Lv.30
未来は遥かなる希望の路
アレスたちが屋敷まで戻ってくると、既に街の方でも避難所から徐々に人々が引き上げてきているようだった。既にモンスターの気配はどこにもないという判断らしい。
火事場泥棒もかなり多かっただろう。さすがにそこまでジパング兵が守れるはずもない。
「父さん、姉さん!」
ソウが声を上げる。館の前でずっと待っていたのか、二人はソウに気づくとすぐに反応した。父親は安堵した笑みを見せるし、姉はすぐに駆けつけてソウを抱きしめていた。
「良かった、無事で」
「姉さん、ちょっと」
さすがにそれは恥ずかしかったか、強引に姉の腕を振りほどく。
「もう、せっかく無事に再会できたんだから、少しは雰囲気出しなさい」
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ。アレスさんたちだって疲れてるんだからさ、今日のところは休ませてほしいんだけど」
「そうね。いろいろとありがとうございました、皆さん」
ヤヨイが深くお辞儀をする。
「ま、どうってことないけどな。あれくらいのモンスターどれだけいたって敵じゃねえっての」
ヴァイスが調子のいいことを言う。
「……眠い」
どうやら限界に達したらしく、フレイが口元を隠しながらあくびをしている。
「すみません、フレイを先に寝かせてもいいですか」
「ええ、もちろん。さあ、フレイさん、どうぞ」
こくりと頷いてヤヨイについてふらふらと歩いていく。
「じゃ、俺もお先ー」
さらにその後をついていったのがヴァイスだ。残り四人となってからソウは父親に向かって言った。
「父さん、途中で、イヨ殿下を助けた」
さすがにそんなことを予測できるはずもない。ミドウは驚いて尋ねる。
「ほう。またどうして」
「たまたま。政庁に向かっている途中で悲鳴が聞こえたんだけど、行ってみたら女の子がモンスターに襲われてたから勢いで助けたんだけど」
「それがたまたまイヨ殿下だったというのか。それはまたすごい偶然だな」
だがミドウは笑顔でソウの肩を叩く。
「とにかく人助けはいいことだ。それもイヨ殿下ならなおさらだ」
「人に身分の差はないんじゃなかったのか?」
「無論そう思ってはいる。だがイヨ殿下は特別だ。何しろ、三週間後には生贄にされることが決まっているからな。それまではせめて、幸せでいてもらいたい」
「殺させねえよ」
ソウは父親の言葉をさえぎる。
「犠牲なんて真っ平だ。オロチは何とか止めてみせる」
「お前がか? なんだ、イヨ殿下に惚れたか? 美少女だからな、殿下は」
「そんなんじゃない」
だがからかうのに怒る様子もなくソウが応える。
「殿下、もう自分の未来をほとんど諦めてる感じだった」
「それはまあ……そうだろうが」
「俺より二つも年下で、あんな風に絶望して、それでこの国が立ち行くっていうのは間違ってる。そんなシステム、絶対に認めない。たとえアレス様たちがいなくても、俺一人でだって絶対にオロチは倒す。女の子のあんな顔見たくない」
ふむ、とミドウも頷く。
「確かにそれは同感だな。殿下の、あの、もう生きることを諦めた表情は、見ているこちらまでが苦しくなる」
「そんな顔をさせて父さんは平気なのか?」
「平気だったら、今年までに何とかオロチを倒す準備をしておこうとは思わんよ」
傍で聞いていたルナとアレスが視線を交わす。
「なんだって?」
「万が一のことを考えてオロチを倒すことはいつでもできるようにしてある。ただ、オロチ退治を任せられる者がいなければどうにもならなかったことだが」
もちろんそれはソウのことではない。ここにいるアレスのことだ。
「まあ、僕で何とかできるなら何とかします」
アレスも否定はしない。そして今ではルナもアレスの力を充分以上に信頼していた。
この人は本当に強い。あの黒騎士との戦いを見ても分かる。ヴァイスがかなわないと言った理由がよく分かった。
「ヒミコ陛下もカズサ殿下も話せば分かる人のように見えました。僕らで倒せる相手なら何とかしてみせます」
「うむ」
ミドウは頷くとそこで話を切り上げる。
「私はこれから政庁へ向かう。アレス殿は今日はゆっくりと休まれてください。すぐにでもヒミコ陛下とお会いできるように取り計らいます」
「いえ、一日、二日は正直難しいと思います。手遅れにならないうちでしたらいつでもかまいません」
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
そうしてミドウは夜の政庁へ向かった。
「それじゃあ、アレスさんも休んでください」
