Lv.1

いつか、あなたに会うために








 吹き抜ける風。天は高く、射す陽光はやわらかい。
 踏みしめる土。小動物たちの駆け抜ける音。開けた山道は、目的地が近いことを示している。
 水の香りがする。近くで湧き水でもあるのだろうか。長旅で疲れた足を癒したいところだが、少しでも早く目的地に到着したい。
 流れる薄い水色の髪と、長旅で少し日焼けした白い肌。
 少女はただ一人、山道を行く。
 この先に目指す場所がある。
 出てくるときは新品だったローブはすっかり汚れ、ここ何日かは水場にめぐり合うこともなかったので、髪すら洗っていない。が、そうした環境にももう慣れた。旅をしていれば当然のことだ。
 夢をかなえる。
 それだけを考えて彼女は村を出た。そして、大人でも嫌がる山道を何日も何日も歩き続けた。
 モンスターに会わないように、聖水のストックだけは大量に準備していた。最初は重かったが、やがて慣れた。消費するたびに軽くなっていく荷物がありがたかった。
 十歳ともなれば、誰しも自分の人生を自分で切り開くもの。
 彼女は自分の夢をかなえるために、ここまで来た。
「見えた」
 尾根から見下ろした先に、大きな町が見える。
 目のいい彼女には、そこにある一つひとつの建物までがはっきりと見えた。
 これほど山奥だというのに、この場所は十万人からの大規模な都市となっている。
 その理由は、ここが世界でも最高水準の学問ができる場所だからだ。
 彼女は首から下げている小さな袋、お守りを握り締めた。そうすることで、高揚する感情を自然とおさえることができた。
「見ててください」
 誰もいないのに、彼女は誰かに語りかけた。
 自分は必ずかなえてみせる。この場所で。
 ダーマで。

 賢者になる、という夢を。
 勇者と共に歩む、という未来を。





 学術都市ダーマは、人口十万人からなる自由都市で、どこの国にも所属してはいない。
 エイジャ大陸は大規模な国家が存在せず、いくつかの遊牧民族が小規模な国を作っては消えていく、そんな風土となっている。
 その中で大陸のあちこちに自由都市が起こり、学術都市ダーマを中心として、バハラタなどのいくつかの都市が連合して自由都市連合を結成している。
 自由都市連合は国としての対面を持ち合わせてはいるが、それはあくまでこのエイジャ大陸全体にかかわる問題にしか触れることはなく、あとは各都市同士が協力を深めるということを目的とした共同体だ。したがって、一つの都市が他の都市に対してあれこれ内政干渉をすることはできず、無論、自由都市連合の最高決議機関である連合評議会ですら、都市の自治に干渉することは一切できないことになっている。
『都市の問題は都市が解決する』
 それがこの、自由都市連合の一番の約束事であった。
 無論、エイジャ大陸には城壁や柵などで防備を備えた都市ばかりではなく、農耕を中心とするような小さな村落も存在する。そうした村は、自由都市連合に農作物を納めることによって、モンスターや山賊などから守ってもらっている。都市では農耕ははやらないので、そこはもちつもたれつということになる。
