Lv.4
約束と希望と強くなる理由
「ラーガ師」
一方、教官のナディアは西塔の五階、ラーガの部屋を訪れていた。
ラーガという人物は基本的に人を好まない。もちろん話はするのだが、関心を持たない相手と接触することがほとんどないことで知られている。
だからこそナディアには信じられなかった。何故、あのラーガが『弟子』を取ったのか。
「ナディアか。何かあったのかね」
「何かなど、ラーガ師が一番よくご存知のはずでしょう。弟子をお取りになるのですか?」
「耳が早いな」
ラーガは無関心という様子で、ただ本を読んでいる。
「先ほど魔法実験場で会いました」
「ほう? 部屋でじっとしているかと思っておったが、建物の探索に行きおったか。それはそれは、将来が楽しみな子じゃて」
自分の住む場所の安全点検は賢者ならずとも冒険者として必ず行わなければいけない活動だ。それをわずか十歳にして心得ているというのは、さすがにクラウンの推薦した子だけのことはある。
「賢者になると言っていましたが、本気なのでしょうか」
「誰しも本気なのだよ。来るときはな。だが、賢者になれるかどうかは努力の差もありながら、残念なことに才能の差が大きい。お主も覚えているだろう、ナディア」
「ええ。私が生まれて初めて屈辱を覚えたことですから。忘れるはずがありません」
ナディアは十二歳でこのダーマにやってきた。エジンベアでは術士として非常に優秀だった。魔法使いのスキルは大人顔負けだったし、ダーマに行っても自分は賢者を目指すことができると信じていた。
だが、最初の三日で彼女は賢者として失格の烙印を押された。それは何のことはない。目の前にいるラーガの出した『能力不足』の判定である。
今となっては自分も分かる。どれだけ努力しても賢者たちの足元にも及ばないということが。ただ、自分は魔法使いの才能だけは桁外れだった。だからこの学院の教師として残ることができた。それは幸運だったと思っている。
ただ、納得がいかないのは。
「私ですら賢者になれなかったのに、あの子にはその素質があるというのですか」
「ある。いや、お前の比などではないよ。もしかしたらあの娘、十年もすればワシをも超えるかもしれんのう」
そして喉の奥で笑う。まさか、そこまで高く評価されているとは。
「どうして、あの子をそこまで」
「簡単なことよ。あの子はラリホーにマホトーン、ホイミ、キアリー、ピオリムを使えると言った」
「僧侶魔法の基本ですね。それくらいならばあの子の年代で他にも人がいるでしょう。私だって、十歳の頃には初級魔法は一通り使えましたし、中級魔法だって──」
「メラとヒャドも使える、と言ったのだよ」
だが、次のラーガの言葉にナディアの表情は固まった。
「そ、そんな、それは何かの」
「間違いではないようだ。まあ、明日確認はするが、もしそれが本当だとするならば、あの子がどういう存在か、もはや分かっただろう?」
当然だ。
そんなことは、賢者を目指す人間ならば、誰でも分かっていることだ。
「魔法使いの精霊魔法と、僧侶の神聖魔法。この両方を使いこなすことができる者が賢者。もしかしたら、あの子はこのダーマでもかつて一人も存在したことのない、生まれながらの賢者なのかもしれん、ということだ」
ルナとソウはまずメインストリートをまっすぐ南下していた。
学院と門をつなぐ大通り。ここにはさまざまな店が並んでいる。多くの冒険者のために道具屋・武器屋・宿屋と隙間なく次々に店が並んでいる。
店頭に展示されている特売品も面白い。いくつも武器屋が並んでいるのに、同じものを店頭に飾っているところがない。その店頭に置かれているものがその店の“売り”なのだろう。たとえば右手にある武器屋は刀工だれそれの鋼の剣がたったの千五百ゴールドと、定価より高めで設定してあるのに対して、左手の武器屋では『戦士はやっぱり鉄鎧』と通常の定価より安い千ゴールドで売られている。品質の良さを価格に反映させたり、逆に品質を落として安くしたりと、商人たちが売ろうとする姿勢がそれぞれ違っている。
さらにその隣の店を見てみると“中古品売買”となっている。中を覗くとなんと鉄の槍が四百ゴールド。安い。
「店なんか見て面白いのか?」
ソウが話しかけてくる。
「はい。こんなにたくさんの店を見たの、はじめてです」
「へー」
ソウが頷いて尋ねる。
「どこから来たんだ?」
「ムオルです。ご存じないかもしれませんが」
「ムオル? エイジャにそんなとこあったっけか」
「はい。ここから徒歩で一ヶ月ほど東へ行ったところにあります」
「一ヶ月東って、もう向こうの海まで行けるじゃねーか」
「はい。ムオルはさびれた漁村です。自分たちが食べる分だけを取って、野菜や穀物を育てて、ほそぼそと生きています。昔は農業もほとんどできなかったということですから」
