Lv.35

目標と使命、かすかな道標








『今のイヨ様にとって、ソウタさんはきっと白馬の王子様と一緒なんですわ』
 イヨの気持ちに気づかないほど、ソウは鈍感ではない。
 昨日の時点で、既にイヨが自分のことを気に入っているのは分かっていた。今日声をかけられて好かれていることを確信した。
 だが、自分がイヨを同じように見られるかといえば、決してそうではない。
 確かにイヨはこの世代の中ではかなり可愛い。長い黒髪が輝くほどに綺麗だし、自らの境遇を知りながらも前向きに生きる姿勢も尊敬に値する。
 それでもソウにとって一番大切な相手は違う。彼が好きなのは、ずっと見てきたのはただ一人だけなのだ。
(初恋ってのは後引くなあ)
 最初に会ったとき、既に好きになっていたのだろう。だから自分にブレーキをかけた。誰も好きにならない、オロチを倒すまでは、と。
 彼女の傍にいたいと思う。だが、自分では彼女の相手は務まらない。
 彼女は勇者の力になれるが、自分では勇者の足元にも及ばないのだから。
(新しい恋でもした方がいいのかね)
 どうせ自分の恋は実らない。それなら別の恋を探した方が前向きというものだ。
 もっとも、今はまだ考えられない。
 このオロチとの戦いが終わるまでは。
(アレス様にルナが戦ってくれる)
 あの四人ならオロチも倒せるのではないか。普通にそう思う。
 だが、それでいいのか。
 自分はまだ十六歳だが、この年月の半分近くをオロチを倒すためだけに生きてきた。
 オロチを倒すことこそが自分の生きる目的、生きる意味。
(他人任せじゃまずいよな)
 アレスたちがオロチと戦うにあたって一番の問題は何か。そんなことは分かりきっている。
 敵の正体。オロチとは何者で、どのような攻撃をしてくるのか。
(俺が先に単独で戦うってのはありかもな)
 その戦い方を見て、アレスたちが作戦を練り、オロチを倒してくれればいい。
 もちろんその場合、自分の命の保障はないわけだが。
(俺に何ができる?)
 確かに今はアレスたちの力にはなっている。だが、それでは結局駄目なのだ。
 自分の手でオロチを倒さなければ、少なくとも倒す手伝いができなければ意味がない。
「あら、こんなところに不審者がいるわね」
 と、政庁の中をイヨを探しまわっているところに、突然不愉快な声が聞こえてきた。
 無視しようとさらに歩みを速めようとしたが、
「出ていくつもりがないなら警邏を呼ぶわよ」
「呼べばいいだろ。どっちが正しいかはすぐに分かるからな」
 いらいらしながら振り返る。そこにいるのは自分が一番嫌いな相手だ。
 ショートヘアの女の子。だが目は鋭く、優しさのかけらも見当たらない。
 モリヤ・エミコ。自分の一つ下の異母妹だ。
「何しにここに戻ってきたの。あなたなんてダーマだかどこだか知らないけど、好きなところに行っていればよかったじゃない」
「馬鹿にかまってられねえよ。じゃあな」
 一言だけ残して去ろうとするが、その態度が癇に障ったのかエミコは「待ちなさいよ!」と叫ぶ。
「イヨ様を助けたとか言ってるけど、取り入る相手を間違えてるわよ。イヨ様はどうせ生贄になって死んじゃうんだもの」
 ふふん、という勝ち誇ったような声にソウは怒りを覚える。
「まったく、イヨ様も自分が死にたくないからってオロチを勇者に退治させようだなんて、浅ましいったらないわね。大王家の者として恥ずかしくないのかしら」
「じゃあお前が生贄に選ばれたら潔く死ぬんだな?」
「当たり前じゃない。それがジパングのためだもの。でもお生憎さま。生贄になるのは私じゃないものね」
 どこまでもいらいらすることを言う娘だ。相手の神経を逆撫ですることが何よりも好きなのだろう。
(正直、あの男だけならまだ耐えられたと思う)
 あの男は嫌いだが、少なくとも自分を迫害しようとはしない。歪んではいたがあの男は母を愛していたし、その子供である自分も嫌ってはいなかった。
(問題はこいつらだ。こいつらは側室の子である俺を疎んでいるからな)
 嫌いならば自分に関わらなければいいのだ。自分は最初から彼らのことをかまっていない。ただ執拗な嫌がらせを受けるから対処に困る。
 そして子供たちだけならば嫌がらせで済んだし、耐えることもできた。問題はその母親。
(さすがに命まで狙われたら、子供の俺にはどうしようもなかったからな)
 ミドウに拾われて良かったというのも、一番にはそれが理由だ。
 母は、モリヤの正妻に殺された。そして自分も殺されかけた。
(父さんが俺を養子にしてくれなかったら、俺はどこかで殺されていただろうな)
 母親の庇護がなくなった自分など誰も守ってはくれない。ミドウがいてくれたのは自分にとって本当に幸運だった。
「どう、何か文句ある?」