 それはさておき、学術都市ダーマはその名の通り、学術によって世界に名が知られる都市である。
 無論、学問には限らない。剣や槍、格闘を中心とした武術もそうだし、実用性の高い技術、すなわち土木建築や農耕、遊牧、それに鍛冶といった技術を研究もしている。
 だが、世界中の人間が憧れ、そして勉強しにこの都市を訪れるのは、やはり『全ての魔法を使いこなすことができる』という職業、賢者。それが目的であることが多い。
 賢者はダーマの中ですら、ごく一握りの、わずかな人数しかいない。ダーマの八賢者と呼ばれるそのメンバーは、確かにほとんどが年寄りではあるが、強大な魔法を軽々と使いこなす。魔法を使うだけでなく、ダーマの自治もその賢者たちがほとんど行っているし、自由都市連合の仕事も同時に行っているくらいだから、政治力にも長けている。
 その賢者になるという夢を持ってこのダーマを訪れる者は、年間で千人を上回る。毎日二〜三人のペースで賢者になるためにダーマに旅人がやってくるのだ。
 千人のうち、半数以上は一ヶ月で故郷に帰る。見込みがないとされたものは、賢者としての指導を受けることができないのだ。だから、賢者として学習しているのは、実質ダーマの中でも百人を少し上回るくらいだ。
 残りの半数は、賢者になれなかったとはいえ、このダーマ大学に残って学問を修めていく。たとえ賢者になれなかったとしても、ダーマで学習し、その学問を修めたとなれば、故郷に戻ってから士官の道が開ける。
『ダーマの学士』という称号は、どの国においても決して軽視できるものではないのだ。何しろ、学士をいただけるのは年に何十人か。そのうち武術を専門に行うものが半数とくれば、実質文官として学士を修めることができるのは、二、三十人ということになる。
 毎年それくらいしかいないのであれば、国に帰っても厚遇されることになる。また、故郷の村に戻って自分の村を豊かにするために残りの人生を費やす者もいる。
 だがいずれにせよ『ダーマの学士』をいただいた者は、今後それなりの生活が約束されるくらい、その称号は世界的に認知されている。だからこそ、誰もがダーマに来たがる。
 もちろん、世界的に学問の水準が高いポルトガやロマリア、それにアリアハンなどでも王宮学問所があって、日夜研究にいそしんでいるが、このダーマはまさに世界最高水準だ。そうした各国の技術が、ダーマの卒業生によって正しくダーマに帰ってくる。そしてダーマだけが世界各国の技術を蓄積していく。その繰り返し。従って、各国が鎖国政策をとらないかぎり、ダーマの権威が落ちることはないだろうと推測される。
 ただ、そうして『学士』としてダーマを巣立っていく者たちも、当初は違う夢を持っていた。
 賢者になる。その夢。
 それはあまりにもハードルが高く、簡単に超えることはできない。
 それでも賢者になろうとして、毎日、このダーマの門が叩かれる。





