Lv.21

たとえ報われぬとしても








 衝撃で前後左右も分からないくらいであったルナだったが、残念ながら現実は彼女に衝撃を受けている暇すら与えてはくれなかった。憧れの勇者が自分の方に目を向けてきたのだ。
「あれ、君はさっきの」
 見知った顔を見つけたからか、勇者は笑顔で声をかけてきた。自分の顔は大丈夫だろうか。何か変な顔をしていないだろうか。
「はい。ルナです。先ほどは、どうも」
 声は震えてなかっただろうか。いや、そもそも体が震えていないだろうか。自分のことはよく分からない。
 だって。
 目の前で。
 信じたくないことが、現実に起こっているから。
「詳しいことは明日話すことにするが」
 ラーガが一同の様子を見てから言う。
「ディアナとソウは出ておれ。お主らには聞かせられん話になる」
「それは魔王バラモスの件ですか」
 ディアナが挑戦的に言う。
「何故、それを」
「ガルナの塔の悟りの書に書いてありましたわ。私もソウも、それくらいのことは存じておりましてよ」
「ふむ……ならば、かまわんかの」
 ラーガはそう言って勇者を見る。
「僕は別に。ラーガ師が信頼できる方だというのでしたら」
「うむ。では、簡単に伝えておくが、どうやらこのダーマにはオーブがあるようじゃ」
 オーブ。ラーミアの復活のために捧げられる宝珠。
「まずは明日、クラウスと状況を確認して、それから動く形になる。クラウスは今日、所用でバハラタまで出ておるからの。ルナは明日の朝、ワシと共にクラウスのところへ行く。アレス殿もご同行願いたい」
「ええ、僕はかまいません」
「ふむ。ではルナ。お主は一度部屋に戻れ」
「え? は、はい」
 何故自分が指名されたのかは分からない。旅立ちの準備をしろ、ということなのか。
「後で話がある。夕方来るように」
「分かりました」
 だが、今の自分は何を考えているのか全く分からない。
 目の前の事実。
 嘘だと、そう誰かに言ってほしい。
 自分が、幼いときから、もう十年も恋焦がれていた相手が。

