Lv.26

自分を曲げずに、歪みを正す








 ルナはいろいろとソウやミドウに聞きたいこともあったが、それにもましてジパング見学の申し出は嬉しかった。正直、ジパングに来てからまっすぐにミドウ家まで連れてこられて、このジパング全体の把握ができていない。
「京をぐるりと一周するとどれくらいかかるの?」
 ルナはソウに尋ねる。
「一日はかかるぜ。ダーマより人口少ないっていっても、一軒あたりの広さが半端じゃないからな」
 ならば最低限のことだけは見ておきたい。このジパングの出入り口全てと、それから宮殿の位置、三氏と呼ばれる人たちの屋敷。
「でも、いろいろと聞きたいこともあるんだけどな」
 アレスが言うとルナも頷く。
「はい。私もいろいろとソウには聞きたいことがありますし、ジパングのこともそうです。ただ、このジパングをあちこち見て回ることで知りたいことのいくつかが分かると思います。ジパングの現王権のこと、それから三氏のこともそうです」
「なるほど。見学がてら、いろいろと勉強するってことか」
「はい。私はどこに行っても、必ずその土地の様子を確認します。どこで何が起きるか分からない以上、その土地のことは絶対に調べておかないと後悔することにもなりかねません」
 初めてダーマに行ったときも、建物と街をつぶさに見て回った。自分が知らない場所があるということが何よりも不安を駆り立たせる。
「じゃ、どこから行く? まずは朱雀大路、まっすぐ北上するか」
「はい」
 ソウの案内で、一行は朱雀大路を宮殿に向かって歩く。
 時折、ジパングの子供たちが遠めに「うわー、ガイジンだー」と珍しいものを見るかのようにしている。
「さすがに島国だな。俺たちゃ珍獣か」
 少し機嫌が悪そうにヴァイスが言う。
「昔に比べればましだ。六年前だったら大人でもあんな様子だった。今は父さんの開放政策で外国から人がけっこう来るようになったからそうでもないみたいだけど」
「へえ。お前の父さん、けっこうなやり手か」
「まあ」
 あいまいにぼかした言い方をする。分かっていながら身内を褒めるのは好きではない、ということか。
「そういや、ソウはどうしてミドウ様の養子になったんだい?」
 アレスが気にしていたことを尋ねる。ルナも興味があるという様子でソウを見た。
「たいした話じゃありません。俺は本当の父親に嫌われていて俺を捨てようとした。それを今の父さんが、いらないのなら私がいただこうって無理やり俺を養子にしたんです」
「そりゃすごい」
 ヴァイスが両手を上げる。
「思い切ったことをするものだね。相手の方は何も言わなかったのかい?」
「はい。母親も亡くなって、あの家では俺は完全に厄介者でしたから」
「母親がなくなって?」
「俺、側室の子供ですから」
 またさらりと凄い発言が飛び出した。
「側室って……じゃあ、お前さんの本当の父親も」
「ああ、貴族だよ。気に入らないけどな」
 はあ、とため息をつく。
「あの家とは完全に手を切ったんだ。あまり思い返したくない」
「まさかとは思うけど」
 アレスが尋ねる。
「君の本当の父親というのはもしかして、モリヤ家の人じゃないのかな」
 言われたソウは驚いた表情を見せる。
「よく分かりましたね」
「さっきのミドウ様との話を聞いて、なんとなくね。モリヤっていう家に反応してたから何かあるとは思っていたんだけど、そういうことだったのか」
「はい。詳しく説明すると長くなるんですが」
 そうして、現在のモリヤ家の説明が始まった。
 現家督がモリヤ・シゲノブ。彼は正室の他に側室が一人いて、側室が先に子供を産んだ。それがソウタだ。
 その翌年に正室が長女エミコを生み、さらにその翌年長男ヒロキが誕生。モリヤ家の相続継承権はヒロキが持つことになり、こうしてソウは二歳にしてその存在意義を抹消された。
 側室は正室からの虐待を受けて、心を病んで後に病死。今から九年前、ソウが七歳のときである。
 ソウは自分を庇護してくれる人物を失い、父親からも疎まれるようになった。そのときミドウが養子縁組の話を持ち出してきたのである。
「俺、父さんに引き取られて本当に良かったと思ってる。父さんは俺のやりたいことをやらせてくれるし、ヤヨイ姉さんだって俺のことをきちんと考えてくれている」
「いいお父さんだね」
 アレスが笑顔で言うと、ソウも笑顔で「はい」と答えた。
「でもそうなるとよ」
 ヴァイスが考えて言う。
「もしもオーブがモリヤの家にあったらどうするよ」
「経緯からして、確かにあまり協力的になってくれるとは言えなさそうだな」
 アレスが応えるとソウも強く頷く。
「そのときは奪うしかないと思います」
 ルナが言う。オーブを手に入れるのなら最終的には手段を選ぶ必要はない。
「そりゃ短絡的だな。お前さんはそう思うかもしれないが、案外話してみれば分かってくれるかもしれねえしな」
「無理ですよ。あの男が他人のために何かしようだなんて思うはずがない」
