Lv.29

邂逅は、未来への懸け橋








 ソウは父と姉と一緒に、混乱のジパングを何とか避難所まで連れてくることができた。
 四条の中ほどにあるジパング軍施設。ここが万が一のときの避難所となっている。そこには既にたくさんの避難者がきて、中で身を小さくしている。
 もちろん周りは多くのジパング兵がいて、民間人を守るために戦ったり守ったりしている。
「ソウ」
 そんなソウに、姉のヤヨイは真剣な表情で言う。
「行きたいのね?」
 嘘を許さない姉の瞳に、ソウは力強く頷く。
「なら後悔しないようになさい。そして」
 ヤヨイは一度、ソウをしっかりと抱きしめた。
「必ず帰ってくること。約束よ」
「もちろん。姉さんを残していくことはしないよ。姉さんの結婚衣装、絶対に見たいからな」
 そしてソウは身を翻すと戦乱の街中に飛び込む。既に避難民たちは町のあちこちにある避難所に行ったりしていて、モンスターと兵士たちとの戦争の場と化していた。
「どけえっ!」
 ソウは立ちはだかるキャットフライを一撃で切り倒すと、政庁に向かって走った。
 朱雀大路は一大決戦場となっていたので、そこを通っていくのは危険だった。ソウは袋小路になっていない他の通りに出て一目散に北に向かう。
 そのときだった。
「誰か!」
 小路の奥から女の子の悲鳴。
「ちっ」
 もちろんここで見捨てていけるような性格ではない。誰であれ、助けられる人は助ける。それが自分のポリシー。
「こんなところでいつまでもだらだらしてるんじゃねえよ!」
 毒づいてその小路に駆け込んでいく。記憶が確かならこの先は行き止まり。もしかしたらそこに追い詰められているのかもしれない。
「私はまだ死ねないの!」
 まだ声が聞こえる。聞こえているうちはまだ死んでいないということ。大丈夫、今行く。
「待て!」
 行き止まりの壁を背にした女の子と、その前にいたベビーデビルが二体。
(あのフォークはまずい!)
 ベビーデビル自体はそれほど強くない。だがマホトラを使った後の強力な攻撃魔法と、その凶器のフォークはただの女の子に避けきれるはずがない。
「そこまでだ!」
 剣を一閃。それで一体のベビーデビルは体を上下に分断された。
「その子に触るな!」
 身を竦ませたもう一体のベビーデビルも、ソウの剣で貫かれて絶命した。
「大丈夫か」
 壁にもたれかかっている小さな女の子の傍に膝をつく。
「は、はい。危ないところをありがとうございました」
 だが体はまだ震えている。とても一人で歩けるような様子ではない。
「なんでまだこんなところにいるんだ。親とはぐれたのか」
「は?」
 女の子はきょとんとする。
「いえ、そういうわけではありません」
「避難所に向かわなかったのか? 死ぬつもりか?」
「いえ、あの」
 女の子が少し困ったように泣きそうな顔になる。
「ああ、すまない。別に困らせるつもりじゃないんだ。とにかく、避難所まで連れていってやるから」
「いえ、それよりも」
 ぐ、と歯を食いしばって女の子は立ち上がる。
「私は政庁に行かなければなりません」
「は?」
「大丈夫です。何とか一人でも行けますから──」
「ふざけるな、死ぬ気か!」
 とん、と軽くついただけで女の子はへなへなとその場にへたり込んでしまった。
「ですが」
「政庁なんかに何の用だ。あそこは今、一番の激戦区なんだぞ!」
「分かっています! でも、私がいなければ政庁はもっと混乱します。少なくとも私が無事であることを知らせないと」
「自分が無事って……」
 改めて女の子の姿を見る。冷静になってようやく気づいたが、服がまず平民らしくない。かなり高貴な身分の家柄。長い綺麗な黒髪も相当手入れされていることが分かる。
