Lv.6

限界を知り、限界に挑む








 本を読むのは楽しい。自分の知らなかった知識がどんどん頭に入ってきて、そこからさらにいろいろな疑問が浮かび、もっと本が読みたくなる。
 ムオルには本がまるでなかった。長老のところにいくつか、神官様のところにいくつか。それで全て。普通の家には本どころか紙もなかった。記録するという習慣がなかった。いかに原始的な生活だったかは自分がよく分かっている。
 だから全ての本の内容は頭に入っていた。そうするのが当然だと思った。ただ、ここには本が多すぎる。三日で十冊を読むのはいい。ではダーマにある全ての本が読めるのかといえばそうはならない。
 まずは必要な本から随時読んでいけばいい。それは分かっているのだが、早く次を、さらに次を読みたくなる。物足りない。もっと読みたい。もっと知識がほしい。
 ラーガ師から渡された十冊。
『魔法基礎理論一(総則)』
『魔法基礎理論二(神聖魔法・上)』
『魔法基礎理論三(神聖魔法・下)』
『魔法基礎理論四(精霊魔法・上)』
『魔法基礎理論五(精霊魔法・下)』
『魔法回路のしくみ』
『魔法力原理』
『呪文構築概論』
『魔法抵抗原理』
『中級魔法理論』
 これらはいずれも魔法学の一番の基礎であり、魔法を発動させるためのマニュアルともいえるものらしい。まずこの本を全て読みきるまでが大変だった。
 どれから読めばいいのかも分からなかったが、基礎理論総則から読み始める。さすがに基礎の最初だけあって、初心者にも分かりやすく書かれている。

『魔法とは、神、もしくは精霊の力を借りて、この地上では本来ありえない力を具現化するものである』
『魔法を発動させるためには、魔法回路(パス)、魔法力(マジックポイント)、呪文(スイッチ)の三種が必要である』
『パスは個人によって容量の差があるが、基本的な仕組みは同じである。パスの入り口は一つだが、出口は無数にある。一つの入り口にマジックポイントを注入し、正しいパスルートを通して出口に導くことで魔法が完成する』
『パスは全部で七つのセクションに分かれている。一つのセクションごとに七本のルートが伸びる。したがって、ルートの数は七の七乗数、すなわち八二万と三五四三の出口が存在する』
『魔法はセクションを正しく導くことで発動するが、初級魔法は多少間違えてもきちんと発動する。だが、魔法が上級になるにつれ、正しいパスルートを通らなければ発動しない仕組みになっている』