「嫌われたもんだな」
 ヴァイスが肩をすくめる。確かにソウがここまで他人を酷評するのは珍しい。
 ルナも隣を歩くソウを心配そうに見つめる。
 ソウはいつだって前向きで、自分を元気づけてくれていた。
 だが、今まで彼の出生とか故郷のことを聞いたことはなかった。あまり話したそうではなかったということもあったが、それは裏にこういう事情があったからなのだ。
「大丈夫だよ」
 ソウがそれに気づいたのか、笑顔を見せる。
「俺は今の家が気に入ってるから、昔のことはあまり気にしてないんだ。そりゃ思い出したくないことだから、機嫌は悪くなるけどな。さて、そろそろだぜ」
 ソウが前を示すと、道の終わりが徐々に大きく見えてきた。
 朱雀大路をまっすぐ北上した先が宮殿。大王の一族が住む場所で、なおかつ政庁にあたる。
「あの中が政庁。ヒミコ陛下をはじめ、たくさんの官僚があそこで働いてる。ヒミコ陛下は実際には政治をしているわけじゃなくて、官僚たちが行ったことに対する最終決定権を持っているだけだ。政治をしているのはヒミコ陛下の弟、カズサ殿下」
「ジパングの事実上の中心人物ですね。カズサ殿下がいらっしゃらなければジパングは機能しないといわれています。まあ、他国ではあまり知られていませんが」
 ルナが補足説明を行う。へえ、とアレスが頷く。
「フレイさんはあまりお話になりませんけど、何か質問はありませんか?」
 ルナが促すが、彼女はふるふると首を振る。その動作までいちいち綺麗で可愛い。
「大王家ってどれくらい人数がいるんだ? さっきは跡取りが女の子しかいないって話だったけど」
 ヴァイスが気になったことを尋ねる。それについてはルナの方が詳しかった。
 先王タケルとその妻ミコトは八年前のオロチ討伐の際に戦死。それにより長女のヒミコが跡を継ぐこととなった。
 タケルの子は三人。長女ヒミコ、次女スマコ、長男カズサである。スマコはそのとき既にトモエ家の当主に嫁いでおり、血は継いでいるものの正式な大王位継承権はない。
 ヒミコは一度も結婚しておらず子はない。それに対してカズサは三氏のスオウ家から妻を娶っている。妻は既に他界しているが、間に一人娘がいる。それが今年十四歳になるイヨだ。
 したがって現在の継承権第一位がカズサ、第二位がイヨ。それより下は正式には存在しない。ただ、スマコの血を引くトモエ家の双子の兄妹がいて、その兄の方をカズサの養子にという話が出ている。ただその兄もトモエ家の跡継ぎとなるので、養子の話は立ち消えになってしまっている。
「トモエ家っていや、大王家に協力的なところだっていう話だったよな?」
「私もそこまで詳しくはないですが」
 ルナは助け舟を求めるようにソウを見る。
「トモエ家の当主、ユキト様はいい人だよ。スマコ様とは恋愛結婚だけど、本当にいい人同士だからな」
 だがそれなら今回の生贄の件はよほど憤っているはずだ。ヒミコにしてもイヨは姪だが、スマコからみても姪だ。それをほったらかしにするような人ではないということだろう。
「ソウはイヨ殿下にお会いしたことはありますか?」
 ルナが尋ねると「いや」と答えた。
「まだモリヤのところにいた頃に一回会ってるはずなんだけどな。全然覚えてねえ。九年前だから俺が七歳、殿下が五歳。それじゃさすがに覚えてないさ」
 けど、とソウは真剣な顔になる。
「姉さんを助けるために戻ってきたジパングだけど、だからといって別の人を生贄にして黙ってるつもりはない」
「はい」
「アレス様は、やっぱりオロチを倒すつもりですか。それとも、父さんのように準備が整うまで待った方がいいと思いますか」
「難しい質問だね。これは国策に関わるから」
 アレスは首をかしげる。だが、答は決まっていたかのように続けた。
「ただ僕は、十四歳の女の子が犠牲になると分かっていて無視するつもりはないよ」
「じゃあ」
「いずれにしてもその点はヒミコ陛下と話してからだけどね。生贄をささげなくてもオロチと共存できる方法があれば一番かな。ルナはどう思う?」
 話を振られて少し考える。これは賢者としての知恵を試されているということだろうか。
「オロチが人間と意思の疎通ができるかどうかが問題ですが、ソウにはわかりますか」
「いや、詳しくは分からない。父さんに聞かないと」
「ではそれができるとして、オロチは交換条件を求めるでしょうから、それをこちらが呑めるかどうかですね」
「生贄の交換条件か。何が想像できるかな」
「供物ですめばいいですけど」
 そうした話を聞いてソウはたまらずに尋ねる。
「共存ができるとお考えですか」
「知性があればそれは可能だよ。感情的なところはこの際抑えるしかない。実際、オロチを倒してしまえばこの国が危うくなるのも事実だろう。生贄を捧げるというのは、施政者としての判断は間違っていないと思うよ。だからオロチを倒しても大丈夫なように手を打っている。後のことを考えずに決定を下すのは愚策だ」