「名前は?」
「はい。イヨ、と申します」
 ソウは頭痛がした。
「イヨ殿下……ですか」
 イヨ。現女王ヒミコの姪にして、王位継承権者第二位の最重要人物だ。まさかとは思ったが、王家の人間だったとは。
「このようなところで何をしておいでですか」
 相手が殿下と知って言葉遣いを改める。だがイヨは首を振った。
「別に、私が誰か分かったからといって言葉遣いを気にする必要はありません」
「そういうわけにはいきません。先ほどは知らないこととはいえ、失礼いたしました」
「いいえ。あなたは命の恩人です。しかも私が誰かも知らないのに助けてくださいました。つまり、私が王女であろうと民間人であろうと助けてくれたということです。あなたの心は気高い。私はあなたに感謝こそすれ、謝られるようなことは何もありません」
 居心地が悪い。王女と話す機会などあるものではないと思っていたのに。
「それで、王女殿下はこのような場所で何をしておいでですか」
「政務です。左の八条を視察していましたが、そうこうしているうちにモンスターの襲撃が」
「それで政庁に戻るところですか。分かりました。じゃあ、俺が政庁までお連れいたします」
 相手に一礼するとイヨも頷く。
「ありがとうございます。このご恩は必ずお返しします」
「いえ、ジパングに仕える官僚の息子としては当然のことですから」
「官僚? どなたの」
「いえ、父親の名前を売り込んでいるみたいなのでやめておきます。とにかくお連れしますから──」
「何をおっしゃいます。命の危険を省みずに助けてくれた勇者様に恩返しもさせてくれないのはひどすぎます」
 イヨはそう言ってなんとか立ち上がろうとする。だが、見ているだけでそれが弱弱しい。
「俺は勇者なんかじゃありません」
「私にとっては、誰よりも礼儀正しく、紳士で、信頼のおける勇者です」
 イヨは剣を持ったままのソウの手を取った。
「お名前を教えてくださいませ」
 ソウは少し迷ったが、諦めたように答えた。
「ミドウ・ソウタといいます」
「ミドウ・ソウタ」
 イヨは驚きで目を丸くした。
「そうでしたか、あなたが。ダーマに行っていると聞いてましたが」
「今日ジパングに着いたばかりです。オロチを倒そうと思って──」
 と言いかけて相手の立場を気遣う。
 考えてみれば、オロチの今年の生贄は、目の前にいるこの少女。
「そうですか。オロチを」
 やはりイヨは顔を背けてうつむいてしまった。
「ですが、オロチは強い。それに、今のジパングではオロチを倒すという話にはならないでしょう」
「殿下」
 ソウは手を振り払う。そのかわりに相手の両肩に手を置く。
「俺は弱い。殿下に約束なんかできるような立場でもありません。でも、俺が一番信頼している、本当の勇者様が、必ずオロチを倒してくれます」
 イヨは何も言わず、目の前のソウを見ている。
「だから、そんなふうに諦めることはおやめください」
「諦めるな……と」
 イヨは苦笑した。
「私はジパングのために、自分の身を人身御供とすることに同意しました。今さら諦めるなとは」
「オロチがいなければ何も問題はない。そうでしょう」
 ソウは剣を肩に背負うと、イヨを抱き上げた。
「そ、ソウタ殿?」
「ここでこうして話していても埒があきません。他のモンスターも来るかもしれない。急ぎますよ」
 ソウはその体勢のまま走り出した。
 自分が手を使えない状態でモンスターに遭遇したら一巻の終わりだ。だが、どんなことがあってもこの少女を政庁まで送り届ける。それが自分の役目なのだと悟った。
(諦めるなんて駄目だ)
 ソウは歯を食いしばる。
(生きるのを諦める国の体制なんか、絶対に間違っている)