 ふふん、と勝ち誇るエミコにソウは「いや」と答える。
「話がそれで終わりならもう行くぜ。じゃな」
 話していたくない。この女には関わりたくない。
「待ちなさいよ。話はこれからよ」
「俺にはない」
「いいから聞きなさい。モリヤの命令よ。言うことを聞かなかったらあなたのお父様がどうなるか分かってるわよね」
「知らねえよ。どうせ俺が何言ったところでお前はあることないこと父親に言いふらすんだろ。だったら言うこと聞くだけ無駄だ」
 話が通じない相手と話したところで益はない。そしてモリヤの当主はさすがに大臣を務めているだけあって、娘の一言で他の大臣の職を奪うほどの暴虐な振る舞いをするような馬鹿な真似はしない。話すだけ無駄なのだ。
「言うことを聞きなさい。いい、イヨ様に近づいたって無駄よ。取り入ったところであの人は死ぬの。ジパングのためにその身を捧げるの。あなたがどれだけイヨ様に取り入っても無駄なの。無駄」
「お前、誰だよ」
 いい加減、話しかけられるのも我慢できなくなってきたソウは殺気をたぎらせて聞く。
「何、その若さでもう記憶力がなくなったの?」
「聞こえなかったのか。お前は、誰だよ」
 有無を言わさぬ迫力で言うと、エミコも顔をゆがめる。
「あなたの妹のエミコよ。モリヤ家の長女。あなたは四条の家の養子。どちらが身分が上か、分かっているの?」
「お前は何ができるんだ?」
「はあ?」
 何を言われているのか分からないという様子でエミコが顔をしかめる。
「俺はダーマに行って自分の腕を磨いた。ダーマで一番の剣士になって、たくさんの剣士を相手に戦って、大会で優勝した。それが俺の誇りだ」
「まあまあ、野蛮なこと」
「その俺の剣が昨日、イヨ殿下を助けた」
 ゆっくりとかみしめて言う。
「お前は誰かを助けることができたのか?」
「何言ってるのよ。どうして私が誰かを助けないといけないの? 私はモリヤの娘よ!」
「誰かの娘なんて言ってるから、お前は誰にも自慢できるものがないんだよ」
 哀れむような視線を向けると、エミコの顔が紅潮した。
「なんですって」
「自分でできることを言ってみろよ。父親や家柄じゃない。自分が一人でできることがお前にあるのか? せいぜい家柄を盾にして相手を傷つけるくらいだろ。俺は違う。俺は姉さんを守るために強くなったし、イヨ殿下が苦しんでいるならジパングの民として助けて差し上げたい。それができるくらい、ガキの頃からずっと修行を積んできた。お前がのんべんだらりとしている間に、俺は生きるか死ぬかの戦いを何度も繰り返してきた。人を守る力は、俺の自慢で、誇りだ。さあ、言ってみろよ。お前には自慢できるものが何かあるのか? 自分の力でできることがあるのか?」
「何言ってるのよ」
 今度は顔が青ざめていた。赤くなったり青くなったりと大変なことだ。
「そんな野蛮なこと、私がわざわざしなくたっていいでしょう!」
「そうだな。でも俺の友人の女の子に、もっと子供の頃から、勇者の手伝いをするためだけに命がけで修行した奴がいる。もちろん剣や槍なんて全然使えない。でも魔法の力は誰より強い。ダーマで一番に強くなった。ダーマの八賢者よりも魔法が使えるんだ。俺たちの力は自分だけの力、家柄なんかを必要としない力だ。お前にそんな力が少しでもあるなら見せてみろよ」
 淡々とした声だからこそ、その覚悟が伝わる。
 エミコは相手にされていない。本当に力をつけた者は、ただわめいている者を相手にしない。ただ、目障りだから目の前から消えてほしいと思うだけだ。
「邪魔だ。もう俺に関わるな」
 無視して立ち去ろうとするが、エミコはその前に立ちはだかると思い切り手を振りぬいた。
 ソウは構わずにそれを頬で受けた。エミコの力などたかがしれている。何度殴られてもたいした問題ではない。
「あなたなんか大嫌いよ!」
 エミコはそれだけ言い残すと全力で駆け去っていった。
 それを見て大きくため息をつく。
「嫌ってるなら関わってくるなよな」
 それなのに会うたびにあの妹はつっかかってくる。つっかからざるを得ないほど、自分が憎まれているということか。
「母親を殺された俺の方が憎む権利があると思うんだけどなあ」
 もっともエミコは直接の対象ではない。
 自分の母を殺したのは、エミコの母親だ。
(ま、気にしても仕方がないか)
 またため息をついた。何故かジパングに来てからため息をつくことが多い気がする。
(ダーマにいた頃は気楽だったなあ)
 自分が強くなることが楽しかった。ルナと話していたり、ジュナと手合わせしたりするのが楽しかった。あそこは自分が自分でいられた。
 だがジパングは違う。ここではモリヤという血が自分を束縛し、ミドウ家の養子という立場が自分を自由にしてくれない。自分を好いてくれているヒビキやユキとだって身分の差があって気楽に話すことができない。
