちで、兄に頼っても仕方のないことであろう。だが、いつかは袂を分かち、嫁いでいかなければならない。そこで何も仕事をすることができない嫁を、はたしてその家は喜ぶであろうか。
 ウィルザにもそのくらいのことは分かる。だが、許すことはできなかった。体に負担となるようなことはほんのわずかでもさせたくはなかった。しかも彼の考えでは、仕事ができないことを理由にルナを責めるような家には決して嫁がせるつもりなどなかったのだ。それほど彼は妹を溺愛していた。悪くいえば、過保護にしていた。
 妹にとって一番の問題は、仕事ができないとか、嫁ぎ先がないとか、そういうものではなかった。兄が自分を過保護にすること、それが何よりも問題であった。このままでは、自分は甘やかされすぎて、独り立ちできないのではないか。そう考えていたのだ。言うなれば、自立心が芽生えた、ということであろう。
「もちろん、最初から畑仕事をするとか、そういうのじゃなくて、家の中のお仕事だって、お兄ちゃんに頼ってばかりだから、せめてそれくらい私がしたいの」
「ルナはもう晩御飯だって作ってくれてるし、掃除だってしてくれてるだろう」
「それはそうだけど、他にも……お洗濯とか、農具の手入れとか」
「そんなことしたら、また体が」
「少しずつ体を慣らしていけば大丈夫よ。それに、少しは体を鍛えて、病気にかかりにくくしないといけないし」
 ウィルザは絶対に許すつもりなどなかったが、ルナにしても引くつもりはなかった。自分と同じ年の子たちは家事全般どころか畑仕事までできるものがほとんどである。中には既に結婚して子供を産んでいるものもいる。それに比べて自分はどうか。畑仕事は仕方ないかもしれない。でもせめて、家事全般くらいはできるようにならなければ、嫁ぎ先などおそらく一生ないに違いない。
 だが、そのことを全面に主張すると、兄はきっとこう言うのだ。
『それなら、一生兄ちゃんがお前を食わせてやる』
 それではいけない。兄には兄の人生があり、自分には自分の人生がある。そのことを、お互いによく知らなければならない。
「……お願い、お兄ちゃん」
 ウィルザは妹の考えをある程度は分かっていたものの、そこまで思い詰めているとは考えていなかった。きっと、それ以上深く考えると『妹は自分のことが嫌いなんだろうか』などということを考えていくからであろう。
「……分かった」
「ほんと?」
「でも、順番にだ。洗濯水は兄ちゃんが汲んでくるから、とりあえず洗濯だけだ。それに、農具の手入れは思ったより疲れるから、一つずつ、慣れるまでは他のものには手をつけない」
「うん、うん」
「少しでも疲れが見えるようだったらすぐに休む」
「お仕事は疲れるものでしょ?」
「お前は体が弱いんだから、疲れた時に休まなかったらまた体をこわすから駄目」
「お兄ちゃんのケチ」
「嫌なら別にいいんだぞ」
「あー、うそうそ。うん、それでいいから」
「よし。それなら明日からでいいのか?」
「うん。そうだ、朝御飯も私が作るね」
「それは駄目だ。朝に動いたりしたら、また倒れるかもしれないし」
「大丈夫。最近は朝早く起きて体を慣らしてるから」
「まったく。仕方がないなあ」
「腕によりをかけておいしいご飯作るね!」
 結局のところ。ウィルザは妹の『お願い』には逆らえないのであった。たとえ仮にそれが妹のためにならないのだとしても、上目使いで懇願されてはお手上げであった。
 そしてもちろん、妹が少しでも疲れたり体調が悪くなったりしたら、それを理由にやめさせるつもりでいた。そのあたりが妹のお願いを承諾した一番の理由だったのかもしれない。