(神官様の言っていたことだ)
 魔法はすべてイメージなのだと。ホイミの魔法で体を癒したいのであれば、正しい魔法の流れをその体に通すことが大事なのだと。
「上から下へ、直線を描くようにイメージしなさい、そうすればその魔法はきちんと発動する」
「解毒の魔法は、体の中の不純物を取り除くことを考えなければいけないよ。だから、体中に魔法の力が行き渡るようにしないといけない」
「魔法封じの魔法は、相手の魔法が発動できないようにするものだ。だから、魔法の流れを止めるイメージを作りなさい。魔法の流れは真ん中ではなく、周りを通っていくように」
 確かに神官様は魔法の使い方を分かりやすく教えてくれていたのだろう。それが今の自分に生きている。
 下級魔法はおそらくそれで充分なのだ。つまり、理論など知らなくても使える。ただ魔法力を思ったところに『だいたい』流せればいい。
 問題はそこから先だ。中級魔法になったら、最初の三セクションを通すところまでで間違えたらアウト。三セクション目が多少間違えても何とかなるくらいだ。上級魔法まで来るともまさに神の領域だ。八二三五四三のルートから、正しい数百の出口をぴたりと選んで魔法力を通さなければならない。これができるから上級魔法使いは凄いのだ。
 当然、正しいルートだけに魔法を流すのだが、初級魔法のように『だいたい』はきかない。だいたいで住むのなら魔法力も少しで充分だ。だいたいのところに流すだけでいい。だが上級魔法ともなれば数百のルート全てに正しく魔法力を流さなければならなくなるため、必要とされる魔法力も半端ではない。メラに対してメラゾーマはおよそ五倍から十倍の魔法力が必要となる。
 そうした魔法を発動するための基本知識が一冊目。
 二冊目から五冊目までは、各初級魔法を発動させるためのパスルートが詳しく説明されている。また、そのパスルートに関する幾多の学説や研究結果なども合わせて書かれている。だが、マニュアルとして使うだけならば学説は必要ない。その通りにやれば魔法は使える。
(でも、それじゃいけない)
 理屈をしっかりと覚え、魔法学の基礎を知り、自分で魔法というものの原理原則を知る。そうすればこの先、中級魔法や上級魔法を覚える段階にいたっても大きな問題は起こらないはずだ。
 六冊目の『魔法回路のしくみ』は、七つのセクションに加え、八二三五四三のパスルートに関する調査研究記録のようなもので、だいたいどのセクションにどのような効果が発生するのかということが説明されている。
 七冊目の『魔法力原理』は人間の魔法力、すなわちマジックポイントの仕組みに関するもの。
 八冊目は『呪文構築概論』で、初級魔法を正しく発動するための呪文が全て書かれている。
 たとえばメラという魔法一つとっても正しいとされる呪文がある。『炎の精霊よ、深遠より来たりて我が力となれ!』と唱えるというのだ。だが、必ずしもこの通りにしなければ唱えられないというものでもない。そもそも自分だって体の中を炎が通るところをイメージして「メラ」と言えばそれだけで魔法が発動した。だが、起動呪文の効果は間違いなくあるらしく、初めて魔法を覚えるときにはこの呪文を唱えさせてから発動するのだという。
『魔法抵抗原理』はどのような内的・外的環境が魔法の発動を阻害するか、というもの。
 そして最後の『中級魔法理論』は、中級魔法を唱えるために必要な基本的思考パターンが書かれている。はっきり言って『基礎魔法理論』の五冊をあわせたよりもずっと難しい。
 一通り読みきるまでに二日かかった。あと一日あるが、ルナはそれを実践で確認したいと考え、三日目に魔法実験場に行くこととした。
 実験場にはナディアがいた。
「ナディア師。よろしくお願いします」
「ええ。話は聞いているわ。精霊魔法に関して私が教えるのね」
「はい。よろしくお願いします」
「かしこまらなくてもいいわよ。あなたの噂はもうダーマ中の人間が知ってるし、私もあなたの力を上げることが任務ですからね。ただ、容赦はしないわよ」
「はい。真剣にやります」
 無論真剣にならざるを得ない。自分がどのような待遇を受けているにせよ、まだここに来て数日しか経っていないのだ。
「基礎魔法理論はもう全部読んだのかしら」
「はい。初級魔法のパターンは全部頭に入れてきました。それを試したいんですけど」
「いいわ。私が受けるから、まずは思ったとおりに魔法を使いなさいな」
 彼女は右手に魔力をためて受ける準備をする。
「分かりました」
 そして魔法を構築する。魔法力を全身にためて、体の下から上へ魔法力を駆け上らせる。
「炎の精霊よ、深遠より来たりて我が力となれ!」
 全身にパスルートを描く。そして、正しいセクションを通して右手に魔法力を出力する。
「メラ!」
 拳大の炎がともる。その大きさにルナ本人が驚いた。
(いつもよりずっと大きい)
 だが、いつまでも待っているわけにはいかない。その魔法をナディアに向かって叩きつける。
 ナディアはそれをヒャダルコの魔法で散らした。
(今のは、正しい呪文を唱えたからと、パスルートを正確に思い描くことができたから)
 だからいつもより強い魔法が発動した、ということだ。たった二日間で、本を十冊読んだだけで、こんなにも違うものか。正しい理論に基づいた魔法というのはこれほど違うものか。
「呪文を唱えないと発動できないの?」
 だがナディアはそれでよしとしなかった。
「いえ、ただ試したかったんです。今まで正しい呪文で魔法を発動させたことがありませんでしたから」
「呪文は大切よ。でも、レベルが上がるほど早く、強力な魔法を使わなければならなくなる。呪文は効果を増大させることはできても、実戦的なものではないわ」
「分かりました」
「さあ、次々来なさい。あなたの魔法力の続く限り」
「はい」
 そしてまた魔法を思い浮かべる。体にパスルートを思い浮かべ、両手に出力する。
「ギラ!」
 パスルートを知ったことで放つことができるようになった魔法。無論、まだ試したわけではないが、成功する自信があった。
「ギラ!」
 ナディアもそれを魔法で受け止める。大気中に閃光が弾け、お互いの魔法が消滅する。
「ギラが使えるとは聞いてないわよ」
「はい。魔法基礎理論を読んでいて、ギラとイオは使えると思ったので」
「イオも? いいわ、試してみなさい」
「はい」
 また思い描く。今度は下から競りあがってくる魔法力を四方向に分散させる。両手と両足。そこから出力させるイメージ。体全体から魔法を放ち、敵全部にダメージを与える爆発の魔法。
「イオ!」
 爆撃がナディアを襲う。だが、同じく発動させたイオの魔法によって相殺される。
 爆発が治まってから、ナディアは一つ頷いた。
「たいしたものね。たった二日で魔法を二つも覚えたというの」
「精霊魔法の方がイメージしやすかったので、たぶんできると思ったんです。それに、ナディア師だったら自分がどれだけ魔法力を高めても、全部受けてくださると思いましたから」
 無論そのつもりだ。だが、今のルナの台詞は「いつか必ず超えてみせる」という表現にも聞こえた。
「ラーガ師が入れ込むわけね。私もあなたみたいな弟子を持ちたくなったわ」
 だが、これほど飲み込みのいい生徒は出てこないだろう。ムオル出身ということだが、はたしていったいどういう因果でこのような才女が辺境の村に生まれたのか。
「たいしたものね。たった数日でレベルアップしてくるなんて」
 ラーガが手ずから育てようという理由が分かる。この少女を見ていると、自分のできるかぎりのことを教え込んで、自分よりはるか高みを目指せる賢者になってほしいと思う。
(これが教育というものかしらね)
 何故人は教えるのか。それは、自分のできなかったものを人に伝え、さらにその先を目指してほしいからではないのだろうか。
 ならば、自分がこの子にしてやれることはなんでもしてやらなければならない。そうしてこの子は確実に伸びていく。
「いいわ。中級魔法はまだね?」
「はい」
「なら今日は、その魔法力が尽きるまで魔法を打ち込んできなさい」
 突然言われて、さすがにルナも驚いた。
「尽きるまで、ですか?」
「そうよ。自分の限界を知ることができるし、限界を超えて魔法を放つことでその人間の容量が格段に増す。さらには魔法を多く使うことによってパスが体になじむからどんどんレベルアップしていく。初級魔法を多く使えば、それが中級魔法に活きてくるし、悪いことなんて何もないわよ」
「は、はい」
 鬼がいる。鬼教師がいる。この人本気で、自分が倒れるまでやるつもりだ。
「さあ、いいわよ。そっちが動かないなら、こちらから行くけど?」
「いえ、やります!」
 こうなればもうやるしかない。
 ルナは渾身の力を振り絞って次々に魔法を繰り出していった。






