Lv.40

自らの境遇が成長に繋がる








 夜になるとミドウ家に一日半ぶりに当主のヨシカズが帰ってきた。
 モンスター襲撃の被害状況の把握に、復興に関する諸々の問題にどのような政策をとるかということが決まり、指示を出す。それが済めばひとまずは解放される。もっとも、明日の朝には既に次の問題は出てくるのだろうが、まずはゆっくり体を休める時間も必要ということだ。
 だが肝心のソウがまだ帰ってきておらず、夕食は勇者たちとヨシカズ、ヤヨイとだけで取ることになった。政庁から連絡があり、帰るのは遅くなる、ということだった。
 イヨが関係するのならその方がいい。誰から狙われているか分からない。ソウならば良いボディーガードになるはずだ。
 それに、この話はヨシカズと直接、それもソウがいないときにしておきたかった。
「モリヤが、ソウタを返せと」
 この温厚そうな男性が、珍しく意気込む。
「はい。さすがにそれは僕らの手に余る問題です。何しろ、僕ら自身でどうこうできることじゃないし、ソウもそんな条件を呑むとは思えない。だからお断りはしたのですが、一度戻って相談してみろと」
「どうして、今になって」
 ヤヨイも険しい表情だ。ソウがこの家の養子になってから、ヤヨイはソウにとって良い姉であった。父と二人暮らしだったヤヨイにとって、突然現れた弟、新しい家族は何にも変えがたい宝だった。
 もっとも、それからたったの二年で弟はダーマへ行ってしまったが、それも自分がオロチの生贄にさせないためだ。そんなことのために弟に危険なことはしてほしくなかったが、それでもソウは自分の意思を貫きとおした。
「お父様。ソウを引き渡すことだけは絶対にできません」
「当たり前だ。毒の沼地に放り込むようなものだぞ、それは」
 ヨシカズは憤然と言う。
「だいたいモリヤもモリヤだ。八年前、厄介者だったソウを押し付ける相手を探していたくせに、状況が変わればすぐに取り戻そうとする。あんな男のところにソウをやれるか」
「厄介者というのは、母親の問題からですか」
 ソウはモリヤの側室の子。だから正室とその子たちに疎んじられる。
「そうだ。モリヤの正妻がソウタを殺そうとした。まだ八歳の子供をだぞ。いや、実際にソウタの母は殺されている。既に取り返しのつかないところまで来ていたのだ。モリヤはずっと傍観していた。そんな男のところにソウタを返すことはできん」
「お気持ちはごもっともですが」
 ルナはふと気になって尋ねる。
「だからといって、ヨシカズ様がソウを養子として引き取られる理由にはならないかと思います。何故──」
 ソウへの愛情を否定するわけではない。だが、子供を一人引き取るというのは後先考えずにできることではない。
「私には妻がいないので、養子をもらうことはそもそも考えていた。本当はもっと小さい子を考えていたのだが」
「ソウにしたのは、その境遇を不憫に思われたからですか?」
「無論それもある。だが、あの目がな」
「目?」
「母親を殺され、自分も何回も命を狙われて、それでもあの子は生きることを考えていた。その目の奥で貪欲に生きようとしていた。子供にあんな目をさせたくなかったし、あんな目をする子供がむざむざと殺されるなど我慢ならなかった。強いて言うならそれが理由だな」
「分かります」
 ヤヨイが頷いて続ける。
「はじめてソウタがこの家に来たとき、私はあの子に触れられる距離にいさせてもらえませんでしたから」
「触れられる距離、ですか」
 アレスが顔をしかめる。
「そうです。近づく人間は敵だと、ソウタはずっとそう思い込んでいたのです」
「ヤヨイがいなければ、あの子はずっとあのままだったかもしれん」
 ヨシカズが沈痛な面持ちで言う。
「ヤヨイを助ける力をつけるためにダーマに行きたいとソウタは言った。あの子にとってはこの国で暮らすより、ダーマにいる方がずっといいだろうと思った。だからこそダーマへ出したのだが」
