Lv.13
一つの終りは次の始まり
冷たい風と砂がルナの頬を打つ。
そこは地球のへその入り口。ちょうどその場所に戻ってきた。
(できた)
上級魔法リレミト。十七ある魔法の最初の一つを手に入れた。
こうやってラーガが自分を窮地に陥れない限り、自分は決してうまく使いこなすことはできなかっただろう。魔法は言われて分かるものではない。自分で調べて、考えて、そうやって使いこなすようになっていくものなのだ。
リレミトはダンジョンから脱出する魔法。すなわち、地下から地上に向けて放たれる魔法である。したがって、地上に向けて螺旋の力を描き、それを放出することによって空間転移を可能とする。
だから『法則性がある』とラーガが言ったのだ。その意味をようやく理解した。
ただパスルートを通すだけではない。そのパスルートが持つ意味を正確に理解していなければ、ただルートだけを追っても効果が発動することはない。それが上級魔法なのだ。
「戻ったか。早かったな」
その砂漠にラーガ師が立っていた。既にリレミトが使えたのだ。鍵の存在などどうでもいいのだろうが、ルナはそれでも鍵を渡した。うむ、とラーガが答える。
「ではランシールに戻り、疲れを癒すとしよう。つかまるがいい」
ラーガの手を取ったルナは、瞬時にルーラの魔法でランシールへと戻る。そして神殿の一室へといざなわれた。
「リレミトの使いすぎで魔法力がもう尽きているだろう。ここで一日休むといい」
「はい、ありがとうございます」
「起きたら次の指示を行う。まずは明日の朝までゆっくりとな」
「はい」
そうしてラーガが出ていく。それからルナは、大きく息を吐いた。
成功したことの喜びが、後から後から強くこみ上げてくる。何しろ上級魔法だ。使える人間の数がごく一部とされる上級魔法を使えるようになったのだ。無論、上級魔法の中でも簡単な部類に入る魔法なのは分かっている。それでも上級は上級だ。自分もついに上級魔法を使える人間の一人になれたのだ。
だが、まだ道は険しい。残り十六。全ての魔法を覚えて、勇者と共に旅立つ。それが自分の使命なのだから。
それでも、今は。
(眠りたい)
魔法を使いすぎて体力は完全になくなってしまっている。大変な一日だった。
(水浴び、できるんだ)
広い部屋の奥にバスルームが備えられている。どうやら上客用の部屋らしく、調度品の一つ一つが非常に高価であるのが分かる。
(使ってもいいのかな)
お湯が張られている。水ではなくて、湯だ。
ダーマで生活していたときは、三階の中に湯張り場があって、そこで汗を流し、湯につかることもできた。が、人数が多いのであまりゆっくりとはしていられない。それを独り占めできるのだ。すごい、すごすぎる。
ムオルでは湯に入ったことなどなかった。水を浴びて体の汚れを落とすくらい。今考えれば、あの冷たい水によく耐えていたな、と真剣に思う。
(本当にいいのかな)
湯に触れる。結構温かい。本当に使っていいのかどうか、誰かに聞くべきだった。失敗。
とはいえ、ここで休めと言われているのにこの湯を誰か他の人が使うはずもない。これは自分用なのだ。
いやでも、こんな貴重なものを自分一人で使っていいのか。
彼女が結局風呂に入ったのはそれから、延々十分間悩んだ後のことだった。
起床。疲れていてもきちんと日の出前に目が覚めるのは、毎日の習慣。疲労を理由にしてはいつか怠けだす。必ず毎日の日課はこなす。
知らない街だが、まずはランニング。この積み重ねが自分に体力をつけさせてくれるのだと信じて。この日課を欠かすわけにはいかない。
とはいえ、本当にどこに何があるか分からないので、探検をかねてあちこち見て回ってみる。
治安の良い街のようだった。どこまでもしーんと静まり返っている。
東の空が若干明るんでいる。もうすぐ日の出。
(ここがランシール)
街の中心部の広場に着く。さすがに誰もいないが、これが昼間になるとたくさんの人でにぎわうのだろう。あちこちに店がある。武器屋も道具屋も食品店も。ランシールの生活の中心がおそらくこの広場なのだ。
中心に位置する場所に噴水。今は止まっているようだったが、昼になったらカラクリ仕掛けで作動させるのだろう。それから四方に道と、その両側に店。
人口四万で店の数がこれだけということは、ほとんどの人は第一次産業を行うことになる。ここからだと港まで距離はあるが、漁業も行われているだろう。そうした人たちは日が昇る前から漁に出て、日の出と共に戻ってくるはずだ。今頃は水揚げの時間だろうか。
知らない街。知らない生活。知らない場所に、知らない人たちが暮らしている。
そのどこかに、自分がまだ見ぬ勇者がいる。
