Lv.5

賢者の資質は悟りと共に








 翌日。朝日が昇る前にルナは目が覚めて、そのまま学院を出た。
 彼女には決めていたことがあった。これから先、自分は賢者の道を進まなければならない。そのためには膨大な精神力も必要だが、それと同時に体力もつけなければならない。
 勇者の傍にいるためには、ただ魔法が使えるだけでは駄目だ。せめて自分の身を守れるくらいの力は持っておかないといけない。
 体力をつける一番いい方法は走ることだ。それも、毎日同じペースで走っていても駄目だ。慣れてきたらスピードを上げたり、距離を伸ばさなければならない。
 なだらかな丘を登った上、尾根までの距離は下りだと歩いてざっと三十分。ということは上りならそれ以上かかる。既に旅慣れていたルナであっても、山を駆け足で登るのは簡単なことではない。何度か途中で休憩を取りながら一時間と少しの時間をかけて山を登りきる。
 既に丘の向こうからは日が昇っていた。朝日に向けて走ってきたルナは、振り返ってダーマを見下ろす。
 朝日に照らされたダーマの様子が、手に取るように分かる。
 いい眺めだった。
 この眺めは何度見ても飽きないだろう。自分がこれから暮らす街。いつまでかは分からないが、きっと一番思い入れが深くなるだろう街。
 お守りを握りしめて、誓う。
(私は賢者になる)
 それは一種の儀式。
 これから毎日この丘を登り、誓いを新たにすることで自分の意識を高める儀式に他ならなかった。






