Lv.39

道標となるのは彼女の笑顔








 女隠密、カエデはそのように名乗った。
 なるほど、確かにそういう存在はいてしかるべきだろう。というより、いない方が不自然だ。
 大王家は名目上このジパングを率いてはいるものの、下には有力な三氏がおり、いつ寝首をかかれるとも限らない。万が一のために影武者なり護衛なりを置いておくのが当然だ。
「隠密の一族ってことは、他にもそういうのがたくさんいるのか?」
「私以外の者については、お話できません。加えて言うならば、私がソウタ様の前に出るのも本来であれば禁止されております。ですが、イヨ様がソウタ様のことを特別に思われている様子なので、信頼してこの場に出ております」
 やれやれ、どうやら一人で来て正解だったらしい。フレイやヴァイスがいたら間違いなくこの女性は表に出てこなかっただろう。
「オロチのことを知っているのか?」
「よく知っております。八年前の戦い、私も同行しましたから」
「なに?」
「同行しているのです。当時私は、先王タケル様の奥方、ミコト様にお仕えしていました。タケル様はこの国一番の剣豪、ミコト様はこの国一番の僧侶でした。私はミコト様の盾になるために同行しました。ですが、タケル様もミコト様も、還らぬ人となりました」
 それは身代わりになるために出ていったカエデにとっては死に勝る屈辱だったろう。
「私は自ら命を断つつもりでおりましたが、そのとき私を救ってくださったのがイヨ様だったのです。私はもう一度だけ、隠密としてイヨ様のためにいつでも身代わりになろうと思いました」
「それにしては一昨日の襲撃のとき、近くにいなかったじゃないか」
「それは」
 イヨが言いかけたが、それをカエデが止める。
「いえ、イヨ様。何があったところでこれは私の責任です。何度も申し上げましたとおり、私はイヨ様を守るに相応しい力を持っているとは思えません。ですから──」
「それこそ何度も言わせないで。私はカエデにいてほしいの。今さら他の人が私を守るとしても、それで完璧に守ってもらっても何も嬉しくない。カエデじゃないと嫌です」
 何やら一昨日の襲撃に関してはそれぞれ言い分があるらしい。だがこうなるとカエデでは話になるまい。
「殿下。一昨日はどうされていたんですか」
「はい。実は」
「イヨ様」
「八条の視察の後、私は九条の方まで出向いていたんです」
 カエデの苦情を無視して話を続ける。
「あっちの方は、けっこう治安が悪いって聞きますけど」
「そうです。私もそう耳にしていました。大路から見る景色は確かに寂れてはいるようでしたけど、そんな治安の悪さを感じたことはありません。ですから実際に見てみようと」
「それで」
「想像以上の治安の悪さに、戸惑いました」
 イヨは思い返すのも苦しそうにして言う。
「ジパングの京にあんな場所があったなんて……」
「今までご覧になったことはなかったんですね」
「はい。五条から八条までは私もよく視察に赴きますが、父上から九条まで行く必要はないと言われていたのです。ですが」
「今まで視察したところのない場所を実際に見ておきたかった、と」
「はい」
 その結果、何を見たのかは分からない。だがトラウマになるようなことがそこにあったのだ。
「家のない人、普通に行われている犯罪。あそこはジパングではありませんでした。少なくとも私の知っているジパングにあんな場所はありませんでした」
「被害を受けたのですか?」
「いえ、私は。何人か兵士たちもいましたし、カエデもいましたから。でもそこで、問題が起きたんです」
「モンスターの襲撃ですか」
「いえ、大王家を恨んでいる人々だと思います。いっせいに襲い掛かってきて、兵士たちが応戦している間に、私はカエデに連れられて逃げました。ですがそれでも回り込まれてしまって、九条から抜け出せるあと一歩のところでカエデと離れ離れになってしまったんです。モンスターの襲撃はちょうどそのときでした。モンスターがあちこちで平民に襲い掛かっている。私はその隙に政庁まで戻ろうとしていたんです」
「そして四条まで来たところで逃げ切れなくなったわけか」
「はい。ですから、カエデは何も悪くないんです。私が余計なことをしなければ、時間通りに政庁に戻っていられて、私も襲われずに済んだのですから」
「ですが、守りきれなかったことは事実」
「私が余計なことをしたからです。カエデは私を守ろうとしてくれたではないですか」
「私はもう! 自分だけが生き残るのは嫌なのです!」
