Lv.20

信じ続けた心が生み出す力








「それでは、失礼します」
 早朝からラーガの部屋にアレスを通して自分は退室する。
 それから大きく息をついた。
(予想外もいいところですね)
 まさかこのダーマで会うのではなく、いつもランニングしている丘の上で出会うなんて。
 いやでも、それはそれでドラマチックなのかもしれない。いっそそこで告白していればよかったのかも。
(いやでも、突然そんなことされたって勇者様が困ってしまうでしょうし)
 もうすっかりアレス=勇者というのが自分の中で確定してしまっている。もしこれで別人だとしたら大笑いだ。
 だが、あの優しさと、そして全身から感じられる強さ。そして、その面持ち。
(オルテガ様を思い出しますね)
 やはり勇者だからだろうか、どことなく雰囲気が似ている。
 さて、どうする。
 先ほどのラーガの様子を見るに、ラーガもまたこの人物が勇者であると判断したに違いない。それでも自分から何も言わなかったので、どうしようか迷っているのだろう。
 いずれにしても、見つけた。
 だとしたら自分は、数年前から行っていた旅支度を終わらせなければいけない。
 それに、ソウ。彼は次のダーマ武闘会が終わればジパングに行くつもりだった。自分はそれに同行するつもりだった。それがかなわなくなる。
(まずは、荷物の確認をしないと)
 緊急で出発するときに備えて最低限の持ち物はいつもそろえてある。だが、今回はそういった緊急性はまだ感じられない。いくら勇者とはいえ、このダーマに一泊もせずにいなくなるはずもないし、それなら自分を一緒に連れていってもらえる余地はあるはず。
(他に仲間はいないのかな)
 いてもおかしくはない。普通にしていてもあれだけ人を惹きつける力のある青年だ。力があるのは見ただけで分かる。だが逆に、彼に匹敵するだけの力がなければ同行はかなわないのかもしれない。
「いた! ルナ師! ルナ師、大変です!」
 自分を呼ぶ声が聞こえる。自分より年上の青年が自分に駆け寄ってくる。
「どうかしましたか?」
「それが、ダーマに道場破りが来て、大変なんです。ディアナさんまでがやられて」
「ディアナが?」
 あのディアナが敗れるというのだから、それはまたすごい魔法使いがやってきたものだ。
「分かりました。すぐに伺います」
 勇者のことはもちろん心配だが、ディアナのことも心配だ。
 それに、ディアナが敗れるほどの相手が、勇者が現れた時期に合わせて来るというのもできすぎている。つまり、何かしらの関係性があるのかもしれない。
 ルナは魔法訓練場に現れた。その瞬間、その場に集っていた生徒たちから歓声が起こった。
 ダーマの『奇跡の賢者』ことルナ。その知名度と人気は、このダーマで一番だ。ディアナも人気がないわけではなかったが、やはりルナにはかなわない。
「大丈夫ですか、ディアナ」
「ええ、怪我とかはありませんわ」
 既に治療を受けていたディアナが立ったままぶすっとしていた。
「気をつけなさいな。あの魔法使い、火の魔法が得意みたいですから」
「火の魔法ですか」
 なるほど、と頷く。それでディアナが意気消沈した理由が分かった。つまり、一番の得意技で敗れたのだ。
「はじめまして。ルナと申します」
「……フレイ」
 ぼそり、とその紅い女魔法使いは答えた。
「どちらからいらっしゃったんですか?」
「……アリアハン」
「そうですか。遠いところを、お疲れ様です」
 突然の和やかモードに回りも、そしてフレイ自身も戸惑っているようだった。
「ダーマには道場破りをしに来られたんですか? それとも修行を?」
 観客たちがどよめく。いったい突然、何を話しているのかという様子だ。
「……仲間が、暇なら学院に行って道場破りしてこい、って言うから」
「そうだったんですか。それで私を待っていてくださったんですね。ありがとうございます」
 何だろう、これから戦うというのにこのほのぼのとした会話は。
「じゃあ、特別ダーマを攻撃しようとかいうわけではないんですね」
 こく、と頷く。それから改めてその会話の苦手そうな少女を見た。
 自分より歳は一つか二つ上。真紅の髪と瞳が特徴的で、一度見たらその印象の強さに二度と忘れられなくなる。そして悔しいことに、この少女も美人で、自分より背が高く、そして──胸も大きい。
「ええと、どうしますか? 戦闘方法とかは決まっているんですか?」
「降参したり、戦闘不能になったら負けよ」
 教官のナディアがそこにいた。
「降参? 手段は問わないんですか?」
「ええ。好きにやってかまわないわよ」
「分かりました」
 彼女は頷くと「はじめましょうか」と笑顔で言った。
 そして距離を置くと、そのフレイと名乗った真紅の少女と向き合う。
「どうしました? もう勝負を始めてかまいませんよ?」
