序ノ三.『出来損ない』は夢を見る
ローレシアの王位継承者、アレスはまだ年若いが、とても勤勉で国民に信頼される王子である。
剣技、魔法などにおいても秀でており、魔法などはまだ十四歳なのにホイミやギラ、ラリホーといった基本魔法をすべて使いこなす。武術も格闘、剣、弓、槍とどれをとっても一人前の兵士並に扱う。ロトの鎧を正式に受け継ぎ、剣を振る姿は、竜王を倒した初代国王と比較されるほどだ。
ローレシアはサマルトリア地方と違い、モンスターの量も多いわけではない。外敵がいるわけでもない。後継者も定まっており、国として不安に思うことなど何もない。
国は国王と王位継承者アレスを中心にまとまっている。
そのローレシアに突如舞い込んできたのが、ムーンブルク落城の報であった。
「ファン一〇三世陛下は、ミラ王女殿下はどうなさったのだ!」
国王の隣の席にいたアレスが立ち上がって尋ねる。会議室に集まった大臣たちが顔を上げて王子を見る。
だが、ムーンペタの町からの早馬で伝えられた内容にすぎないのに、詳しいことを確認することは無理だ。
「ただちに兵を派遣し、現地の状況を確認せよ」
「陛下!」
アレスがすぐに口を挟む。
「ロンダルキアのハーゴンが攻め込んできたのなら、我ら三国が団結して立ち向かわなければなりません。それが三国の同盟関係ではないのですか」
「だが、ムーンブルクの状況が分からないままでは軍を出すことはできん」
「陛下!」
「それにだ、アレスよ。もし、ムーンブルクがすべて滅びていたとしたらお前はどうするつもりだ?」
アレスの動きが止まる。
「助けに行ったはいいが、助ける相手がいなければどうしようもあるまい」
「ムーンブルクの人々がすべて亡くなるなどありえません。ムーンペタの町に逃れた者も、各地に隠れている者もいるでしょう。それを助けるためには迅速に行動するべきです」
「そのためにも調査の必要がある、と言っているのだ。ただちに兵士の人選に当たれ」
「陛下は軍を出す気がおありではないのですか!」
アレスが食ってかかる。だが、国王の声は非情だった。
「そうだ」
王子の声が詰まる。
「ムーンブルク王家の安否が知れないうちにローレシアが動くことはない。そうでなければ、ローレシアがこの機に乗じてムーンブルクを制圧するつもりだ、と言う者が出てこないともかぎらん」
「そんな、これは明らかにハーゴンの侵略行為ではありませんか! むしろ我々が動かない方が非難の対象となります!」
「そこまでだ、アレス。たとえお前の意見とはいえども、余の決定を覆すことはできん」
だが、そのとき、静まり返った会議室の扉が音を立てて開く。全員の視線が入口に向けられた。
「落ちぶれたな、国王。ハーゴンと直接事を構えるのが恐ろしいのか」
激怒しているその男の姿に、誰もが顔をしかめる。一番困っているのは王位継承者のアレスだったのか、困った顔のまま口にした。
「兄さん。ここは僕が──」
「黙ってろ、アレス。俺は国王に用があるんだ」
そのままずかずかと会議室に入ってきて、末席の位置で机を大きく叩きつけた。
「てめえ、ムーンブルク見殺しかよ」
「誰に向かって口を聞いているのだ、この出来損ないが」
男の顔が歪む。
「黙れ腰抜け。ここにいる全員が今の決断に反対しているのが分からねえのかよ」
「貴様のような出来損ないがこの場に立ち入るだけでも厳罰なのだぞ。余の息子であるからといって、好き勝手をするではない」
「話をすり替えるんじゃねえよ! 同盟国を見殺しにするつもりなのかって聞いてんだよ! 国王、今のは俺の声じゃない。ここにいる全員の疑問だ。それとも国王は、ハーゴンと裏でつるんででもいるってのか!?」
「ディオン兄さん、言いすぎです!」
だが、もはや遅い。これまでで既に国王に対して不敬なる言動があったが、今の侮辱は許される限度を超えている。