 他に、好きな人がいる、などと。






 ラーガはルナと、それからディアナとソウも返してから勇者一行と再び面会を行った。
「さて、それでは改めて話をさせてもらおう。ワシはラーガ。このダーマの実質的な長と考えてもらってかまわん」
「はい。僕はアレス。そしてこちらがフレイ。そっちの戦士がヴァイスといいます」
「ふむ」
 ラーガはまだ左腕にしがみついているフレイを見て尋ねた。
「アレス殿は、フレイ殿と交際しておられるのか?」
「え!?」
 じろり、とフレイが睨む。変な回答をしたら後で火祭りにされそうだ。
「そ、そうですけど」
「そうか……」
 ラーガは確認してため息をつく。
(不憫な子よの)
 無論、ラーガが心配しているのはルナのことだ。ルナは一途に勇者のことを想っていた。恋とも愛とも言っていいだろう。もし初対面のときに気に入らない相手だったら何も問題はなかった。だが、
(あの様子では、衝撃、などという言葉では足りないじゃろ)
 リュカに命を助けられてから、勇者のためにだけ生きると決めて力をつけてきた十年間。その恋が報われないと悟った今、彼女の胸中はどれほどのものだろう。
 バラモスを倒すことができる力は、きっとある。この男にも、そしてルナにも。だが、はたして今のルナが通常の力を発揮することができるのか。アレスについていって、彼女の能力を全て引き出すことができるのか。パーティ間の不和が生じたりはしまいか。
(どうしたものかのう)
 まあ、考えてもこの件は仕方がない。まずは話を進めてしまおう。
「それで、アレス殿はオーブを持っていらっしゃるのでしたな」
「はい。先ほどは途中になってしまいましたが、これです」
 アレスが懐から取り出したのはグリーンオーブとブルーオーブの二つ。そして同時に、一本の笛だった。
「これは?」
「山彦の笛、といいます。これをオーブのある場所で使うと山彦が返ってくるんです。笛を吹いた人にしか聞こえない音なんですけど」
「ほう? それだと、この二つのオーブにも反応するのではないかな?」
「それは大丈夫です。こうして」
 片手でオーブを持ち上げる。
「こうやってオーブを自分で持ってから吹くと、そのオーブには反応しないんです。それ以外のオーブを探そうとするんですね」
「珍しいものもあるものじゃ。で、ダーマでこの笛を吹いたら反応したと」
「はい。もともとはアリアハン王から言われたことでした。ダーマと共同で不死鳥ラーミアを甦らせるためにオーブを捜索中だと。ただ、ダーマの方では成果が出ていないようなので、このオーブを持っていき、協力を仰ぐようにと。そのときに山彦の笛もいただきました」
「ふむ。ダーマでオーブ探索の任にあたっていたのはクラウスで、成果は出ていないとのことじゃったが」
「責任者の方がいらっしゃるなら会わせていただければ」
「それはかまわんよ。さっきも言ったが、クラウスはダーマの用事で今はバハラタでな。明日には戻るはずじゃ」
「ありがとうございます」
「ところで、もう一つ聞いておきたいのじゃが」
 オーブに関する話をそこで中断させるとラーガはさらに尋ねる。
「もしかしてお主は、オルテガ殿のご子息ではないかな」
 オルテガに息子がいるという話は聞いている。名前は全く知られていないが、オルテガがダーマに来たときに一人息子の話が何かの拍子に出ていたことがあった。
「はい。オルテガは僕の父です」
「やはりそうであったか」
「僕は父を倒したモンスターたちを、魔王バラモスを許すわけにはいきません。そして、この世界を苦しめるバラモスを必ず倒します」
 それを聞いたヴァイスがにやりと笑い、フレイが小さく頷いた。間違いなくこのパーティは三人で結束が固められている。
「ふむ。その勇者殿に折り入ってお願いがあるのだが」
「なんでしょう」
「ダーマから一人、同行者をつけてもかまわないかね?」
 同行者。だが、アレスにとってはそれがありがたい申し出とは言いがたい。
 何故なら。
「残念ですが」
「何故かの」
「僕らの力に匹敵するだけの方でなければ、同行は難しいと思うからです」
 アレスは自分の力を過大評価していない。そして、自分ほどの力を持つ戦士などそう簡単にいるものではないと、うぬぼれではなく知識として知っている。
 ヴァイスやフレイは自分を最大限にサポートしてくれるメンバーだ。戦士が足りなければヴァイスが剣を取り、魔法が必要ならフレイが全てを補ってくれる。
 その二人だけが自分に匹敵するほどの優秀な人材なのだ。というか、これだけの人材が自分についてきてくれることに感謝しなければならない。
「それならば問題はない。力量は保障しよう。このダーマで最高の賢者が同行する。それに、この者は世界の主要箇所にルーラで移動することが可能じゃ。連れていって損はあるまいよ」
「ですが」
「繰り返し言う。このダーマで最高の賢者なのじゃ。魔道に携わって七十年になるこのワシをも上回る力ぞ。どうして足手まといになろうか。はじめから魔王バラモスを倒すために鍛えてきた賢者。遠慮なくこきつかってくだされ」
「ですが」
「いーじゃねーか。気になるなら一度力試しでもしてみりゃいいだけのことだろ?」
 ヴァイスが笑いながら言う。
「な、フレイ?」
 ヴァイスはウィンクして尋ねる。フレイも何かに気づいたのか、こく、と頷く。
「どうかの?」
 ラーガが改めて尋ねる。
「ヴァイスとフレイがそこまで言うなら、僕もその意見にのってみることにするよ。でも力量を確認してからのことだよ」
「ま、大丈夫だと思うけどな。な、フレイ?」
「……しつこい」
 フレイが少しむくれているようだった。いったい何があったのか分からないアレスは、ただうろたえるだけだった。