 戻ってくると、既に六時だった。
 朝から体力がほとんど尽きた状態だが、一日はこれから始まる。まず水を浴びて汗を流し、それから朝食。食べ終わって歯を磨き、部屋に戻ってきてラーガの部屋に行く準備をする。といっても現状で持っていくものは何もない。何かを持ってこいとも言われていない。まずは行ってから、ということだろう。
 時間の十分前にはラーガの部屋の前に着いた。そしてノックをすると「入りなさい」と返事が来る。
「失礼します、ラーガ師」
 部屋の中には既にラーガがいくつかの本を机の上に積み上げ、彼女を待っていた。
「早いな」
「時間ちょうどの方がよかったですか」
「いや、老人はすることがないのでちょうどいい」
 もちろんそれは口だけだ。ダーマ八賢者が忙しくないはずがない。
「まずはいくつか確認しておくことがある」
「はい」
「使える魔法は、ホイミ、キアリー、ラリホー、マホトーン、ピオリム、メラ、ヒャド。これで間違いないかね」
「はい。七つで全部です。長老は他にも魔法が使えるのですが、メラとヒャドしか教えてくれませんでした。神官様は知っている魔法を全て教えてくれました」
「なるほど。では、早速だがいくつか説明をしておこう。お主は魔法というものがどういうものか、分かっているかね」
 厳密には分かっていない。ただ、長老からいくつか説明を聞いたので、全く無知というわけではなかった。
「魔法とは、この世界に干渉する精霊や神の力を具現化する技術だと聞いています」
「ふむ、さすがにクラウンから知識は教わっているか。では、どうやってその力を具現化しているか、それは理解しているかね?」
「いいえ。ただ、この通りにやりなさいと神官様や長老に教わったとおりに行いました」
「では、そこからだな。ここにお主に必要となるであろう本を十冊、用意しておいた。字は読めるのだな?」
「はい。公用語は」
「けっこう。今から簡単に魔法の説明をする。そうしたらお主は三日間でこの本を全て読破し、内容を理解しなければいけないよ」
「分かりました」
 もちろん逃げるつもりなどない。ダーマ八賢者の貴重な時間を使ってもらっているのだ。どんなことでもしてみせる。
「まず、魔法というのはお主の言ったとおり、神、そして精霊の力を具現化することによって発動する。神や精霊の力を具現化するには、そうした存在に願わなければならない。力を貸してください、とな。そのために必要なものが呪文だ」
 魔法を発動させるときは、その前に呪文を唱えなければならない。高度な魔法ほど長い呪文を必要とする。
「だが、魔法を発動させるときに必要なものは実はそれだけではない。もう一つ、体の中に魔法回路を通しておく必要がある」
「魔法回路?」
「うむ。専門用語で言うと“パス”というのだがな。イメージで説明すると、こうだ」
 ラーガは一枚の紙に人間の体を図示する。
「体の中央を通るパス。これは誰しもが持っている。だが、個人差があってな。分かりやすく言えば、太い者と細い者がいるのじゃ」
「太い方が、魔法を発動させやすいということですね」
「その通り。つまり、神や精霊の力が通る道じゃな。それが魔法回路、パスというものだ」
「誰でも持っているものなのですか」
「うむ。無論、目には見えないが、確かに存在する。ある程度の太さがないと魔法を唱えることはできんのだ。訓練によってある程度回路を強化することはできる。だが、もって生まれた才能の差を越えることは難しい」
 なるほど、それで分かった。ダーマで賢者になれるかどうかを判断するのは、その魔法回路なのだ。これが優秀であればあるほど、賢者になれる可能性が高いということなのだろう。
「問題は、この魔法回路というのは一方通行なのだ」
 ラーガはその人体図に描いたパイプの中に、下矢印を描く。
「魔法には二種類ある。神の力を借りる神聖魔法と、精霊の力を借りる精霊魔法。前者は僧侶が使う魔法で、後者が魔法使いの使う魔法だ。この二種の魔法は全く違う方向に動く。このように、上から下に向かうのが神聖魔法。そして」
 逆にラーガは上矢印を描く。
「下から上に向かうのが精霊魔法と呼ばれている。というより、我々が便宜上、そのように決めているだけだがな」
「ですが、魔法回路は一方通行とおっしゃいました」
「その通り。だから、神聖魔法を使う僧侶には精霊魔法が使えん。逆もまた然り。すなわち、各個人が持つ魔法回路の向きによって、使える魔法が神聖魔法か精霊魔法かが決まるのだ。というより、最初に唱えた魔法によって、魔法回路の向きが定まる、と考えてもいい」
「つまり、魔法回路は誰もが持っている。でもそれは、一度使うまでは向きが決まっていないけど、一度でも使うとその後は向きが一方通行になる、ということですね」
「物分りがいいな。そういうことだ」
 だが、ここで当然ながら大きな問題が一つ生じる。
「質問があります」
「予想はつくが、聞いておこう」
「そうなると、どうして賢者は両方の魔法が使えるのですか?」
「そう、賢者になりたいと思う者はその問題に必ず行きつく。片道しかない魔法回路では、賢者になろうとしても無理なのだ。まず、賢者のことを考える前に、僧侶から魔法使いに転職した場合のことを教えておこう」
 再び図に戻り、ラーガの指が人体図の上から下に流れる。
「神聖魔法の回路はこのように流れる。それが何度も使ううちに次第に、魔法回路の固定化現象が起こる」
「固定化?」
「回路は一度流れてしまえばいつまでも一定方向に流れることは話をした通りだ。そして魔法を発動させるには、呪文と精神力が必要だ。呪文は魔法発動のためのスイッチ、精神力は回路を動かすための動力と考えればよい。ここまではよいか?」
「はい。回路の太さ、細さが呪文が発動するまでの抵抗となるわけですね」
「飲み込みが早い。そう、そして、ある一定のレベルに達した僧侶の魔法は、魔法力があって呪文を唱えれば、自動的にその回路が動くようになる。それは、魔法回路の向きには関係がないのだ」
「それが回路の固定、ということですね」
「そう。そして転職とは、この魔法回路の向きを強引に反対にすること」
