Lv.2
強くなるのは、あなたのため
ダーマの中はとても清潔で、階段の端々に埃も見当たらない。大理石が敷き詰められた床をこれだけ清掃しておくのはとても大変なことであるのが分かる。いったいどれだけの手間がかかっているのだろう。
今まで長く階段を上ったことがないルナは多少の疲れも感じていたが、そこは一ヶ月もの間旅を続けていただけのことはあり、足腰は鍛えられている。五階についてきょろきょろとあたりを見回し、四つの部屋から『ラーガ』と書かれている扉を見つけた。
丁寧にノックを二回。入りなさい、という言葉があってゆっくりと扉を開けた。
部屋の中は机と椅子と本棚しかなかった。三面の壁がすべて本棚。天井まで届くだけの蔵書量。一冊の本すら貴重だったムオルにいたルナにとって、ここはまさに宝の山だった。
本の匂いが鼻をつく。そして、椅子に座っていた老賢者がこちらを見ていた。
「はじめまして。ルナといいます。ムオルの長老から紹介していただいてまいりました」
「ムオルのな。クラウンは元気かの」
ムオルの長老クラウンは今年六十歳。腰も曲がって杖なしには立てなくなっている。だが魔法を使える人で、ルナは長老から魔法を教わっていた。
「はい。あまり家からは出なくなりましたけど、いつも優しくしていただいております」
「アレは才能のある男だった」
ラーガは細い目をさらに細くして笑う。豊かな白髪がそれとともに揺れる。
「賢者になるなどとは考えておらず、故郷のムオルを少しでも豊かに、そして安全な村にすることだけを考えてダーマに来た変り種よ。その癖魔法の力は高いときておった。いくつになったかの」
「今年六十です」
「そうか。アレが来たのがもう四十年も前か。ワシも歳を取るわけじゃ」
四十年も前の人物をよく覚えていられるのは、この人の記憶力がいいせいか、それとも長老がそれほどに印象深い人物だったのか。おそらくはその両方だろうが、どちらが勝っているのかが気になった。
「長老はそれほど?」
「聞いておらんか。まあ、自分のことをひけらかすような奴ではなかったがな。何しろ本来の勉学の片手間に魔法を使えるようになっていった男だ。能力だけで言うならば五年から十年に一人の逸材だろうよ」
それならばよく覚えていられるはずだ。というか、いつも接していた長老がそこまで高い評価を受けていたことに軽い驚きを覚える。それだけの評価があったからこそ、ラーガに自分を推薦することができたのだろう。
「あのクラウンから紹介されたのはお主が初めてじゃよ。ここ四十年、あいつからは年に一度、ムオルの様子を手紙で送ってくるだけでな。まあ、長老ともなれば大変な仕事なのは分かっているが、たまには恩師に顔見せくらいしろと思うのだがな。まあ、お互い歳だ。もう会うこともなかろうが」
「長老からは、くれぐれもよろしくと」
「ああ、分かっておる。だが、クラウンの件とお主の件とは別じゃ」
本題だ。ラーガの目が鋭く光る。
「お主は何を求めてこのダーマにやってきた? クラウンと同じく、ムオルの発展のためか?」
「違います」
ルナははっきりと答えた。
「賢者になるためです」
「賢者か。クラウンのことだから、ただ『なりたい』と思っている子を一人でダーマまで送り込むようなことはせんじゃろう。お主、どれだけの力を持っておる? 呪文は何が使える?」
「ホイミとキアリー、ラリホー、マホトーン、ピオリム、メラ、ヒャドです」
老賢者は少しの間沈黙してからもう一度尋ねた。
「誰に教わった?」
「長老からはメラとヒャド、あとは村の神官様に教えていただきました」
「なるほど、神官からのう」
立派なあごひげをなでながらラーガが考える。
「クラウンがお主をここに寄越した理由がそれで分かった」
と言われてもルナには分からない。
「お主が分からなくともそれでよい。お主は賢者になりたいのであろう?」
「はい」
「ならば賢者として必要な知識をまず手に入れることだ。その中で分かることも増えてくるであろう」
「はい」
「お主の部屋は三階に用意しよう。明日からお主はワシが直接指導する」
「では、ご指導いただけるのですか」
「かつてクラウンには何かあったら頼るように言った。その唯一の頼みとなれば聞かぬわけにはいくまい」
「ありがとうございます」
「だが、既に知っておるかもしれんが、賢者としての見込みがない場合はその時点で指導は終了だ。後はこのダーマで他の職を目指すもよし、学士を取るもよし、好きにするといい」