 自分の部屋の椅子に座って、ルナはただぼうっとしていた。
 勇者様には、好きな人がいる。
 それは全く考えていなかった。もし勇者が女の人だったら、というのは少し頭をかすめたことはあるけど、それならそれで仲良くなればいいだけのこと。別に問題はなかった。
 でも。
 あれだけ、自分の理想を忠実に再現した勇者なのに、たった一つ、自分以外の人が好きである、というその一番の問題が自分を苦しめる。
 まいった。
 完全にもう、何も考えられない。自分はただ勇者様のことだけを考えて、勇者様のためにこの命を捧げようと思ってきた。
 だがいつの間にかそれは、勇者様が自分のことを見てくれるという前提の上に成り立ったものにすぎなくなっていた。
(リュカ様)
 ああ、そうだ。まったく、リュカの言う通りだ。リュカのようになってはいけなかった。勇者のことしか考えなかった人間は、いざ勇者に会ったときに絶望を味わうことになる。
『君は勇者のことをずっと好きでいればいいんだ。そして大好きな勇者のために賢者になるといい』
(それが報われない恋だとしてもですか、リュカ様)
 無論だ。そんなことは分かりきったことだ。賢者とは勇者のためにある存在。自分の感情など二の次。ただ勇者が魔王に勝てることだけを考えて、もっとも的確な作戦を立案し、そして犠牲を少なく勝利を得る。それだけを考える、勇者のための奴隷のような存在。
 もしアレスと一緒に行動するということになれば、まさに奴隷そのものとなるだろう。勇者のことしか考えず、しかも報われない。きわめて哀しい、救いのない存在。
 しかもあのアレスのことだ。少し話しただけでも分かる、典型的な『いい人』。もし自分がアレスのことを愛していると分かったら、普通に接することなどできはしまい。
 だが、自分は分かってしまった。
 アレスはまぎれもない、真の勇者だと。
 自分が命を賭けるに値する勇者なのだと。
 理屈は全て分かっている。ただ、このたった一つの感情だけが、自分を自由にしてくれない。
 そう。
 何故、自分が賢者を目指したのか。
 勇者の力になりたかった。
 それは二次的なものにすぎない。
 自分が求めていたもの。
 それは。
 勇者に、愛されること。
 あのオルテガ様が自分を守ってくれたときに感じたこと。愛する人が自分を命がけで守ってくれるということ。そんな自分だけの勇者がほしかった。でも、ただ愛されるだけでは駄目だ。自分も勇者に返せるくらいの力がほしい。だから賢者を目指した。
 だが、そもそもの根源は、勇者に愛されたかったというその一事。それがかなわなくなった今、自分はどうすればいいのだろう。
 駄目だ。
 このままの状態で、勇者たちについていくことなどできない。
(もうこんな時間)
 ただ悩むだけで時間が過ぎ去っていった。
 夕方には来い、とおっしゃっていた。おそらくラーガは自分に考える時間をくれたのだろう。
 だが、まとまらない。
 どうすればいい。
 賢者の装束を身にまとって、ルナが扉を弱弱しく開けた。
「ちょっといいか」
 その扉の向こうに立っていたのはソウ。いつからいたのか、ずっとそこで待っていてくれたのか。
「え、何」
「いいから」
 ソウはルナをもう一度部屋に戻すと、彼も一緒にその部屋に入ってきた。
「どうするんだ、勇者と一緒に行くつもりか」
「え……」
「迷っているんだろ。あんな場面を見せられて」
 ソウは全て分かっている。当然だ。このダーマで、何でも話し合って、全てを分かり合っている相手だからこそ、あの場面に居合わせて何も感じないはずがない。
「心配してくれてるんですね」
「当たり前だ。お前がずっと想い続けてきた相手なんだろう」
「そうですよね。私、ずっと勇者様のことを想い続けてきた」
 だから迷う。
 この先、自分に用意されている選択肢は二つだ。
 この気持ちを隠したまま勇者と共に行くのか。
 それとも勇者とは共に行かないのか。
「行くなよ」
 ソウが真剣な表情で言った。
「俺、もう少ししたらジパングに行ってヤマタノオロチを倒す。勇者と一緒になんか行かないで、その手伝いをしてくれ」
「……どうして」
「お前が好きだから」
 ソウが苦しそうに言った。
「お前が好きだから。一緒にいたいと思うから」
「恋人は作らないんじゃなかったの」
「ああ、そうだよ。自分でも分かってる」
 ソウは右手でルナの頭を抱きよせた。
「お前が勇者と結ばれて幸せならそれでいいと思ったんだ。でも、お前が勇者といったら、一生報われないままだ。そんな苦しい目に合わせたくないんだよ!」
「ありがとう、ソウ」
 その気持ちは嬉しい。そして、ずっと一緒にいたソウなら、ソウのことが好きになれるならと思ったことは何度もある。
 だが。
「でも私はやっぱり、勇者様のものだから」
 逆に。
 ソウが来てくれたことが、自分に決意をもたらせた。
「報われないのは分かってるけど、それでも、勇者様の傍にいたいと思う」
「そうか」
 ソウはルナの頭を離すと、もう一度近づいてその頬にキスする。
「何て言ったらいいか分からないけど……お前の恋が叶えばいいと思うよ」
「ありがとう。その望みは薄いかもしれないけど」
 幾分吹っ切れたようにルナが微笑む。ソウはそれを見て「じゃあな」と言った。
 随分とあっさりとしたものだった。彼がこれほどのことを言うのだから、もっと引き止めてくるのかと思ったが、そうではなかった。
 いなくなってから、考える。
(もしかして、ソウ)
 自分の決心がつかないのを知ってて、後押しをするために来てくれた?
(自分の気持ちをさらしてまで。私のことを考えてくれたの?)
 それがソウの優しさ。
 ずっと自分を見守ってきてくれたソウの優しさ。
(ごめんなさい)
 それでも自分は、ソウに応えることができない。
(そして、ありがとう)
 もう、迷わない。
 たとえ、振り向いてくれなくても、報われなくても。
 自分は生涯、この命を勇者のために使う。






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