Lv.36

狭まりゆく道、揺れ動く心








 さすがに、その一言は相手を大きく動揺させたようだった。
「甘えるな、とおっしゃいましたか」
 だがソウは相手が怒ろうがどうしようが気にしない。
 確かに自分で死ぬ覚悟を決めたイヨには大きな決断と覚悟があっただろう。その大きさを否定するつもりはないが、決断の仕方が間違っている。
「ええ。殿下の発言は甘えにすぎません。あなたはもっと賢い人かと思っていましたが、残念です」
 さらに次の言葉でイヨの顔が泣きそうになる。
「どうして」
「生贄を捧げてジパングに豊穣を与える、そんなオロチの存在は善ですか、悪ですか」
 そう問われれば誰だって答え方は決まっている。
「もちろん、オロチは許される存在ではありません」
「では何故それに抵抗しないのですか。オロチが悪だと分かっているのなら、オロチを倒す方法を考えることこそが、大王家に生まれた人間の責務ではないのですか」
 イヨは言葉を失う。
 それは無論、ソウの言葉が正しいと分かっているからだ。
「実力的にオロチを倒せないというのなら、おとなしく従うのも生き残るための手段でしょう」
 ソウは相手が突然立って逃げ出さないかだけを気をつけていた。
 とにかく、生贄になるイヨがそのつもりではどうしようもない。
「それならオロチを倒すための戦力を集めたり、鍛えたりするのが大王家の役目です。そして都合のいいことに、今はこのジパングにその戦力がある」
「あなたがオロチを倒してくださるのですか?」
「いえ、俺では力不足です。でも、俺と一緒に来てくださった勇者なら倒してくれると思います」
 その点でソウは自分の力を過信することはない。何しろ今朝、その力の差を目の当たりにしたばかりだった。
「もちろん俺は俺でできることをしたいと思っています。俺はジパングの民で、姉を助けるために力をつけて帰ってきました。それでもオロチにかなわないのなら、オロチを倒す手伝いをするだけです。俺にもできることはあるはずだ」
 そしてソウはイヨの前に片膝をつく。
「イヨ殿下にできることは何ですか」
「わ、私に?」
「そうです。イヨ殿下にはイヨ殿下にしかできないことがある。オロチを倒すのを何でも勇者任せにしてはいけないんです。それは自分たちで勝ち得た平和じゃない。与えられた平和だ。そんなものは長続きしない。平和を自らのものにするためには、自ら勝ち取らなければならないんです。殿下は与えられるだけの平和で満足ですか」
 もう言葉にもできないくらいにイヨは動揺している。そしてソウはイヨの肩に手を置く。
「だから、一人で全てを抱え込もうとするのはやめてください」
「ですが、私は」
「大王家の人間なんかじゃない、一人の人間としての言葉。それこそ殿下に今一番必要なことです」
「……」
 どうすればいいのか、とその目が訴えている。
 賢い少女だ。自分が何も言わなくてももう自分がどうすべきかは分かっているはず。
 だが、大王家の娘としての責任は重い。一人では支えられない。一人で無理なら誰かが手伝えばいいのだ。
「死にたくない、とおっしゃってください」
「……」
「殿下が生贄を受け入れてしまえば、他の誰もがそれに甘えてしまう。殿下の生贄で自分たちは幸せでいられると甘えてしまうのです。ですが、殿下が死にたくないと主張すれば話は違います。それに──」
「それに?」
「俺も、そして他のみんなも、みんながイヨ殿下に死んでほしくないと心から思っています」
 すると、我慢の限界が来たか、その大きな目からぽろぽろと涙がこぼれてきた。
「殿下」
「わた、しは」
 一度言葉が途切れてしまったが、息をのんでイヨはさらに言葉を続ける。
「昨日までなら、死んでもいいと思っていました。自分に生きる意味を見つけることができないのなら、いっそのことジパングのためにこの身を捧げることが生まれてきた意味ではなかったのかと」
 泣き崩れるのを必死にこらえている表情だ。
「昨夜、私が助けを求めたのだって、あの場所で死ぬわけにはいかなかったから。生贄として死ぬ運命を背負っているからには、その前に死ぬわけにはいかなかった。でも──そこで、ソウタ様に会えました」
「殿下」
「ソウタ様に会えてよかった。あなたがいてくれなかったら、私は生きるということを一度も考えることがないまま、生贄にされていたことでしょう」
 イヨは目の前にいるソウの胸に顔を埋める。
