Lv.11

白き闇を打ち払う気高き夢








 一通り話を終えると、タイロン師は深く頷いた。
「今の話、ラーガ師には?」
「しておりません。聞かれませんでしたから」
「別に秘密にするような話ではない、ということか」
「あまり言いまわられるのは困りますけど、はい」
 そう、別に秘密にするつもりはない。あの場で聞かれたら答えるつもりだった。ただ、ラーガの方からオルテガやサイモン、リュカの話が出て、なんとなく言いづらくなってしまったのは確かだ。
「リュカか。確かに優秀な男だった」
「ご存知ですか」
「あれほどの才能を持つ者はお前を除けばおるまい」
 リュカとルナを比べればどちらが上か。無論現状の力量でルナがリュカにかなうはずがない。だが、リュカが十歳のときにルナほど魔法が使えたか。たった二ヶ月で魔法を二十も三十も覚えたか。才能だけならばどちらが上かなど、火を見るより明らかだった。
「何を教えても分からないということはなかった。東と西との間をうまく行き来して、誰からも教えを請うようになっていた。おそらくあいつがいた頃が、派閥抗争の一番穏やかだった時期だな。今は東と西が完全に独立してしまっている状態だ」
 それも賢者たちがおさえられる範囲内なので問題とは考えていないということになる。
「リュカの本当にすごいところは、あの人徳だ」
「それは分かります。とても優しくて、温かい人でした」
「そう。上にも下にも分け隔てなく、誰に対しても優しい。あれほど誰に対しても同じ態度が取れるというのは、ある意味ですばらしいことだが、ある意味では残酷でもあった」
「残酷ですか」
「そうとも。彼のおかげで救われたものは数多い。今の八賢者の中に、リュカのおかげで力をつけた者は三人いる。だが、リュカはそうやって相手を助けることはあっても、助け続けることはしない。何故ならば、リュカが助ける相手は一人だけではないからだ。分かるか」
「なんとなく。助けられた方が、いつまでもリュカ様を頼みにすることができない、ということですね」
「そうだ。特に命を救われたりなどしたら、あの甘いマスクに優しい性格だ。女なら誰でもイチコロになる。だが、リュカにとって男も女も、誰も『特別』にはならない。助けるのはリュカの義務であり、生きる理由のようなものだ。誰か一人を愛するということができない」
 実際に何かトラブルがあったのだろう。そのことを思い返しているような表情だ。ナディアもその話は知っているのだろうか。
「ですが、リュカ様は最後、オルテガ様と一緒に行動されました」
「そうだ。それがリュカにとっての唯一の『特別』だ。自分は勇者のためにだけ生きていると、ダーマに来たときからそう言っていた」
「賢者は勇者を助けるもの、ですか」
「むしろあいつは最初から、勇者の力になるために賢者になった。最初から目的が決まっていた。だから自分の行動がブレることがない。常に前だけ向いて進むことができた」
 聞けば聞くほど、リュカという人物がどれだけ優れているかが分かる。というより、それだけのことを考えられる人物がいることが驚愕に値する。
「話がそれたな」
 タイロンが話を戻す。さて、といよいよ魔法の訓練の話に変わった。
「ヒャダインを覚える、ということだが」
「はい」
「もうパスルートは暗記しているか」
「はい。二三三、全て」
「第六セクションまでだな」
「はい」
 ヒャダインは第三セクションから第五セクションが鬼畜で、二股、三股、四股にどんどん別れていく。そして最後に第六セクションで二三〇本のパスルートのうち一本だけ四つに分岐する。それで完成。
「では実際にやってみるとするか。隣の部屋が簡易魔法練習場になっている」
 ついてこい、とタイロンが立ち上がる。やはり武闘家か、その足取りは年齢に対してあまりに軽い。
 一度タイロンの部屋を出て、隣の部屋に入る。そこは下の魔法練習場ほどの広さはないにせよ、壁一面に魔法衝撃を吸収する素材が使われている。おそろしく高価な部屋だ。
「さて、やってみるがいい」
 言われるがままに、ルナは頷いて魔法を発動させる。
 まだ時間はかかる。だが、時間がかかってもヒャダインまで使えるようになったという事実が凄い。ヒャダインを二ヶ月必死に覚えようとしても使えるようになれない者がほとんどなのだから。
「ヒャダイン!」
『氷の賢者』タイロンに向けて、全力で魔法を放つ。
 もはや魔法力もナディアに匹敵するほど高まってきている。これで十歳。あとこれから彼女が勇者に出会えるまで、どれだけの時間、どれだけの能力になるのか楽しみだ。
