Lv.24

彼女にとっては最初の試練








 ジパングはエイジャ大陸の東にある島国である。
 人口は首都の京でおよそ六万人。ダーマよりは少ない。もっとも近年は人口が増えてきて、ジパングの各地の町村を集めれば十五万になる。
 京は水陸の移動に便利で、なおかつ風水学的に安定した場所が選ばれている。京の周囲は壁で覆われ、モンスターの襲撃から身を守ろうとしている。
 京より西にある山脈にはオロチが住み着いており、年に一度、京に住む者の中で十八歳になる女性を生贄に捧げることになっている。平均してだいたい千五百人に一人の確率で対象になる。
 したがって、実際に生贄になるとはいえ確率的にはかなり低い。そのためこのジパングに住む者たちがオロチを脅威に考えているかというと、そうでもない。しかも女王ヒミコの占いにより、オロチがいれば豊穣の季節が続くと言われ、事実この十年間は一度も飢饉を出していない。
 もし飢饉になったというのであれば生贄など必要ない、という声も上がるだろう。だが実際に成果として出されるのであれば、一人くらいの生贄ならば仕方がない、と誰もが考えるようになってしまっていた。
 飢饉が出れば、何千人という単位で死者が出る。一人の犠牲ですむならば、その方がいい。そう考える者が次々と増えている。
 しかもオロチ討伐を行った先王タケルは、そのオロチとの戦いの中で命を落とし、他にも屈強の戦士たちがオロチに倒された。そのときオロチが怒りを鎮める条件として提示してきたのが、生贄を毎年一人ずつ捧げることだったのだ。
 オロチは、生贄を捧げることによってこの地に実りをもたらしてくれる神。そういう認識が既に国民の中に芽生えていた。
 飢饉がなくなり、食糧に余裕が生まれたことにより、子供が増えた。この十年で人口が千人単位で増えている。それらは全てオロチの恵みによるものだ。
 一人の犠牲で、何千、何万の生命が支えられるのなら。
 人々がオロチを求めるようになることも、むしろ当然だったのかもしれない。






「そんな馬鹿げた話があるのかよ」
 ルナやソウの説明を聞いたヴァイスが盛大に顔をゆがめている。アレスもいい顔はしていない。フレイは無表情だが、決していい感想を持っているわけではなさそうだ。
 ジパングの京から少し離れたところに着地した一行は、そこから京にいたるまでの間で簡単なジパングの現状を確認していた。
「生贄捧げてみんなが幸せにって、捧げられた方はたまったもんじゃねえぜ」
「その通りです。犠牲によって作られる平和は、必ずどこかに歪みが生じます」
 ルナがそう言って、見えてきた京を眺める。
「ジパングの人たちは、そのことを忘れてしまっているのです。必ずいつか、手痛い目を見ることになります。それは、早ければ早いほど被害は少ない」
「どういうことだ?」
 ソウが尋ねる。
「今のジパングの土地の状況からすると、ここ数年は豊作が続いていますが、一度不作になれば輸入に頼らず生きていくことは難しいでしょう。新田の開発をしない限り、通常とれる食料は十五万石に満たないはずです」
「じゅうごまんごく?」
 ヴァイスが意味分からないと回りを見る。アレスが苦笑して答えた。
「穀物を数えるときの単位だよ。一石で人が一年食べられる量、だいたい百五十キロってところかな」
「お詳しいですね、アレス様」
 驚いてアレスを見る。この人はただ戦うだけではなく、きちんと学問もしている。
「まあ、いろいろと叩き込まれてるから」
「それはそれとして、十五万石ってことは、じゃあ」
「はい。オロチ前の人口が十五万人弱。ジパングの一番の問題は食糧問題です。オロチ前の時点でぎりぎり、人々は暮らしていける限界の人口だったんです。それが、この数年で何千人と増えてしまった。もしここでオロチがいなくなり、飢饉が起こったとしたら大量の餓死者が出ます」
 それが『歪み』なのだ。歪んだ平和の上で人々は将来のことは安易にしか考えない。今は豊かだ。だから子供を生んでも大丈夫。そんな発想が、余剰人口を増やしてしまった。
「このままいけばジパングはもっと不幸になってしまいます」
「新田開発をすればいいんじゃねえのか?」
「不可能ではありませんが、この京が問題です。ここには六万人の人口がいる。開発をするならもっと気候のいい、山脈の向こう、西の地を使わないと難しいと思います。この地では今の石高が限界でしょう」
「前途多難だな、おい」
「もちろんヒミコ様もそのことは分かってらっしゃるようです。このあたりの田畑面積はこの五年で格段に増えていますから。ただ、飢饉になってしまってはその増えた田畑でも追いつくかどうか」
 ルナの説明を聞いていたソウが頭をかく。
