Lv.18
この世界に響く、始まりの鐘
それからルナはガルナの塔にこもって学習した。
次から次へと魔法書を読み、頭の中に入れては悟りの書と照らし合わせていく。
ソウが作ってくれた縄梯子で三階に行くことができるようになり、そこで襲ってくるガルーダを相手に覚えた魔法がうまく放てるか実験する。
ソウやディアナはちょくちょくダーマに戻っていたが、ルナは戻らずにこの場で訓練を続けた。
日課となるランニングができなくなったのが不便ではあったが、その分三階をぐるぐると一日数周走ってそのかわりとした。
とにかく一番ありがたいのは、炊事洗濯などの設備がきちんと備わっていることである。移動など余計な時間をほとんどかけずに何でもできる環境が嬉しい。
ダーマの八賢者たちが自分の部屋からあまり出ていこうとしないのは、自分の研究に没頭するためなのだなということがよく分かる。
賢者として全ての魔法を使う。
それを目標に、ルナは次から次へと魔法を習得していった。
「ラーガ師」
ナディアがその部屋に入ってくる。
ルナがガルナの塔にこもってから三ヶ月。随分と長い時間が過ぎたが、ソウやディアナを通じて学習に励んでいることは聞いていたため、ラーガもさほど不安には感じていなかった。
「ナディアか。どうした」
「はい。ルナのことです」
その名前はよく報告を受けているが、最近では顔も見せないようになっている。三ヶ月も経っていまだにメラゾーマにてこずっているとは思わないが、いったいどういう状況でいるのか。
「ルナがどうした」
「はい。ダーマに戻ってまいりました」
「ほう。とすると、よほどの自信がついたようじゃの」
「ラーガ師はこの展開を予測しておられたのですか?」
「何のことじゃ?」
「ルナが塔にこもりきりになることをです」
ふむ、とラーガは頷いて答える。
「まあ、その可能性も考えていた、というところかの」
「可能性、ですか」
「あの場所はルナくらいの能力の持ち主には理想的な環境じゃ。生息しているモンスターのレベルも修行には適度で、生活環境が備わっている。魔法書は全てそろっている。となれば、あそこで納得するまでこもりたくなるのは分かる」
「戻ってきていたとしたら?」
「かまわんよ。ただ、自分で学習する方法を知っている子じゃ。ワシが教えてもきっといつか自分のやり方でやっていくじゃろうて。それが早くなったか遅くなったかの差にすぎん」
「分かりました。ありがとうございます」
ナディアはにこりと笑った。そして──
「な」
ラーガの目の前で、その姿はルナのものに変わっていた。
「モシャスか」
「はい、ラーガ師。ただいま戻りました。試すような真似をしてしまってすみません」
ぺこりとルナが頭を下げる。やれやれ、とラーガは頭をかいた。
「それにしても驚かされる。どれだけの魔法を覚えてきた?」
「はい。だいたいのものは。リレミト、ルーラ、バイキルト、モシャス、レムオル、バシルーラ、ベホマ、ベホマラー、メラゾーマ、ベギラゴン、マヒャド、バギクロス、イオナズン、ザキ、ザラキ」
十五個。
上級魔法十五個を、たった三ヶ月。
「……本気か」
「はい。パルプンテとドラゴラムだけはうまくいきませんでした。それで、一度ご相談しようと思って戻ってきたんです」
それだけ自分でできるのなら、今さら自分が教えることなど何もないようなものなのだが。
「しかし、たった半年で賢者の魔法を全てマスターするとはの。末恐ろしい子じゃて」
「リュカ様の悟りの書のおかげです。まず公式をきちんと頭に入れて、それから応用でリュカ様の書を読みました。効率よく勉強できたと思います」
「正しい学習方法だな」
「塔にこもっている間に一つ、歳も増えました」
「そうかそうか。十一歳か。一つ大人になったということかな」
「まだまだ教わりたいことばかりです」
