Lv.31

希望を胸に抱き現実を歩む








 無論、ルナは彼らの目的が何かは分かっていた。このスラムに迷い込んできた女にいかがわしいことをしようと考えているのだろう。もちろん付き合うつもりはない。
 ただこれはいい情報収集源だ。ジパングそのものを理解するためには、上層部だけでは駄目なのだ。そこに住む人々がどうなのかを知らなければならない。
「話す気がないというのならそれまでですが」
「そうだな、へへ、話してやってもいいぜ。そのかわり、お前が俺たちに付き合ってくれるならな」
 男たちが下卑た笑いを見せる。
「いいでしょう」
 が、あっさりと頷いたルナに驚いた様子を見せる。
「稽古がしたいというのですね。じゃあ、しっかりと稽古してください」
 そして魔法を唱える。
「ボミオス」
 速度を落とす魔法。いきなり動きが遅くなる男たち。
「な、なにしやがる」
「お付き合いです。私もランニングだけじゃなくて魔法のトレーニングをしたかったので、ちょうどよかった。うまく避けてくださいね──イオ」
 直後、男の背後で爆発が起こる。
「な、な、な」
「こう見えても私、ダーマきっての賢者ですから」
 どうやら男たちの見る目が変わったらしい。恐怖をその顔全体にみなぎらせている。
「さあ、うまく避けてくださいね」
 続けざまにメラの魔法を唱える。ぎりぎり当たらないように。
「今度は当てます」
「ま、ま、待ってくれ!」
「三秒待ちます。早く逃げてください。三」
 一斉に逃げ出す男たち。
「ニ、一、ゼロ」
 そしてメラの魔法を続けざまに放つ。もちろん殺すようなことはしないが、こうしていつも女性に危害を加えているのであれば、痛い目を見てもらった方が後々のためだろう。
 全身に何箇所かの火傷を負った一人の男の前に立って、さらに微笑む。
「これでよろしいですか?」
「て、て、てめえ」
「まだ運動が足りないみたいですね」
 ギラの魔法を直撃させる。がはっ、と男が空気を吐き出した。
「も、もう、やめてくれ」
「今までにどれだけの女性を苦しめたんですか? その人たちはあなたたちを殺したいと思ったりしたはずです。死なずにすむだけありがたいと思ってください。それより」
 完全に戦意を喪失した相手にルナは表情を消して尋ねた。
「私が知りたいのはこのジパングという国のこと。それだけです。素直に教えてくれればこれ以上痛い思いはしなくてすみます」
「何でも話すから、もう勘弁してくれ」
「はい。ではまず、政庁のこととかは分かりますか」
「そんなの知るはずねえだろ! 俺たちゃただの農民で、貴族サマなんかとは住む世界が違うんだよ!」
「なるほど。では現在の王家に対して不満などはありますか」
 すると男は少し黙り込む。
「そりゃ、貴族も王族も、気にいらねえ。でも、今の女王様になってから、俺たちの暮らしは少しはよくなった」
「具体的には?」
「貴族から土地を取り上げられることもなくなったし、生贄を捧げてくれるおかげで豊作が続いてるからな。その点では感謝してる」
「生贄は平民から選ばれていますか?」
「いや、全部貴族の娘ばっかりだって話だ。それも上流貴族の娘が多い。二条や三条あたりの娘が多いんじゃねえか」
 その辺りは改めてミドウから聞いた方が正確だろう。今は平民でなければ分からない情報がほしい。
「ヤマタノオロチを倒した方がいいと思いますか?」
 とにかく知りたいのはそこだ。
「オロチがこの国に実りをくれてんだろ? いなきゃ困るだろ」
 ──それが、現状のジパングなのだ。