 その少女は、この日五人目の賢者志望者となって、昼過ぎ、ダーマに到着した。
 ダーマは高い城壁に囲まれている。門のところには当然見張りの門番がいるが、自由都市連合の通行証を持っていれば、簡単に通してくれる。特にダーマには多くの旅人が訪れるので、それほどチェックも厳しくはない。
 もっとも、厳しくないのには他にも理由がある。モンスターのような危険な存在は、ダーマの周囲五キロまで近づくと、警備隊に連絡が来るように感知の魔法が仕掛けられている。そのためこっそりと近づいて襲撃するという方法を、ダーマに対してとることはできない。
 魔法防壁と、高い城壁。この二つの壁によって、ダーマは安全を保たれているのだ。
「はい、お嬢ちゃん。一人でダーマまで来るなんて、えらいねえ」
 門番が通行証を返してくれる。確かに十歳程度の年齢では、一人旅をするなんていうことはそうそうない。賢者になりたいという者も、だいたいは十四、五歳くらいで訪れることが多い。もしそれより若ければ、たいていは保護者同伴となる。
「それにしてもムオルは遠かっただろ。何日かかったんだい? えーと」
 名前を言おうとして、もう一度門番は通行証を覗き込んでくる。
「ルナです。だいたい、三十日といったところです」
 少女──ルナは凛とした声で答えた。しっかりとした受け答えも、十歳とは思えないものだった。
「三十日か。一人でよく来られたね。途中でモンスターとかに襲われなかったかい」
「はい。聖水だけは充分に準備していました」
 聖水をかけていても襲ってくるモンスターというのは現実に存在する。たいていは聖水そのものを嫌がって近づいてこないのだが、逆に敵対意識を燃やすことになる結果につながることが稀にある。
 それでも、彼女にとっては何でもないことだった。ラリホーの魔法で眠らせて、さっさとその場を過ぎ去ってしまう。倒す必要はない。目的は先に進むことであって、余計なことで体力を使うのは馬鹿らしい。
「そうかそうか。わざわざムオルから一人で勉強するためにダーマかあ。将来の目標は何なんだい?」
「もちろん、賢者になるためです」
 ダーマに賢者が集まるということは当然知っている。知らない者はいない。だからこそ、力強くそう答えた。
「そうだろうなあ! 俺も最初はそうやって、賢者になりたくて来たんだよ。でも二日で駄目出しが出てな。それからは武術ばっかり。ま、おかげでダーマの中でも一、二番を争うくらい強くなってるんだけどな」
 自慢げに男が言う。なるほど、確かによく見てみると、あちこちの筋肉がしっかりとついていて、歴戦の勇士を思わせる。それなのに随分と若い。もともと武術方面の能力が長けていたのだろう。
「どちらの出身なんですか?」
「知ってるかな。サマンオサってところなんだけど、半分家出同然で飛び出したし、大陸が違うから簡単に帰るわけにもいかなくてな」
 そう言って青年は苦笑する。
「サマンオサといえば、勇者オルテガ様に協力した聖戦士、サイモン様の出身地です」
「へえ、詳しいなあ!」
 故郷の話ができて嬉しいのか、門番は表情を崩して語りだした。
「サイモン様といえば、俺たちサマンオサ人にとっちゃ雲の上のような人なんだけどな。それなのに気さくな人で、話しかけたら知らない人でも丁寧に答えてくれるんだよ。俺も一回だけ、子供のときにサイモン様と話したことがあってな。憧れたなあ。もう十年以上も前さ。ああいう人のお供になるために賢者になりたっかたんだけどな。それにしても、やっぱり賢者を目指してるだけのことはあるんだな。一瞬で地名が分かるだなんてな」
「ムオルだと世界地図みたいなものはなかなか目にすることがないんです。長老の家に一つだけあった世界地図を、毎日のように見てました。だから、大陸の形とか、大きな国くらいは知っているんです」
「サマンオサの首都も知ってるのかい?」
「はい。アマゾン川を上流にのぼって、さらにその先にある内陸の都市、マナウスです」
「俺はそこの出身なんだよ。マナウスで一番大きな武器屋の長男でな。家を継げって毎日言われたんだが、勉強することが好きで、家なんか継がない、ダーマで勉強するって飛び出したんだ。懐かしいなあ。ま、結局こうして武術の道に進んじまったけど」
 ふと、門番はまじまじとルナを見る。
「もしマナウスに行くことがあれば、寄ってみるといいぜ。親父がまだやってれば、旅人には親切にしてくれるからよ」
「ありがとうございます」
「ああ。俺はジュナ。たいがいはここで見張りしてるから、何か相談ごとがあったらいつでも来な」
「重ねがさね、ありがとうございます」
 丁寧にお辞儀をしてから、少女はダーマの街に入った。





