四十九.終












『人の身にそれが可能かどうか、思い知るがいい』
 リザの亡骸を抱いたまま、闇をまとったウィルザの体が動き始める。
 その右手が伸びて命じるだけで、闇は自在に動いてクリスとグランに攻撃を仕掛けてくる。
 回避するだけでも、体力の限界に来ている二人にとっては大変な作業であった。
 だが、その攻撃を一度でも受けてしまえば、もう二人には動き回る力さえ残されないだろう。
 それが、破壊の力。
 すべてを消失させるだけの力なのだ。
「埒があかないね」
 近づこうにも、その手段がない。
 闇は縦横無尽に攻撃を続け、闇の触手は時間を追うごとに増えているようだった。
 何本もの闇が弧を描いて二人を襲う。
「ピオリム!」
 二人とは違う場所から援護の魔法がかかる。
『リザ?』
 二人とも、一瞬それを考えたが、違った。それはフィオナ王女だった。
「バイキルト!」
 さらに王女の魔法が飛ぶ。クリスとグランは体の奥から炎のようにこみ上げてくる力を感じた。
「スクルト!」
 まだ王女の魔法は続く。今度は僧侶の魔法だ。鉄壁の魔法が二人の体を保護する。
「王女殿下が、賢者だったなんて知らなかったよ」
 確かにルーラを使っていたので力のある魔法使いであるのは分かっていたが、考えてみればベホマも使えたのだ。そんなことができるのは勇者か賢者しかいない。
「こう見えても、剣も使えます。ですが、私の力量では力不足がはっきりしています」
 王女は素直に自分の力を認める。
「お二人にお任せします。どうか、ウィルザを助けてください」
「もちろん」
 クリスが親指を立てて応える。それはもう、何が何でも救い出さなければならない。
 自分にとってウィルザは、何よりも変えがたい大切な存在なのだから。
「あいつを目覚めさせて、おもいっきりぶん殴ってやる」
 純粋すぎる彼の心を推し量ると、かわいそうな気もする。
 だが、自分たちを信じてほしかった。人間を信じてほしかった。
 壊れてこの世界の消滅を願うくらいなら、最初から自分たちと一緒にいればよかったのだ。
「馬鹿」
 クリスは、刀身のない光の剣を構える。
 機会は一瞬。
 正統な勇者ではない自分にとっては、この剣を振るう力は限られている。回数制限はあと一度。そして、その持続時間はわずかだ。
 一撃で、破壊神をしとめなければならない。
 だが、その破壊神の本体は──
(やっぱり、あれか)
 邪神の像。
 あれを破壊しないことには、降臨は止まらない。もちろん、邪神の像が壊れたとしても、既に降臨が始まっている破壊神の全てを抑えることはできないだろう。だが、この世界を破壊するほどの力が誕生するのは防げるはずだ。
(思えば)
 闇の軌跡をたどり、魔法で強化された自分の速度を計算する。
(最初に大灯台であんたを殺していれば、ここまでみんなが苦しむこともなかったんだろうね)
 死にたがっていた魔王。殺せなかった自分。
(今のあたしならあんたを殺す覚悟はある。でも、あのときのあたしには無理だった。きっと何度思い返しても、それはできなかった、と判断するだろうね。突然のことであたしは混乱していた。どうすればいいのか、情報も材料も足りなかった)
 だが。
 それを言い訳にすることはできない。
 失われた命の数を思えば。
(身内の不始末なんかじゃない。自分の不始末は、自分の手で終わらせる。あんたを取り返せるかどうかは分からないけど、今度こそあたしの命をかけるよ)
 一瞬、闇の軌道が変化を見せる。
(いまだ!)
 クリスは全力で駆けた。
 異変に気づいて、闇が彼女の体を迎撃しようとしてくる。
 だが、グランのバギクロスがその闇を封じ込めていく。
 そのわずかな時間で、彼女はウィルザのもとまで距離を詰めた。
(戻っておいで)
 剣に光が生まれる。
「ウィルザ!」
 その剣が振り切られるのと同時に、ウィルザの体から闇が放たれる。
 光の剣は、邪神の像が放つ禍々しい気を両断したが、そのかわりに闇の波動はルビスの鎧で守られた彼女の胸をいとも簡単に貫いていた。
「クリス!」
 声が聞こえる。
 だが、誰の声かなど、もう判断できなかった。
 戦う力と、そして生きる力をも失った自分には、もう何もすることはできない。
(ウィルザ)
 かすれる目で、同じように倒れる魔王の姿を視界にとらえる。
(あんたを、殴ってやれなくて、すまないね)
 今度こそ。
 もう、助からないということをクリスは悟っていた。
 やれるだけのことはやった。
(あとは任せたよ、ウィルザ)
 きっと彼は還ってくる。
 そう信じたまま、彼女は今度こそ、永劫の眠りについた。