「よく言った。ディオン。覚悟はできているだろうな」
もはや国王にも表情はない。だがディオンも「はっ」と鼻で笑うだけだ。
「俺のことなんか好きにすりゃいいさ。だが、これで決まりだな。国王はムーンブルクを見殺しにする。つまり、それがローレシアっていう国の基本方針ってわけだ。同盟国を見殺しにして自分たちだけが生き残る、浅ましい国。そんな国にいること自体、こっちから願い下げだ」
「ならば、今すぐに出ていくがよい」
国王が立ち上がって言う。
「ディオン。貴様は王位継承権を剥奪しただけでは事足りん。せめてもの情けだ。今日のうちに国を出ていけば極刑だけは勘弁してやろう。サマルトリアなりムーンブルクなり、好きなところへ行くがよい」
「ありがたいねえ。あんたが勝手に俺を出来損ない認定したおかげで、俺は城から自由に出ることすらかなわなくなった。これからは自由ってわけだ」
「一人で生きていくことがどれほど辛いことか、知りもせずによく言ってのける」
「そうだな。だが、あんたよりは知ってるかもしれないぜ。ま、せいぜい自分の国を守るので一生懸命になることだ。そのかわり、ローレシアが危機に陥っても助けてくれる国はどこもないだろうけどな」
「貴様」
「おっと、本当に極刑になる前に行くとするか。これでありがたくあんたとの親子の縁も切れたことだしな。それから、これだけは宣言しておく」
ディオンは国王に指をつきさして言う。
「俺がハーゴンを倒す。だがそれはローレシアの王子としてじゃねえ。親戚関係にある一人の人間としてそれが『当たり前だから』行くんだ。俺がハーゴンを倒してもお前らの手柄になんかするんじゃねえぞ」
「貴様ごときに何ができる、呪文一つも使えぬ出来損ないが!」
もう一度、ディオンは鼻で笑う。そして会議室を出た。
「ま、待ってください、兄さん!」
「放っておけ、アレス!」
「ですが、このままにしておくわけには参りません!」
アレスも兄の後を追って会議室を飛び出す。
城の廊下を早足で歩く兄に追いついたのは城から出る直前でのことだった。この兄は、城から出ていくというのに何も持たないで行くつもりなのか。
「待って、待ってください、兄さん」
「アレスか」
声をかけてきた弟に、初めてディオンは少し優しげな笑みを見せる。
「すまないな」
「え」
突然の謝罪にアレスの動きが止まった。
「本来なら俺が長男として、国王を説き伏せ、ムーンブルクの救援に行かなければならないところだ。それを全部、お前に押し付けてしまう。すまない」
三つ年上の兄が、深く頭を下げてくる。
「や、やめてください、兄さん。僕は」
「聞け、アレス」
ディオンは弟の頭に手を置いて抱き寄せる。
「お前はローレシアだけを守っていろ」
「兄さん?」
「ムーンブルクもハーゴンも俺に任せておけ。必ず何とかしてやる。お前のためにな」
近くで不敵に笑う兄の姿はいつもの通りだった。誰にも負けない、力強く、頼りになる兄。自分がいつも憧れている兄。
「わか──り、ました」
その場に直立した弟は真剣な表情で兄を見送る。
「どうぞ、無事のお帰りをお待ちしております」
「どうかな。たとえハーゴンを倒しても俺はこの国には戻ってこれねえよ。俺が『出来損ない』だってのは誰もが知ってることだしな」
「僕はそんなこと、思っていません」
「お前が俺のことを悪く思ってないことは分かってるさ。そうじゃない。この国にいる連中が、だ。正直、この国から出て行けるのはありがたいと思ってるんだ、本当に」
「兄さん」
「お前とも、もう会えなくなるかもしれないが……」
頭に置いた手に、少し力がこもる。
「お前が少しでも暮らしやすい世の中になるようにしてやるよ。お前は俺の自慢の弟だからな」
「兄さん……」
