Lv.17

賢き者から、賢き者への遺産








 ルナが気づいたとき、既に自分は二階に下りていた。どうやら知らない間に下に運ばれていたらしい。どうやって移動させたのかは聞かされていないし、聞くつもりもない。そんな怖いことは永久になかったことにしてほしい。
「別にそんなに怖いことでもないと思うけどなあ」
「その話をするのなら、金輪際二度とソウとは会話しません」
 完全にふてくされてしまったルナだが、その部屋の様子にはさすがに驚いた。
 そこは書斎だ。机と椅子が一つずつに、紙束。そして四面の壁は全て本棚で、本がぎっしりと並べられている。
「凄いですわね。ダーマにもないような本がありますわ」
「ラーガ師のところにあった本もありますけど、すごい高価なものばかりですね」
 魔法の専門書がずらりと並んでいるかと思うと、別のところには武芸書なども置いてあったりする。一方では政治経済やら建築土木やら、およそジャンルに共通性は見当たらない。
 ただいえることは、全てが応用編、上級者向けだということだ。
「うわ、なんだこれ、魔法剣の技術が書かれてる」
「こっちはメラゾーマの応用魔術ですわね。魔法力を少なく唱えるコツみたいなものが書かれてありますわ」
 二人があれこれと本を探していたが、いずれにしても自分にとっても必要なものはある。
 悟りの書。あのリュカが書き残したという本がここにある。
 いや。
「……これですね」
 ルナはその机の上に無造作においてあった紙束を見る。
 それこそが『悟りの書』。
「これがそうですの? でも、製本されてませんわね」
「リュカ様はここで悟りの書を書いたのです。だから、製本されていなくてむしろ当然なんです」
「なるほどな。確かにここで書いて持ち出してないんだったら、製本されてる方が不思議だな」
 ルナはそっと一枚目を見てみる。そこには何も書いてなかった。
 だがさらに一枚めくってみると、そこに『悟りの書』というタイトルが出てくる。
 緊張しながらさらに一枚めくる。
 その一行目から、リュカの言葉全てを頭に叩き込もうと、ルナの体は暗記モードに突入した。






『もうすぐ私はこのダーマを離れ、旅に出ることになるだろう。

 私はリュカ。リュカ=G=エリオス。ダーマで賢者の称号を得、世界の行く末を案じる者である。

 アリアハンのオルテガと、サマンオサのサイモン。この二人と私がいれば、魔王バラモスは倒せる可能性はある。
 バラモスの力は未知数だが、世界の高名な戦士たちを見てきたところ、オルテガとサイモンに敵う者はいまい。だから勝つ可能性はこの二人と、僭越ながらこの賢者である私のパーティのみ。そうでなければバラモスには適うまい。
 だが、それは確実なことではない。失敗するかもしれない。私も死んでしまうかもしれない。
 だから、私がこのダーマにいられる間に、私がこの数年間で見つけた魔法の極意をここに記す。
 もし我々が失敗し、次代の賢者たちが強大な魔法を使いたいと願うのならば、この悟りの書を読めばいい。かなりの力になるだろう。
 私たちが無事にバラモスを倒し、再びこの塔に戻ってきて何もなかったかのようにこの書を葬ることができれば幸いである。

 中級魔法すら使えない状態ではこれから記すことは全く未知の領域となる。まずはきちんと魔法の基礎を学んでからにしてほしい。でなければ時間の無駄だ。時間と金と労力を無駄にするのは賢者として恥ずべきことだろう。
 さて、私ことリュカは、このダーマで何人かの賢者の下、さまざまな魔法を覚えることができた。
 初級魔法と中級魔法についてはいまさら取り上げるまでもないだろう。正しいパスルートといっても、最初の数セクションさえきちんと魔法が取っていればできあがるような魔法だ。それは正しい魔法の使い方とはいえない。
 上級魔法。これをいかに早く、強大な威力をもって使うか。それが一番必要なことだ。
 これから私が記していくのは、全ての上級魔法についてのパスルートを私なりに考察した内容になる。ある意味、既に魔法が使えるのであれば、いまさら読む必要はない。もっと時間を有効に活用した方がいい。

 では、話を始めよう。これから先、さまざまな問題を取り扱うにあたって、メラゾーマの魔法を例にとって話を展開する。上級魔法を唱えるときのコツさえつかめば、あとは何の魔法を使っても同じように唱えることができるだろう。
 この魔法は特に日進月歩といえる。私が初めてこのダーマに来たとき、メラゾーマの公式パスルートは八六六もあった。だが、一年もしないうちに何本も、何十本も削減されて、今では六八四本まで減っている。このままいけば、あと数年でさらに本数は少なくなっていくだろう。私の見込みでは、五〇〇本前後まで少なくなるはずだ。