 ルナは笑顔で言う。フレイも意を決したか、瞬時に決断して呪文を唱えた。
「メラゾ──」
「マホトーン」
 魔法が成功すると思われた瞬間、ルナの魔法が相手の効果を封じる。
 これは何度も訓練して分かったことだが、マホトーンの成功確率は、相手が魔法を唱えている間がもっともかかりやすい、ということだ。おそらくは魔法の発動に集中しすぎて、魔法的に無防備な状態を作ってしまっているからだろう。
 フレイが戸惑っている隙に、懐に持っていたナイフを相手の喉にあてた。
「はい、降参してくれますか?」
 にこにこと笑いながらルナが言う。びっくり、とその顔に書いてある。
「……まいりました」
「はい。ありがとうございます」
 あまりにも盛り上がらない戦闘に、一同がため息が出る。
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっとあなた!」
 もちろんそれに大きな突込みを入れたのはディアナであった。
「どうしました?」
「違うでしょ! 道場破りっていうのはもっとこう、魔法を使って応戦して、そうやって力を出し合って決めるのであって──」
「モンスターにそんなルールはありません。私は何回か講義をしたことがありますけど、私の講義を受けている方なら分かるはずですよ?」
 ルナは観客たちに向かっていった。
「勝てばいい、というのは思考を放棄した愚かな考え方。最善は何かということを常に考えて行動しなさい、と。私がまだ子供だからあまり聞いてくださっていなかったのかもしれませんね」
 別にかまわないことですが、と心の中で付け加える。
 そのときだ。
「おーおー、なんだよ、勇んでった割りに、あっけなく負けてんじゃねーか」
 金髪碧眼の男が、意識を失っているソウの体を引きずって現れた。
「ソウ!」
 驚いて駆け寄る。ひどい怪我をしているが致命傷ではない。ただショックで意識が飛んでいるだけだ。ほっとした。
「完全回復魔法、ベホマ」
 両手から癒しの魔法を唱える。おお、と観客から歓声がもれる。ベホマのような高度な魔法を目にする機会などそう多くない。それも一瞬で発動させる力量に、さすがは『奇跡の賢者』と呟きが起こる。
「う、つつ……」
「大丈夫ですか、ソウ」
「あ、ルナか。くそ、やられた」
「どうなさったのですか」
「金髪の男にやられた。完全に負け……」
 と、ソウが顔を上げると、そこにその顔がある。
「てめえっ!」
「お、気がついたか。にしてもすごいな、嬢ちゃん。ベホマなんて初めて見たぜ」
「ふざけんな! もう一回だ!」
 ソウが完全にヒートアップしている。もう一度意識を奪った方がいいか、とルナが悩んだとき、さっきのフレイが近づいてきて、むっ、とその男を睨む。
「……あっけなくない。その子が強かっただけ」
「でもマホトーンされて一撃だっただろ」
「……充分に予防していたのに封じられた。だからその子が強かっただけ」
 静かな声で『さっきの言葉は撤回しろ』と詰め寄っている。男はあっさりと両手を上げた。
「オーケーオーケー。お前は全力を尽くしたが、こっちのお嬢ちゃんの方が強すぎてかなわなかった。これでいいか?」
 こく、とフレイが頷く。
「こちらが、フレイさんがおっしゃっていた仲間の方ですか?」
 またフレイが頷く。
「なんだ、もう紹介してくれてたのか。俺はヴァイスで戦士。で、こっちがフレイで魔法使い。ちょっとまあ、いろいろあってダーマまで来たんだけど、お互い暇だったから時間潰しすることになって、それでせっかくなら道場破りでもしろよってけしかけたのが俺。悪かったな、嬢ちゃん」
「いえ。こうした強い魔法使いの方がいらっしゃることは、ダーマにとっても良い刺激になります。私はルナ。よろしくお願いします」
 特にディアナには──もしかするとショックの方が大きいかもしれないが、火の魔法なら誰にも負けないと思い込んで有頂天になっているよりはいいだろう。
「そう言ってくれると助かるな。で、そっちの坊やは?」
「坊やって言うな! これでも十六だぞ!」
「俺より二つ年下だろ。やーい、坊や坊や」
 ソウが完全に暴走する前に、フレイが「やめなさい」と静かな声で言ったのでヴァイスは手を上げた。
「あいよ。にしても嬢ちゃんすげえな。このフレイが素で『負けた』って言ったの、少なくとも俺は初めて聞いたぜ」
「……初めて言ったから」
 とことことこ、とフレイがルナに近づいてきて、ぎゅうっと抱きしめてきた。
「え、あの」
「……すごい。可愛い」
「えと、その」
「おいおいフレイ、そのあたりでやめてやれよ。嬢ちゃん困ってるだろ」
 くっくっと笑うヴァイス。
「時間を潰していたということですが、ダーマには何かご用事で?」
「ま、そんなとこ。というか俺たちじゃなくて、俺たちのリーダーが、なんだけどな」
 やはりそうだったか。