 ルナはその後、京の五箇所の門のうち、三箇所を確認して四条に戻った。
 左京の中心を南北に走る東大路と、右京の中心を南北にはしる西大路。それらの南端にそれぞれ東大門と西大門が存在する。
 さらには四条と五条の間は四条通となっており、その東西にそれぞれ四条東門、四条西門がある。
 ルナは九条の南端朱雀大路から東の左京に入り、東大門と四条東門をそれぞれ確認してからミドウ家に戻ってくる。
 家屋は九条から北上するにつれて徐々にしっかりしたものになっていった。九条から一条へ上がるに連れて裕福になっていくというのがこの京の構図なのだ。
(九条でこれなら、集落はどうなっているのでしょう)
 正直、そこまで確認しなければジパングの現状は把握できない。何しろ人口の半分以上は京の周りの集落なのだから。
「おう、帰ったか、ルナ」
 入口から入って庭のところでソウとアレスが剣の稽古をしていた。
「はい。おはようございます」
「おはよう、ルナ。どこに行ってたんだい?」
「はい。ジパングを一通り見たかったのですが、今日のところは朱雀大路から右周りに左京を回ってきました。アレス様はお稽古ですか」
「ああ。ヴァイスの奴はまだ寝てるし、ソウが起きてたからね。やっぱり筋がいい。実戦経験を積めばもっといい戦士に育つよ」
「ありがとうございます」
 ソウの顔も紅潮している。ソウから見てもこの勇者はきっと憧れの対象に変わってしまったのだろう。
 そして、目標として。
「アレス様」
 ちょうどそのときヤヨイが庭に顔を出した。
「お食事の用意ができました。ルナ様もお戻りでしたか。お食事の用意ができております」
「ありがとうございます」
「それじゃ、この辺りにしておこうか」
「はい。ありがとうございました」
 ソウが礼儀正しく頭を下げると、アレスは右手を上げて応えて中に入っていった。
「どうだったんですか?」
 稽古は、という意味で尋ねた。
「すごい」
 だがソウはただその一言しか発しなかった。それでアレスの凄さは充分に伝わった。
 ダーマ一の力を持つソウを軽くあしらうことができるだけの剣術。
(やはり、勇者様は勇者様なんですね)
 それはオルテガの血を引くとかいう話ではない。たゆまぬ努力、血のにじむような努力の果てにつかんだ力だ。
 自分もダーマで必死になって修行をしたからこそ分かる。
「俺はさ、俺なりに一番いい環境で修行をしたと思ってたんだ」
 ソウが少し不満そうな顔つきで言う。
「自分が間違ってたつもりなんかない。それでもあの人にかなわなかったのはどうしてなんだろう」
 思いの強さ、などと簡単に言うつもりはない。アレスがバラモスを倒そうとしたのも、ソウがオロチを倒そうとしたのも、相手の違いはあれ思いの強さにそれほど大きな違いがあるとは思えない。
 では才能の差か。それも違う。確かに才能の違いは大きいが、ソウに才能がないとは思わない。
 年齢の差。これは大きい。アレスより一つ年下である以上、一年経てばソウはもっと強くなる。アレスとて一年前は今より弱かっただろう。
 だが一番の違いはやはり、勇者としての使命感なのかもしれない。
「勇者であることを義務づけられているって、大変なことなんじゃないかな」
 一言だけ応えると、ソウは「そうだな」と小さな声で言った。