「なに、二、三年かけて魔法の全てを教えようとしていたのに半年で終了するとは、誰よりもワシが信じられんよ。最後の二つの魔法はじっくりとやればいい。それよりお主は、肝心の魔法力をあげなければならんしの」
「はい。魔法を使うだけ使って、とにかく自分の最大マジックポイントを伸ばしたいと思います」
いろいろと情報を交換したところで、ルナは疑問に思っていたことを尋ねる。
「一つ、おうかがいしたいことがあるのです」
「なんじゃ、言うてみい」
「はい。ラーガ師はあの悟りの書を読まれたのですか」
「無論。このダーマであの本を読んだことのある者は多い」
「あれを持ち出そうとはなさらなかったのですか?」
「ふむ。お主の言いたいことは分かる。魔法を覚えるにあたって、パスルートを増やして簡単にするようにした方がいい、ということなのだろう?」
「はい。実際、私はそれで覚えることができたようなものです」
「確かにその通りじゃ。だが、あれは中級以下の魔法使いや僧侶たちにとってはむしろ害になると判断したのじゃよ」
「害?」
「そう。楽ばかり覚えた魔法使いや僧侶たちが、その後どれだけ成長するか。そう考えたときに、あの本に書いてある内容は一定の努力を積み重ね、その苦しさを知る者でなければ見てはならないというふうに、八賢者の間でとりかわしたのじゃよ。お主とて、それくらいは分かっておるのではないか? お主は先ほど、公式を覚えてから悟りの書を読んだ、と申したではないか」
「はい、おっしゃるとおりです」
「それに、公式のパスルートが減れば減るだけ、応用のパスルートの数も減らすことも可能じゃ。だからこそダーマは今、パスルートの削減を重点活動項目に置いておる。ちょうどリュカが賢者になる前後からな」
「分かりました。お答えいただき、ありがとうございます」
ダーマはあくまでも組織体。そこでどのような活動をしていくかは個人の活動とは全く異なる。ダーマとリュカの考えが合わないのはむしろ当然だ。
だが、自分はあくまでもリュカの考えを是としたい。
リュカに救われた命だからこそ。リュカのようになりたいと思ったからこそ。
「ラーガ師」
言う必要はないことだったかもしれないが、タイロンにも言ったことだ。改めて伝えておこうと思った。
「私はかつてムオルで、勇者オルテガ様、サイモン様、そしてリュカ様に命を助けてもらったことがあるのです。だから私はリュカ様のようになりたくて、賢者になろうと志したのです」
ラーガは知っていたのか知らなかったのか、一つ頷いて答えた。
「なるほどのう、まあ、リュカの名前に反応していたから、無関係ではないのかとは疑っておったが」
「でも、みんなを助けたいというのも本当なんです。私はあのとき、みんなを助けることができなかったから」
「あのとき?」
「私が命を救われたあの日です。私たち子供たちは村から出て草原に出ていました」
思い出したくもない、最初の記憶。
自分はまだ五歳だった。年長の友達など、みんなで大人に黙って村を出ていった。
村の外がどんな場所だったのか、みんな興味あったのだ。
外は広くて、どこまでも草原が続いていた。
どこまでも行きたかった。みんなが。
この地平線の果てに何があるのかを知りたかった。
だが、現実は甘くない。
突如襲われたモンスターの群れに殺されていく子供たち。
一人、また一人と血まみれになっていく。
最後に残ったのが自分だ。
最後まで残されたのが自分だ。
全員の死を見届けてから、自分は、恐怖と絶望の中で、一筋の光明を見た。
大きな背中が、モンスターからかばうように自分の前に立ちはだかっていた。
それが、勇者オルテガ。オルテガは大きな剣でモンスターを倒したが、自らも負傷してしまった。
そして後からかけつけてきたサイモンとリュカ。リュカはすぐに治療したが、すぐには治らないということで、近くの村、すなわちムオルまで行くことになった。