 街は南側の入口から中央の大学までが大通りとなっており、この大通りにたくさんの商店が並んでいた。一本道を外れると、あとはすべて住宅街のようだ。
 大学をぬけた北側には農地が用意されているが、これは大学側の研究用でもあった。
 山奥にあるダーマの街は、近隣で農業を営もうにも難しい。モンスターもいれば山賊も出る。農作物は他の小村から買い取ったり、ダーマ大学で栽培したものが市場に出回ることになる。
 さて、大通りは馬車も通れるようになっており、大学から門、そして門の外から舗装された道路が港まで続く。不便な土地柄であるため、さまざまなものを購入するには輸入しなければならず、従って港から馬車を使って運ばなければならない。道路は右側通行で、何分かおきに馬車が通っては、大通りの両側にある商店に止まって荷物をおろしたり積み込んだりしている。
 商店の前にはきちんと歩道が整備されていて、空くことなく店がずらりと並ぶ。農作物だけではなく海産物なども売られている。もちろん生活用品や、衣服、そして武器、防具といったものもこのメインストリートの中で全てが購入できる。この大通り=商業区画で全ての品物がそろうようにできていて、街中に入るとほとんど住宅しかない。そして大学に一番近いところにホテルが六つ。
 少女は正直、人の多さや街の豊かさに目眩すらした。それでもこの街は十万人という規模だからこれですんでいる。これが噂にきくアリアハンやエジンベア、ポルトガといった五十万人都市だとどうなってしまうのか。
 一人で歩いているいかにも旅人風の少女には、客引きの声はあまりかからない。旅人は日に何人も訪れるが、最初は商売にならないということを店もよく心得ている。旅人はまず大学へ向かい、それから自分の住む場所などを探す。ダーマでは必ず『最初に大学ありき』なのだ。
 大学の入口まで来て、門の近くの小さな守衛棟に近づき、思い切ってその中にいる人物に窓の外から話しかけた。
「あ、あの!」
 まだ若そうな男の守衛は、優しそうな表情でガラス窓を開けて「何だい?」と尋ねてくる。
「ええと、この大学で学ばせていただきたくて来たのですが」
 少女が緊張しながらもはっきりとした声で言う。
「そうしたら手続きだね。中に入るとそこに受付があるから──」
「あ、はい。ですが、私は人の紹介なんです。この大学のラーガ先生という方なんですけど」
「ラーガ師?」
 守衛は少し驚いたようにして少女を見てくる。
「そうですか。ちょっと待っててくださいね」
 たとえ十歳の女の子を相手にするのでも、きちんと客として接してくれる。それは大学の管理がしっかりと行き届いているということの証明でもある。
 男は壁にかかっているいくつもの金属製の筒を眺めて、その中の一つを取って、その筒に向かって話しかけた。
「こちら守衛棟です。ラーガ師、おられますか。どうぞ」
 今度はその筒を耳にあてる。そしてまた口元へ。
「お客様です。大学で学ぶのに紹介されたとかで、師の名前を出されています。どうぞ」
 また耳元へ。そしてうんうんと頷いているのが見える。
(遠くの人と音声でやり取りができるんだ)
 糸電話の応用なのだろうか。よく見ると筒の先から一本のコードが伸びている。あれが大学のいたるところにつながっているのだろう。
 よく見ると壁には百近くもの筒が並んでいる。いったいどういう仕組みになっているのか、ぜひとも学びたいものだった。
「ちょっと待ってください。あ、すみませんが、お名前と年齢、それから出身をお願いします」
 筒に向かって話しかけたあと、守衛はまた少女に尋ねてきた。
「はい。ルナといいます。十歳です。ムオルから来ました」
「ありがとう。十歳の女の子で、ムオルから来たルナという方です。どうぞ」
 そしてまた筒に向かって話しかける。そして最後に「分かりました」と言ってから筒をまた壁にかけた。
「そうしたら、手続きは後でいいので、まずはラーガ師の所へ向かってください」
「はい。ですが、場所が分からないのですが」
「ええ。見取り図がありますので、こちらをどうぞ」
 そうして私は一枚の紙を受け取る。それがダーマ大学の地図だった。
 七階建ての巨大な建物がメインの校舎で、五階建てからなる三つの棟、西棟、北棟、東棟がつながっている。また、魔法実験場が北西と北東に、格闘訓練場が南西と南東に、それぞれ二つずつ用意されている。校舎の向こう側は畑となっている。守衛棟からメイン校舎の入口までは少し開けた感じになっている。
 ラーガと呼ばれる人物の部屋はメイン校舎からつながっている三つの棟の一つ、西棟の五階にあった。
「まっすぐ行ったところがメイン校舎。入った正面が受付なんですけど、お客は多いから別に必ず受付を通さなきゃいけないってわけでもないですから。入ってまず左に曲がってまっすぐ。西棟への渡り廊下を抜けていって、最初の階段を五階まで昇ってください。そこまで行けばラーガ師の部屋が左手にあります。文字は読めますか?」
「はい」
「そうしたらその部屋にはラーガ師の名前が書かれてありますから、すぐに分かると思います」
「親切に、ありがとうございます」
「いえ。それではがんばってください」
 守衛にお辞儀をして、ルナは荷物を背負いなおして大学に入る。
 もう夕方になる。たくさんの人が建物から出ていこうとしている。自分の家にこれから帰るところなのだろう。ルナはそうした人の流れに逆行するようにして大学に入っていった。
 建物はまるで城壁のように、高く、平らだった。それが一面同じ臙脂色でペイントされている。
 高価そうなガラスの扉を押し開けて中に入る。中は大理石の床が一面に敷き詰められていて、やはり人がひっきりなしに東へ西へと動いている。
 ここがダーマ。
 世界最高水準の学問を教わることができるところなのだ。
「がんばらないと」
 ルナの右手は自然と胸のお守りに当てられていた。
 そして西棟に向かって足を踏み出した。






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