「死にたくないと、今は心から思います」
 ソウはためらったが、イヨの背に自分の手をそっと置いた。
 危険は感じていた。イヨにとって自分がどういう存在かなど、考えるまでもない。その上こうして相手を力づけようとしたなら、もはやイヨの中での自分の存在は何にも変えがたいほどに大きくなっているに違いない。
 それこそ自分が裏切れば、イヨは絶望し、生贄に喜んでなると言うかもしれない。
(この展開になるのだけは避けたかったんだけどな)
 避けることはできた。突き放すことだってできた。
 だが、自分は全てを自分で背負おうとする少女を見て、何とか助けてやりたいと思った。
 そこに恋愛感情はなくとも。
(何故──ああ、そうか)
 全てを背負っていた少女は、すぐ傍にいた。勇者のためだけに全てを捨てた高貴な魂を持った少女が。
(ルナに似てるんだな。いや、考え方は全然違うけど)
 ルナはたとえ困難があっても諦めたりはしない。正面から立ち向かって解決しようとする、前向きな思考の持ち主だ。
 イヨはそうではない。運命を受け入れ、抵抗しようとしない。受動的な、消極的な思考。
(考えの違いで好きになるならないを決めているわけじゃないけどな)
 ただ自分にとってはルナという少女の存在が大きすぎるということだろう。
(俺はどうすればいいんだろうな)
 もはや後戻りはできない。この現状をどう解決するか、良策などまるで思いもつかなかった。






 アレスたちは裁判所へとやってきていた。
 ここでトモエ家の当主、ユキトに協力を求める。そのためにスマコやヒビキ、ユキも当然ついてきていた。
 ユキトは大柄ではないがひきしまった体つきだった。よほど鍛えているのが分かる。そしてとぼけているような表情ではあったが、その目には強い意思が感じられる人物だった。
 ただものではない。そう思わせる何かが見てとることができた。
「なるほどのう」
 裁判所の待合室に一同は連れてこられた。畳が敷いてある部屋で、全員が靴を脱いでその上に座っている。
 お茶をすすりながらユキトが頷いて話を聞いた。説明をしたのはスマコだ。イヨを助けるためにヤマタノオロチを退治するようにヒミコに上奏してほしい、それも三氏の当主がそろって。
 仲の悪い三氏がそろって上奏するのであれば国全体がオロチ退治の方向に動く。そのことは当然ユキトも分かっていることだった。
「それでもし、ワシが断ったらどうするつもりなのかね」
 まだとぼけた表情だったが、スマコの顔はすっかり真剣だった。
「どんなことがあっても認めていただきます」
「どんなこと?」
「ええ。もしあなたが認めてくださらないというのなら、私はこの子たちを連れて実家に帰らせていただきます」
「本気だぜ、オヤジ」
「私たち、何があってもイヨ様を守りぬくって決めたんですの」
 三人がユキトに向かって言う。
「それが切り札か。スマコ、随分とワシを見くびっておるようだの」
「なんですって」
「ワシはトモエ家の当主であり、このジパングという国の重臣でもある。家族が抗議するからといって政策をころころと変えるような者にこの職務は務まらんよ」
 机の上に置かれていた団子を一つ口に放り込む。強健な意思の持ち主。これを説き伏せるのはそう簡単ではないというのが分かる。
 この人物は、自分が正しいと信じたことは何があっても実行するタイプの人物だ。ならば、正しいことが何かということを突き詰めて議論しなければならない。
「勇者殿はどうお考えかな。もし三氏の協力が得られなければどうするのか」
「スマコ様の夫ということで、率直に答えさせていただきます」
「おお、遠慮はいらんよ。よほどのことがない限り、この話はここだけのことにしておくからのう」
「では。もし協力が得られなかった場合は、僕らだけで西の山に赴き、勝手にオロチを倒してしまおうと思っています」
「ほう」
「本来ならその前に協力が得られて、オロチ死後の政治について準備しておいてくださるのが一番なのですが、協力が得られないのなら実力行使をとってでもイヨ殿下をお助けしようと思います」
「確かに大事じゃな。勇者殿が失敗すれば、怒り狂ったオロチがジパングを襲う可能性だってあるわけじゃ」
 釘を刺してきた。もちろんその可能性も充分にあることだ。
「実力勝負なら負けるつもりはありません。ただ、相手の情報がなければ不利だとは思います」