「はい。でも私は、賢者になりたいですから、諦めません」
ルナは子供っぽい笑顔で答える。
「ふむ」
ラーガはようやくルナの内心に興味を持ち始めたのか、さらに尋ねる。
「何故賢者になりたい?」
聞かれると思っていた質問。そして、用意されていた答え。
「人を助ける力が欲しいからです」
「なるほど。賢者を求めるには最適な答えともいえる」
ラーガはあえてその根拠となっていることには触れてこなかった。何故そう思うようになったのか、それには何かきっかけがあるはずなのだ。
「ではお主への最初の講義を始めよう」
もちろんそれは建前で、話の内容は賢者としての心構えようなものだ。
「賢者という存在が何故必要とされるか、分かるか?」
「その知識を世の中に活かすためです」
「そうだ。もともと賢者というのはそれだけでよかった。それ以上は必要なかった。だが今、賢者の必要性が大きく問われるようになってきた。それも分かるか?」
「いえ」
素直に答える。だが、推測はできる。
「答えてみるがいい」
「モンスターが増えてきていることに関係があるのではないですか?」
「よく分かったな。その通りだ」
ラーガが立ち上がり、本棚から一冊の本を持ってきて机の上に広げる。
「地図は読めるか?」
「はい、分かります。ダーマはここですね」
指で示して尋ねる。
「そうだ。ムオルはここ。そして、ここにネクロゴンドと呼ばれる高地が存在する」
「はい」
「ここにいるのだ」
いる? その言葉の意味が分からない。
「何がでしょうか」
「魔王、バラモス」
魔王バラモス。
その名前は聞いたことがない。だが、まがまがしい名前に思わず身震いがする。
「バラモスのことは一般には伏せられている。おそらくクラウンとても知るまい。だが、各国の首脳は既にバラモスをどうやって撃退すればいいのか、多少なりとも検討をしている」
「その、魔王バラモスは何をしようとしているのですか?」
「本質を突いてきたか。たいしたものだな」
ラーガは微笑する。
「この世界を支配すること。それがバラモスの目的だそうだ」
「何のためにですか?」
「さあ、それはバラモスにしか分かるまい。魔王はまだ表立って行動をしておらん。だが、確実に魔王の手は各地に伸びていると考えた方がよかろう。モンスターが増えているのはその影響にすぎんよ」
「賢者はバラモスを倒すのが使命なのですか?」
ラーガは感心した。先ほどの話と今の話をすぐに結び付けられる思考力の柔らかさ。しかもまだこんなにも若い。なるほど、これは高い能力の持ち主だ。
「何歳だったかな」
「私は十歳です」
「なるほど。たいしたものだ」
ラーガは頷いて答える。
「そう。今賢者がせねばならんことは、このバラモスをどう倒せばいいのか、ということだ」
「はい」
「このダーマにやってくる者のうち、半数は賢者になりたいとか学問をしたいとかいうものだが、残りの半数は分かるかね?」
「その賢者を仲間にしたいという人たちではありませんか」
「その通り。これが実に年間で何百何千といる。たまったものではない」
ダーマには優秀な賢者や魔法使い、僧侶がいる。だからその人たちの誰かを仲間にすれば自分たちのパーティが強力になる。そうした打算があってやってくる者が後を絶たない。
「勇者と名乗る者もおるが、今までに勇者としてふさわしいものなどほとんどおらんかった。半数は賢者を仲間にして自分の名を高めようという小賢しい者、残りの半数は賢者なら勇者に従うのが当たり前だろうという不届き者。全くもって話にならん」
「ほとんどということは、逆に一人か二人はいた、ということですね」
これは確認だった。ルナの言葉に嬉しそうにラーガが頷く。
「その通りだ。たった一人、勇者の名に恥じぬ男がいた。名はオルテガと言った」
その名前を、ゆっくりと心に思い浮かべる。
「アリアハンの勇者、オルテガ様」
「そうだ、知っておるか。ワシよりも若いくせに、物事がよく見える男だった。力も知恵もあった。何より仲間がよかった」
「サマンオサの聖戦士サイモン様と、ダーマの賢者リュカ様ですね」
「うむ。あの三人が一緒に並び立つと、まさに神話の中の一場面のようなものでな。年甲斐もなく心が躍ったものだ。ワシがあと二十年若ければ同行を申し出たであろう」
だがさすがにラーガは旅についていけるほどの体力がない。
「リュカはワシの弟子でな、魔法力だけならばワシをも上回る。その男をオルテガにつけたのだ。その男も魔王討伐を希望したのでな」