それを可能にしたのが現村長のクラウンだ。彼はダーマで得た知恵を全てムオルの振興のために使った。だからこそ今はあの村で餓死者がほとんど出なくなっている。
「一人で来たのか?」
「はい。大人は毎日の糧を作るのに精一杯ですから、往復二ヶ月もかけて私を送ることになれば、誰かが餓えることになります」
「そりゃひでーな。なんでそんなとこにいつまでもいるんだ?」
それは言ってはならない台詞だ。どんな人でも、その場所で生まれ、育つ。それを他人にとやかく言われることではない。
「私はあの村が好きです」
だからルナはそれ以上話すことはない、と話を打ち切った。それを聞いたソウが、うーん、と悩んで言う。
「悪かったよ」
「いえ。気にはしていません。私もそう思いますから」
「でも、失礼なことを言った。だから謝る。ごめん」
この少年は見た目通り、思ったことは口にしないと気がすまないタイプらしい。
「はい。本当に気にはしていませんから、もう充分です」
「そっか」
頷いて少し会話が途切れる。だがソウはいつまでも前のことを引きずるタイプではなかった。
「そういえば、どうしてお前、賢者になろうと思ったんだ?」
ごくありきたりな質問から責められる。
「目の前で倒れる人を助けたかったからです」
「人を助けるって、別に賢者じゃなくてもできるだろ」
「はい。でも、私にとってはそれが賢者という方法だったんです」
それを話すと長くなるし、初対面の相手に自分の過去をそうぺらぺらと話すのも少しためらいがある。
「そっか。オレなんかすごい単純な理由なんだけどな」
「単純?」
「ああ。オレの故郷、ジパングっていうんだけどさ」
「はい。そうだと思いました。名前が特徴的でしたから」
「あ、分かったか。ま、確かにあの国は閉鎖的だし、いろいろあるんだけどさ。最近あの辺り、すげえ魔物多いんだ。それに、一年に一回、生贄も出さなきゃならなくて」
「生贄?」
その話は聞いたことがない。というより、ムオルにいてはジパングの話などまったく聞くことはないのだが。
「ああ。ヤマタノオロチっていって、ジパングのみんなで倒そうとしたんだけど、逆に返り討ちにあったんだ。それで、今後は一年に一人、生贄を差し出すことで話がついた」
「ひどい」
「だから絶対倒したくてな。だから魔法戦士になりたいんだ。オロチを倒すためにもさ」
明確な目標を持った少年。だからこそ、少年は一生懸命に自分を鍛えることができる。
こうして訓練している間にも、一年に一人犠牲者は出ている。だが、それは仕方のないこと。
十一歳の彼では、どんなに努力したところでオロチにかなうはずもないのだ。
「もしかして」
ルナは少し悲しそうな顔で尋ねた。
「さっき、故郷を捨てればいいって言ったの──」
「ああ。オレだって、故郷に住めるのが一番いいと思うよ」
ソウは顔をしかめた。
「でもさ、あそこはもう安心して暮らせる場所じゃない。だったら場所を移ればいいと思うんだ。安全なところはいくらだってある。バハラタだってダーマだって、生きられる場所に行けばいいんだ」
「でも、ジパングの人はそうしない」
「そうさ。だからオレが強くならなきゃいけない」
みんなが移住することができないのなら、自分がみんなを守らなければならない。たとえ強くなるのに数年かかって、その結果何人かの犠牲が出るかもしれない。
だが、いつかオロチを倒すことができるのなら。
「十六歳になるまでに、オレは強くなんないといけないんだ」
「どうして?」
「二つ上の姉がいる。生贄は十八歳の女性っていうふうになってるんだ」
だとすると、あと六年。長いようで短い。
「それまでに強くなる。何があってもな」
まっすぐ歩きながら宣言する少年は、ルナにとっても頼りがいのある、男らしい姿だった。
「ソウはすごいです」
そんな強い思いを抱いて来ているソウに対して自分はどうだろう。
思いの強さでは負けるとは思っていない。自分だって何があっても賢者になりたい。ただ、そこまで切羽詰ったものが自分にあるだろうか。
「オレみたいな奴の方が少ないのさ。ここにいる奴ら見てたら分かるぜ。とにかく強くなって有名になりたいとか稼ぎたいとか、そんなのばっかりだ。そういった連中はのきなみオレが叩きのめしてやる」
それができるだけの強さがあるから言える台詞だ。
「ま、お前の話もいつか聞かせてくれよな」
まだ話してはくれないと思ったのか、そんなふうに心遣いを見せてくれた。
「はい、いつか」
この少年にならなんでも話せる。ルナはそう思った。
「お、こりゃまた」
二人がそうして話していると、南大門の見張りをしていたジュナから声がかかった。
「よう、ジュナ兄。あいかわらずヒマそうだな」
「見張りは暇な方がいいだろ。モンスターが攻めてきたらそれどころじゃないんだからな」
背の高いジュナが二人を見比べる。