 そうした魔法を全て蹴散らして、タイロンは微笑む。確かにすばらしい才能だ。これは鍛え甲斐がある。
「できたな」
「はい。ですが」
「なんだ、言ってみるがいい」
「ヒャダインの効果が、あまり高くないように感じます」
「それは正しく使えていないからだ。おそらくお前の魔法力は、ほんの少しのきっかけで格段に上がる。ヒャダインの場合は特にな。フバーハを使っておけ。私の魔法はお前たちの体など軽く吹き飛ばすぞ」
 言われてルナがフバーハを唱える。そしてナディアがルナの後ろにつき、魔法力をベギラゴンで相殺しようと唱える。
「さあ、よく見ておくがいい。これが本当のヒャダインだ」
 タイロンが魔法を唱える。直後、彼の体を中心として、全方位に低温の波動が放たれた。
「ベギラゴン!」
 ナディアが相殺し、さらにフバーハの魔法を使っているにもかかわらず、その魔法ダメージは確実にルナに届いた。なんという魔力。
(これが八賢者の力なんですね)
 しかも『氷の賢者』という異名までつく人物の魔法。一介の学生ならば会うこともならない相手の魔法を直接見る機会など、そうあるものではない。
「分かったか」
「違いは。ですが、私の何が悪いのかが分かりません」
「それは、正しいパスルートを通していないからだ」
「ですが、パスルートは二三三の全てに通しました」
「そうだ。ただヒャダインを唱えるだけならばそれで充分だろう。だが、氷の魔法を極めようと思うのなら、細かさが必要だ」
 その体格で細かさと言われても説得力がない。
「どういうことでしょうか」
「既に学習しているから分かるだろうが、そもそもパスルートというのはどれだけあったのだ?」
「七の七乗数、八二万と三五四三本です」
「そうだ。最初は一本だったパスルートが、第七セクションまでで七股に七度分岐する。つまり、パスルートに魔法力を流し込んだとき『出口は常に複数ある』ことになる」
「はい──あ、ああ……」
 最初は素直に頷いたが、それからすぐに言葉の意味が分かった。
 たとえばヒャド。この魔法は最初の第一セクションで六ルートに分かれ、そのうち二本が第二セクションで三ルートに分かれる。したがって最終ルート数が一×四+二×三で十本。
 だが、その十本のルートは出口までマジックポイントを流さなければならない。第一セクションで分けられた後、分岐しない四本も、実際には第二セクションで七ルートに分岐し、その全てにマジックポイントを通しているという仕組みなのだ。
 セクションが進めば進むほど穴ができる。そのうちのいくつかのルートに確実にマジックポイントを通せばヒャダルコやヒャダイン、マヒャドへと進化していく。つまり──
「途中のセクションで分岐を終わらせるのではなく、最後の第七セクションまで全ての分岐を行うようにしなければならない、ということですね」
「そうだ。ヒャダインの場合、特に重要なのは最後に第六セクションで四本に分けたこの分岐。その四ルート全てをきちんと第七セクションで七分岐させる。そうすれば範囲指定が確実に行われ、自分の周囲全体に魔法を放つことができる」
 なるほど、だから『ヒャダインは特に』ということか。
「よし、もう一度だ。ナディアは離れていろ。近くにいると怪我をするぞ」
 そして精神集中に入り、パスルートを思い浮かべる。
 自分の体内にある八二三五四三のルート全てを思い浮かべ、そして第一セクションから丁寧に分岐を行う。
 それ以上の分岐がないところでは、そのままマジックポイントを押し流すのではなく、次セクションの七ルート全てに分けて丁寧に流す。分岐しているところはそこだけ流す。
 そして第六セクションまで全てを完璧に分けながら、最後の分岐も七ルート全てに魔力を通す。
 完成。
「ヒャダイン──!?」
 魔法が放たれる。だが、何かが違う。
 ヒャダインを放ったはずなのに、確かに魔法が全方位に放たれているはずなのに、効果が違う。いや、違うのではなく、これは。
 暴走。
「きゃあああああああああああっ!」
 魔法力が暴発して、残っていた魔力があさっての方向に向かって壁に傷をつける。それを見たタイロンが大きな声で笑った。
「ははははは、これはすさまじい。お前、全てのルートを分岐させたな。まさかとは思ったが」
「は、はい」
 魔力が空に近いくらいになっている。いったい何が起こったというのか。
「今のはルートを分岐させた結果、マヒャドの効果も発動しそうになったのだ」
「マヒャド?」