「分かりました」
ルナも頷く。
「私も賢者となるからには、勇者様に従い、魔王を倒しにいくことになる。そういうことですね」
「決めるのはお主だよ。ワシも賢者だが体力のことを考えて辞退した。あれほどの勇者の足手まといになるのはごめんこうむる。だが、彼と同世代だったならばと心から思うよ」
「魔王を倒せば世の中は平和になるのですね」
「そうだな。余計に傷つく人はいなくなるじゃろ」
「私は人を守りたいと思います」
それは彼女の一番の希望。
「魔王を倒すことが守ることにつながるのなら、私は勇者様に協力したいと思います」
「うむ。だが、真の勇者などそうそういるものではない」
「はい。どうやって見分ければよいのでしょうか」
「直感だよ」
直感とはまた、随分と適当な答えだった。
「不満かな。まあ、お主のように若ければそう思うのも無理はない。ワシとて五年前にオルテガに会わなければそんな答えになることはなかったじゃろ。だが、自分が仕えるべき勇者は『見た瞬間に』分かる。それがワシがオルテガと会って学んだことじゃ」
「見た瞬間に」
「そう。それは何というのか、賢者の血が騒ぐ、というところじゃろうな。この人の下でならば自分の力が最大限に活かされる、活かしてくれると瞬時に分かる。迷うようではダメじゃ。ワシはオルテガについては何の迷いもなかった。すべてをなげうってあの男に協力するつもりだったのだが」
「オルテガ様は、ギアガの火口に落ちたと聞きました」
「そう。同行したサイモンもリュカもそこにはいなかったらしい。どうしてかは分からぬが」
「ではオルテガ様は一人でギアガ火山に?」
「そういうことになる」
「おかしいですね」
当然の帰結として、この話は矛盾している。
「一人で山に登ったのにどうして火口に落ちたということになっているのですか?」
「それよ」
ラーガも疑問でならなかったのだろう。ルナの振った話に飛びついてきた。
「どう考えてもおかしい。その場面を目撃でもしない限り、火口に落ちたなどという話になろうはずもない」
「噂話にしても具体的すぎますね」
「うむ。オルテガの死についてはいろいろと疑惑はある。何故ギアガ火口に向かったのか、何故仲間がいなかったのか、一人しかいないはずのオルテガ死因が分かっているのはどうしてか。ただはっきりしておるのは、オルテガ以上の勇者が現れぬ限り、バラモスを倒すのは無理だということじゃよ」
「オルテガ様以上の」
「そうだ。だからルナよ。お主は自分の直感に従い、自分の勇者を定めよ。相手が自分を利用しようとしているのかそうでないのか、バラモスを倒せるだけの力を持っているのかいないのか、それらはすべて見た瞬間に判断ができる。それほどの人物でなければバラモス退治など到底不可能なのだよ」
「はい」
話が一区切りついて、二人の間にしばらく沈黙が流れる。
ルナにとって今の話はしっかりと覚えておかなければならないことばかりだった。
魔王バラモス。そして、そのバラモスと戦う勇者。
自分はいつか、その勇者を支える人間となる。
(勇者様のお手伝いをする)
それは自分にとっての理想。誰よりも強く、たくましく、理想的な男性が、ちっぽけな自分を頼りにしてくれること。こんなに嬉しいことはない。
だから自分はその勇者にふさわしいだけの力と知恵を身につけなければならない。
いつの日か、本当の勇者と共に旅立っていけるように。
「明日は朝八時までにここに来るように。朝食は取ってから来ること。食堂は二十四時間やっておる。部屋についてはもう一度受け付けまで降りて確認をしてくれ。それまでに連絡を入れておこう」
「はい。ありがとうございます」
「勇者と会えるのがいつになるかは分からぬ。明日かもしれんし、十年後かもしれん。だが、出会ったときまでに少しでも力を高めておかなければならん」
「はい」
「三年。少なくとも三年の間に、お主はあらゆる呪文を使いこなせるようになれ」
「はい」
「よし。ではまた明日」
「はい。よろしくお願いします」
そうしてルナはラーガの部屋を出た。
世界最高の賢者から直接指導していただける。
(長老、ありがとうございます)
それもすべてクラウンの人脈のおかげだ。そうでもなければ自分のような子供を相手にしてもらえるはずがないのだから。
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