Lv.9
時の流れよりも早く、遠くへ
そうしてルナは着実に魔法を習得していった。
最初のメラミを皮切りに、ほぼ一日か二日ごとに別の魔法が使えるようになっていく。その成長ぶりを間近で見続けていたナディアは、もう嫉妬という感情すら出てこない。
感心する。圧倒的な才能の差に。
(この子が全部の魔法を本当に三ヶ月で使いこなせるようになったら、多少は私の力が貢献したと思っていいのかしら?)
別に自分などいなくとも彼女は一人でやっていけるような気すらする。だが、ルナはもっと教えてほしいとナディアに頼りきっている様子だった。
次の日にマヌーサを覚えた彼女は、続けざまにスカラ、ルカニ、スクルト、ルカナンと覚え、さらにはキアリク、ザメハ、ニフラム、アバカム、トラマナ、インパスといった魔法を集中的に取得していく。
何故攻撃魔法を先に覚えないのか、と尋ねると彼女は答えた。
「私はいつこの町を出ていくか分かりません。十年後かもしれませんし、明日かもしれない。そうしたら攻撃魔法は一つあればある程度足ります。でも、補助魔法はその場に応じて必要な魔法が異なります。私が勇者様の役に立つのなら、少しでも多くの補助魔法を覚えるべきだと思いました」
この志の高さこそが、彼女を天才たらしめる所以なのかもしれない。
まだ一ヶ月。この段階で既に二五の中級魔法のうち一二を覚えている。この成長の早さ。
それからさらに一週間。なぜか苦戦していたキアリクを突破すると、すぐにマホトラとマホカンタ、フバーハ、ボミオスと続けざまに効果魔法を覚える。
彼女のすさまじいところは、必ず復習を入れるところだ。他の魔法がすぐに発動できるか、毎日それを確かめながらさらに次へと進んでいく。パスルートを覚えるだけでも大変なのに、それを忘れないためにも力を費やしている。何という才能か。
さらに一週間。だんだんと難しいものが残る。シャナクとメダパニを覚え、あとは実戦的なものだけが残された。
だがそれもあっさりと駆け抜ける。バギマ、ヒャダルコ、ベギラマを取得し、さらにベホイミも使えるようになった彼女に残された魔法は、あと一ヶ月強を残してイオラとヒャダインのみとなっていた。
(三ヶ月は当然クリアできるものとして)
残り五日で二ヶ月が経過する。
(ラーガ師の予測をはるかに上回るスピードね。ここはあと五日で両方とも覚えてもらわないと)
既に根回しはしてある。彼女はその日の特訓が終わったらすぐに東の塔へと向かった。
(つかれたあ)
ルナは部屋に戻ってくるなり練習着のままベッドに倒れた。これだけの魔法を連日使っているのだから、疲れないはずがない。日課のランニングもきちんと続けている。辛いが、体力はついてきたと思う。
(ごはん、食べないと)
だがここ最近は自分で作る気力もない。たいがいは食堂ですませて終わりだ。
重い体をなんとか持ち上げたところで部屋の扉がノックされた。
「よう、生きてるか?」
もう聞きなれた声。ソウのものだ。
「はい、大丈夫です」
扉を開けると、そこに無邪気に笑う少年の姿。
「食事でもどうかと思ってきたんだけど」
「ちょうどそうするところでした。一緒に行きましょうか」
「ああ。それで、ちょっと街に出ようと思ってるんだ」
意外な提案だった。たいていソウと食事をするときは食堂で終わらせることが多い。それは自分の体調を気遣ってくれているからだと思っていたが。
「いや、ほらさ、ジュナ兄のこと覚えてるか?」
「ええ、もちろん。毎朝ご挨拶しています」
ジュナはこのダーマの門番だ。たいていは南大門の勤務についている。そしてルナがダーマから丘のところまでランニングするとき、必ずそこにいて応援してくれる。
「そのジュナ兄が、今度ルナを連れてこいってうるさかったんだけどさ、今日食事することになってそれでお前を連れてこいって」
「そうでしたか。私が同席してもいいんですか?」
「もちろん。だって、兄の誘いだぜ? むしろ俺なんかいなくてもいいっていう感じだった。本当ロリコンかよ」
くすっ、とルナが笑う。
「では、お言葉に甘えまして」
「そう言ってくれると助かるよ。ここんとこあいつも忙しいからって断り続けてきたんだけど、兄がなかなか納得してくれなくてさあ」
「夜は特別忙しいわけでもないですよ」
「でも疲れきってるだろ。せっかくの休みに連れまわすのは嫌なんだ」
ああ、やっぱり。ソウは自分のことを考えてくれている。自分とほとんど変わらない年で、よくここまで気を回せるものだと感心する。
「ソウは優しいですね」
「そんなことねえよ。当然の考えだろ」
「いいえ。ありがとうございます」
そうして二人は夜のダーマに出かけていく。