 図の下矢印に×をつける。
「向きが反対となるので、魔法使いの精霊魔法が使えるようになる。こうなると新たな神聖魔法を覚えることはできないが、そのかわりこれまで使ってきた神聖魔法は回路の向きに関係なく発動させることができるようになる。まあ形としては回路に逆流する形になるが、ある程度神聖魔法を使って経験をつめば、それも可能になるということだ」
 なるほど、二つの魔法の種類はそうやって区別がされているのか、と納得する。
「では賢者はどうなのですか?」
「そう、この原理から行くと賢者というのは明らかに特殊だ。いつでも神聖魔法、精霊魔法を使うことができ、なおかつ新たな魔法を覚えていくことができる。これはかなり異質だ。過去、あらゆる魔法使い、僧侶たちがこの難問に挑み、その結果ある解が導かれた」
 ラーガはその図に、両方向に向かう矢印を描いた。
「つまり、賢者の魔法回路は双方向なのだ」
「双方向。どちらに向かうこともできる、ということですね」
「そう。好きなときに好きな方向に魔法力を流すことができる。そういう特殊な回路を形成していると考えた。そして数多の魔法使い、僧侶がその難問に挑んだ。その結果うまくいったのは、そうさな、悟りを開く、とでも言おうか。それができたのは確認できるだけで歴史上でもダーマでたったの二十人。現代はたったの八人だけだ。世界中を見てみればもう少し人数はいるが、それでもダーマに過半数がいる以上、ごく限られた人数しかおらんのは瞭然だ」
 それがダーマの八賢者だ。まさに賢者とは歴史に名が残る職業ということだ。
「難しいのですね」
「うむ。だが、ここで一つ、問題がある」
「はい、分かっています」
 そう、それは明らかなことだった。
「どうして私は、神聖魔法と精霊魔法の両方が使えるのでしょう。私はまだ、何の悟りを開いてもおりません」
「それが一番の問題だ。昨日、早速お主のことがダーマ八賢者の会議で話題となってな。ワシが面倒を見ることになったと言ったら、他の七人が悔しがっておったよ」
 そのときのことを思い出したのか、ラーガがほっほっと笑う。
「二つ、考え方がある」
「はい」
「一つはお主が生まれながらの賢者だというもの。つまり、生まれながらに双方向の魔法回路を持っていたということだ。つまり、お主は既に賢者だ」
 ルナが目を見開く。
「まさか」
「驚くことはなかろう。賢者とは知識を持ち、僧侶、魔法使いの両方の魔法を使いこなすもののことを言う。お主は知識はともかくとしても、神聖魔法・精霊魔法を使っているのだ。おかしくはあるまい」
 あれだけなりたかった賢者に、既になっている?
「……ですが、私は賢者としては」
「無論だよ。お主はまだまだ未熟だ。レベル一の賢者よりレベル三の魔法使いの方が強い。当たり前のことだ。それはそれとして、もう一つの考え方。ワシとしては、この可能性が高いと踏んでいるのだがな」
「それは」
「うむ。もしかすると、そなたの魔法回路は二本、あるのではないかということだ」
 魔法回路が二本。つまり、精霊魔法専用回路と、神聖魔法専用回路。
「まさか」
「ありえなくはないよ。それについては既にダーマの中では何度も議論されていた。世の中にはこの魔法回路が全くないものもいるのだ。それを考えれば、全ての人間が一本しかないという考えはおかしい。二本でも三本でもあっていいのではないか。いや、もしかしたら人間には魔法回路が数本あって、知らないうちに全ての回路がどちらかの向きに固定されてしまっているのではないか。このあたりは全く結論が出ていない。ただ、幼子に魔法使いと僧侶の魔法を同時に習わせたが、やはり片方しかできなかった。まだまだ魔法の研究は終わりを見せんよ」
 これがダーマだ。日夜魔法の研究にいそしみ、新たな発見を求めていく。真理の探究。それがここにはある。
 そして自分は、その格好の実験材料なのだ。
「ラーガ師が私を引き受けてくださったのは、実験材料としてみるためですか?」
「それがないとは言わぬよ。だが無論、モルモットのように扱うつもりはない。お主が成長することによってさまざまなことが明らかとなろう。ワシはそれを傍で見て研究するだけだ。お主はお主の望みのままに成長し、いつか勇者を補佐するだけの力を手に入れる。そうでなければ、多忙な八賢者が弟子を取るはずはないよ。何しろワシ自身、弟子を取ったのはクラウン以来、お主で二人目だ。無論、お主が指導に値しないと判断すればそれまでだが」
 その言い方には少し反感を覚えたが、それくらいどうということはない。自分は賢者になりたくて、その最短ルートを提示してくれているのだ。単純な善意で行われるより、目的がはっきりしている方がずっといい。
「分かりました。私はまず、自分の力を高めることだけを考えればいいのですね」
「そうだ。それがワシにとっても、お主にとっても一番だ。それからお主はどちらかというと精霊魔法の方がまだ弱い。精霊魔法の指導にナディアをつけさせよう。あやつはこのダーマでも指折の教官だ。神聖魔法の方も腕の立つ者を準備する」
「ありがとうございます」
「よし。それでは訓練場に行くか」
 ラーガはそう言って立ち上がる。
「訓練場ですか?」
「うむ。お主が本当に言っただけの魔法が使えるかどうかを確認する。その上で改めて考察することもあろう」






 その後、魔法実験場でメラとヒャド、マホトーン。格闘訓練場で兵士を相手にラリホー、ピオリム、ホイミを使い、間違いなく神聖、精霊魔法の使用が確認された。
 その日『僧侶・魔法使いの両方の魔法を使う十歳の少女』の噂はダーマ中を瞬く間に駆け回った。
 格闘訓練場に後から入ってきたソウは、手合わせした相手からその話を聞いて苦笑した。
「やれやれ、あいつ、すげえ奴なんだな」
 無論、自分とて負けてはいられない。誰よりも強い魔法剣士となるために、ソウの訓練はその日、夜中まで続いた。






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