(ここはつまんねえよ、ジュナ兄)
 もっと自由に生きたい。
 ダーマのような自由な空間で生きたい。
 だが。
(でも、ダーマももう俺にとっては楽しい場所じゃないんだよな)
 一番強かったジュナを倒したとき、自分はもうダーマに居る意味がなくなった。
 そんなときに現れた勇者たち。
 ヴァイスは憎たらしいが、確かに自分より強い。
 そして今朝少しだけ手合わせをしてもらったが、アレスという人物は本当に強い。訓練すればヴァイスには届きそうな気がするのだが、アレスの力は人間離れしている。
 まさに勇者。
(今の俺は何をしたいかが分かってないんだな)
 自由に生きたいのもあるし、姉やイヨを守りたいというのもある。勇者にもっと教えを請いたいというのもある。
(アレス様の弟子か。それもいいかもな)
 どうせいつまでもジパングにいるつもりもないのだ。もし自分が足手まといでないのなら、荷物持ちでも何でもいい。アレスについていきたい。
 そう。
 ルナと一緒に冒険したいという気持ちよりも、アレスの下でもっと強くなりたいという気持ちが今は強い。
(俺もほれ込んだもんだな)
 誰だって追い抜いてやると思っていた。
 ダーマに来て驚いたのは、同じ年齢の子に自分より強い相手がごろごろいることだった。
 まずはそれらを全員抜かしてやろうと思った。
 それがかなったら次は年長者を次々に倒した。
 ダーマで一番になろうと思った。
 そのためには、いつも仲良くしているジュナを倒さなければならなかった。
 目標のある修行は面白い。
 そう、目標だ。
(俺が今ほしいのは目標。アレス様のようになりたいという目標)
 そう。目の前にその目標はある。後は必死にそこに向かっていくだけ。
(少しは見えてきたかな)
 アレスのようになるためには、もっと強くなることも当然だが、もっと心を鍛えないといけない。
 大切な人を守るには、体よりも心を鍛えることが先なのだ。
(イヨ殿下)
 そうだ。
 守りたい。あのかわいそうな少女を。自分の死を受け入れて悲しそうに微笑むあの子を。
(守ることが俺の使命)
 そして改めて回りを見る。
 イヨがどこにいったのかは分からないが、混乱しているイヨを一人にしておくわけにはいかない。
 そのときだ。
『庭へ』
 どこかから声が聞こえた。
 なんだ、とすぐに身構えるが、もうその声は聞こえない。
 声は確かに『庭へ』と言った。
 どのような企みがあるかは知らないが、それに従うことにする。どうせイヨがどこにいるかなど分からないのだから。
(広い庭だよな)
 庭に出てあたりを見回す。
 すると、高い木の下に、確かにいた。
(本当にいるとはな)
 イヨ殿下は木陰に座って、木に背をもたれて座っていた。
「こんなところにいらっしゃったのですか」
 ソウが近づいて声をかける。
「ソウタ様」
「呼び捨てでいいです。俺はジパングの民。そんなふうに呼ばれる理由はありません」
「そんなことはありません。ソウタ様は私の命の恩人。これは恩人に対する当然の態度です」
「殿下。そうされると俺が困るんです」
 ソウは頭をかく。
「ご存知かもしれませんが、俺はずっとダーマにいました」
「はい」
「姉が生贄になってしまうかもしれない今年、俺はダーマでの修行を終えてジパングに戻ってきたんです。俺はオロチを倒すためだけに帰ってきたんです」
「はい」
「だから、誤解しないで聞いてほしいんですが、俺はあなたを守ります」
 イヨは表情を変えないままその言葉を聞く。
「殿下は自分が生贄になることを受け入れてしまってますけど、そんなふうに自分の未来を諦めて悲しく笑っているのを見たくありません。俺は、このジパングにいる人たちみんなに笑っていてほしいと思います」
「ソウタ様。私はなにも、自分を悲しんでいるつもりはありません」
「無理はされないでください」
「無理なんかではありません。叔母様にも申しましたけど、私は大王家の人間として恥ずかしくない生き方をする。それが私の誇りなんです」
 つまり、殉じることが自分が選んだ生き方なのだと。
「生贄だと指名され、そして自分が生贄になることでジパングが平穏を保てるのならば、それが大王家にいる者の務めでしょう。私は大王家の人間たる生き方をしたいのです」
「つまり、生贄になることこそが、大王家の人間にふさわしい生き方だというのですね」
「そうです」
 自信を持ってイヨは答えた。
 だが。
 ソウはきわめて冷静に、そしてはっきりと答えた。

「甘えないでください、殿下」






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