 カエデが感情を露にする。
「私のミスで、イヨ様がもしも亡くなっていたらと思うと、また私だけが取り残されるのかと思うと、もう気が気ではありませんでした」
「私は死にません。生贄にだってなるつもりはありません。そして私の護衛をしてくれるのはあなたしかいません、カエデ」
「ですが!」
「あー、まあその話はちょっと待ってくれ」
 長くなりそうだった話をソウが止める。おそらく昨日今日と、二人はこんな話ばかりしていたのだろう。
「カエデさん、ちょっといいかい」
「はい」
「今、あんたの知っている限りで、この政庁にイヨ殿下に本当に味方してくれる奴ってどれくらいいるんだ?」
 カエデは言葉に詰まる。答えづらい質問だったのだろう。
「手っ取り早くいけば、ヒミコ陛下とカズサ殿下はイヨ殿下の味方かい?」
 イヨは顔をしかめる。そしてカエデもだ。
 つまり、実の親であるカズサ、伯母であるヒミコは自分を生贄にすることを認めた人たち。確かに心の中ではイヨを思ってくれているに違いないが、大王家という面目を保たせるためには自分を犠牲にすることをためらわない人たちだ。
「何があっても絶対に味方でいる奴ってのは少ないんじゃないかな」
「その通りです」
「そこで聞くんだが、あんたは殿下の味方かい? それとも一族なりヒミコ陛下なりが命令すれば、イヨ殿下を裏切ることもあるのかい?」
「我が一族は、自分の守り人が定まれば、その方に一生を尽くします。イヨ殿下以外の誰も私に命令することはできません」
「そう言えるだけの味方が、今の殿下にはいないんだよ。あんたの他には」
 その通りです、と言わんばかりにイヨが首を大きく振る。
「だからもうこれ以上余計な議論はしないでくれ。あんたが職務怠慢で失敗したならともかく、全力でやった結果なんだろ? だったら相手が一枚上手だっただけだ。今度は負けなければいい」
 カエデは顔をしかめたが、ソウの言う『相手』という言葉をゆっくり吟味した上で、はい、と答えた。
「じゃあもうこの話はおしまいだ。それでいいな?」
「分かりました」
「ありがとうございます、ソウタ様」
 また花のような笑顔を見せる。
(やれやれ、一番の敵は俺かもしれないのにな)
 この信頼を裏切る日が来れば、イヨを一番に傷つけるのは自分になるだろう。
 だがもうここまで来たのなら、なるようになれだ。
「カエデさん。話を聞きたい」
「カエデで結構です」
「了解。オロチ退治に同行したのなら、オロチがどんな奴か、どんな戦い方をするのか、教えてもらえるか」
「はい。私の知っている限りでよろしければ」
 それからカエデは、まさに知っている限りのことを伝えた。
 ヤマタノオロチはその名の通り、首と頭が九つあるからヤマタノオロチと呼ばれている。
 大きさは人の二倍よりも少し大きいくらい。その割に身軽で機敏に動くという。
 その九つの口から吐き出される炎は人間を一瞬で焼き尽くすほどで、カエデが守っていたミコトもその炎に焼かれて亡くなった。
 強度が尋常ではなく、いかなる武器もオロチを傷つけることはなかった。ただ、先代が使っていた神器、草薙の剣だけは傷を負わせたのを確かに見た。
「じゃあ、唯一傷つけられたのはその武器だけってわけか」
 それだけの武器だということか、それとも草薙の剣は対オロチ用に存在する武器なのか。
 ただいずれにしてもその神器があった方がいいのは分かる。
「その武器は?」
「失われました。あの戦いの後、持ち帰ったものはおりません」
「でも神器ってことは、大王家に伝わる三種の神器だろ? 祭られているのは?」
「あれはレプリカです。草薙の剣はあの戦いの後、本物に似せて作られたと聞いています」
 なるほど。ないものなら仕方ないということか。
「なるほどな、参考になった」
「よろしいのですか」
「ああ。すぐに実戦、っていうわけにはいかないだろうけどな」
 こうなると話は早い。
(特攻隊が必要だな)
 どのような攻撃が相手に通じるのか。魔法は、武器は。
 ある程度の知識をもって臨み、修正点をふまえ、改めてアレスたちに倒してもらう。
(それが一番かな)
 問題は、そんな特攻隊の役割など誰もしたがらないということだろう。まあ、一人もいなくても問題はない。遠くからその戦いを観察し、勇者に伝える係がいればいい。
 特攻は、自分が行えばいいのだから。
「オロチは倒せそうですか」
「今はまだ何とも」
 楽観することなどできない。ただ、勇者たちなら倒してくれると信じる。