 目が覚めると、そこは医務室だった。
 最初の日にソウから案内されたので見覚えがある。ゆっくりと体を起こすが、まだ全身がだるい。
 結局あの後、メラを三回、ヒャドを二回、ギラを三回、イオを二回放ったところで力尽きた。最後はほとんど気力で放っていたが、それすらかなわなくなってナディアのメラを正面から受けたのだ。
(どこも火傷してない)
 手加減したのか、それとも癒してくれたのか。いずれにしても自分が叩きのめされたことだけは確実だった。これではいけない。早くレベルアップして、誰よりも強くならないといけない。
 賢者として、勇者の傍にいるためにも。
「起きたか」
 と、声をかけてきたのはもうすっかり聞きなれた相手だった。
「ソウ」
「よ、案外元気そうだな」
 ソウは笑顔で近くから丸椅子を持ってきて座る。
「看病しててくれたのですか?」
「いや、ただ見舞いに来ただけだよ。お前が倒れたって聞いたからさ、あわくって飛んできた」
「そうでしたか。心配をおかけしてすみません」
「いいって。なんつーかお前、ほっとけないタイプだからさ」
 顔をしかめる。
「私はそんなに、頼りないですか?」
「いや、逆。俺より一つ下なのに、すげーしっかりしてると思うよ」
「ではどうして」
「しっかりしすぎてるからだろ。なんか放っておくと危ない感じがしてならないんだ。一人で突っ走って、そのままぶっ倒れそうな感じ」
「やっぱり頼りにされてないんですね」
 はあ、とルナはため息をつく。
「そうじゃないって。がんばりすぎて、精神が切れないかって勝手に心配してるだけだからさ」
「私は大丈夫です。自分にできることをできる限りしているだけです」
「うーん」
 ソウはうなってしまった。自分の何がいけないのか、ルナには分からない。だがそれはソウには痛いほど分かるのだろう。
「お前さ、俺みたいに背負ってるものないんだから、少しは肩の力抜けよ。俺より張り詰めてるだろ」
「張り詰めてはいけませんか」
「悪いさ。弓もずっとつがえていたら弦が緩んでしまう。集中するときとそうでないときをきちんと区別できるやつがちゃんと力をつけていくんだ」
 ソウの言っていることも分かる。だが、ラーガの期待にも応えたいし、自分もできる限りのことがしたい。今は自分がやりたいだけやっているのだ。これを変えたくはない。
「分かりました。忠告、きちんと受け取ります」
 とはいえ、ソウの言いたいことも分かる。あまり肩肘張りすぎるのもよくないのは分かっている。だから少しだけ、休む時間を持つことに決めた。
「ああ。ま、分かってくれたんならいいけどさ」
 ソウは頭をかく。
「でも、お前は見張ってないと、ほんとどこか飛んでいきそうだよな」
「私は凧かなにかですか」
「似たようなもんだろ。切れるとどこに行くか分からない」
「ひどいです」
 むっ、とむくれる。だがその顔がおかしかったのか、ソウに大きく笑われてしまった。
 悔しかったので、その日はもうソウとは口をきかなかった。






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