 十日後。
 ルーリックの部隊は村から少し離れたところで、最後の作戦会議を行うことになった。作戦会議といっても、一小村を攻め滅ぼすだけのこと、そんなに難しいことがあるわけではない。だが、やるからには万全を期すことが彼の信条であった。
「村の四方から、各中隊が突入する。北西から第二中隊、北東から第三中隊、南東から第四中隊、南西から第五中隊。第一中隊は私の指揮のもと、南から突入して村の中央広場に陣を構える。ここを仮の本部とする。各中隊は自分の持ち場の村民を確実に仕留め、その数を報告すること。戸籍と同数の人数であることを期待する」
 今さら説明しなければならないことはそう多くはない。今までに何度も説明は繰り返してきている。これは最後の確認にすぎなかった。中隊長たちは各々自分の仕事を再確認してそれぞれ頷く。
「それにしても、素晴らしいですね」
 口を挟んだのは、記録係のヴァールであった。
「ボクが見た中で、小村の攻略にここまで綿密な計画をたてたのは、あなたが初めてですよ」
「私も軍人です。命令されたからには確実に成し遂げることが務めです」
「よい心構えです。それにしても、これだけ包囲網が整備されていると、村人は一人も逃げだすことはできないでしょうね」
 ルーリックは少しも表情を変化させなかった。内心では無論、激怒していたが。
「突入は午後六時とする。中隊長は時計係の時間を第一中隊のものに合わせておくようにしろ。それから繰り返しておくが、略奪、火付けは厳罰に処す。以上、何か質問は」
 それは、人間としての最後のプライドであった。命令されたことは殺すことだけであり、それも望んでしていることではない。軍人は人殺しであっても、盗賊ではないのだ。
 そしてルーリックは最後の命令を下した。
 あとはもう、行動するだけであった。






 夕陽が稜線にさしかかったところで、ウィルザは今日の畑仕事を終えることにした。
 この後で、今日もルナに農具の手入れを教えることになっている。すぐに体調を崩すと思われた妹は、意外にも今日まで何の問題もなく仕事を続けていた。それどころか、ここ数日以前よりも体調がよくなっているのではないかと思わせるようなところも見受けられる。
 やはり、少しは体を動かした方がいいのかもしれない。最近、そんなことを考えるようになっていた。だがそれでも、今までずっと自分一人で育ててきた妹が一人立ちしていくというのは寂しいものであった。
「お疲れさま、お兄ちゃん」
 兄から農具を受け取った妹は、すぐに農具についていた土を払い始めた。土を払い、少し磨いてやることによって、農具の耐久性は高くなる。どんな道具であっても、手入れさえしてやれば長持ちさせることができるのである。
 妹が農具を手入れするようになって、ウィルザは初めて気がついたことがあった。妹は、意外に器用だ。そういえば衣類のほつれなんかはいつも繕ってもらっていたりしたが、こうしてみるとたしかに手が器用に動いている。
(ルナのいい所を、今まで押しつぶしていたのかな)
 仕事を始めてから、ルナはいきいきとしていた。顔にも赤みがさし、以前よりもずっと魅力的になっている。仕事を始めてからというもの、全てがよい方向へ進んでいるようであった。
 と、その時である。
(…………?)
 はるか遠くで、人の声が聞こえたような気がした。それも、複数で、悲鳴のような……。
(何だろう?)
 じっと耳を澄ましてみる。そうするとはっきりと聞こえてきた。喧騒と悲鳴、そして微かに鉄と鉄が触れ合う音。
(何事だ?)
 ここにきて、ようやく心の中に不安がたちのぼった。これは只事ではない。
「ルナ」
「なあに、お兄ちゃん?」
 妹はまだこの異変に気づいていないようであった。
「ちょっと、来い」
「ちょ、どうしたの、お兄ちゃん?」
 ウィルザはルナを引っ張って家の中に入ると、代々この家に伝わるという鉄剣を手にとった。
「ど、どうしたの、お兄ちゃん……」
 ルナは兄の真剣な眼差しにおどおどして、震えた声で尋ねてくる。
「ルナ。兄ちゃんが外に出たら、どこかに隠れているんだ。いいな」
「ど、どうして」
「話は後だ。とにかく、どこか隠れていろ」
 ウィルザは外の様子をたしかめてから、ゆっくりと外に出た。喧騒と悲鳴は、徐々に大きくなってくる。少しずつ、こちらに近づいているようだ。
(いったい、何事だろう)
 すぐに事態は判明した。多数の村民が、こちらに向かって逃げてくる。そして、それを追いかけているのは──
(帝国軍……?)
 噂でしか聞いたことがなかった。近年、辺境地帯の小村に対して軍が攻撃を繰り返している──小村狩りを行っている、と。
(……まさか、この村が?)
 目の前の現実を目にしてさえ、とうてい信じられるものではなかった。帝国軍といえば、自分たちを守ってくれる存在であるはずなのだ。それが牙をむいて襲いかかってくる。
(もし、本当に帝国軍だとしたら……)
 おそらく、この村は滅びる。
 昨日も、一昨日も、一ヵ月前も、一年前も、百年前も、ずっと同じことを繰り返してきたこの村が、今日、突然滅びる。
(嘘だろ?)
 信じたくないという気持ちは、誰もが同じであっただろう。だが、現実はウィルザが今目にしている通りであった。
「班長、男がいます。武器を持っているようです」
「よし、殺せ」
 よし、殺せ。
 よし、殺せ。
 体が震えて、ようやく我に返った。もはや、帝国軍の兵士四名はすぐ傍まで近づいてきている。
「……殺されて、たまるか」
 ウィルザは最初に突進してきた兵士が振り下ろす剣を、よく目をこらして紙一重でかわした。
「なんだとっ?」
 たかが農民、兵士はそう思っていたのだろう。
 だがウィルザは決して『たかが農民』ではなかった。かつて軍に所属していた父親からしっかりと剣の稽古を受けている。しかも、二年前に一大隊を預かる父親をして『我が部隊にこれほどの剣の使い手なし』と言わしめたほどの剣の使い手であった。武勲の一つもない単なる兵士では相手にならないであろう。
「……お前たちに殺されてやらなければならない理由はないっ!」
 逆に、ウィルザは剣を閃かせて襲いかかってきた兵士の首をはねた。その光景を目にした残りの三人は思わず動きを止める。
 そしてウィルザの気迫に圧されて、二人目が一歩後ずさる。そして素早く目線をかわしあい、三人で取り囲んだ。
 だが、そんな状況でもウィルザは焦燥を覚えたりはしなかった。