 思った以上にソウをめぐる問題は深い。無論、アレスとしてもそんな事情のあるソウに人身御供となれ、とは言えない。
「ではこの話はなかったことにしましょう」
 ルナが言うと、ようやく場の空気が和む。
「ソウにも伝えない方がいいでしょうね」
「はーい、ちょっといいかな」
 だがその場の空気に真っ向から反対したのはヴァイスだった。
「何だ?」
「俺たちがソウをモリヤにやらないって決めるのはいい。ただな、このことをソウに言わないってのはよくないんじゃないかなと思ってな」
「何を」
 ヨシカズが怒気をはらむ。
「勘違いしなさんな。俺はソウをモリヤにやれって言ってるんじゃない。ただな、この件の当事者が何も知らされないで、後で別のところから発覚したとき、俺ならちょっといい気分じゃねえな。たとえ自分のためにしてくれたことだとしてもな」
「だが知ってしまえば、あの子のことだ。自分の犠牲でオロチ退治が可能になるならとモリヤの家に行くことになりかねん」
「有体に言っちまえばな、俺は自分の身柄を知らないところで勝手にやり取りされんのは嫌なんだよ。多分ソウも同じ考えだと思うぜ。ま、俺から言うつもりはないから、どうするかはオヤジさんが決めるといいさ」
「ヴァイス」
 ルナが静かな声で尋ねる。
「なんだ?」
「あなたがそうおっしゃるのは、何かはっきりとした理由があるからなのですか?」
「ん、まあな。こう見えても俺もアリアハンじゃ貴族の家柄の息子なんだぜ」
 全くそうは見えなかったが、ルナは小さく頷く。
「俺んとこは全く逆だけどな。生まれは貧乏貴族で、それでもその家が好きだった。親の後を継ぐにせよ、騎士になるにせよ、俺は満足して生活してたさ。だがある日、高名な伯爵家に跡取りがいないってことで、そこの養子になることに決まった。俺の知らないところでな。お笑いだぜ。昨日まで仲良かった両親も姉キも、その日から突然、俺の前で膝ついてんだ。何の冗談かと思ったぜ」
 薄ら笑いで言う。だがそれが全く望んでいなかったことだということはよく分かる。
「父親は俺のためだって言ったさ。ま、確かにガキの頃の俺でも分かる。爵位のない貧乏貴族の家柄と、将来が約束されている伯爵家の跡取り。どっちがいいかなんてことはな。でもな、俺はそんなこと関係なしにあの家にいられりゃそれでよかった。俺の姓が変わったあの日、アリアハンに俺の居場所はなくなったのさ」
「ならばなおさらではないか」
 ヨシカズが声を荒げる。
「あの子にとって一番いいのはこの家にいることだろう。あなたの場合とは状況が反対だ」
「分かってねえなあ。俺が一番不満なのは、その決定には俺の意思が全く反映されてないってことだよ」
 相手を諭すようにヴァイスが言う。
「もしその決定の前に俺に相談があれば話は別だった。きっと俺は他の家なんか行きたくない、この家にいたいって主張しただろう。ガキだったからな。相手の伯爵家の方も、ほしいのは跡取りであって俺個人ってわけじゃなかったから、別の跡取りを探せばいいだけのことで、選択権は全部こっちにあった。だから、俺が嫌だって言えばそこで話は終わりにできたはずだった。いや、もし俺が嫌だといっても、両親が俺を説得してくれれば俺も納得して伯爵家に行くことだってできただろうさ。だがな、俺には何も考える間が与えられなかった。俺の姓が変わっているのを知ったのは伯爵家に連れて行かれてからだっていうから笑えるぜ。つまるところは、納得ができるかどうかの問題さ。俺の人生は俺のものだ。勝手に決められてたまるか」
 ルナは話を聞いて小さく頷く。
「なるほど。それだけソウのことを思ってくれているのに、どうしてソウには冷たいのですか?」