 さて、最初にまずデータを見てもらおう。ダーマにおいて、一年間でメラゾーマを習得した魔法使いの人数が記されたものだ。さすがに上級魔法だけあって、取得者が多くない。年間に十人から二十人という感じだ。だが、明らかに共通点がある。
 私がこのダーマに来た最初の年が二一人。次が十八人。そして十五人、十七人、十四人。後年間を見ただけで、三分の二に減っているのが分かる。
 メラゾーマは他の上級魔法に比べ、まだ簡単な部類に入る。それは単純にパスルートの本数の違いだ。ベギラゴン、マヒャド、バギマ、イオナズンなどはいずれも四桁のパスルート。だが、メラゾーマは三桁。この差は大きい。
 確実にパスルートにマジックポイントを流せば魔法は発動する。だが、それだけにとどまらないものがこのメラゾーマにはある。

 もともとメラゾーマというのは五千以上ものパスルートがあり、そこからどんどん短縮して今の六八四本まで下がったらしい。簡単になるにつれ魔法を使える人間は増えていったということだが、逆に簡単になった近年ではまた使える者が少なくなってしまっている。
 師に聞くと、確かにここ数年は魔法が使える者が少なくなっているという。さて、ここにはいったいどういう問題があるか。
 おそらくダーマの者には気づかない問題点がそこには潜んでいる。ダーマの中にいては分からないことが確実に存在する。

 メラゾーマから先、パスルートを難関にしているのは、その不規則性による。
 リレミトやルーラが上級魔法でありながら使用者が多いのは、そのパスルートを映像として鮮明に頭に思い描くことができるからだ。
 だがメラゾーマにはそうした視覚性はどこにもない。第七セクションで通さなければならないパスルートは、それぞれのエリアごとに一本であったり二本であったり、ときには四、五本と増える。
 不規則なものを瞬時に判別するのが不可能ならどうすればいいのか。そこで問題となっているのは、簡単にするためにパスルートを次々に減らしているというこの事実だ。
 パスルートを減らしているというのは、つまり不要なルートだったから削っているということだ。だが、逆の見方をするならば、たとえ不要なルートでも、魔力を通して効果が発動しなくなるということではない。

 すなわち、パスルートには三種類あると考えられる。
 一つ目は、効果発動のために絶対にマジックポイントを通さなければならないルート。これをAとしよう。
 二つ目は、効果発動のために絶対にマジックポイントを通してはならないルート。これをBとする。
 そして三つ目に、マジックポイントが通っていてもいなくても効果発動に影響のないルート。これをCとしよう。
 この三種類に分かれるのは当然の帰結であり、今のダーマは、現在六八四本あるAの中からCを見つけ出す作業をしているのだ。
 それは確かに必要なことだ。絶対必要なパスルートを解明すれば、それだけ簡単になるのは当然のことだからだ。

 だがダーマはBとCを区別することを忘れてしまっている。
 最初に唱えたメラゾーマのパスルートが五千以上だったことを考えると、Cにあたるルートは四千本以上になる。これは大いに考慮しなければならない。
 なぜならば、それらのパスルートには魔力が通っていても何の問題もないからだ。このことを頭に入れておかなければ、上級魔法をうまく使いこなすことはできないだろう。

 例をとるとこうだ。
 エリアXにおけるAが、一、三、五の三本だったとしよう。
 一方でエリアYのAは一、三、七。
 エリアZのAは五、七の二本だけだったとする。
 この状態ではパスルートは八本しかないものの、複雑極まりない。あちらのルートはこれこれ、こちらのルートはこれこれ、と考えているとそれだけでタイムロスだ。コンマ数秒の遅れが戦場では致命傷となる。
 だがもしも、Xの七、Yの五、Zの一、三が全てBではなくCだとしたらどうなるか。
 X、Y、Zの全てのエリアで、一、三、五、七のルートを通しても問題はないということだ。
 こうなるとパスルートが当初の八本に比べて十二本と多くなっているものの、魔法を唱えることを考えるならば、きわめて容易にできるだろう。何故ならば、全部が同じパターンなのだから何も悩むことがない。全てのエリアで同じように流せばいいのだ。

 分かっただろうか。
 魔法を簡単に唱えるというのは、パスルートは減らすだけが方法ではない。
 うまくパスルートを増やせば、さらに簡単にすることができる、ということなのだ。

 そこで私はまず、メラゾーマについて調べ上げたパスルートCを全て図示していく。
 その中から自分だけの法則性を作り上げ、試してみるのが一番効率のよい方法だろう。
 だが、この悟りの書の最初の魔法ということもあるので、一応マニュアルのようなものをその後に追記しておく。
 なお、私が編み出したもっとも最良なパスルートは一二〇三本。これが一番分かりやすい本数だと思う。
 もっとも、またパスルートの研究が進み、今あるパスルートからさらに削減がされていくこともあろう。そのときはもっと効率のいいルートを編み出せばいい。少なくとも私が提示できるのは、現段階における最良のパスルートでしかない。』