「あと数日でいろいろとジパングは動くと思いますよ。殿下が生贄になることは絶対にありません。それだけはお約束します」






 一方、アレスたち四人はモリヤ家の屋敷へと来ていた。
 当主のシゲノブは政庁にはおらず、屋敷の方にいることが多いと聞いた。そこで訪ねてみたのだが、案の定自分の屋敷でくつろいでいるらしい。
 職務怠慢な大臣とも思えるが、仕事はしっかりと行っている。指示・命令を行えば後は結果を待つだけ。政庁に届いたもののうち、重要なものは屋敷に連絡させることになっている。
 それ以上にシゲノブはしておかなければならないことがあった。
「ようこそいらっしゃいました、勇者殿」
 屋敷を訪れた勇者たちをシゲノブは満面の笑みでもてなす。
「わざわざご足労いただきありがとうございます。いかがですかな、我が屋敷は。大王家にはかなうべくもありませんが、スオウ家やトモエ家などに比べればたいそう優雅に暮らせるようにしてありますからな」
 はっはっはっはっは、と笑う。やはり底の浅い男だ。いや、そう見せかける演技だろうか。
「それで、本日はどのようなお話でしたかな。私で協力できることがありましたら、いくらでも協力してさしあげたいところですが」
「そうおっしゃっていただけるとありがたいです」
 アレスも笑みを浮かべて言った。
「実は──」
 そうして現状を伝える。オロチを倒すためにジパングが一丸となってほしい、大王家は生贄が自分の娘だからということで身動きが取れない、そこで三氏が揃ってオロチ退治を願い出てくれれば大王家も動かざるを得ない。
「その協力をお願いしたいのです」
「ふむう……」
 シゲノブはその大きな体を困ったようにゆする。
「ですが、オロチがいなくなればジパングも立ち行きませんでなあ」
「存じています。ですが、そもそもオロチによって繁栄していることが虚構なのです。このままオロチに頼っていけば、いざオロチがいなくなったときの打撃は今以上になります」
「ふむ」
 シゲノブは紅茶のカップを置いて立ち上がる。
 そして窓の傍に立って、街並を見渡す。
「もしこのままオロチが居続ければ」
 ルナがそっと後添えをした。
「三年後に、シゲノブ様の長女、エミコ様も生贄の対象となります」
「むう」
「私たちがいるのは今だけなんです。この機会にオロチを倒してしまうのが上策だと思いますが」
 無論、シゲノブが何に悩んでいるかは分かる。せっかくイヨが生贄となって大王家に血筋がいなくなるところなのに、オロチを倒してしまってはその計画が成り立たなくなる。
「そうですなあ」
 シゲノブはもう一度椅子に座りなおすと四人の顔を見回してから言う。
「確か、勇者殿はミドウ家にいらっしゃったのですな」
「ええ、今は」
「なるほど。分かりました」
 何が分かったのかが分からない。四人は嫌な予感を覚える。
「協力いたしましょう」
「本当ですか」
「ただし、条件があります」
 もちろん、簡単な条件になるなどとは思っていない。それは最初から四人とも予測していた。
 どれだけの困難を言い渡されるのかは分からないが、ここまで来たのだ。絶対にかなえてみせる。
 だが、シゲノブの提示した条件は、彼らの予想をはるかに逸脱したものだった。
「ミドウ殿に養子に出したソウタを、返していただきたい」
 四人の顔色が変わった。
「何故、ソウを」
「ソウタはもともと私の子供です。確かにあの頃は妻の問題もあって、ソウタをこの屋敷に居させることが必ずしも良いとは思えなかった。だから養子を認めました。ですが今ならもう問題はないと思っております」
「ソウがその条件を呑むとは思えませんが」
「なら、この話はなかったことにしていただけますか」
 シゲノブも笑顔で一歩も引かない。
「私はソウタのことを嫌って養子にしたわけではありません。ソウタのことはずっと心を痛めていたのです。そしてダーマから帰ってきた今、やはり私のところに帰ってきてほしいと思っています。聞けばソウタもオロチを倒そうと思っているとのこと。ならお互いの願いを叶えようとするのが協力というものではありませんか。まあ、本人がいないのにこの場で返事ができるものでもないでしょう。いったん戻って、ソウタとよく話し合ってください」
 シゲノブは話はここまでと打ち切る。
 だが、四人はこの条件をどうすればいいのかと思案にくれていた。






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