「同属嫌悪だろ、きっと。昔の俺を見ているようでな。負けん気で、自分の未来に希望を持っているくせに諦めも持っている。最初に見たときからその考え方が気に入らなかったんだろ。俺は昔の俺が嫌いだからな。だがまあ、十六なら俺の二つ下か。二年前の俺よりはしっかりしてやがるぜ。少なくとも自分の未来をよくするための努力だけはしてやがる」
 ヴァイスの言葉が終わって、しばらく誰もが無言だった。
 言うべきか、それとも黙っているべきか。
 その問題をどうするか、誰もが考えていたとき、ソウが帰ってきたのか玄関の扉が開いて鳴子が音を出した。
「来たか」
 ヴァイスが言うと、すぐに扉が開く。
「ただいま、遅くなった……って、なんか雰囲気暗いな」
 ソウが無表情で入ってきて、あいている椅子に座った。
「やっぱりモリヤの奴断りやがったのか。自分のことばかり考えやがる最悪な奴」
「ソウタ」
 ヤヨイが険しい顔で言う。
「なんだよ、俺はあいつの悪口をやめるつもりはねえぜ」
「違うのよ。そのモリヤから協力する代わりに条件を出されたの」
「へえ。譲歩しやがったのか。で、条件は?」
「私たちはその条件を呑むつもりはないわ。これは、ここにいる全員一致の意見」
 ヤヨイがソウを見つめて言う。ヨシカズも止めない。どうやら覚悟を決めたらしい。
「なんでだよ。せっかくあの男が条件を出したんだろ?」
「そうよ。私たちにとっては絶対に認められない条件を」
「なんだよ、その条件って」
「あなたよ」
 ソウが顔をしかめる。
「は?」
「あなたよ。モリヤはあなたがモリヤの家に戻ってくることを条件に協力すると言っているの」
 ソウはその表情のまま、しばらく声を出さなかった。
 しばらく沈黙の時間が流れてから、ソウはようやく再起動し、頭を掻いた。
「そりゃ、予想外だったぜ」
 第一声がそれだった。周りは全員、ソウが激怒するかと思っていたが、本人は案外あっさりとしたものだった。
「私たちはあなたをモリヤに返すつもりなんてないわ」
「分かってるよ。でもよく俺に言うつもりなったな。隠そうとかって思わなかったのか?」
「そのつもりだったんだけど、ヴァイスさんに言われて。家族のことだもの、あなたも一緒に考えないといけないでしょう?」
「そりゃ黙っていられたら気持ち悪いな。俺のためを思ってくれてるんでもやっぱり言ってくれた方がすっきりするし」
「案外、冷静なんだね」
 アレスが尋ねる。だがソウは首を振った。
「いや、はらわた煮えくり返ってますよ。今すぐにでも飛んでいって殺してやりたいくらいには。ただ、怒りすぎるとかえって表面に出てこないだけなんですかね」
 ソウはますます能面になる。
「なあ、ルナ」
「はい」
「思うに、モリヤが俺を指名したのは、俺がイヨ殿下と仲良くなってるのが理由かな」
 いきなりソウが核心をついてくる。ヨシカズもヤヨイも全く頭になかったらしく、驚いてソウを見る。
「十中八九、その通りだと思います」
「やっぱりそうか。俺が殿下を助けたのをやけに喜んでやがったから、そんなこったろうとは思ったけどな」
 小さく息をつく。
「ルナ。あの男が何を考えているのか、お前はどう思う?」
「はい。モリヤ氏はおそらくこう考えたのだと思います。まず、現在イヨ殿下には正式な婚約者はおりませんが、スオウ家の息子レンが立候補している状態です。今から自分の息子を婚約者として擁立しても分が悪い。それならいっそ殿下にはお亡くなりになっていただき、空いた大王家の座を争った方が勝ち目があると考えたと思います。ですが、ソウが帰ってきて事態が変わった。イヨ殿下もソウのことを気に入っている様子。ここでソウをモリヤ家に取り戻すことができれば、自分の息子を大王家に送り込むことができて、自分がソウとイヨ殿下を後ろから操ることが出来る……というところではないでしょうか」
「下衆め」
 ソウが舌打ちする。