私以外の子供は誰も助からず、自分ひとりだけが生き残った。
当然、大人たちからは叱られた。今となっては、わが子は死んだのにどうしてこの子だけが生き残っているのだろう、というやっかみが込められていたのも分かる。
当時の自分にはその具体的な気持ちまでは分からなかったが、昨日まで親切だったおばさんが、まったく笑ってくれなくなった。そのおばさんの子も、モンスターに殺されていた。
リュカが彼女に教えてくれたのはそんなときだ。
「大丈夫かい?」
リュカの微笑みはどこまでも優しい。彼が自分を責めることは絶対にないということが分かる。
「せっかく生き延びたんだから、少しは嬉しそうにしないと」
「でも、みんな、私のこと、きらってるから」
「そんなことはないよ。みんな、自分のことで精一杯なだけだよ。君のことを気遣ってあげられるだけの余裕がないんだ。そのうちみんな、分かってくれる」
彼が言うと本当にそうなりそうで、久しぶりに自分も笑った。
「そうそう、女の子は笑っているときが一番可愛い」
リュカは子供の自分から見てもかっこよくて、そしていい人だった。
オルテガのたくましさ。リュカの優しさ。自分はそのどちらにも惹かれていた。
「私も、リュカみたいになりたい」
賢く、強く、優しい者。それが理想。
「僕みたいにかい? それはやめた方がいい。楽しくない人生になるよ」
「どうして?」
「だって僕は、勇者のことしか考えられないから。僕は僕にとってただ一人仕える相手、勇者のために賢者になろうと志していた。そしてそれが叶った。確かに幸運な人生だったとは思うけど、生まれてこの方、女性を好きになったこともないんじゃ、あまり楽しい人生とはいえないな」
「じゃあ大丈夫」
自分は真剣に答える。そんな問題なら自分には関係ない。
「私は女だから、勇者のことが好きになればいいんでしょ?」
一瞬、あっけに取られたような顔をしたリュカが、次にはぷっと吹き出していた。
「なんで笑うの」
「ごめんごめん。でも、そうだね。その通りだ。君は勇者のことをずっと好きでいればいいんだ。そして大好きな勇者のために賢者になるといい」
「私が賢者になりたかったのは、幼いときからそう決めていたからです。みんなのためにっていうのもあります。でも、私は勇者様にお仕えするために生き残ったんだと、そう思ってます」
「なるほどのう。リュカらしいというか、何というか」
ラーガは堂々としているルナを見て小さく頷く。
「それで村でも魔法を教わったというわけか」
「はい。長老が物知りで、世界のことをたくさん教えてくれました。それから魔法も」
「このダーマにいれば賢者になっていたのは間違いない秀才だからの、あやつは。まあ、それでお主が賢者になりたかったというのもよく分かった。だが、問題はその勇者がいつ現れるか、じゃな」
「はい。でも、今度は私からだって探しに行くことができます。それに、私にはやりたいことがあるんです」
「なんじゃ?」
「はい。私は、オーブを探したいんです」
「なるほど。レイアムランドのラーミアか。確かにそれは必要なことじゃ」
だが、と一呼吸おいてからラーガは彼女を止める。
「それは少し待つがいい。ダーマやアリアハンが捜索しても見つかっておらんのだ。お主一人が気をはいても簡単にできるものではあるまい。それより、オーブを見つける方法がないかどうか、それを調べた方がよかろう」
「オーブを見つける方法?」
「うむ。世界に六つあるというオーブ。むやみやたらと探し回っても見つかるはずがない。きっと何らかの方法があるはず。それを見つけることができれば、あるいは」
オーブ探しがもっと楽になるかもしれない。なるほど、確かにその通りだ。
「じゃあ、私は──」
「まあ待て。お主には他にやることがあろう。自分を鍛えるという大切な使命じゃ。オーブ探しは誰でもできるが、バラモス退治は限られた者しかできんのじゃ」