ソウが促すとアレスもルナも屋敷へと入っていく。そうしてそれぞれがあてがわれている部屋に着く。
「ルナ、ちょっと話があるんだけど、いいかな」
「はい」
もちろんアレスの指示ならば否はない。ルナはアレスの部屋へと入っていく。
「今日の戦闘のことで確認したいことがあるんだけどさ」
「はい。いきなりの戦闘でしたから、私も皆さんの力を存分に確認させていただきました」
「うん。ルナが僕たちの実力を計っていたのは分かっていたよ。防御力を上げる魔法以外はほとんど効果魔法を使っていなかったしね」
「はい。バイキルトやピオリムでは皆さんの力を確認することができませんでしたから。だからといって危険な目に合わせるわけにはいきませんので、防御の力だけは上げたんです」
「お眼鏡にはかなったのかな」
「もちろんです。アレス様はもとより、ヴァイスさんもフレイさんも、ダーマにあれほどの使い手は一人もいません」
「ルナを除いてね。君はどれだけの魔法が使えるんだい?」
「魔法使いや僧侶が使える魔法は一通り実戦レベルで使えます」
「じゃあその、バイキルトとかも」
「はい。一度その力がどれくらいのものか、皆さんに実感していただこうと思っています。戦闘中に突然自分の力やスピードが上がっても、頭がそれについていけなくなることがありますから」
それで一度ソウが死に掛けたことがある。ピオリムを使って戦わせてみたところ、あまりにも動きが早すぎて、ガルナの塔から落ちてしまいそうになったことがあるのだ。
「うん、それはできるだけ早い方がいいな。僕らはまだお互いのことをよく知らない。充分に力を合わせておかないと、オロチは強敵のようだからね」
「はい。ところで、フレイさんなんですが」
「なんだい?」
「攻撃魔法しか使っていなかったのですが、それ以外の魔法を使うことはありますか?」
「いや、僕の知っている限りではないな。メラもヒャドもギラもイオも、全部上級魔法まで使えるけど、それ以外の魔法を使ったところを見たことはない」
炎と爆発は使うなと言ったら、電撃と氷の魔法しか使わなかった。確かにどの魔法も上級魔法まできわめているのだろうが。
「フレイさんはあの歳で、どうやって魔法を習得したんでしょう」
「それは本人に聞いてくれないかな」
それも彼女のプライバシーということなのだろう。分かりました、と答える。
「お話はそれですべてですか?」
「ああ。疲れたろうから、今日はもうお休み」
「はい。アレス様もごゆっくりお休み下さい」
そうしてルナはアレスの部屋から出ると、はあー、とため息をつく。
(すてきな人だなあ)
最初は確かにただ勇者というだけしか考えたことはなかった。勇者に会って、その人のために働くと。幻想の相手に恋愛感情を抱くのは、乙女が白馬の王子に憧れるのと同じ理屈だし、それを自覚してもいた。
もし自分が認めた勇者が、人間的に魅力のない相手だったとしても、自分はその勇者のために命をかけることに変わりはなかったし、そのくらいの頭の切り替えはできると思っていた。
問題は現状だ。自分の理想以上の勇者が目の前にいる。話せば話すほどその人の魅力に惹かれていく。それを自覚しながら、想いを伝えることができない。
「ルナ」
いつの間にか廊下にはソウが立っていた。見られていたのか。
「ごめんなさい、こんなところで。すぐに戻るから」
「ちょっといいか」
ソウがルナの部屋にそのまま上がりこむ。
「どうかしましたか」
「無理するなよ」
ソウは険しい表情だ。
「アレスさんは本当にいい人だっていうのは分かる。俺でもあの人のためなら何とかしたいって思う。でも、あの人にはフレイさんがいるんだ」
「はい、分かっています。この間もソウに言われて、自分でも気持ちを整理しながらやっていくって決めましたから」
「でも辛いことには変わりないだろ」
「はい。でもそれは自分が選んだことですから」
そう、これだけは譲れない。
自分は勇者のために生き、勇者のために死ぬ。その覚悟がなければムオルからダーマまで命をかけて冒険したりしなかった。
「だから私は大丈夫です」
「そっか」
ソウはまだ表情が険しかったが、すぐに部屋を出た。
「なんかあったら言えよな。俺にせよディアナにせよ、お前の友人なんだから」
「はい。ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げる。だが、ルナには分かっている。
ソウにだけは迷惑をかけることはできない。それはソウをいたずらに苦しめるだけなのだから。
「本当に無理だけはするなよ」
言い残して、ソウは部屋を出ていった。
「無理しないと、やっていけませんから」