「なるほど。八年前の戦いに参加したものがいれば、オロチの情報もつかめるじゃろうて」
「どなたかご存知ですか」
「まあの。イヨ殿下に聞けば、よい情報提供者が見つかろう」
 何故イヨなのか、とは聞いても答えてくれないのだろう。それにたとえ何故なのかが分かってもどのみちイヨに話を聞きにいくのだから、聞いても聞かなくても同じことだ。
「それで、ユキト様にはぜひご協力をいただきたいのです」
「ふむ」
 湯のみを置いて目を閉じ、真剣な表情に変わって考え込む。
「あなた」
「オヤジ」
「お父様」
 家族たちの声。
「協力は……」
 ごくり、と誰かの喉がなった。
 そして、
「するに決まっておるじゃろがー!」
 突然元気に叫ぶ四十男。
「イヨ殿下のような方をそう簡単に生贄にしてたまるかってんだ!」
「さすがオヤジ! そうこなくっちゃ」
「素敵ですわ、お父様!」
「信じてたわ、あなた」
 先ほどまでのシリアスムードはどこへ行ったのか。突然盛り上がる四人家族。
「……本当に仲のいい親子だな、おい」
 ヴァイスが心底疲れた様子で呟く。アレスもルナも苦笑いだ。フレイだけが話についていけず、無表情のままでいる。
「すぐに答えてくださらなかったのは、僕らを試したのですか?」
 盛り上がっている家族に冷静に尋ねたのはアレス。
「ま、ちょっとした演出という奴じゃ。勇者殿も、ワシならまずは協力を得られると思ってきたんじゃろ。だが実際そうならなければどうするか、見させてもらったんじゃよ。それにな」
 ユキトは改めてシリアスモードに戻る。
「スオウとモリヤ。この二氏に協力させるのは難しい。その前に少し耐性をつけてやろうと思ってな」
「お心遣い、痛み入ります」
「皮肉はいらんよ。ワシも意地の悪いことをしているとは思ったんでな。さて」
 ユキトは話を切り替える。
「スオウの方はおそらく協力を得られよう。何しろスオウの長男をイヨに婿入りさせようと企んでおるからの」
「あー、レン兄? 俺、あまり好きじゃないんだよなー」
 ヒビキが顔をしかめて言う。
「お兄様はレンさんに勝ったことないですもの」
「うるせー。だいたい三つも年上なんだからそう簡単に差なんか縮まらないっての。でもソウ兄ならレン兄に勝てるかもな」
「そうですわね。私もソウタさんを応援したいと思います」
 何の話か分からないアレスたちは、その内容について尋ねてみる。
「あ、レン兄ってのはスオウ家の長男で、今のジパングだと多分一番強い剣士」
「以前からオロチ退治を主張しておられて、四日前にイヨ様が指名された後、一人ででもオロチを倒しに行くって意気込んでましたわ」
 なら味方ではないか。アレスがそう尋ねると、双子は共に顔をしかめた。
「だったら好きじゃないなんて言わねえよ」
「ええ。レンさんはその……近寄りがたいんですの。イヨ様のことだって、本当に愛してらっしゃるわけではなくて、大王家の姫だから仕えているだけのように見えますわ」
 ヒビキはともかくユキにまでここまで言わせるのだから、よほど態度に表れているのだろう。いずれにしても今回限りでも味方になってくれるのならありがたい。
「そこで問題はモリヤじゃ」
 ユキトが話を続ける。
「こっちはイヨ殿下には逆にいてもらったら都合が悪い家。ただで動くことはないじゃろ」
「何か条件をつけろということですね」
「それも、こちらの弱みになるところをな。相手の望みを叶えるくらいのことはせんといかんじゃろ」
 それは、モリヤがこのジパングでさらに力をつけるような内容でなければならないということか。
「底の浅い男だよな。好きにはなれねえぜ」
 ヴァイスが言うと全員が一様に頷く。
「それにソウ兄のこともあるしな」
「そうですわ。ソウタさんの命が危険なのにも関わらず放置した最低の親ですわ」
 ユキはその件については本気で怒っているらしく、完全に感情的になっている。
「ユキは昔っからソウ兄が好きだったからなー」
 むっ、とユキがヒビキを睨む。
「昔の話ですわ。それに、ソウタさんには他に好きな人がいらっしゃるみたいですし」
「へえ? そんな感じしなかったけど」
「見ていたら分かるものですわ」
 ふん、とユキがつむじを曲げる。
 少しだけ居心地が悪くなるルナであった。






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