「そうだ。そのくせヒャダインの範囲効果がついたために暴走したのだな。昔は私もよくそのミスをしたものだ。それにしても、たった一度でヒャダインを発動させるどころか、マヒャドの効果まで発動させるとは、たいしたものだ」
 これはほめられているのかどうかよく分からない。
「いいか、ヒャダインはまだ中級魔法。何も全てのパスルートを分岐させる必要はない。それは上級魔法に入ってから行うものだ」
「はい」
「確実にヒャダインを唱えたいのなら、最後の第六セクションで分岐させたところだけ、最後の第七セクションを分ければいい。それ以上は不要だ」
「分かりました」
「よし、もう一度だ」
 そしてタイロンが右手をルナの額に当てる。すると、いくらかマジックポイントが回復した。
「今のは」
「マホトラの応用だ。これでヒャダイン一回分くらいは回復しただろう。さあ、これが最後の一回と考えて、全力で打ち込んでくるがいい」
 今のマヒャド暴発でほとんどマジックポイントがなくなってしまったが、さすがはタイロン、そこまで頭に入っていたらしい。ナディアを下げたのもそうした理由だったのだろう。
(今度こそ)
 三回目。さすがにこれだけ練習をさせてもらって、ダーマ八賢者の時間を割いてもらって、これで成功しなかったら申し訳ない。
 そして何より、自分はもっと高みを目指す。このダーマで一番の賢者となり、そしていつか勇者と共に旅立つ。
 胸のお守り袋を握り締める。
(リュカ様、私に力を)
 そして、パスルートを描く。
 瞬時に、そして、確実に。
 二度の失敗から、途中までのパスルートがほぼ完璧に全身に描けるようになっている。
 そして最後の第七セクションを、確実に全分岐させる。
「ヒャダイン!」
 効果、発動。
 全方位に向けて放たれた魔法が、衝撃吸収材に吸い込まれるようにして消えていく。
「見事」
 タイロンは大きく頷く。
「本当にたいしたものだな。これだけの魔法を使えるとは──うん?」
 タイロンはそこで、倒れているルナの姿を見た。どうやら、魔法力を使いすぎて気を失ってしまったらしい。
「やれやれ、マジックポイントはまだ歳相応か」
「これでも、ダーマに来た直後よりは確実に伸びているのです」
「うむ。十歳でヒャダインを唱えられるだけのマジックポイントがあることが奇跡のようなものだからな。成長が楽しみだ。まったくラーガ師も、これほどの素材を自ら育てるのはどれほどの楽しみか、うらやましい」
「ラーガ師は放任状態です。三ヶ月の間に中級魔法を全て覚えろ、と」
「習うより調べる方が魔法に対する見方が違う。私でも中級魔法までは同じ方法を取るだろうさ。これほどの素材だ、途中で根を上げることなどなかろう」
 やはりダーマの八賢者はどこか見方が違うらしい。ナディアには理解できない世界だった。
「さて、ナディアよ。ルナを医務室まで運んでやるといい。最近のお前の仕事はそればかりだと聞いているぞ」
「おっしゃる通りです」
「だが、それを不満には思わぬらしいな。お前らしくない」
「ええ、私も自分に驚いています。これほどの逸材、私がしっかり正しい学習方法を教えておかなければ、それこそ暴走してしまいますから」
「その献身がいずれ、世界を救う糧となろう。これほどの逸材、何もせぬまま終わるようでは人間が救われぬ」
「それは噂に聞く、魔王の件ですか」
「うむ……」
 その話になったところでタイロンが口を閉じた。魔王の件は一般には出回っていない。もっともナディアくらいの人材であればラーガが教えている可能性もある。
「オルテガを上回る勇者はいずれ出る。そのとき、その勇者を補佐するのはこの娘だ。ラーガ師もあせっているだろうな。せめてこの娘が十八──いや、十五でいい。そのときまで勇者がこのダーマを訪れなければ」
 だが、それは考えても意味のないことだ。賢者であるからには、いつ、どのタイミングで勇者が来たときにどう対応するかを考えておかなければならない。それが実というものだ。
「では、ルナを頼む。私には他にやることがある」
「はい。本日はありがとうございました、タイロン師」
「うむ。お主もこの娘のことでいろいろと大変だと思うが、しっかりな」
「ありがとうございます」
 そうしてタイロンが部屋から出ていく。ナディアはようやく一つ息をついた。
 それにしても、これで残り三日で、残る魔法は一つだけ。
(間違いなく、二ヶ月で完了ね)
 それを知ったラーガがどういう顔をするか、楽しみだった。






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