 このタイミングで来ている以上は無関係ではないのだろうと思っていたが。
「アレス様、ですか」
「なんだ、もう知り合いかよ」
「先ほどお会いしただけですが。やはりあの方が勇者様なのですか?」
「まあそういうことだ。アリアハンであいつにかなう奴はいないぜ。俺も含めてな」
 やはり、あの優しそうな顔の裏側に、それだけの強さを秘めている人物だった。
「では、お二人には客室へご案内いたします」
「へ? でも、いいのかよ。俺たちは──」
「問題ありません。それに、この場所では話せないことも多いでしょうから」
 さすがに観客が集まりすぎだ。こうなっては魔王の話などとうていできない。
「ま、そうだな。秘密ってほどでもないが、あまり知れ渡るのもいいもんじゃねえし」
「別々の部屋をご用意しましょうか? それとも泊まっていくのでなければ応接室のようなところへご案内しますが」
「いったんそっちで頼むわ。リーダーがどうすんのかまだよく分からねえから」
「分かりました。では、どうぞ」
 フレイがほとんど話さないので、ヴァイスとルナとの間でのやりとりが続いて、ようやく移動という段階に来た。
「待てよ。まだ俺の話は終わってねえぞ」
 ソウが立ち上がってヴァイスを指差す。
「しつこい男は嫌われるぜ」
「いや、あんたが俺より強いのは分かる。だからこそ挑むんだ」
 へえ、と感心したようにヴァイスが微笑む。
 ソウはこういう人物だ。常に自分よりも強い相手を求めて戦い、その相手を上回ることで力をつけていく。ダーマでの数年間、そうして力をつけてきた。だからダーマで一番の力量を持つにいたったのだ。
 自分と相手の力量差。それを正確に分かっているのなら事故にはならない。
「いいぜ、もう一回やっても。だが、今は待ってくれや。俺たちのリーダーと一旦合流するからよ」
「どうせ暇なんだろう。だったら勝負しろ」
「じゃ、お前も来いよ。だが、リーダーに会うまではバトルはなしだ」
「私も同行させてもらいますわ」
 そこにディアナも加わってきた。
「私もその紅い魔法使いさんと、もう一度手合わせさせてほしいですから」
 興味なし、という感じでフレイはまったく相手にしていない。だが同行を拒むつもりもないようだ。
「勇者様は今、このダーマの最高賢者、ラーガ師と面会されています。それが終わるまで、しばらくお待ちください」
 そうしてルナは奇妙なメンバーを連れて応接室へ通す。その間に、ナディアにはラーガへの言伝を頼んでおく。
 応接室では主にヴァイスとルナが会話するような形となった。
「アリアハンからどうやってここまで来られたんですか?」
「アリアハンとロマリアって旅の扉でつながってるの知ってるか? で、そこからアッサラームに抜けて洞窟ぬけてバハラタ。後はダーマまで一直線だ」
「では、最初からダーマに来るつもりだったのですね。どうしてですか?」
「んー、まあ俺の口からあまり言うことでもないからな」
「私では理由を説明する相手として不足ということですか」
 別に悲観しているわけではない。何でもぺらぺらと話すような仲間では勇者も大変だろう。それくらいの警戒心がなければ旅をしていくことはできない。
「有体に言うとな。申し訳ねえが」
「いいえ。当然の配慮だと思います。不躾な質問をお詫びいたします」
 小さく頭を下げる。
「それにしても、あなた方のように強い戦士、魔法使いに信頼されるアレス様は、よほどの人物なのですね」
「そういうこと。うちのリーダー、強さと人徳だけはずば抜けてるからな」
「……だけじゃない」
 フレイから鋭い突っ込みが入った。
「ああ、そうだな。ま、何においてもあいつにかなう奴がいるとは思ってねえよ」
 この自信家のヴァイスをしてそこまで言わせる勇者、アレス。
(すごい方なんだ)
 二人の信頼している様子を見ればすぐに分かることだ。それだけ、勇者アレスという人物の徳の高さがわかる。
(もっと勇者様のことが知りたい)
 そう思った矢先のことだった。
 応接室の扉が開き、ラーガとアレスとが入ってくる。
「アレス」
 そのアレスに向かって、ここまでまるで表情を変えなかったフレイが突然人が変わったかのように、優しい笑顔を浮かべたのだ。
「あ、フレイ。ここにいたんだ」
 そして、アレスも。
 そのフレイに向かって、とびっきりの笑顔を見せる。

 心臓が、痛んだ。

(うそ)
 とことこと近づいて、アレスの左腕に幸せいっぱいの表情で抱きつくフレイ。
 その彼女の真紅の髪をいとおしそうになでるアレス。
 美男美女の、理想的なカップルの姿がそこにあった。
(うそだ)
 勇者が。
 ずっと思い描いていた、自分だけの勇者が。
(──そんな、ことって)

 血の気が引いていくのが、確かに感じられた。






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