弟はぐっと涙をこらえる。
「どうか、どうかご無事で」
「俺に危険なことなんか何もねえよ」
にやり、と兄は笑った。
「俺は無敵のディオン様だからな」
ローレシアの初代国王は、かの竜王を倒した英雄である。ロトの子孫として突如現れた英雄はモンスターにさらわれたアレフガルドのローラ姫を救出し、竜王を倒してアレフガルドに平和を取り戻した。そして二人は新天地へと場所を移して新たな国を興した。それがローレシアである。
二人の間には子どもが三人できた。長男はローレシアが継ぎ、次男はサマルトリアという新しい国を起こさせ、長女は南方のムーンブルクへ嫁いだ。それから三国の同盟関係は長く百年の間続いた。その間に国同士の交流は深まる。ムーンブルクから逆にローレシアやサマルトリアに嫁いできた王女などもいた。
そして現ローレシア国王は七代目。この百年は戦乱も混乱もなく、ただ平和が続いてきた。
現王には王子が二人いる。今年十七になるディオンと、その三つ下のアレスだ。
王位継承者は弟のアレスであり、ディオンは継承権を剥奪されている。それには今から十年前の事件が引き金となっている。
三王国には代々伝わるロトの装備がある。ロトの剣は竜王との戦いで失われてしまったが、ロトの鎧はローレシアに、ロトの盾はサマルトリアに、ロトの兜はムーンブルクに安置されている。
ローレシアでは七歳になるとそのロトの鎧に触れ、初代国王の英霊に認められるという儀式がある。ロトの装備はいずれも神々の力が宿るもので、ロトの血を流れているものでなければ装備することができないとされている。
実際に装備するような不敬を働くものは過去にいなかったが、その伝承が間違いではないことが、はからずもディオンの儀式の際に明らかとなった。
彼はロトの鎧に認められなかった。無論それは、ロトの血を引いていないということではない。ただ彼は、ロトの鎧に相応しい人物ではなかったと判断されたということだった。
「出来損ないが!」
七歳の子どもに言うような言葉ではなかっただろう。だが、時期国王がロトの鎧に認められないなどということがあってはならなかった。ローレシア国王も気が動転していたのだろう。
だが、この事件が彼に与えた影響は小さなものではない。愛されていた父の豹変。そして周囲が自分を見る目の変化。すべてが彼にとってマイナスの因子を背負い込ませることとなった。そしてそこから父と子の確執は大きなものになっていく。
十歳のときにはディオンが魔法の素質がないということが正確に明らかとなり、これをもって国王はディオンから王位継承権を正式に剥奪。また、同時にロトの鎧に認められたアレスを王位継承者と指名した。
それ以後、ディオンは滅多なことでは城から出ることもかなわなくなった。
ただ、彼はすべてに絶望したわけではない。たとえ王位継承者でなかったとしても、父親から何の期待を受けていなくても、彼は彼の人生を歩むことを既に決めていた。ローレシアとは何の関わりもない人生。いつかローレシアを出て、自分の人生を歩むことを決めていた。
(ローレシアにはいたくない)
そう考えるディオンにとって今回の事件は渡りに船であった。
自分はもうこの国にいるのはごめんだった。ただ、彼がこの国を完全に捨て切れなかったのには理由がある。それは、弟アレスの存在だった。
(自分さえ、ロトに認められる存在だったなら)
あの優しい弟に国を継がせるなどという困難を背負いこませることはなかった。国王などという辛い仕事があの弟が背負い、自分は気楽に一人で生きていく。そんなことが果たして許されるのか。
だから、せめて。
(ハーゴンくらい、俺が倒してやる)
弟に全てを押し付けるかわりに、弟のために少しでも生きやすい世の中を作る。
彼がハーゴンを倒す理由など、その程度のものにすぎなかった。
