Lv.3

人はみな、哀しみを抱えて








 ルナは三階の指定された部屋まで行き、荷物を置く。小さなベッドと机と本棚。それだけが彼女の部屋に置かれていた。賢者を目指そうとダーマに来る者は多く、そうした者たちに部屋を提供しているだけでも充分ありがたいと考えなければならない。
 それにしても、これからいろいろと勉強しなければならないことがある。それを考えると今までの旅の疲れなどどこかへ吹き飛んでしまい、今すぐにでも何かしなければという焦りすら感じる。
 とにかくまずはこの建物で迷わないようにしないといけない。それから、きっとここなら図書館もあるはずで、そこで勉強することもできる。
 田舎育ちの自分には決定的に知識が足りない。だから少しでも多くの知識を手に入れなければならない。
 一応何かあったときのためにいくらかのお金を持つ。首からさげているお守りだけは肌身離さない。そして部屋の鍵をかけてこのダーマ探検の旅に出た。
 まずはこの建物。上の階からしっかりと見ていこう。
 最上階は五階。さきほど話をしたラーガの部屋もここにある。それ以外にも名前の書いてある部屋があと三つ。どうやらこの階は『ダーマ八賢者』の半数が暮らしている階層らしい。
 四階はずらりと小部屋が並ぶ。ラーガの部屋よりは狭いが、ルナの部屋よりは広い、というところだろうか。そして三階は本当に狭い小部屋。さらに二階まで下ると、今度は大部屋になって四人一部屋という構成になっている。
 どうやら自分はラーガに配慮されて、一応小部屋をあててくれたらしい。人見知りはしない方だが、気を使わなくてもいいのは助かる。
 さらに一階。ここは共用スペースとなっている。食堂や購買などもここにそろっている。いくつか講義室も見られる。
 それから中央のメイン校舎。ここが七階立てだ。案内板を見ると、二階に大図書館、三階が大講義室、そして四階に小講義室がいくつかあって、魔法関連の実験室もここにある。五階から七階は運営部や研究室となっているらしく、自分にはあまり関わりはなさそうだ。
 東と西は基本的に構造が似ているようなので、西側をメインに探索することにした。
 まず北西にあたる魔法実験場。長い廊下を抜けていったところに巨大な空間がある。
 そこではたくさんの学生たちが魔法の特訓に勤しんでいた。たいていは二人一組となって魔法を唱え合い、効果のほどを試しあっている。
 それも、かなり高度だ。自分では全く発動すらさせることができないヒャダルコやメラミ、イオラといった中級魔法がいたるところで飛び交う。
「危ない!」
 と、その魔法の一つが逸れてルナに向かってくる。メラミの火球だ。回避するのも間に合わないくらいに不意をつかれた。なんとか身を守ろうとしたが、遅い。
「何してるの!」
 ルナの前に誰かが立ちはだかる。そして、
「ヒャダルコ!」
 中級魔法をいとも簡単に唱え、そのメラミをかき消した。
 ルナは呆然としてその光景を見ている。
「こんなところにフバーハもかけないで入ってくるなんて、どういうこと?」
 その人物が振り返って尋ねてくる。
 緑色のスーツに身を包んだ女性。茶色の髪をくるくると巻いて結わえている。そして目には知的さを印象づける眼鏡。教官、だろうか。
「すみません」
「見ない顔ね。どこの研究室の誰?」
「あ、はい。ルナといいます。本日づけでここに入れさせてもらいました」
「今日?」
 女性は顔をしかめて聞き返す。
「そう。今日来たばかりでいったい何をしているの?」
「建物の内部をきちんと把握しておこうと思い、見学していました」
 すると今度は少し驚いたような顔をする。
「なるほど。誰かにそう言われたの?」
「? いいえ、そうした方がいいと思いましたので」
 ルナには何を言われているのか分からなかったが、今度は真剣な表情で女性が尋ねてくる。
「あなた、何歳?」
「この間十歳になりました」
「そう。たいしたものね。どこの出身?」
「ムオルです」
「随分辺境ね。家族に連れてきてもらったの?」
「いえ。一人で来ました」
 今度はしばらく間があった。
「よくたどり着けたわね」
「ありがとうございます」
「じゃあ大部屋に入ることになったのね」
 言われている意味が分からない。
「部屋よ。西? 東?」
「西の三階です」
 そしてまた女性が固まる。
「三階?」
「はい」
 何か問題があったのだろうか。
「誰がそうしてくださったの?」
「ラーガ師です」
「ラーガ師!?」
 今度は悲鳴に近かった。
「……いったい、どういうつもり」
 そして小声で呟く。何があったのかは分からないが、自分の言葉はかなり彼女に衝撃を与えたらしい。
「分かりました。だとしたら私もあなたに何度か教えることになるかもしれません」
「はい」
「私は教官のナディア=ロウィット。魔法使い系の魔法を指導する立場にある者です」
「はい。よろしくお願いします。失礼ですが、ロウィット師はエジンベアの出身ですか?」
 そこでまたナディアが驚く。
「ナディアと読んでくれていいわ。みんな私をそう呼ぶし。どうしてそう思ったの?」
「エジンベアの七貴族にロウィット家が入っていました」