「どうかしましたか、ソウ」
「いや、お前やっぱりさすがだな、と思って」
「はい?」
「ジパング人の俺ですらそこまで考えたことはなかったのに、お前はそういうことを考えているんだなって」
「それは、私が客観的に物事を見ているからだと思います」
 ルナは四人に尋ねた。
「オロチの存在は、是か、非か。いかがですか?」
「非」
「非」
「非」
「非」
 綺麗に四人の声がそろう。それを聞いて、ルナも頷く。
「その通りです。でも、ジパングの中にはそれを答えられない人がいるのです。それも少数ではありません。ジパングの多数は消極的な非、または中立です。もしかすると今では積極的な是かもしれません」
「まさか」
「ソウがジパングに帰るのは六年ぶりですよね。驚かないでください。おそらくソウが思っている以上に、ジパングは病んでいます」
 ソウの言葉がなくなる。そして五人はジパングの京の南正門に着いた。
 朱雀門。
 その門を超えて中に入ると、そこが朱雀大路だ。ジパングの京のメインストリート。ここには宿屋から土産物屋、武器屋、防具屋、鍛冶の店まで何でもそろっている。ダーマもそうだったが、門と宮殿を結ぶメインストリートはこうした商売の店がそろうものなのだろう。
 ただダーマと違うのは、この京では道路を東西と南北に走らせている。朱雀大路を中心に、南北に走る道と、それに直角に交わるように東西に走る道。
 この東西の道は北から順番に、一条通、二条通、という風に何条という通り名がつく。一条通よりも北が一条、一条通と二条通の間が二条、という感じだ。通りは大きなものが八条通まであって、その南側が九条。身分の高い貴族ほど一条の北の方へ住み、だいたい貴族は四条まで。平民は五条から九条の方へ追いやられる。それでも入りきらない者たちは京の外に集落を作る。
 それに対して、南北の道による区画整理は整然とはされていない。ただ通例的に朱雀大路よりも東を『左』、西を『右』と呼ぶようにしている。これは一条の中央、朱雀大路の到着点にある政庁から見て、右か左か、という決め方だ。
「じゃ、まずはどうするんだ? まっすぐ女王様のところに行くのか? それとも宿屋で休憩とってからか?」
 ヴァイスが尋ねると少しルナが思案して答えようとしたが、ソウがそれを止めた。
「いや、先に四条通りだ。俺の家に行く」
「なに?」
「俺の父さんは政庁で働いている。夜になれば帰ってくるだろうから、政庁の様子とかを聞くこともできるし、探しているオーブの所在とやらももしかしたらつかめるかもしれない」
「まあ、オーブさえ手に入ればジパングにいる必要なんかないんだけどよ」
「でも駄目だ。話を聞いた以上は、放ってはおけない」
 アレスが毅然と言う。
「ましてやルナの話を聞いた以上、このままにしておいたらジパングにいる十五万人全員が苦しむことになる。見過ごすわけにはいかない」
「でもよ、さっきの話が本当だとしたらオロチを倒せば俺たち、この国の人間からは恨まれることになるかもしれないぜ」
 その通りだ。ジパングの人々は既にオロチを受け入れている。オロチに生贄を捧げることによる幸福を享受している。それを打破するのは難しい。
「それも含めて、ソウ君は状況を知った方がいいと言ってくれたんだろう?」
「ソウでいいです。それにうちだったらみんなが休むくらい充分に余裕があるから」
「ってことはけっこう家が広いってことか」
 ヴァイスの言葉には過敏に嫌そうな様子を見せるが、頷く。
「俺の父はミドウ・ヨシカズっていって、一応この国の貴族なんだ」
「え」
 ぽかんとしてしまったのはルナ。
「ミドウ・ヨシカズ?」
「ああ」
「外務大臣の、ミドウ様?」
「今はそんな称号をもらってたっけな。なんだ、知ってたのか」
「知ってるも何も! どうしてそんな大事なことを教えてくださらなかったんですか! 五年間も!」
 ルナが『信じられない』というように首を振る。自分の鼓動が激しくなっているのが分かる。
「有名人なのか?」
「そうみたいだけど、僕は知らないよ」
 ヴァイスが尋ね、アレスも首をかしげる。
「そうですね。簡単に説明いたしますと、この国の官僚は、大王(おおきみ)と呼ばれる一族のもとに、何人かの大臣がいるんです。その中でも一条に館を構える三つの氏族、スオウ家、モリヤ家、トモエ家の三氏が権力を奪い合っているのですが、ここ数年で急激に力を蓄えたのがミドウ家です。八年前に現女王ヒミコ陛下が即位されてすぐにミドウ閣下は外務大臣に任命されました。以後、他国と交流をする際に顔を出されるのは必ずミドウ閣下です。他国は今までジパングをないがしろにする傾向がありましたが、ミドウ閣下が外務大臣になられてからはジパングの地位が徐々に高まっています。ダーマからも何度かジパングへ使者が派遣されていますが、ミドウ閣下がいなければそれもなかったかもしれません」