 既にヴァイスとフレイも席についており、食事が始まるところだった。
 ただフレイは目が覚めたばかりなのか、目が虚ろだ。昨夜の戦いで睡眠不足になっており、完全に頭が働いていない。
 一方のヴァイスはいつもの通りにやにやと笑っている。本心を見せない相手だが、案外考えていることはそんなに深くないような気もする。
 ヤヨイとソウが時折会話をして、アレスも加わったり、また他のメンバーと会話したりしながら朝食はのんびりと進んだ。
 そんな折、来訪を告げるカラカラという音が響く。この家では入口の扉が開くと、応接室や書斎、食堂などで一斉に音が鳴り出すカラクリが仕掛けられていた。
「俺が出てくるよ」
「何言ってるの。あなたは昨日帰ってきたばかりで顔が知られてないでしょう。私が出てきますから、ゆっくりしていなさい」
 ヤヨイが言って玄関へ向かう。
「こんな朝早くから客が来るとは、さすがにミドウ家ってところかな」
 アレスが言うとソウは首をかしげた。
「いや、あんまり自宅に顔出す人はいないよ。父さんに用事があるなら政庁で話すことが多いから。それに今だって父さんはここにいないわけだし」
 おそらくミドウは政庁で徹夜作業だったのだろう。上に立つものの責任と苦労はアクシデントが起こったときこそ重い。
「ジパングの被害状況はどうだったのかな」
「倒壊した建物は多くないようでした。平民街には壊れた家もありましたが、四条より北はほとんど。それよりもパニックに巻き込まれてしまった人たちの方が心配です。あと、四条の南の方では火事場泥棒も多かったようです」
「四条南は平民街に近いから狙われやすいんだよな」
 パンを頬張りながらソウが言う。
 と、そこへ、ばたばたばたと誰かが走ってくる大きな音がして、それからバタンと扉が開いた。
「ソウタ君!」
 そこにいたのは三十代くらいの女性。名前を呼ばれたソウはいったい何だという様子で相手の顔を見たが、その後驚愕の表情に変わった。
「あ、す、スマコ様!」
 スマコ──トモエ家に嫁いだヒミコの妹。
 一斉に四人とも立ち上がる。無論ソウもだ。
「あらあらあら、そんな他人行儀なこと」
 スマコと呼ばれた女性さらに駆け寄ってきてソウをぎゅっと抱きしめた。
「ちょ、スマコ様っ!」
「六年ぶりよね。しかも姪のイヨを助けてくれて、本当に、本当にありがとうね」
「いや、当然のことをしただけですから」
「だからそんなに他人行儀にしなくていいと言っているでしょう。私のことは本当のお母さんだと思いなさいとあれほど言っているのに」
「いえ、あの」
「お母様。ソウタさんが困っているから、その辺りにしておいた方がいいと思いますわよ」
 すると扉からさらに声がした。ヤヨイの前にいたのは、ソウと同い年くらいの男の子と女の子。顔立ちがよく似ている。
「お久しぶりですわね、ソウタさん」
「ああ……ユキか。久しぶりだな。それにヒビキも。元気そうで何よりだ」
「ああ。ソウ兄も元気そうでよかったよ。つか、母さんが迷惑かけてわりぃな」
 いまだに話さないスマコを見て男の子がため息をつく。
「とりあえず離してくれないかな、スマコ様」
「何言ってるの〜。こんなに大きくなっちゃって、久しぶりに会えたんだからこれくらいかまわないじゃない」
 なおいっそうソウを抱きしめて離さない。これはまた、随分な好かれっぷりだ。
「お母様! いい加減になさってください!」
 いよいよ女の子が怒り出す。はぁい、とスマコはしゅんとなって離れた。
「相変わらずですね、スマコ様」
 お茶の準備をしていたヤヨイが、スマコを上座に座らせてお茶を出す。
「ヤヨイちゃんもますます美人になったわね〜」
「ありがとうございます。粗茶ですが」
「かまわないでいいのよ。今日はソウタ君に会いに来ただけなんだし。というか、夫からソウタ君が帰ってきたことを知らされて、もうヒビキくんもユキちゃんも会いたい会いたいってせがむものだから」
「……それはどうも」
 ソウはかなり困っている様子だった。それもそのはず、一条の貴族と四条の貴族では身分が違いすぎる。
「かしこまる必要はありませんわよ、ソウタさん。私たちはみんな、ソウタさんのことが大好きなんですから」
「そうだぜ、ソウ兄。昔みたいに遠慮しないで話してくれよな」
 アレスたちには話が見えない。お互いに視線をかわすが、ルナですら状況がわからないのではどうにもしようがない。
「ああ、紹介します、スマコ様」
「ええ、聞いているわ。ヒミコ姉さんを助けてくれた勇者様たちですわね」
 満面の笑みでスマコがアレスたちを見る。
「はじめまして。昨日は姉と弟を助けてくださってありがとうございました。私はスマコ。今はトモエ家に嫁いでいますが、ヒミコの妹に当たるものです。そして、この二人が私の双子の子、兄のヒビキと妹のユキです」 「お初にお目にかかります。ユキと申します」
「勇者様にお会いできて光栄です。俺はヒビキ。ソウ兄とは昔からの付き合いなんです」
 三人が先に挨拶してからアレスたちも自己紹介に入った。
「こちらこそご丁寧にありがとうございます。僕はリーダーのアレス。こっちが魔法使いのフレイで、こっちが戦士のヴァイス。それから賢者のルナです」
「……よろしくお願いします」
「よろしくな」
「どうぞよろしくお願いいたします」
 そうしてそれぞれに自己紹介を済ませると、それぞれが席につく。そして、すぐさまその場で情報交換となった。






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