「クリス」
 その女戦士の壮絶な最期に、グランは涙をこらえることができずにいた。
 魔王は破壊神からの束縛を離れたのか、気を失ってリザの亡骸と共に倒れている。
『よくも』
 だが、邪神の魂はまだその場に留まっていた。
『力が足りん。これでは、完全な降臨ができぬ』
 命を懸けた彼女の最後の力が、破壊神の完全な降臨を防いだのだ。
『だが、この星を破壊するだけの力は既に我が体内にあり』
 闇が、収束する。
 次第に形づくられていく、人造の破壊神。
 その姿は、翼と尾の生えた、六本腕の灰色の魔神。
「これが、破壊神シドー」
 フィオナ王女がその禍々しさに体を振るわせる。
 全てを破壊し、一切を無にするためだけに造られた存在。
『すべての破壊こそ、我が望み』
「そうはさせない」
 グランは右手を握り締める。
「オイラがそれをさせない。この世界はオイラたちのものだ」
『神に向かって、大言を』
 シドーは、腹の底から低く笑い、グランとフィオナに恐怖を植えつけていく。
『終末は人間が定めた運命。いまさら人間の都合で変えられるものではない』
「貴様こそ、人間に創られた人造生命の分際で、大言を吐くな」
 その声は、グランのものではなかった。もちろん、フィオナのものでもない。
 彼らにとって、唯一の、道標。
「ウィルザ」
 ゆっくりと、魔王が立ち上がった。
「すまない、迷惑をかけた」
 ウィルザは剣を構えながら背中のグランに向かって謝る。
「ううん」
「生きていてくれたのか、グランも。それに──」
 魔王は倒れたクリスを見つめて、ほんの一瞬だけ黙祷を捧げる。
「クリスはウィルザを助けようとして」
「分かっている。意識はあった。クリスには最後まで手のかかる弟で申し訳なかったな」
 だが、今はそれどころではない。目の前の破壊神。それを倒さなければならない。
「それにしてもシドー、言ってくれたものだな。俺が破壊を望んだ、だと? 根も葉もない出鱈目をよくも」
『貴様が滅亡を望んだまでのこと』
「自分の死は望んでも、世界の破滅を望むものは勇者にはいない!」
『所詮、我も汝も人間に造られたモノという点では同じであろう。違いは一つ。その力の大きさのみ』
 だが、それを聞いたウィルザはふんと鼻で笑った。
「残念だったな。お前の力は不十分だ。この世界を滅ぼすには足りないな」
『かまわぬ。破壊こそ我が望み。世界を滅ぼすに力が足りぬならば、この星を滅ぼすだけのこと』
「させるかよ。全てを失っても、この星だけは守ってみせる。最初からその覚悟だけはできてたんだからな。せめて最後くらい有言実行しないと、亡くなった奴らに何を言われるか」
 ウィルザはそのまま左手でリザの体を抱き上げ、そして亡くなったクリスの手にあった『光の剣』を右手に取る。
「グラン。援護を頼む。あの破壊神は俺の責任で必ず倒す」
「分かった。でも、一つだけ約束して、ウィルザ」
「なんだ?」
「死なないで。もう、残ってるのはオイラとウィルザだけなんだからさ」
 小柄な少年が、目に涙を浮かべながらうったえかける。それを見てウィルザは微笑む。
「当たり前だ。そう簡単に死んでたまるか。亡くなった者たちの分まで生きるのは俺たちの役目だ」
「うん」
 二人の腹は座った。
 おそらく、破壊の力を兼ね備えたシドーと、完全なる魔王となったウィルザとの勝負は、それほど長くは続かない。
 一撃勝負。それはここにいる誰もが分かっていた。
 魔王は最初から剣に光を──いや、闇、を込める。光の剣ならぬ、闇の剣。破壊神シドーと同じ、それが人間によって造られた破壊の力の正体なのだ。
(勝てる)
 グランは理由もなく、それを信じていた。
(ウィルザが味方なら、絶対に勝てる)
 それは理由もない信頼。
 ウィルザの、勇者としての資質だ。
「いくぞ、シドー」
 勇者は、リザの亡骸を抱いたままシドーへと突進する。
『馬鹿め! そのような枷を抱いたままで剣が届くとでも思うか!』
 破壊の力が次々に魔王を襲う。
 だが、その力は魔王に届く前にすべてが弾き飛ばされていく。
『ぬう?』
「真の魔王の力を見くびったな。もともと『勇者』は『破壊神』を倒すために生まれたシステム、その最終進化した状態が今のこの俺だ。俺は願いをかなえた。俺は完全な魔王になり、この世界の滅びを止める!」
『人間ごときが、神に歯向かうか』
「俺はもう、人間じゃない」
 闇の剣がシドーの額に突き刺さる。
「俺は、魔王ウィルザだ」
 そして、破壊の力を込める。
 魔王最大最強の魔法。
「破壊神シドー、ここは貴様の在るべき場所ではない、闇に還れ!」
 シドーは最後の攻撃とばかりに、六本ある腕でウィルザに組み付こうとした。
 だが、それを狙っていたかのように、グランのバギクロスの連射がシドーの攻撃を妨げる。
「破壊魔法──」
『馬鹿な──』
「──パルス!」
 その闇の剣に、膨大な破壊の力が注ぎこまれる。
 グランは、その闇がひときわ大きくなったのをその目で見た。
 だが。
『ふ、ふは、ふはははは! その程度の魔力で神を倒そうなどと思ったか!』
 シドーの体は壊れない。
 最強の魔法を耐えて、なおも活動している。
「もちろん、思っていないさ」
 だが、まだウィルザには余裕があった。
 そして亡くなったリザの左手を取る。
「そのために、こいつを連れてきたんだからな」
 その指には『魔導の指輪』。無限の魔力を持つルビスの神器。
「この魔法に俺の全てをかける!」
『ま、まさか、やめろ、やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろおおおおおおおおっ!』
 シドーの叫びと、そしてウィルザの最期の言葉が響いた。