 エジンベアの七貴族。
 エジンベアは国王家を筆頭に、七つの大貴族による連合政権をとっている。
 どの家も国王家と姻戚関係があり、実質、国を動かしているのはこの貴族たちだという。
 ルナは当然エジンベアなど行ったことはなかったが、ムオルの長老から世界のことはよく説明を受けていた。

「よく勉強してるわね。その通りよ。ただ私の家は分家にあたるから、七貴族の中には入らないけれど」
「そうでしたか。今度、エジンベアのことも教えてください」
「ええ。とにかく、ここは練習中の学生たちの魔法で危ないから、見学するなら他所になさい。あなたにはまだフバーハは使えないのでしょう?」
「はい」
「魔法の聖水が給与されることになるでしょうから、ここに入るときは今後必ずそれを身に振りかけてから来なさい」
「分かりました」
「ではいきなさい」
「はい。失礼いたします、ナディア師」
 優しくも厳しそうな先生だった。それにいとも簡単に中級魔法を使いこなす実力。あれでもまだダーマ八賢者ほどではないのだろう。上には上がいるということだ。
 ルナは魔法実験場を出て、次に南西の格闘訓練場へと向かった。このダーマの、少なくとも学院の内部くらいは全て頭の中に入っていなければならないと、自然に思っていた。それは理屈ではなく、ただこの建物の構造が分からないのが不安だったという感覚にすぎなかった。
 格闘訓練場は戦士や武闘家といった格闘で身を立てようという者たちが多く訓練していた。その熱気あふれる様子に思わずルナも目を奪われる。訓練とはいっても真剣勝負、剣で斬り合い、拳で殴り合う、その迫力。もちろん怪我をすればすぐに控えている僧侶たちがホイミをかけていく。サポートまでしっかりと配慮されている。
「すごい」
 思わず呟いていた。そして、すぐ近くの戦士二人の戦いを見た。
 一人はそこそこ歳のいった青年だったが、もう一人は少年だった。自分より少し年上のようだった。青年は見るからに背も高く強そうだったが、少年の方は見るからに強そうではない。
(強くなりたくて、ここにいるのかな)
 じっとその戦いを見つめていたルナに気づいたのか、青年の方が少し意識をそらした。
 瞬間、少年が動く。
 彼の身長の半分程度の小剣で迫る。間合いを詰められた青年の方は長剣を使いながら距離を置こうとするが、その程度で少年の素早さを削ぐことはできない。するりと青年の背後を取り、小剣で相手の剣をはじく。そして後ろから相手の首筋に剣を当てた。
「まいった」
 青年が両手を上げる。ふう、と息をついて少年も剣を戻した。
「やれやれ、やっぱりお前にはかなわないか」
「何言ってんだよ、あんたが集中切らせてくれたおかげだろ。何見てたんだよ」
 と、その少年が振り返る。
 黒い髪と、意思の強そうな黒い瞳。まだ幼さの残る顔立ちだが、その表情には『自分は強い』という自信がありありとみなぎっている。さきほどは見かけで判断してしまったが、この少年は間違いなく強い。
「見ない顔だな」
 少年が近づいてくる。
「なんだ、新入りか?」
「あ、はい。ルナです。よろしくお願いします」
「ふーん。なるほど、ブライの兄キは年下趣味かあ」
「聞き捨て悪いこと言うな」
 言い残して負けた方の青年はそのまま訓練場を出ていった。
「俺はソウタ。ソウって呼ばれてる。あんたもソウって呼んでいいぜ」
「はい。ソウさん」
 するとソウは眉間に皺を寄せる。ころころと表情が変わっていく。
「呼び捨てにしろよ。さん、なんていらねえよ」
 さすがにそれはどうかと思ったのだが、相手がそれを望むのならそうしないと礼儀に反するだろうか。少し考えたが、ルナは頷いて答えた。
「分かりました、ソウ」
「本当はその丁寧語もやめてほしいところだけどな。ま、とにかく歓迎するぜ。俺よりも年下の奴ってあまりいねえからさ」
「おいくつですか?」
「俺は十一歳」
 思っていた以上に若かった。すっかり十四、五はあると思っていたのだが。