 そこまで読み、次の用紙からパスルートが図示される。
 それを見たルナとディアナはうなった。おそろしいまでの規則的なパスルート。このパスルートを編み出すためにいったいどれだけの苦労をしたのだろうか。
 同じ魔法を唱えるために必要なマジックポイントは、パスルートが変わっても異なることはない。つまり、パスルートは簡単であればあるほどいい。それは本数の多少ではない。いかに規則的であるかどうかなのだ。
 リュカはその規則性を強引に作り出した。それは確かに今のダーマの考えには全くないことだ。逆行していると言ってもいい。
 ダーマの理論は既に魔法を習得した者の理論だ。今まで覚えている本数を減らすことでより楽にしようとしている。それは正しい。
 だがこれから魔法を習得する者にとってはこれほど苦痛なことはない。本数が減れば減るほど不規則さが増していくのだ。そのことにダーマの八賢者はきっと気づかない。
 リュカだけが気づいた。そこにこそリュカの真価がある。
「どう思います、これ?」
「決まっています。今私の頭の中にあるパスルートはこの図をもって完全な形を成しました。リュカ様のおっしゃることは実感をもって正しいといえます」
「私もそう思いますわ。必死に努力して覚え、構築してきたものが馬鹿みたいに思える。これならもっと早くに十秒の壁を切ることができましたわ」
「他の魔法も気になります」
「そうね。ベギラゴンを見たいですわね。魔法の構築がもっと楽になりそうですわ」
「では私はこちらを」
 そうして、二人はかわるがわるあれこれと悟りの書を見ていった。こういうとき書籍化されてなかったのは逆に幸運だ。必要なところを必要なだけ読めばいいのだから。
 だが、二つ目の魔法についてのパスルートを見ていく中で、唐突にルナは書を置いた。
「どうなさいましたの?」
 ルナは少し考えてから首をひねった。
「私はまだ、見てはいけないようです」
「どういうことですの?」
「私は今、上級魔法の四つ目をようやく覚えようとしているところです。この悟りの書はいわば、魔法の奥義が書いてある書物。今の私のレベルで読んではいけないと思います」
 ルナの言っていることがディアナには理解できない。ここに簡単に魔法を覚える方法があるというのに、何故それに手を伸ばさないのか。
「時間をかけるのは無駄なことですわよ? 賢者の教えの一番基本ではなくて?」
「はい。ですがそれは、努力をせずに楽をしていいということではありません。まず一度自分の頭できちんと考えて、覚えて、その上でこの参考書を読まなければ私にとって価値がないどころか、有害な書物になりかねません。私は今まで全力で魔法を覚えてきました。ですが、この書物に最初から頼ると、努力することをやめてしまいそうな気がします」
「……あなたという人は、どこまでも正直な子なのですね」
 ディアナがため息をついた。
「では私もこの先を読むことはやめておきますわ」
「いえ、これは私の勝手なわがままですから」
「そうですわね。私もベギラゴンは唱えられるわけですから、この魔法だけは見ることにいたします。それ以外の魔法はまず自分が覚えてからこれを参考にさせていただきますわ」
「だったらこの場で覚えてしまえばいいんじゃないのか」
 すっかり仲間はずれだったソウが本棚を指差して言う。
「ここに上級魔法のほとんどの書物がそろってるんだろ? だったらわざわざあれこれ悩む必要はない。さっさと魔法を使えるように片っ端から読めばいいだけだ。あとは食糧が必要だな」
「そうですわね。ここは一度戻って、一ヶ月くらいここにこもって学習できる準備をしてきた方がいいかもしれませんわ」
「隣の部屋にある程度の生活用品があるから、暮らす分には問題ないと思うぜ。水も出る」
「それじゃあ、一度戻りましょう」
 こうして三人はとりあえずダーマに一度戻ることにした。
「あ、そうだ。あんたはリレミト使えるのか?」
 そのソウがディアナに尋ねた。
「ええ、もちろんですわ」
「だったらルナを置いて、俺とあんただけで買出しに行ってこよう」
「え?」
 突然置いていかれると思ったルナは心細さを覚える。
「いや、お前も一緒に行ったってかまわないんだけどさ、ここに戻ってくるとき、また四階から同じルートで」
「待ってます。どうぞお二人でごゆっくり」
 ソウが全部言い終えるより早く答えた。ディアナがおかしそうに笑った。
「本当、高所恐怖症なのね、あなた」
「そんなつもりはなかったんですけど」
 だが実際に怖いものは怖い。そう感じた一件だった。






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