 それほど世界から見ても相当の有名人。それこそ各国の上層部の中には、女王ヒミコの名前は知らなくても、ジパングの外相ミドウの名前は知っているという者までいる。
「へえ、じゃあソウはそんなに凄い人の息子ってことなのか」
 アレスが感心したように言うが、ソウは首を振った。
「いえ、俺はあの人の養子なんです。血のつながりはありません」
 さらに爆弾発言。
「随分複雑な環境なんだね」
「ええ。まあ、俺としては今の父に引き取られて良かったと思ってますけど」
 気になる言い方だ。だが、何となくその先を聞きづらい言い方でもある。
「こっちです」
 朱雀大路を北上して、三条通りを東に曲がる。ここより北が三条、南が四条だ。その朱雀大路に近い四条通りの大きな屋敷。そこがミドウ家の屋敷だ。
 塀を通るとそこは庭園。庭に池がある貴族の屋敷、この地方独特の寝殿造と呼ばれる屋敷だ。
「どうぞ」
 ソウは入口の扉を開けて四人を案内する。入口を開けると屋敷全体に鳴子の音がカラコロと鳴った。
「姉さん! 姉さん、いるかい!?」
 入口からして広い。一般的な住宅とは思えないほどの広さ。
「ソウタ?」
 屋敷の奥から、廊下をぱたぱたと駆けてくる音が聞こえる。
「ソウタ! あなた、いきなりどうして」
 現れたのは、ソウよりも少し年上の大和撫子だった。
 長い黒髪は背中まですらりと伸び、貴族がよく羽織っている着物というほどではないが、しっかりと染付けられた和服。
「いろいろあってさ」
 ソウは少し顔を崩している。これだけの美人を前にすると、たとえ姉でも照れるものなのだろうか。
 というより、ソウが養子だとしたらこの姉とは血のつながりがない、ということだろうか。
「この人たちを父さんに会わせたいんだ。今日は帰り、遅いのかい?」
「父さんなら書斎にいるわよ」
 へえ、と驚いたようにソウが言う。
「仕事はないの?」
「昨日エジンベアから帰ってきたばかりで休暇よ。タイミングが良かったわね」
「また自分の国ほったらかしで他の国回ってるのかよ」
「それがお父様の仕事だもの」
 姉がそう言ってから改めて四人の方を向いてお辞儀をする。
「失礼しました。私はソウタの姉のヤヨイといいます」
「ああ、紹介します。姉のヤヨイ。で、姉さん、こちらがアリアハンから来た勇者の人たち」
「勇者?」
「ああ。こっちから順に、フレイさん、ヴァイスさん、アレスさん、それにルナ」
「はじめまして。よろしくお願いします」
 アレスが深く頭を下げる。
「ソウにはいつもお世話になっています」
「ルナ……ああ、ソウから手紙で聞いているわ。あなたがダーマの『奇跡の賢者』さんね」
「ご存知でしたか。光栄です」
「かしこまらなくてもいいのよ。自分の家だと思ってゆっくりしてくださいね」
 ヤヨイが笑顔で会釈すると、どうぞ、と奥へ案内する。
「美人の姉さんだな」
 ヴァイスが女好きを披露するが、ソウはじろりと睨むと釘を刺した。
「姉さんには手を出すな」
「お、なんだよ。別に──」
「もしも姉さんに手を出そうとしたら、どんなことをしてでもお前を殺す」
 思わぬ迫力に、さすがのヴァイスもたじろぐ。
「お姉さんのこと、大切になさってるんですね」
 ルナが言うと「そんなんじゃない」とソウは首を振る。
「とにかく、こっちだ」
 姉の後に続いてソウが奥へ移動する。ルナとアレス、そしてフレイにヴァイスも続いた。
 広い応接室に招かれた一同は、そこに腰掛けて待つように言われた。
「にしてもお前さん、どうしてわざわざダーマなんか行く気になったんだ? ここにいりゃ、ミドウ家の跡継ぎに──ああ、養子だっけか」
 答えづらそうな表情だったが、ソウは言葉を選びながら答える。
「養子だが、父さんには他に息子はいない」
「いない? じゃあお前さんが家督を継ぐってことか」
「ああ。父さんは俺を跡継ぎにしようとしてくれている。ありがたいけど、あまり嬉しくはない」
「どうしてだ?」
「あの政庁にいたくない。会いたくない奴もいるし、体面だけ取り繕って会話するのなんか真っ平だ。俺は官僚なんかになりたくない」
「やれやれ、帰ってくるなりそんなことばかりか」
 扉が開いて、太い男の声がする。
「父さん」
 そこにいたのは父親の笑顔を見せた中年の男だった。白髪交じりだが、目は意思の強さを感じさせ、堅苦しそうな雰囲気の中にも優しさがにじみ出ていた。
「久しぶりだな、ソウタ。元気そうで何よりだ」






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