「そこまで状況が見えているのなら話は早い。この話はなかったことにするまでのことだ」
 ヨシカズが言う。だが、ソウは「待てよ」と止める。
「ソウ?」
「少し考えさせてくれ」
「ソウ、何を」
「俺がモリヤ家に行った場合のメリットとデメリットをだ」
 ソウが言うと、ヨシカズもヤヨイも立ち上がった。
「何を言う。お前がこの家を出て行くなど、絶対に認めんぞ!」
「そうよ。あなたはこの家の人間よ。モリヤ家に戻るなんてことはやめてちょうだい」
 二人がかりでソウを考え直させようとする。が、ソウはようやく笑顔を見せた。
「落ち着けよ、二人とも。たとえ俺がモリヤ家に戻ったとしても、俺が本当に家族だと思えるのは二人だけだ。ただ、今はイヨ殿下の命に関わる緊急事態でもあるんだ。一番いい方法を考えないとな」
 ソウは言って、ルナに尋ねる。
「俺がモリヤ家に行ったらどうなる?」
「そうですね」
 頭の中でルナはシミュレーションしてみる。
「まず、アレス様たちにオロチ退治の許可が下りることになります。三氏の要望があれば実行すると半ば約束してくれたようなものですからね」
「それは分かる。それから?」
「モリヤ家の長男となれば、ソウには地位と名声が手に入りますね」
「そんなもんはどうでもいいけどな。問題はイヨ殿下だ」
「はい。ミドウ家にいるより、モリヤ家にいた方がイヨ殿下に近づくことができるのは間違いありません」
「だろうな。デメリットは?」
「ソウが、モリヤ家の方々から命を狙われることです。それに、ソウはヨシカズ様やヤヨイさんを家族とは呼べなくなります」
「そんなのは俺の勝手だけどな。まあ分かった。つまり俺が我慢すればいいってことだよな」
 ソウが言うと、ヨシカズが怒鳴った。
「だからそれは認めないと言っているだろう!」
「落ち着けよ、親父。今やらなきゃいけないのは国をあげてオロチを倒すことだろ。オロチ退治が終わればいくらでもやりようはあるさ。でも、オロチを退治しなきゃイヨ殿下は助けられない」
 ぐ、とヨシカズが言葉につまる。
「俺はオロチを倒すために命がけで修行してきたつもりだよ。でも、俺じゃオロチにはかなわない。それはアレス様と手合わせしてみてよく分かった。自分がまだまだだって。だから、このジパングの民として俺に何ができるのか、昨日、今日とずっと考えてたんだ」
 ソウの表情は既に覚悟が表れていた。
「オロチを倒す方法は一つじゃないし、どんな方法だって倒せればいい。そのために最善だという方法があって、それも俺が一人我慢すればいいだけなんだったら、そうするのが一番だ」
「人身御供になるつもりかよ」
 ヴァイスが厳しく言う。
「そんなつもりはないさ。オロチを倒せば俺が我慢する必要はない。ジパングを捨てて逃げ出すのもありだろ?」
 あっさりと答えるソウに、ヴァイスも目を点にした。
「そんなことしたら戻って来られなくなるだろ」
「俺はもう六年もダーマで過ごしてきたんだぜ。どこだってやっていけるよ。親父や姉さんとは外国ででもたまに会えれば充分さ」
「一人前に言うことだけは言いやがる」
 ヴァイスは立ち上がって部屋を出る。
「ま、お前の人生だ。好きにするんだな」
 そう言ってヴァイスが出ていくとソウは頷いて父親に向き直る。
「明日は俺がモリヤのところに行くよ」
「ソウ」
「ただ条件をつけさせてもらう。どれだけ認められるかは分からないけどな。でも、対等に渡り合えると思ってるぜ」
「私が同行しましょうか」
「そうだな。俺は頭がよくないから、ルナが一緒にいてくれると心強い」
「分かりました。アレス様、明日は」
「ああ。僕たちはこの屋敷に居ることにするから、二人で行ってくるといい」






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