「会いたいなあ」
見たこともない勇者。その人に会えることを信じて自分は生きている。
「……女の人だったらどうしよう」
恋心すら抱いているのを否定するつもりはない。
オルテガ様のような強い勇者に守られる。そんな素敵なことはない。
だが、同時に勇者の傍にいるのなら、自分自身が強く、力になれる存在でなければならない。
(私はもう、泣いているだけの子供じゃない)
わずか十歳だが、おそらく彼女は世界最強の十歳だ。何しろメラミやらヒャダインやらイオラやら、中級攻撃魔法を放つことができるのだから。
(あと十六個)
全ての魔法を覚えるまで、あと十六個。
(よし)
気合を入れて、また走り出す。早く魔法を覚えたい。上級魔法リレミトを覚えて、彼女のモチベーションは否応なしに上がっていた。
戻ってきた頃には日が昇っていた。昨日の残り湯(もちろん冷めていたが)で汗を流すと、身支度を整えてラーガの下へ行く。
だが、神官の部屋にはランシールの神官しかおらず、ラーガの姿はなかった。
「おはようございます」
丁寧な口調でランシールの神官から挨拶される。こちらも「おはようございます」と丁寧にお辞儀する。
「よく眠れましたか。朝方、少し外出されたようでしたが」
「はい。少し、街を見て回りたかったので」
「なるほど」
神官は小さく頷く。
「自分の場所に対する意識の高さ。ラーガ師があなたに熱中するのもよく分かります」
「そうですか?」
「ええ。どのようなときでも興味、関心を失ったら賢者はおしまいです。初めてのものを見てそれに興味を抱かないようでは賢者とはいえません」
「はい」
「自己紹介がまだでしたね。私はルバーク。このランシール神殿の神官長をしています」
「こちらこそ、自己紹介が遅れました。私はルナ。今はラーガ師の下で修行に励んでいます」
「話は昨日うかがいました。ダーマ学院創立以来の天才児だとか」
「環境に恵まれているだけです」
「おごらず、学ぶ姿勢を持つ。それに素直だ。伸びる要素が多い」
ルバークが笑顔で言う。
「ありがとうございます」
「うむ。それでラーガ師が、私からあなたに魔法を一つ教えるよう、依頼されたのです」
「魔法。上級魔法をですか」
「そうです。私の得意の魔法を教えてやってほしい、とのことだったのです」
なるほど、わざわざここまで連れてきてもらったのは、そういう理由もあったのか。
「それほど難しい魔法ではないのですが、少しだけコツのいる魔法ですからね、これは」
「どうぞ、よろしくお願いいたします」
「はい。私がお伝えできるのは一つ。自らの姿を消す魔法、レムオルです」
レムオル。魔法書は見ていないが、もちろん上級魔法、そんなに簡単に覚えられるとは思っていない。
「リレミトをわずか一日で取得したのですから、これもそれほど難しくはないと思いますよ」
「がんばります」
「よろしい。それでは、まずこちらが魔法書になりますので、パスルートをしっかり確認してください」
「はい」
頷いて本を開く。読み進めていくうちに、意外な事実が目の前に現れる。
「パスルート、五?」
それは初級魔法と変わらない数字だ。
「そうです。レムオルのパスルートは五本しかありません。第一セクションで分岐するのみで、他は一切の分岐なし。ですが、初級魔法と違うのは、ただ最初の分岐をすればいいだけではなく、その後は分岐点で全てルート一本だけ選び続けていく、ということです」
初級魔法ならば、まずパスルートで分岐すれば、あとはどこの出口から出力されても魔法は発動される。
だが、上級魔法は八二三五四三本のルートの正しい出口から出力しなければ、決して発動することはない。
たとえ五本のパスルートとはいっても、上級魔法は上級魔法ということだ。
「一つだけ言っておきますが」
神官はにこやかに言う。
「リレミトよりは、難しいですよ」
たった五本のパスルートなのに、そこまで言わせるのもすごい。
「リレミトを使う魔法使いは多いですが、レムオルを使えるものは多くありません。その事実が難易度を証明しています」
「分かりました。がんばります」
たった五本。
それなのに難しいという不思議。
(どうしてだろう)
パスルートはすぐに頭に思い浮かべることができる。なにしろ五本だ。リレミトの五分の一。
「レムオル!」
だが、魔法を唱えても効果は発動しない。これはリレミトと同じだ。
(図のパターンがあるわけじゃない。それなのに、発動しないのはどうしてだろう)
レムオルはコツがいる。神官は確かにそう言った。
それはどういうものなのだろう。
考えても、それが分かるわけではない。
もう一度、実践してみる。