「ルナちゃんは、こいつと知り合いか?」
ルナは首を振った。
「いいえ。さきほど初めて会って、街を案内してもらっているところなんです」
「あれ、ジュナ兄と知り合いだったのか」
ルナとジュナを見比べてソウが尋ねる。
「別に知り合いってほどじゃねえよ。初めてダーマに来た女の子と世間話をしただけさ」
「デートの誘いかよ。ジュナ兄、ロリコンか?」
「デートしてるお前が何言ってやがる」
「は?」
言われて、はじめてその言葉の意味に気づいたのか、少年は顔を突然赤らめて猛抗議した。
「ち、違う! そんなんじゃねえ!」
「照れるなよ。ルナちゃんだって可愛いんだから、彼女にして文句ないだろ?」
なあ、と笑顔でジュナに尋ねられるが、そんな質問をされてもルナも困る。
「あ、あの、ソウも困ると思いますので、その程度にしてあげてください」
「お、もう呼び捨てか。若い奴らはやることが早いねえ」
「怒るぞ、兄」
少年が半目にして睨む。やけに迫力がある。
「悪い悪い。けどなあ、本当にいい娘だと思うぜ、ルナちゃんは」
「そんなのに興味ねえ」
ぷい、とそっぽを向いてそのまま大通りを戻っていく。
「ソウ」
追いかけようとしたルナが、一度振り向いてジュナを見る。
「あの」
「ああ、追いかけてやんな。あいつも一人ぼっちだから、誰か近くにいてやった方がいいんだよ」
そしてジュナがウィンクする。それを見たルナが頷いて駆け出した。
「あの馬鹿」
そう言ってからジュナは懐からタバコを取り出した。
「年長者なんていっても、結局たいしたことはしてやれないんだよな」
タバコの煙を吐き出しながら、ジュナはやれやれと言った。
「待ってください、ソウ」
小走りでないと追いつかない。それくらいソウの歩くスピードは速い。やがてその足が止まる。
「悪い」
だがソウは振り向かない。顔をルナに向けようとしない。
「ジュナ兄の言ったこと、気にするなよな。別に俺、お前のことなんとも思ってないし、ていうか、初対面でそんなこと考えるのも無理だろ」
「え、あ、はい」
確かにその通りだ。だから自分も戸惑うことはなかった。だが、著しく反応したのはソウの方だ。
「そのまま後ろからついてきてくんねーかな」
今度はゆっくりと歩き出した。ルナでもきちんとついてこられるように。
ルナは三歩後ろを歩く。
「俺は、恋人とか作るつもりないんだ」
聞き返そうかとも思ったが、ここはソウが自分で言葉を選んでいるところだ。誘導はしない方がいいと判断した。
「十六歳でオロチと戦う。勝つつもりだし、勝たないといけない。それは分かってるんだ。でもさ、何事にも万が一ってことはある。オロチだって誰と戦っても負けるつもりなんかないだろうしな。だから、もし誰か恋人がいて、それでオレがオロチに殺されたりしたら、その人を悲しませる。だから絶対、オロチを倒すまで恋人は作らないって決めてるんだ」
そこまで追い詰められているのか。
ルナはその後姿から、彼が泣いているようにも見えた。ジパングにはもうオロチと対抗しようとする動きはない。だからオロチを倒せるかどうかは、この頼りない十一歳の少年にかかっていると言ってもいい。
だからといって、そこまで自分を制限することはないのではないか。
(一人ぼっち、か)
故郷の人間は誰も味方ではない。かといって、死ぬ可能性の高いオロチ退治に誰かを巻き添えにすることもできない。
たった一人。たった一人で彼は、本気でオロチを倒そうとしているのだ。
「一人ではありません」
だからルナは答えた。
「私はいつか、勇者様と一緒に旅立つつもりです。でも、もしそのときまで勇者様にめぐり合えなかったとしたら、私はソウを手伝いたい。私は誰かを守るために賢者になるのだから」
「それじゃ、その約束は果たされないだろうな」
ははっ、とソウは笑った。
「どうして?」
「お前は勇者とかいう奴に会って、そいつのために戦うんだ。俺なんかのためじゃない」
「ソウ」
「気にするなよ。そう言ってくれたのは嬉しいけど、これは俺の問題なんだ」
「ではどうして、話してくれたのですか」
ソウにだって、仲間が必要だ。彼もそう考えているはずだ。
「なんでだろな。話しやすそうだったからだろ」
だがソウははぐらかした。そして「帰ろうぜ。そろそろメシ時だ。おごってくれる約束だよな」と笑顔で振り向いて言う。
(うそつき)
頼ってくれないのは、自分が頼りないからか。
だとしたらもっと強くなる。それしかない。
ただ。
(もし勇者様にめぐり合えたとしたら、私はその約束を果たせない)
賢者になること。そして勇者に協力すること。それが自分の絶対の使命。
かつて、ムオルを救ったあの勇者のような人物の手助けをする。
それが自分の望みなのだから。
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