不夜城とまではいかないものの、ダーマの夜はにぎわう。多くの旅人が立ち寄るこのダーマでは二十四時間開いている店というものも存在する。
「どちらへ行かれるんですか?」
「こっちだ。ちょっと裏通りだけど、うまいぜ」
連れられていったところにみすぼらしい店がある。回りも暗くて少し入るのがためらわれたが、ソウが一緒だから心強いと考え直す。
入ると中はにぎやかだった。テーブル席には既にジュナがいて、こっちに向かって手を振っている。
「おお、来た来た。待ってたぜ、お二人さん」
ジュナは既にビールを飲んで上機嫌だ。既に料理は並べられている。ご丁寧に三人分だ。もし自分が来なかったらどうするつもりだったのだろう。
「お待たせしました」
「なに、ルナちゃんのためならいくらでも待ってるぜ。なあソウ」
「俺に振るなよ。食べていいのか?」
「ああ、今日は給料出たからな。俺のおごりだ」
「じゃ、一番高い奴」
「ざけんなよてめえ」
もちろんソウも本気で言っているわけではない。仲のいい二人に思わず笑みがこぼれる。
「そういえば、お二人はどういう関係なんですか?」
言われて二人は顔を見合わせる。
「なんでだっけ」
「忘れたな。お前がここに来たときのことなんて知らねえし、俺」
「俺もジュナ兄といつ会ったのかなんて覚えてないな。気がつけばよく一緒につるんでるけど」
「ああ、そうだ、あれだあれ。ダーマの近くにやけにモンスターが繁殖しやがったとき」
「そっか、それが最初か」
話の内容についていけない。
「何の話ですか?」
「ああ、去年だな。ダーマの北西の山岳地帯からモンスターが押し寄せたことがあってな」
「そんときに一緒に協力したんだよな。あんときジュナ兄が仲間助けるために前線で居残ってさあ」
「やー、あんときは本気で死ぬと思ったね。だがまあ、俺一人死んで三十人が逃げられるならまあいいかなって」
「よくねえっての。仕方ないから俺が助けに行ったんだろ」
「それでお前、あんときまだ十歳だったっけか? そのくせ強いのな。びびったぜ、ありゃ」
「モンスター撃退数は兄の方が多かったぜ」
「そりゃ戦場にいた時間の長さの差だろ。現にお前が来てからはお前の方が倒した数が多かったぜ」
「それも兄がもう疲れてたからだろ。今だって兄はこのダーマじゃ一番の使い手なんだし」
初めて会ったときもそのようなことは言っていた。だが、こんな風に改めて紹介されると、相手の凄さを感じる。
「傭兵の中にだって強い奴はいるさ」
「去年のダーマ武闘会で槍部門の優勝者が何言ってんだよ」
「うるせえよ、少年部門の優勝者」
二人の会話に思わず言葉をなくす。二人ともただ単に強いだけではない。本当にこのダーマで上位にいる人たちなのだ。
「すごいですね」
「俺からしてみりゃお前の方がすごいよ。二ヶ月でどれくらい覚えたんだ、魔法」
「二十ちょっとです」
「そりゃ天才以外の何者でもないな」
ジュナが続ける。
「いまだにソウはメラとヒャドしか使えないんだから」
「当たり前だろ。今の俺は魔法に割ける時間なんか多くない。それよりも確実に魔法を唱えられるようになることと、自分の体を鍛えるのが先だ」
肉をほおばりながら言う。
「最終目標はもちろんメラゾーマとか唱えることだけどな。俺はルナみたいに頭がいいわけじゃない。覚えるのは少しずつでいい。そのかわり、自分ができることだけは誰にも負けたくねえ」
「それなら別にあれこれ全部覚える必要なんかないだろ。徹底的にメラ、メラミ、メラゾーマ、これだけ覚えてしまえばいいんだ。それにほら、メラを剣にこめて、魔法剣! とかかっこよさそうだろ」
「どこの御伽噺だよ、それ。魔法剣なんて理屈でできるわけないだろ」
「そんなことはないと思います」
だがジュナの意見を支持したのは意外にもエキスパートのルナであった。
「へ?」
「実際、そういう研究をされている方がダーマにもいらっしゃいます。まだ実用化されていませんけど、その可能性はあるそうです」
「誰が?」
「西の塔にいらっしゃる『力の賢者』レオン師です。上級魔法のバイキルトの使い方を簡単にですがご指導いただきました。ヒャダインよりも簡単に覚えられそうです」
ルナが少しはにかんで言う。
「本当に?」
「ただ、師もあまり武器そのものに詳しくないので、協力者が必要だというようなことをおっしゃっていました。よければご紹介できますけど」
「是非!」
意外なところにつながりというものはあるものだ。
「へえ、ルナちゃんって顔がきくんだなあ」
「まだお会いしていない方もいらっしゃるんですけど、西の四師とは懇意にさせていただいてます」
「ま、ラーガ師のお気に入りならそうだろうな。でも東の四師とはあまり話してない、と」