「大隊長!」
 その連絡が本部にもたらされたのは、設営後まもなくのことであった。
「もう一度、説明しろ」
「は、はい。一人の農民が軍に対して抵抗を続け、既に四班十六名が打ち倒されています。そして」
「そして?」
「ち、中隊長ロドス様がその農民によって、殺害」
 ざわり、と本部がどよめく。表情が変化しなかったのは、ルーリックとヴァールの二人だけであった。
「たった一人、というのだな?」
「はい。現場は中隊長を失って混乱しております」
「よかろう、私が行こう」
 さらにどよめきが増す。まさか大隊長がじきじきにとは誰も予想できなかったのであろう。
「ここの指揮は第一中隊長に任せる。誰か三人、ついてこい」
「へえ、まさか隊長自ら出向く、とはね」
 ヴァールが消えない笑顔のまま語りかける。
「ヴァール殿、こちらの記録をよろしくお願いします」
「あいうけたまわりました。あなたまで亡くなられることのないように、祈っていますよ……ここからね」
「感謝いたします。では」
 結局、ルーリックは一度もヴァールと目線を合わせないまま本部を出た。あの悪魔と目を合わせると、自分の心が食われてしまうような気がしていた。






 ウィルザは十六人の兵士を倒すと、どうやら次の兵士がこないようなのを見計らって素早く家の中へ入った。そして「ルナ、ルナ!」と素早く二度、名前を呼ぶ。
「……お兄ちゃん?」
 もちろん家の中に兵士が進入した形跡はなかった。当然返事があるに違いないのだが、わずかな間が焦燥をかきたてていた。
「何ですぐに返事しないんだ、ルナ」
「ごめん、お兄ちゃん。いったい、どうしたの?」
「分からない。ただ帝国軍が攻めてきた。これだけはたしかだ」
「そんな、だって」
「そうだ。俺たちを守ってくれるはずの帝国軍。そいつらが襲いかかってきている」
「だ、大丈夫なの?」
「いや。もう村は駄目だ」
「そんな」
「ルナ、逃げるぞ」
 余計なことまでルナに教えてしまったのは、まだウィルザも混乱から立ち直っていなかった証拠であろう。とはいえ、この時は冷静に判断した結果であった。ルナも冷静な判断力を持っていることはよく分かっている。状況とこれからの行動を説明すれば、必ず従ってくれるはずだ、と。
「……ううん、お兄ちゃん、一人で逃げて」
「ルナ?」
 だが、その冷静な判断力がかえって事態を悪化させた。
「私、足手まといになる。帝国軍相手に、私を連れて逃げだすことなんで、できないよ」
「そんなことはやってみなきゃ分からないだろ!」
「やってからじゃ、遅いんだよ……お兄ちゃん。私、今までずっとお兄ちゃんに迷惑かけてきた。今も迷惑かけてる。これからもずっと迷惑をかけ続ける……そんなの、嫌なの」
「ルナ。時間がないんだ」
「だから、早くいって。私が帝国軍をひきつけるから」
「そんなことできるはずないだろ!」
 と、その時、玄関が大きな音を立てた。






