Lv.34
運命を享受し未来を諦観する
それを聞いたヒミコはしばらく無表情だったが、やがてふっと笑った。
「わらわが、生贄を選定していると?」
「率直に申し上げて、それが一番確率が高いと思っています」
そもそもお告げというものが本当にあるのかどうかも怪しい。もしお告げが存在しないのであれば、お告げの内容を持ってくるのはヒミコ。一番に怪しいということだ。
「ならば問いましょう」
ヒミコはばかばかしいという様子で答える。
「私は、自分の姪を生贄に捧げると自分で決めたことになるわけですね」
「そうです」
アレスたちは止めない。確かに気になるところではあるからだ。
だが傍で見ているソウやスマコたちは完全に動揺している。ジパングでは神に等しいヒミコに対してそこまでの暴言。場合によっては極刑になってもおかしくないほどの。
「理由は?」
「人の身で推測するには限界があります。ですから、確信にはいたっていません」
「理由もなくわらわを糾弾したというのですか」
「例えばの話です、陛下」
ヒミコとて人の身。その言葉を鵜呑みにするわけにはいかない。だが、この場でこれ以上の追及はいずれにしても無理だ。
無論、ルナは意味もなくそのような糾弾をしたわけではない。もし本当にヒミコが決めていたのだとしたら、何かしら動揺するだろうかと揺さぶりをかけたのだ。
もっとも、今のヒミコの様子でははっきりとした答は得られなかったが。
「ですが、もう一つ確認をお許しいただけますか」
「何でしょう」
「イヨ殿下が生贄と決まったのはいつのことですか」
少し間があってから答えた。おそらく日付を確認したのだろう。
「四日前ですね」
「では、イヨ殿下が生贄になったからモンスターの襲撃があったと見て間違いありませんね。だとするとこの一連の騒動には最低二つ以上の思惑が働いていることになります」
ルナは推理を止めない。とにかく現状で分かること、正しいと思われることだけを述べていく。
「一つはイヨ殿下を生贄にしたもの。もう一つは『生贄になったイヨ殿下』を殺害しようとするものです。それぞれが何を目的に動いているかは現状で判断することはできませんが、いずれにしてもこのままではイヨ殿下の命はきわめて危険だということです」
そのためにもオロチ退治は必要だ。だが、イヨの身が危険ならばそちらの問題も取り除かなければならない。
「その方向で推理を進めたとすれば、ヒミコ陛下はお告げの内容が誰かの意図したものであるとお考えになったことはありませんか」
すると今度は劇的に変化があった。それは明らかに何かを知っているという顔つきだ。
「何かあるのですね」
「正直、都合が良すぎると考えたことはあります」
ヒミコは顔をしかめた。
「ですが、生贄を捧げることはオロチが言ってきたことなのですよ」
「誰が生贄になるかをオロチが指名すると言ったのですか?」
「生贄を捧げることが決まってからしばらくして、私の夢にオロチが出てきたのです」
「オロチが」
「生贄を捧げるためにお告げを授けると。儀式の間にてそのお告げを聞くようにと」
「それをお信じになられたのですね」
「生贄を決める数日前のことでした。そうして儀式に臨むと、確かにオロチのお告げが聞こえたのです」
そういう時期であれば当然それはオロチの意識だと思うだろう。
「ですがもし、あれが誰か人間の仕業だとすれば、私は八年間騙されていたことになりますね」
「その可能性は高いと思います。教えていただきたいのですが、都合がいいというのはどなたにとって、でしょうか」
少し言いよどんでから、ヒミコは答えた。
「モリヤ家です」
「その理由は」
「過去八回の生贄は、スオウ家に連なるものが四人、トモエ家に連なるものが四人でした。モリヤ家からは出ていません」
ソウの顔が歪む。確かにここまで顕著ならば、疑わざるをえない。
だが。
(──そんなに疑われるようなことを、普通するでしょうか)
人からの情報は疑ってかかるのが賢者だ。
(今回のイヨ殿下にしても、生贄になって一番困るのは大王家とスオウ家。嬉しいのはモリヤ家。誰もがモリヤ家を疑う状況にある。でも、そうやってスケープゴートを誰かが作っている可能性だってある)
いずれにしても今の段階ではまだ決められない。それこそ、八人の内訳はともかくとして、ヒミコが決めている可能性だってあるのだ。
「まー、モリヤ家ってのが油断ならない相手だってのは前から分かってたが、それがますます怪しくなったってことで、話を元に戻すけどな」
ヴァイスはすっかりくだけた態度だ。
「いずれにしても俺たちはオロチを倒したい。それに同意は得られるのかな」
ヒミコはしばらく考えていた。
「わらわが承認することはできません」
だがヒミコはきっぱりと答えた。
「何故ですか」
アレスが立ち上がる。自分の姪がかわいくはないのかと。
「姉上。ここは体面を気にするところではありませんよ」