「はい。いろいろと教えを請いたいとは思っているのですが、ダーマの西と東はけっこう距離がありそうです。一つにまとまることができればいいのですが」
もちろんそれは物理的な距離というわけではない。西の派閥と東の派閥。その精神的な距離は物理的なものをはるかにこえる距離があるというのだ。このように、ダーマが事実上二つに分かれているというのはあまり知られていない事実だ。だが、賢者たちに近い人間ほど、そうしたことが浮き彫りにされていく。
「お、もうこんな時間かよ」
と、突然ジュナが腰を上げる。
「あ、なんだよジュナ兄。呼んでおいてもうお開きか? つかまだ全然食ってねえ」
「ああ、もう先に払いは済ませてるから、好きなだけ食ってけよ。お前がちんたらしてっからもう仕事の時間なんだよ」
「忙しいんだな」
「ああ。というわけで、今日はありがとな、ルナちゃん。全然話せなかったけど、また一緒してくれたら嬉しいぜ」
「はい。ジュナさんも、お仕事がんばってください」
「ルナちゃんみたいな可愛い子に言われたら元気が出るな」
気をよくしたのか、ジュナは笑顔で応える。
「おい、兄」
「なんだよ、俺が誰にコナかけようとお前には関係ないだろ」
「そうだけど、そうじゃねえ」
「わーかったわかった。まあそういきりたつな。ま、後は二人で好きなだけ食べてきな。俺のツケだって言えばいくらでも注文できるから」
そう言ってジュナがいなくなる。「ったく、ジュナ兄の奴」と愚痴をこぼした。
「仕事があるのに誘ってくださったんですね」
「それが本当かは知らないけど、これはジュナ兄がわざわざ企てたな」
「くわだてた?」
鸚鵡返しに尋ねるルナ。
「ああ。多分、俺とルナが仲がいいから、うまく取り持とうとしたんだろ」
「ああ、そういうことですか」
言われて納得する。だが、自分たちはまだ少年と少女で、しかもお互いそういう気持ちを抱いているわけではない。
「無駄なことしやがって、兄の奴」
「確かにそうかもしれませんが、でもソウと一緒に食事ができるのは嬉しいです」
自分にとって、この誰も知らない空間に、唯一信じられる味方。それがソウの存在だ。だから確かに自分も恋愛感情を持っているわけではないが、それでもソウに対する信頼は厚いし、一緒にいられるのは嬉しい。
「それならいいけど。俺もルナと一緒にいるのは楽しいぜ」
「ありがとうございます。でも私はこういう性格ですし、一緒にいても面白くはないと思いますが」
「何言ってんだ。こんなに面白い奴がそうそういるもんかよ。それになんつーか、妹を持ったみたいだしな」
「あ、それは私もです。頼りになるお兄さんがいるみたいで」
お互い同じようなことを考えていたのか、とほっとする。
いつも自分はソウに迷惑をかけてばかりで、何も返せていない。食事をおごるだけで充分とソウは言ってくれるのだが、そういうことでしか返せないのがとても心苦しかった。
だが兄妹なら、もっと頼ってもいいものなのかもしれない。
「それじゃ、せっかく兄妹水入らずなんだし、ゆっくりしていくか」
「はい」
そうして二人は普段の修行の話をしあう。
ソウの剣術はさらにレベルが上がっているらしく、少年同士では無敵に近い。だからいつも年上とばかり戦って、さらに磨きをかけている。目指すところが高いと、自然と力は上がっていくものらしい。
一方、ルナの魔法もこの二ヶ月で飛躍的に進歩した。もともとの才能がダーマという優れた環境によって花開こうとしている。
だが、ルナは自分の周りにいる魔法使いや僧侶たちが、自分と同じように覚えていくことができないのが逆に理解できていなかった。それほどルナにとって魔法を覚え、使うということは自然なことであった。
「ま、お前は別格なんだろうけどな」
ソウはできるだけ明るく言った。
「魔法の素質が高いからラーガ師が直接教えてくれてるんだし、自分が少しは才能があるって認めればいいだろ」
「ですが、それは努力を放棄しそうで怖いです」
自分が確実に力をつけているのは、毎日限界まで努力しているからだ。才能があるからとおぼれてしまっては努力などしなくなる。
「ま、そうだな。努力しなくなったらラーガ師が見てくれるはずもないしな」
「はい。だから私はもっとがんばらないと」
ラーガ師が指示した三ヶ月という期間。それを大幅に短縮することができれば評価はさらに高くなる。
「私はもっと強くなりたいです」
「同感だ」
結局、この二人にとって話す内容というのは、そうした真面目なものでしかなかった。
それでも一緒にいられることが楽しい。分野は違えど同じく『上』を目指す者同士。
ルナにとってはこの上ない『味方』であった。
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