その音に、二人が扉を見つめる。そこには、一人の青年が立っていた。
「その妹の言う通りだな。置いて逃げたとしたら、きっと逃げきれていた」
「何者だ」
「そう、この部隊を指揮するもの、と言っておこう」
「……お前がっ」
 ウィルザとルーリックは激しく睨みあった。
 見た瞬間、強い、と感じた。部隊を指揮するというだけのことはある。先程倒した中隊長とは比べ物にならない。階級が一つ違うだけで、これほどにも実力に差があるものなのか。正直、驚愕を禁じえない。
 それはルーリックも同じであった。たかが農民。そう思っていたのは自分も同じであった。その農民を一目見た瞬間、自分が思い違いをしていることがはっきりと分かった。これほどの戦士は、自分の部下にはいない。それがはっきりと分かったのだ。
 だが、自分は負けない。お互いにそう思った。
 そして、動いた。互いが敵だということは、既に明らかであった。
 甲高い金属音。そしてそのまま力比べとなった。
「お前らっ……なんでこんなことするんだよっ」
「命令だからだ」
「命令で無意味に人を殺すのかっ!」
「軍人とは、そういうものだ」
 ルーリックは剣を受け流すと、素早く引いて、相手の喉元目掛けて突く。
(速いっ!)
 ぎりぎりのところで、その剣をかわした。首筋に痛みが走る。あとほんの一瞬遅ければ致命傷であった。
 勝てない、逃げきれない。ウィルザがそう思ったのはまさにその時のことであった。
「とどめだ」
 静かな声とは裏腹に、恐怖に動けなくなるほどの勢いで剣が振り下ろされようとしていたのだ。
(死ぬ)
 だが、その剣は途中で止まった。間に、ルナが割って入っていた。
「……お兄ちゃんを、殺さないで……」
 ルーリックは初めて顔をしかめた。その瞳にたまった涙が、彼を苦しめていた。
(妹、か……)
 その顔の向こうに、自分の妹ティアラの面影がかすかに見えた気がした。
(この村の人間は全滅させなければならない)
 再び、ルーリックは剣を振り上げた。
(これも、私の罪か)
 そして、妙にゆっくりとその剣が振り下ろされるところを、ウィルザは見つめていた。
 体も動かず、声も出せず、ただその光景をじっと見つめるしかなかった。
 歯の根が噛み合わず、奇妙に震えて、妹の背が自分に倒れかかってくるのを、受け止めた。
「ルナーッ!」
 胸をばっさりと斬られているのが、肩ごしに見えた。
「お……にいちゃ……逃げ、て……」
 がくり、と力が抜けた。
「ルナッ! ルナァッ!」
 その一部始終を、きわめて冷めた目でただ一人ルーリックが見つめていた。
(このような非道なことが何故この国ではまかりとおるのか)
 妹の体を抱きしめて涙を流す兄を見つめながら、ルーリックは思う。
(これは私の罪……この罪を償うために、私は)
「てめえっ、よくもルナを、ルナををををををっ!」
(そのために私は死ぬわけには、いかない)
 ウィルザの繰り出してくる剣を、簡単に回避して腹部に深々と剣を突き刺した。
「うぐ、あ、あああ……」
 がくり、と膝をついてウィルザは倒れる。抜きはなった剣から、二人分の血が流れ落ちた。
「急所は外した。生き残ったら、私を殺しにこい」
(私は、死ねない。この国を、この大陸を救わなければならない)
「そして、いつか……」
 その決意を起こさせたこの兄妹のために、私はその命を差し出そう。
「いつか……」






「お早いお戻りですね」
 ヴァールが挑発的に言葉を投げかけてくる。その隻眼を見返して、ルーリックは頷いた。
「その農民とやらは、倒してきたのですか?」
「ええ」
「そうですか、それは何より。これでこの村の住民はおそらく全滅ですね」
「おそらく?」
「そうですよ。本当に報告されただけ死んでいるかどうかは、確認のしようがありませんからね」
「なるほど、たしかに」
「願わくば、報告と同じ数の魂が天に召されているとよいのですが」
「全くです」
 一瞬たりとも、ルーリックは視線を外さなかった。そして、ヴァールが苦笑する。
「何か?」
「いえ、何も」
「そうですか」
 ルーリックもまた苦笑した。何となく予感めいたものをこの時、ふと覚えていた。






 そして、ウィルザは目覚めた。
 その瞳から涙がこぼれていた。
「……殺してやる……」
 震える唇がかすかに震えた。
「……許さない……絶対、ぜったい殺す……殺してやる……殺してやる……」
 誰が止血をしたのか、それすらも知らず、分からずに、妹の遺体に近づく。
「……お前の……お前の仇……仇を……必ず……っ!」






 ルーリックとウィルザ。
 乱世の英雄と呼ばれたこの二人が再び出会うまでに、まだ長い時間が必要であった。










第伍幕

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