「じゃあもし、オロチとは話ができなくて、倒すしか方法がないとしたら?」
「そのときは倒すしかない。当然だろう」
 あっさりとアレスは答える。
「僕は人間だからね。同じ人間が困っているならそれを取り除く。たとえ国が一人を犠牲にしようとしても、僕はその一人を助ける。一人を犠牲にして他の全員が救われるなんていうのは間違っている。オロチを殺せば飢饉になるのが間違いないなら、今のうちから何故その準備をしない? この国の人々は今年も生贄を捧げて、今年も豊作になることを当たり前のように受け入れてしまっている。オロチがいなくなって飢饉になることなんて微塵も考えていない。そんな堕落した考えならオロチを倒して少し厳しい現実を知ってもらった方がこの国のためにもいいだろう」
「同感です」
 ルナが頷く。もしここで犠牲を認めるような勇者なら、自分がついていく相手にはなりえない。
「ですが、仮に殺せば飢饉になることが確定しているとしたら、アレス様ならどうしますか」
 実はその答をルナは既に持っている。そしてミドウもおそらくは同じ考えを持っているだろう。ではアレスはどうなのか。
「ルナから聞かれるとは思わなかったよ。ルナもてっきり同じ考えだと思っていた」
「ええ、多分同じ考えです。ミドウ閣下もあの場では開墾がどうこうおっしゃってましたけど、既に手は打っていると思います」
「だろうね。どんな場合になっても国が立ち行くようにするのが施政者の仕事だ。今すぐにオロチがいなくなったとしても、ジパングは大丈夫だと思うよ」
 二人の間だけで納得するが、周りの三人には分からない。
「どういうことだよ、きちんと説明しやがれ」
 ヴァイスが少しむくれたように言う。
「ルナから説明してもらえるかな」
「はい。ミドウ閣下はおそらく、飢饉になった場合は他国からの援助を求めることができるよう、既に各国とその話をされていると思います」
「え」
 ソウが意表をつかれたように驚く。
「飢饉になって食糧がない。ないなら余剰があるところから譲ってもらえばいいんです。つまり、輸入。最悪の場合はどれだけの食糧が必要で、どの国からどれだけ援助してもらえるのかを計算し、それを各国に頼んでおく。さらに現在の余剰分をひそかに蓄えておいて、最悪のときに放出できるようにしておく。それくらいのことはしていると思います」
 いつ、オロチを倒しても大丈夫なように準備だけはしておく。それがミドウ・ヨシカズのやり方。ただ、他国に援助を頼むよりは自国のことはなるべく自国で解決した方がいい。だからまだしばらくはこのままの状態を保っておきたいということなのだろう。
「解決の見込みがあるならさっさとやれってんだ、まったく」
 ソウが文句を言うが、もちろん早急にできることではないし、そもそもオロチを討伐するとしてもそのオロチを倒す者がいないのではどうにもならない。
「ただ、あの様子だとミドウ様は今年なんとかオロチを倒すことになっても大丈夫な感じだったな」
 アレスが言う。さすがにその発言にはルナも驚く。
「そうですか? 私はそこまでは感じ取れませんでしたが」
「いや、あの口ぶりではどうにかオロチを倒さないといけないという様子だった。悟られないようにはしていたけどね」
 アレスには確信があるらしい。そういう人間の心の内を読むことまでは、さすがのルナも経験不足といえた。
「それに、父親なら信じたいんじゃないかな」
「何をですか?」
「ソウはオロチを倒す力を手に入れるためにダーマに渡ったんだろう? だったら、帰ってきた息子がオロチを倒してくれるんじゃないか、っていう希望をさ」
 そう言われるとソウも顔をしかめた。
「期待されていたっていうことですか?」
「まあ、そうなるかな。だからなんとか今年までに準備を整えたかった。息子が帰ってくる今年に合わせて最低限の準備は整えた……っていうところかな」
「息子もぎりぎりなら父親もぎりぎりってことか」
 ヴァイスが軽口を叩く。
「力自慢の集まるダーマで無差別優勝なら充分父親の期待には応えられていると思うけどね。ただ、オロチの強さがどれほどのものかが分からないと、もしかしたらその充分では足りないかもしれない」
「ま、一人で倒すのは無理でも俺たちがいるわけだしな」
「そういうこと。知性のないモンスターなら行動パターンをつかめば勝てる。知性があるときの方が問題だな。相手もこちらの行動パターンを読もうとしてくるだろうし」
 それを聞いてルナが考えるように右手を自分の顎に当てる。
「オロチの情報がほしいですね。どんな風に戦って、どれくらいの力を持っているのか」
「八年前のオロチ討伐の生き残りとかがいれば一番だな。ま、それは誰かに聞けば分かるだろ」
 そうしてしばらく宮殿前で話し合っていた一同は、それから東の左京を見て回ることにした。






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