「あんたは?」
「今年十歳です」
「おー、年下か。じゃ、遠慮なく威張れるな」
 にかっと笑う。頼りがいのある少年だった。その様子を見てルナも笑顔を見せる。
「はい。威張ってください」
「そういうふうに言われるとなんか、難しいな。ていうか、あんたのそのしゃべり方なんだよな。もっとくだけてくれないとさ」
「私は固いですか?」
「ああ。メタルスライムくらいがちがち」
 それは随分とかしこまっているんだな、というのがよく分かる比喩表現だった。そして話していて面白い。おそらく頭の回転がいいのだろう。ムオルでは話していて面白い相手は同年代にいなかった。
「その格好からすると賢者になるつもりなのか?」
「はい。ソウは戦士を目指しているのですか?」
「ん、戦士も、ってとこかな。俺は今まで誰もできなかったことをしたいからさ」
 にやりと笑うソウ。
「それは?」
「魔法を使える戦士、ってカッコよくない?」
 魔法戦士。魔法使いと同じくらいに魔法を使いこなし、それでいて戦士としての力量も高い。確かにそんなことができるなら、誰もが目指したいところだが。
「カッコいいです。できるのですか?」
「できるかどうかは訓練しだいだな。まあ、戦士としての力は悪くないと思ってるんだけど、魔法の方が今一つでさ」
「でも、凄いですね。そんな夢を持っている人がいるなんて」
「魔法戦士ってのはけっこうみんなが目指すところなんだ。ただ、うまくいった奴は全くいない。魔法の訓練しながら戦士としても訓練しないといけないだろ? 単純修行量が倍必要だからな。まあ、初級の魔法を使える戦士ならいくらでもいるけど、俺がなりたいのはそんな小手先の技じゃない。メラゾーマやベギラゴンを使いながら、剣を振るっても誰にも負けない、そんな万能な男になりたいんだ」
 夢を熱心に語るのは、とても少年らしいことだ。そしてムオルにもそういう少年はいた。ただ、決定的な違いが一つある。
「ソウならなれます」
 心からそう思う。何故ならば。
「ソウは、そのために努力を惜しまない人だと思います」
「へっ、そう正面から言われると照れるな」
 気をよくしたのか、ソウも微笑んで言った。それから、表情が真剣なものに変わる。
「強くなりたいからな。いや、強くならなきゃいけないんだ。俺は絶対、あと五年でこのダーマで一番の剣士になってみせる」
 みんな、同じように強くならなければいけない理由がある。この少年にもきっと、そうした何かが存在するのだろう。
「じゃ、褒めてくれたお礼にダーマを案内してやろうか? あちこち見学中だったんだろ?」
「いえ、それにはおよびません。私のために、ソウの訓練時間を奪うわけにはいきません」
「訓練はもう終わってるんだよ。前にちょっと手合わせした奴にもう一度勝負って言われたから付き合ってただけ。それもさっきので返り討ちにしたしな」
「ですが、これから予定とかあるのではありませんか?」
「気にするなよ。どうせ食事して寝るだけだし、そういうことなら案内してくれたお礼にご馳走してくれるってのはどう? マジでお金なくてさ、俺」
 素直になんでも言うソウに、またしても笑ってしまった。
「そういうことでしたら。では、案内のお礼は食事一回ということで」
「よーし決まりだな。じゃ、どこから行く? 街か? 学院か?」
「そうですね。では、まだこの建物で行っていないところと、それから学院から街の出口までの道についてご案内していただければ助かります」
「じゃ、行こうぜ。まだ時間あるし、ちょうど戻ってくるころにはメシどきだろうしな」
 そうしてソウは武器などを解除し、護身用のダガーだけを装備した。
「まずはそれじゃあ、大通りから行くか?」
「はい」
 そうしてルナはソウという同行者、初めての友人と共に街へ出ていくことになった。






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