スマコも援護射撃だ。ヒビキとユキもヒミコを見て頷く。
「いえ、王家を存続させるにはその体面が必要なのです。八人の娘たちが生贄になるときは王家は何も手を打たず、自分のときばかり動くのはどうなのかと、当然殺された娘の親たちは思うことでしょう」
「ですが、イヨ殿下がいなくなれば結局王家の存続はできないではありませんか」
「わかっております。ですが、娘を亡くした親たちのためにも、私がここでひるむわけにはいかないのです。もっとも、三氏の当主たちがそろってオロチ退治を請願すれば話は違うでしょうが」
全員がいっせいに視線を交わす。
(それが妥協点、ということか)
自分からオロチ退治を願うことはできない。だが、貴族たちに請われたのだと取り繕うことができるのなら。
「わかりました。では三氏の当主と話し合えばいいということですね」
道は拓けた。後は進むだけ。
「想像以上に困難なことだと思いますよ」
「ですが、イヨ殿下の命に関わることですから」
アレスはひるまない。ここでひるむようならルナが信じた勇者ではない。
「ヒミコ陛下。最後におうかがいしたいのですが」
アレスは相手を射抜くほどの視線で尋ねる。
「ヒミコ陛下は、本心ではイヨ殿下を助けたいのですよね?」
確認だ。だが、うわべの言葉なら見抜くだけの自信がアレスにはあるのだ。
「イヨは」
ヒミコはそれでも体面を崩さない。
「王家にとって、唯一の跡継ぎ。イヨを失うことはできません」
「わかりました」
アレスは頷く。
「必ずヒミコ陛下の望む形にしてさしあげます。今日のところはこれで失礼いたします」
そうして一同は立ち上がる。ソウやスマコたちもだ。
「姉上。ときには、自分の気持ちに素直になることも必要かと存じます」
「スマコ」
ヒミコは妹を見てから、ヒビキとユキを見つめる。
「子供を大切になさい。あなたにはそれができる」
「姉上」
「女王となってしまったこの身では……子をいとおしむことすらできません」
沈痛な表情が、アレスの目に焼きついた。
「どう思う、アレス?」
外に出て尋ねたのはヴァイス。無論、ヒミコが何を考えているかという意味だ。
「まだ何か隠しているみたいだね。ただ、無理に暴く必要はないと思うけど」
「そうか?」
「ああ。別にオロチ退治を真っ向から反対されたわけじゃない。ただ王家の体面が気になるっていうだけなら、最悪の場合僕らがヒミコ陛下の言うことを聞かずに特攻してもいいわけだろ?」
さすがにその意見には全員が目を見張る。
(かないませんね)
ルナは表情にこそ出さなかったがアレスの回転の速さに舌をまいた。この人は知識があるだけではない。場面に応じた柔軟な思考力の持ち主でもある。
「隠したいことっていうのはあまり暴かれたくないものだしね。誰だって人に知られたくないことの一つや二つ、持っているものさ」
「だからって場合が場合だぜ。このままいけばイヨ殿下は生贄なんだろ?」
「ああ。ただ──」
アレスは言いかけて止まる。
「何かありましたか?」
ルナが尋ねるとアレスは首をかしげた。
「うん、いや、まだ自分の中でもうまく説明できない。イヨ殿下のことを尋ねたときと、スマコ様に話しかけられたときのヒミコ陛下の様子が、何か違和感があって」
「違和感……ですか」
「まあ、あまり気にしても仕方のないことだろうけどね。どんなに考えたって、情報のないところで真実を見極めることはできない」
「そうですね。まずは三氏の協力を仰ぐことからです」
「ああ。それじゃあまずは──」
「私の夫にお会いください」
スマコが微笑む。
「それこそ反対するようでしたら、離婚を盾にしてでも頷かせますから」
「俺も父さんと離縁していいぜ」
「私もお母様についていきます」
なんという息のあった親子だろうか。あまりの連携に思わずアレスも苦笑する。
「仲のいい家族なんですね」
「ええ。でも夫が反対するなんていうことはないと思いますが。とにかく行ってみましょうか。政庁にいなければ裁判所の方にいるでしょうから」
「裁判所?」
アレスが何故という様子で尋ねる。
「私の夫は法務大臣なのです」
なるほどとルナが頷くが、まだよく分かっていないアレスのためにルナが説明する。
「ジパングの中央省庁の一つです。ジパングでは大王が貴族に大臣の位を与えてそれぞれの政治を行わせます。二官八省といって、政治を実行するのは八つの省で行われます」
「私たちトモエ家は代々法務大臣の家柄。仕事の内容は裁判や刑罰の実行というところです」
「責任重大な役職ですね」
それだけトモエ家に課せられる期待が大きいことも同時に示していることになる。
ジパングの律令制度、二官八省。
二官とは、祭事を司る神祇官と、政治を司る太政官に分かれ、太政官の下に行政官として八省が存在する。
その八省の中でも強い発言権を持つのが、スオウ家の内務省、モリヤ家の大蔵省、トモエ家の法務省である。その他、ミドウ家の外務省と、兵部省、民部省、式部省、宮内省が存在する。
