Lv.43
変化しない心と変化する心
スオウ家を出たルナとソウの二人は、さらにトモエ・ユキトのいる裁判所へと向かった。政庁より裁判所にいることの方が多い大臣というのも珍しいのではないだろうか。
その途中。
朱雀大路を南下しているときに、正面から歩いてくる一団に二人の目が止まる。
「あれって」
「ああ」
近衛兵たちと、そしてその中央を歩いている少女は間違いなく、王女イヨ。
「ソウタ様!」
向こうもこちらに気づいたらしい。兵士たちが気をきかせたのか前を開ける。
「お元気そうで何よりです」
「こちらこそ。昨日はありがとうございました」
カエデにいろいろと教えてもらった件を濁して言う。無論今はこの場にカエデはいないが、近くで見守っているのだろう。
「今日はどちらへ」
「九条の視察です」
その答にソウは唖然とする。この間ショックを受けたばかりだというのに。
「目を逸らすわけにはいきません。私は次の女王としてこのジパングをもっといい国にしなければなりません。そのためには現実を知らなければなりません」
目を逸らさず、問題を直視する。見ないようにしていれば傷つかずにすむのに、この少女は。
「ご立派です」
ルナが心からそう言う。
「ありがとうございます。でも、私からすればルナ様の方がもっとすごいと思います」
「私は何もしていませんが」
「父に聞きました。ダーマの『奇跡の賢者』について」
なるほど、ルナの持っているいくつかの武勇伝をどうやら耳にしたらしい。
「十歳で一人、一年以上も旅をして、そのときに賢者としての素質に目覚めてスカイドラゴンの群れを瞬殺し、ダーマに到着するなり賢者の称号を手に入れたとお聞きしています」
違う。ところどころ原型が見え隠れしているが、激しく違う。
確かに旅はしたが、期間は一ヶ月ほどだ。しかもあのときは抱えきれないほどの聖水を持ち、決してモンスターが近づいてこないようにした状態でなんとかダーマにたどりついたというのが真実だ。それから、スカイドラゴンは倒したが、それは自分が成長してからの話。それに群れを瞬殺とはいったい何がどう伝わったのか。
「誇張されて伝わっているみたいですけどね」
ルナが困って言う。
「さすがにルナも賢者になる前からそんなに強かったわけじゃないさ。ルナがダーマに来たときは本当に普通の子供だったからなあ」
「ソウだって強かったですけど、そんなに変わらなかったと思います」
「そうか?」
ソウが優しく笑う。それを見たイヨが表情を無くす。
「どうかされましたか」
ソウが気づいて尋ねる。
「あ、いいえ。ええと、その」
「ソウ。ユキト様のところなら私が行きますから、ソウはイヨ殿下と一緒に行ってください」
ルナが笑顔で言う。
「え、でも」
「イヨ殿下は、ソウと一緒にいたいんですよ。察してあげてください」
小声で伝える。それから「それでは、私は先を急ぎますので、失礼いたします」とルナは一礼して裁判所へ向かった。
(大丈夫かな、ソウ)
ソウが自分のことをまだ意識しているのはよく分かっている。
だがソウはもう引き返せないところまで来てしまった。それも自分からその道に踏み込んでいった。ソウはこれからジパングの政争に巻き込まれる。それを勝ち抜いていくためには、イヨに近いところにいた方がいい。
ソウはイヨを守るだろうが、ソウもまたイヨから守られるのだ。
(ソウがイヨ殿下を好きになると、みんな幸せになれるんですけどね)
今のままではソウだけがジパングのために犠牲になってしまうことになる。ルナとしてはそんな役割をソウに背負ってほしくない。
(イヨ殿下は綺麗だし、素直で可愛いし、それに──)
ルナは少し下を見て思う。
(やっぱり、私より胸、あったなあ)
はあ、とため息をつく。
身長は確かに小さいが、それでもそこそこ伸びたと思う。それなのに胸だけは全く成長していない。アレスに子供だと思われても仕方のないことだろう。
(アレス様には絶対女性として見られてないだろうなあ)