 黒騎士を倒した後のモンスター軍は統制も取れず、あとはただ三々五々、街の外に散らばっていくだけだった。
 政庁内部のモンスターはほとんど打ち倒したものの、政庁の中のどこにもイヨの姿はない。だとすると街にいるのか、それとも連れ去られたか。
「イヨはまだ見つからんのか!」
 カズサが声を張り上げる。が、ジパングの兵士たちも戦いと平行して探していたのだ。そう簡単に見つかるものではない。
「失礼します、カズサ殿下」
 アレスたちが戻ってきて頭礼する。
「おお、勇者殿。どうですか、娘は」
「いえ、見つかっていません」
「そうか」
 カズサは唇をかみしめる。国王の座にはヒミコも座って顔をしかめている。
「イヨ殿下は本日、どこにおられたかお分かりですか」
「うむ。イヨは今日、左の八条の視察の予定だった。だが、夕刻には戻っているはずだが」
「まだ戻っていない可能性は」
 カズサは顔をしかめて兵士たちに言う。
「誰か、本日イヨが戻ってきたところを見た者はおるか!」
 だが誰も反応しない。ならば可能性はそちらだろう。
「街を調べてみる必要がありますね」
「うむ。ただちに兵士たちを──」
「ご報告します!」
 そこへジパングの兵士が一人駆け込んできた。
「何事だ!」
「はっ! イヨ殿下ご帰還! 街の方へ出られていた様子です!」
 カズサの顔が輝く。ヒミコもほっとしたように微笑む。
 アレスは仲間たちに笑顔で振り返り、三人も笑顔で応える。
「お父様!」
 政庁に、若い女の子の声が響く。その声の主を見たアレスたちは驚いた。
 その隣に立って歩いていたのは、先ほど別れたばかりのソウだったからだ。
「ソウ!?」
 ルナが声を上げる。ソウは頷いたが、まだ何も言わない。先にイヨを、ということだろう。
「無事だったか。良かった、本当に良かった」
 カズサがイヨを抱きしめて言う。
「ありがとうございます、お父様。それに伯母様もご心配をおかけしました」
「いいえ。あなたが無事ならそれでいいのです。本当に良かった」
 ヒミコの言葉にイヨが頷き、そして近くにいたソウの手を引いた。
「この方に命を助けていただいたのです」
「そうか。娘を助けてくれて感謝する」
「いえ、ジパングの民として当然のことです」
「充分な褒美を取らせるし、私が叶えられることであれば何でもしよう。娘を助けてくれて本当にありがとう」
 その様子は、とても娘を生贄にしようとしている者とは思えなかった。娘の身を案じるただの一人の親。
「それなら、お願いがあります」
「おお、何でも言うといい」
「実は俺、アレスさんたちの仲間なんです」
 ソウはアレスたちを示して言う。
「アレス殿のか。そうか、勇者殿のお仲間か。ならば自分たちを助けてもらったばかりか、娘の命をも助けてもらったということだな」
「恩を着せるつもりなんかなかったんです。本当に。俺はただ、悲鳴が聞こえたから助けに行ったら、そこに王女殿下がいらっしゃったんです」
「身分の違いで人助けをしたのではないということか。なんとも気高い志だ。それならばなおのこと、感謝をしなければなるまい」
「ありがとうございます。それで、もし可能なら、アレスさんの願いを叶えてほしいんです」
「ほう?」
「アレスさんはこの国にあるはずのものを探しているんです。もしジパングの王宮にそれがあるなら、ぜひ譲ってほしいのです」
「うむ。この国のもので譲れるものであれば問題ない。わが国の至宝、三種の神器を譲れというのであればさすがにどうすることもできんが」
「いえ、そうではありませんが──」
 ちらり、とソウはアレスを見る。
「カズサ殿下」
 アレスはそこで口を挟んだ。
「おお、アレス殿」
「今はそういう話をしている場合ではありません。既にモンスターは引き上げましたが、事後処理があります。それらを全て片付けるのは一日二日では足りないでしょう。すぐに取り掛からなければいけません」
「ああ、そうか。そうだな。まずは被害報告とそれから──」
「あちこちの民家で火が上がっています。消火させていますので大きなことにはならないと思いますが、人手が必要です」
 ジパング兵が告げる。カズサは頷いて指示を出す。
「よし。五人一組となって京の各地へ分散。人手の必要なところを優先せよ」
「はっ」
「姉上、何かございますか」
「いいえ」
 ヒミコは首を振ると、ゆっくりとアレスに近づいた。
「今宵のこと、本当にありがとうございます」
「いえ、当然のことをしたまでです」
「こちらで休む場所をご用意しましょう。ゆるりと休まれよ」
 アレスは一度仲間を見て、それからソウを見た。
「いえ、こちらでお世話になると余計なお手間をかけさせます。我々はミドウ家にご厄介になるつもりですので、何かあればそちらへご連絡ください」
「ですが」
「僕らもヒミコ陛下にはいろいろとお伺いしたいこともありますし、彼が言ったようにお願いしたいこともあります。でも今は少し時間が必要なようですから」
 さすがにこのモンスターの襲撃の混乱は一日、二日で収まるものではない。今はアレスたちがいる方が迷惑だ。
「分かりました。重ね重ねお心づかい、感謝します」
「とんでもございません」
 そしてアレスたちは仲間を見て頷く。ソウもそれに応えて一緒に政庁を出ることにした。
「ソウタ様!」
 イヨは自分を助けた勇者に向かって声をかけた。
「明日、政庁へいらっしゃってください。必ずお礼を差し上げますから」
 ソウは軽く礼をして応えると、アレスたちと共に政庁を出た。

 こうして、ジパングにおける最初の一日は終わりを迎えたのだった。






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