彼は城下にある一軒の酒場に入る。この酒場は夜から開くので、昼の間はまだ準備中だ。もちろん彼は未成年で酒など飲むことはできない。ここに来たのは別の理由だ。
「ああ、どうしたんだいこんな時間に。それに今日は来る予定はなかっただろう」
酒場の主が声をかけてくる。
「すまない。いろいろと金が入用になった。預けていたものを取りにきた」
「ああ、なるほどね。お前さんのは二階にあるから勝手に上がって持っていっていいよ」
「ありがとう」
酒場の二階に上がり、この酒場で働いている者たちの休憩室に入る。
そこに自分の手で稼いだものがある。
(銅の剣に皮の鎧。旅のマント。歩きやすい靴。薬草、毒消し草。それに路銀が二百ゴールドか。まあ、自分で稼いだとはいっても、生活費まで稼いだわけじゃないからな)
そこで城から出てきたときに着てきたものをすべて脱ぎ捨てる。そして置いてあった自分の私服に着替えた。
旅立つ準備はもう何年も前からしてあった。一人で旅をするには路銀がいる。武器や防具、道具がいる。ローレシアから出ていくときに、一ゴールドたりとも城の世話になどなりたくなかった。だからここで働いた。身分を隠し、お金を稼いで、いつか一人できちんと旅立てるように。
着てきたものはきちんとたたむ。申し訳ないが主人には後で城まで届けてもらわないといけない。
「行くか」
主人に持ってきたものを城に戻しておいてほしいという書き置きを残して部屋を出ようとしたときだった。
「殿下」
主人がその扉の向こうに立って待っていた。
「──何を」
彼は戸惑う。今の言葉から、主人が自分の正体に気付いていることが証明されている。
「どうかご無事で。他の者たちが何と言おうとも、私は王子殿下が優しい方であることをきちんと分かっております。どうか、これを」
主人が袋に包んだお金を渡してくる。中を見るとかなりの大金だ。それこそ店の売り上げからかなりの部分を詰め込んだに違いない。
「主人、今まで身分を隠していてすまなかった。俺は──」
「分かってます。王子の噂をこの国で知らないものはおりませんから。ですからこれは王子殿下に差し上げるのではありません。いわば、退職金のようなもので」
「退職金がこんなに多いはずがあるか」
その中から彼は一ゴールドだけ抜き取る。
「主人に頼みがある」
「はい、なんでしょう」
「そこに俺が城から着てきたものがある。申し訳ないが後で城まで届けておいてほしい」
「畏まりました」
「これはその礼だ」
今受け取った退職金をそのまま主人に突き返す。
「は、ですが、これは──」
「明日には死体になっているかもしれない男にこんなものを渡すな。迷惑だ。だが、主人の気持ちは受け取った」
彼は一ゴールドを主人の前に見せる。
「これで充分だ」
「王子、殿下」
きっと主人はこの日が来ることを予感して、予め溜め込んでいたのだろう。そうでなければ突然こんな大金が出てくるはずがない。
「どうか、ご無事で──」
「当たり前だ。お前たちの暮らしを守るのが王族だからな」
そして彼は酒場を後にする。
(旅立ちか)
待ちに待った旅立ちの日。あまりにも突然のことだったが、それでも自分はこのローレシアから解放される。
それなのに、なんだろう、この気もちは。
(不思議なものだな。離れることを喜んでいる反面、これまでのことをこうも思い返すとは)
父親に母親、そして弟。関わったたくさんの人たち。
(もう戻ってくることはないだろう)
そして彼は旅立つ。
ハーゴンを倒すために。そして。
(俺を出来損ないと言った国王め、見ているがいい。俺が誰よりも強いことを証明してやる)
自分の父親を見返す。ただそのためだけに。
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