「ミナパルス!」












(おかえりなさい)
 優しいリザの声が聞こえた。
(ああ、ただいま)
 そう答えると、彼女がくすっと笑った。
(じゃあ、いきましょう)
 光の向こうから、彼女の手が伸びてくる。
(随分と待たせて、悪かったな)
 彼は、その手を取った──












 破壊神シドーを上回るまでの膨大な破壊の力。
 闇の剣がすべての魔力を吸収し、破壊神の体内から全てを破壊する。
 だが、同時に。
 何かが、壊れる音が、やけにはっきりと響いた。
「ウィルザ?」
 かすかに見えたその顔は、満足そうに微笑んでいた。
 そして、そのまま。
 ゆっくりと、指先から灰となって消えていく。
 彼が抱きかかえている最愛の女性と共に。
 限界をこえた魔法は、彼の体をも、彼女の体をも崩壊させていく。
 それが破壊の力。
 すべてを破壊する、人間の生み出した力。
 破壊神に近い力は、この世界に残してはならない。
 破壊神の消滅とともに、この世界から消えなければならない。
 そして、後には。
 彼が身につけていた武具だけが残された。
「嘘だ」
 グランはゆっくりと近づいて、その魔王の遺品に触れる。
「どうして。死なないでって、約束したのに」
 はじめから。
 彼は、死ぬ気で。
「嘘つき」
 少年の瞳から、涙が一気にこみ上げてきた。
「バカッ! ウィルザの嘘つきっ! 何が生きるのが役目だっ! 死んだら何にもならないだろっ!」
 フィオナ王女がその姿を見ないように顔を背ける。
 だが、いつまでも彼の鳴き声がやむことはなかった。






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