パスルートを確認。ただしいルートに正しくマジックポイントを通し、五つの出口から、
「レムオル!」
出力。だが、効果は発動しない。
「どうですか」
「まだコツがつかめないみたいです」
「そうでしょうね。これはコツが分かれば簡単なのですが、そうでない者には最も難しい魔法といえるでしょう。なにしろパスルートが少ない。難解さなら中級魔法の方が上です」
「はい」
「ですが、単純だからこそ躓く間違いというのも、あるのですよ。どうしますか?」
それはヒントがいるか、いらないか、という確認だろう。
「少し考えさせてください」
「ええ。いくらでも。ですが、あまり時間はありませんよ」
「と、いいますと」
「ラーガ師からは、三日間でレムオルとルーラを覚えて帰ってこい、とのことです。ルーラの魔法書はこちらに」
そう言って、もう一冊の魔法書が渡される。
「上級魔法を三日で二つ?」
「とはいっても、これから先、何百、何千のパスルートを通さなければいけないものに比べれば簡単な方ですよ。上級魔法とは、第七セクションまで正確なパスルートを通せれば発動するもの。だからレムオルのような単純な魔法ですら上級魔法に位置づけられるのです」
「はい」
「ですから、ヒントがほしければ早めの方がいいですよ。ルーラの方が難しいのは当然ですから」
レムオルが最も難しいと言ったくせに。
「分かりました。正午まで時間をください」
その二冊の魔法書を受け取り、ルナは先ほどあてがわれた部屋に戻る。
「がんばってください。われわれはいつでもあなたの味方なのですから」
「ありがとうございます」
だが、今は自分で努力しなければならないときだ。魔法の仕組みというものは他人から教わるだけではいけない。自分で考え、編み出し、理解しなければならない。
だからこそ、このレムオルという魔法には今後、自分が上級魔法を使っていく中で必要な知識が眠っている。だからラーガは自分をここに連れてきたのだ。
コツを教えてもらってもいい。その方が習得は早い。だが、それではいつでも他人任せになってしまう。それは駄目だ。
賢者は、自分で全ての謎を解き明かす存在なのだ。
(絶対、使えるようになってみせる)
正午まで、あと三時間。
パスルートの暗記には時間はもういらない。あとはコツを見つけるだけ。
必ず見つけてみせる。
そして、正午。
神官は、午前の仕事を全て終えて、大聖堂で待っていた。
もし彼女がまだ悩んでいるようだったらヒントをあげるつもりだったが、おそらくその必要はないだろう。
彼女は独力で魔法を使えるようになる。
そう思った。
突然。
目の前に、その女の子が現れた。
「これは」
自分を驚かせようとしたのだろう。女の子はにっこりと笑った。
「お待たせしました。レムオル、使えるようになりました」
「そうですか」
神官はにこりと笑う。
「コツはつかめましたか?」
「はい。今回のレムオルもそうですし、おそらく今後全ての上級魔法がそうなのだと思います」
「そうですね。上級魔法は数が多くなるほど、そうした方がいい」
「はい。入口からマジックポイントを流していくのではなく、出口から逆にルートをたどっていく。入口から流していった場合、パスルートが分岐するところで、不要なルートにまでマジックポイントがあふれて流れ込んでしまう。だから、出口から逆算した方が確実にルートをたどれるということです」
「正解です。よく気づきましたね」
リレミトが発動しなかったのもそれだ。正確な図を頭に描けるからこそリレミトを発動させることができる。だが、図が頭に入っていなければ、パスルートにマジックポイントを通すことばかり考えて、結局自分でも知らないうちに他のルートにマジックポイントが渡ってしまうのだ。
「それができたのなら、ルーラもさほど時間はかからないでしょう。早く覚えて、ラーガ師のところへお帰りなさい」
「はい。ありがとうございました」
彼女は一礼して出ていく。なるほど、とその姿を見送ってラーガの言葉を思い出す。
『圧倒的な才能の持ち主を見せてやろう』
ラーガが言うのだから、どれほどの人物かと思ったが、確かに末恐ろしい。
どれだけ修行した魔法使いや僧侶ですらなかなか使えない上級魔法を、彼女は十歳にして既に二つも覚えている。
だが、あともう一年もあれば彼女なら上級魔法の全てを使いこなすことができるようになるだろう。まさに、桁外れの才能の持ち主。
「楽しみですね」
彼女がどう変化していくのか。それを見届けるまではなかなか死ねなさそうだ。
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