「では裁判所はどちらですか」
「二条の南です。左京の二条通に面したところです。ご案内しましょう」
そうして移動しようとした一行のところに、元気のいい声が響いた。
「ソウタ様!」
もちろん、声の主は全員が分かっている。
王女イヨ。
花のような笑顔で彼女はゆっくりと近づいてきた。
「こちらへ来られていると聞いて、急いでまいりました。昨夜はありがとうございました」
ソウは「いえ」とそっけなく答える。
「アレス様、ヴァイス様、フレイ様、ルナ様も、ヒミコ様にお父上を助けてくださいまして、本当にありがとうございます」
「どういたしまして」
アレスも笑顔で応えた。素直な感謝というものは受け取る側にしても気持ちがいいものだ。
「今日はスマコ叔母様とご一緒なんですね」
「ええ。いろいろと姉上にお願いがあってね」
「皆様全員でですか?」
「そうよ。イヨちゃんがオロチに食べられないように、オロチを倒す許可をもらいにいってきたの」
すると、イヨは困ったような表情を見せる。
「伯母様の気持ちはありがたいのですが」
「イヨちゃんがどう思っても無駄よ。私たちは勝手にやるだけだから」
にっこりと笑うスマコ。
「イヨちゃんみたいな可愛い子を生贄にするなんて、私、絶対に認めないんだから」
「では、今まで犠牲になった人はそうではなかったというのですか」
だが、イヨは真剣な表情で反論した。
「私の番になったときだけ生贄を認めないというのであれば、大王家の威信が問われます。私なら大丈夫です。大王家の娘として、恥じない振る舞いをいたします」
そこに表情はない。その表情には責任だけが色濃く出ている。
「そうね。多分、家族からしてみると生贄になった子たちはとてもとても可愛かったと思うわ」
だがスマコもひるまない。十四歳の娘に言い負かされるようでは年の功もあったものではない。
「でもね、その人たちはお金をもらうことで納得してしまっているの。もし私が、自分の娘のユキや、姪のイヨちゃんが生贄にされると分かったら、何があっても反対するわ。お金なんかいらない。貴族の地位だって全部差し出してもかまわない。だって、それが家族ですもの。家族っていうのは、お互いを助け合うものなのよ」
「ありがとうございます」
イヨは深く頭を下げた。そして起き上がってから言う。
「ですが、私を生贄にすると告げたのはヒミコ様ですし、それを認証したのは私のお父様です。大王家に家族という肩書きはないものと思っています」
「姉上もカズサくんも、ちょっと身分に縛られすぎよね。でも、だから私が動かないといけないと思っているの。大事な家族を守るためにね」
イヨとスマコの論戦はお互いに妥協することなく続けられた。
「イヨ様」
そこにユキが参加する。
「私たち、イヨ様に死んでほしくありません」
ストレートな言い方に、イヨも思わずたじろぐ。
「……ユキ様」
「そうだぜ。イヨ様は少し甘えることを覚えた方がいいぜ。イヨ様がいなくなったら、母さんもユキも本気で泣くぜ。あまり身内を泣かせないでくれよな」
ヒビキもさらに追い討ちをかける。それを聞いてからイヨは「ありがとうございます」と答えた。
「ですが、父上もヒミコ様も、オロチ退治には賛成されないでしょう」
「ええ。だから三氏を動かすしかないの。あの仲の悪い三氏がそろってオロチ退治を進言すれば、カズサくんだって考えないわけにはいかないでしょう?」
「ですが」
「そうしてほしいって、姉上に言われているのよ」
スマコの言葉にイヨは驚いた様子を見せる。
「姉上だってね、あなたに死んでほしいなんて思っているわけじゃないのよ」
「……分かっています」
イヨはもう泣きそうだった。
「ですが、私は大王家の人間ですから」
イヨは振り返ると駆け出していく。
「母さん、いじめすぎ」
「ええっ? 私が悪いの?」
「悪いことはしてないですけれど」
ユキがくすっと笑って振り返る。
「ソウタさん、イヨ様をお願いできますか?」
突然話を振られてソウは顔をしかめる。
「どうして俺が」
「イヨ様が最初に話しかけられたのがソウタさんだからです。今のイヨ様にとって、ソウタさんはきっと白馬の王子様と一緒なんですわ。どうか慰めて差し上げてください」
はあ、とソウはため息をつく。
「余計な期待を抱かせない方がいいと思うんだがな」
「まあ。ソウタさんはイヨ様が嫌いとおっしゃるの?」
「まさか。だが、女として見ることができるかといえば、それは話が別だ」
とは言うものの、結局ソウは知っている人が悲しんでいるのに無視できるような性格ではなかった。もう一度ため息をつくと、イヨが消えた方向へと進む。
「終わったら先に屋敷に戻ってます」
アレスに言い残して、ソウは走っていった。
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