いなくなった相手に、自虐的に笑って言った。
翌日。誰よりも早く起きたルナは日課のランニングをこのジパングで行った。
当然、眠ったといってもあまり長い時間ではない。三時間は眠れただろうか。
昨日は一条の方しか見られなかった。もちろんそちらの方が大事には違いないが、京を取り巻く城壁には他にどこに出入り口があるのかを調べておきたかった。
京では一条にもっとも強い貴族がおり、二条から四条にかけて貴族たち、そして五条から九条にかけて平民たちが住む。もともとその範囲で土地は充分に余っていたのだが、年々人口を増やし、京だけではまかなえなくなってきた。
そのため、京の外側に、あちこちに集落が点在することとなった。そうした集落の人口は京の人口を上回る。それだけジパング全体の人口が多いということだ。
全体で十五万ということだが、ジパングの穀物はそこまで豊かではない。
(京の内側ではあまり農作業が行われているわけでもないようですし)
密集住宅街とでも言えばいいのだろうか。人の住む京はこうして城壁で多い、さらにその外側に耕作地帯があり、さらにその外側に集落がいくつか、という感じで土地区画が行われている。
そして平民は京の外側にある自分の土地へ毎日耕作しに出かけるという形だ。
(田畑は数日放置するだけでも手入れが苦しくなるから、モンスターの襲撃があってもそう簡単には休めないですね)
まだ日の出前だが、既に何人かの平民が京の外に向かって動き始めている。
(平民の暮らしはどんな感じなのでしょう)
朱雀門から見える朱雀大路の風景は、いろいろな店が間を作らずに密集している。
だがその裏手は平民たちの住む場所。
(見ないで過ぎ去るわけにはいきませんね)
九条の左を、城壁沿いに走ることにする。が、すぐに彼女の顔は険しくなった。
(これがジパングの平民たちが住む場所ですか)
道はただ広げられているだけで舗装しているわけではない。
そして家はモンスターの襲撃のせいで崩れている家を除いたとしても、ひどいありさまだ。貴族の住宅の何分の一、いや何十分の一だろうか。おそらく家族が四、五人横になったらそれで終わりというようなスペースに無理に壁だけ作って仕切り、そこに押し込んでいるような状態だ。
モンスターに襲撃されていないはずの家ですら、その壁や天井が壊れ、住む場所として機能しているように思えない。
(これがジパングの現実ですか)
表通りと貴族の住宅だけ見ていては、こうした平民たちの様子は見えない。
五条からこっち、平民たちがすべてこういう生活なのだとしたら、あまりにひどい。この現状を王家は知っているのだろうか。
(たしか、イヨ殿下は八条の視察に訪れていたということでしたが)
ならばジパングの中がこういう状態だということを知っているということか。
「こんな時間に女が何の用だ?」
ランニングを兼ねて街の見物をしていたルナの前に、一人の男が立ちはだかる。
足を止めると、すぐに後ろからも、そして横からも男が現れた。全部で五人。
「日課のランニングです。京の見学も兼ねてですが」
「この九条をわざわざ見学? 随分酔狂じゃねえか」
「そのようですね。この辺りはスラム街ということですか」
どのような街でもそうした場所はできる。治安のいい場所と対照的な地域。
「まさか知らずに来たってわけじゃねえよなあ」
へへっ、と男たちはうすら笑いを浮かべている。
「知らずに来ました」
素直に答えると男達は声を上げて笑う。
別に彼らが何を考えていようが気にするところではない。自分は五人の男くらいなら撃退できる方法も脱出できる方法もいくらでもある。魔法さえ封じられなければ、だが。
(万が一のときはキメラの翼もありますし)
だから恐れることは何もない。賢者たるもの、自分の身を守ることは何より大事なことだ。
「でもちょうどよかった。あなた方にお伺いしたいことがあります」
「へえ、おうかがい、ときたか」
じり、と近寄る男たち。
だがルナはたじろぐことはしない。
「はい。このジパングの現状を。私は別の国からやってきたもので、オロチを含めたジパングの問題をできるだけ解決したいと思っています」
「オロチだと?」
男たちの動きが止まる。
「はい。そして、このジパングの政庁のことも。貴族たちの派閥がどのような感じで、現王家に対抗しているものが誰なのか。それから──」
五人の男を見回して言う。
「あなた方、ジパングの人たちが、今の政権をどう思っているのか、率直なところをお伺いしたいと思います」
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