「はい、そうでした」
自分の力は類稀なものであることは理解しているつもりだが、なかなか実感ができない。
「そこで、まずお主に一つ伝えておかなければならんことがある」
「はい」
「お主はこの場で賢者の称号が与えられる。これからはダーマの魔法使い、僧侶たちを指導する立場じゃ。心して臨むがいい」
「はい」
答えてから、あれ、と首をかしげる。今、何か、おかしなことを聞いた。
「私が、何、ですか」
「賢者、じゃよ。既に八賢者の間では合意に達しておる。そなたがベホマとメラゾーマを使えるようになったら賢者として認定しよう、と。実際にはそれをはるかに上回る成果を見せてもらったわけじゃが」
「でも、私はまだ十一歳です」
「うむ。じゃが、そなたほど魔法に対する吸収力が強い者はおるまい。そして、ダーマ八賢者の中でもそなたほど魔法が得意な者もおるまいよ。お主は賢者の魔法のほとんどを使いこなしている。ワシですら使えぬ魔法をその身に宿しておるのじゃ。言うなれば、お主がワシの師匠じゃな」
「とんでもありません」
「じゃが、事実はそういうことじゃよ。別にお主に教官役をやれとは言わぬし、特別な仕事をさせるつもりもない。ただ、お主のような若い者が賢者になる。それは人類にとっては希望ともいえる出来事じゃ。これを受けないと言ってはならぬぞ。これは決定じゃ。それに、賢者になりたかったのじゃろ?」
「もちろんです」
「なら素直に受け取っておくがいい。どうせ早いか遅いかの差にすぎん」
賢者、ルナ。
ムオルを出てから半年。五年でも十年でも、賢者になるためならどんなことでもしようと思ってこのダーマに来てから、半年。
「本当に、私が賢者でいいのですか」
「無論じゃ。リュカの名に恥じぬよう、立派な賢者となるがいい」
賢者リュカ。そう、自分は賢者リュカのようになりたかった。
そして、賢者になれた。そう、自分はようやく、賢者としてのスタートを切ることができるのだ。
「つつしんで、お受けいたします」
嬉しくて涙が出てくる。
通過点にすぎないとは分かっていても。
「勇者のために尽力できる、リュカ様のような賢者に必ずなります」
──それから。
ルナはまた、いつものように早朝のランニングを行い、小高い丘を登る。
みるみるうちに力をつけた彼女は、若干十五歳ながらあらゆる魔法を使いこなす『奇跡の賢者』などという二つ名で呼ばれるようになっていた。
正直、自分には似合わない。自分の名前はルナ、それで充分。
どうしても呼ぶなら『勇者の賢者』とでも言ってくれればいい。
だが、それも些細なこと。
他人からどう言われようと、自分は勇者に会い、勇者と共に行動する。それだけだ。
丘を登りきり、呼吸を整えてダーマの町並みを見ようとする。
その眺めのいい場所には先客がいた。
朝日を浴びるダーマに向かって立つ青年。
その青年は、何か、笛のようなものを吹いていた。が、その音は聞こえない。
「やっぱり、ここか」
しっかりとした声が耳に届く。と、気づいたように青年はこちらを振り返った。
「あれ、こんなところなのに人なんて来るんだ」
そう言って微笑む姿に、胸が高鳴る。
背中に剣。そして動きやすい服装の上から装備された鎧と盾、それに旅人のマント。
精悍な顔つき。だが、その微笑の裏にあふれんばかりの優しさと気高さ。
胸が、高鳴る。
「ダーマの子かな? このあたりはまだモンスターもいるし、危ないよ」
「は、はい」
自分の声は上ずっていたに違いない。
「僕はアレス。ダーマに用事があって来たんだ」
「私はルナといいます。もしよかったら、ご案内しましょうか」
「助かるよ、ありがとう」
物語は、ここから始まる。
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