アレスの自分を見る目はただの子供、よくて妹というところだろう。なまじ力があるだけに頼れる子供という感覚なのだ。
女性として見られることはおそらくないだろう。
(それでもアレス様以外考えられないあたり、私も世界のために犠牲になっているということなのでしょうか)
自覚はないが、その可能性はある。このまま報われなければ自分はただ勇者に強力した仲間という存在で終わる。そこに自分の幸せはない。
(駄目ですね、こんなことを考えていては)
そう。自分が考えることは自分の幸せではない。勇者が魔王を倒して無事に生還すること。それが賢者としての喜びであり、賢者を志した自分が求めることなのだ。
(たとえ、自分の心が報われなくても)
こんなことを自分はあと何回考えるのだろう。
(いけないいけない)
考えるたびに思い直す。自分はもうそのことを考えずに生きるのだと。弱い自分であってはならない。勇者が魔王を倒すための頭脳。それが自分の役割なのだから。
そうこう考えながら歩いているうちに裁判所までやってきた。
すぐにユキトに取り次いでもらうと、そこにはユキトの他にもう一人、女性がいた。
「あらあらあら」
その女性はぱたぱたと近づいてくると、いきなりルナをぎゅうと抱きしめてきた。
「まあまあまあ。いらっしゃい、ルナちゃん」
「はい。ありがとうございます、スマコ様」
考えてみればスマコはユキトの妻。こうして会いに来ていても何の不思議もない。
「わざわざ会いに来てくれるなんて嬉しいわ。でも、今日は多分、もっと大事な話なのよね?」
「はい」
そうしてスマコはルナを解放する。そしてユキトの前まで来た。
「スオウ、モリヤ。両氏の了解を得られました」
「ああ、ご苦労さん。大変だったの」
「いえ、私は」
「傍にいるだけでも大変なものは大変じゃよ。お前さんは理性的で立派じゃが、年相応に少し苦しい顔をしてもいいんじゃよ。仲間の前では難しいじゃろうが、せめて大人の前ではな」
「ありがとうございます。でも、今回一番辛いのはソウですから」
「聞こうか」
そしてルナはモリヤの出した条件と、それに対するソウの様子をつぶさに話す。
「あの子も難儀な子じゃの」
「ええ。いっそ私たちの養子にしてしまいたいくらいですわ」
「おお、それはよい考えじゃ。じゃが、そうなるとヨシカズ殿が黙っておるまい」
「そうですわね。だから一度もその話をしたことはありません。それよりずっといい考えがありますわ」
「何かの」
「ユキちゃんをソウタくんのところにお嫁にやるんです。ユキちゃんもまんざらでもなさそうですし」
「おお、そりゃあいい。ソウタくんはダーマで修行も積んでると聞いたし、さぞいい男に育ったであろう」
「それはもう。すっかりたくましくなって、このジパングを背負っていけるだけの男になっていましたわ」
客を置いて盛り上がる夫婦二人。この二人はおそらくいつもこんな調子で楽しくしているのだろう。
「じゃあヒビキにはルナちゃんかな」
「それがいいですわ。どう、ルナちゃん。うちのヒビキは」
「あ、いえ。私は勇者様についていくと決めていますから」
「あら、残念」
「うむ。あの子もやんちゃ坊主だがそこまで悪い男ではないと思うがのう」
「あらあなた、親ばかさん」
あははははははは、と二人が笑う。本当に仲の良いというか、客の前で惚気なくてもいいと思うのだが。
「スオウ様は明日にでも早速上奏するとおっしゃっていました」
「そうじゃの。こういうことは早い方がいい。せっかくお前さんたちががんばってくれたんじゃ。後はワシらの仕事じゃよ」
「任せておいてね。それより、こんなことを頼んでしまうのがすごい気がひけるのだけれど」
「何でしょうか」
「必ず、オロチを倒してね」
もちろんだ。それが自分たちに課せられている使命なのだから。
「大丈夫です。勇者様も、その周りにいる私たちも、モンスター相手に遅れは取りません」
ソウはイヨに連れられてまたしてもイヨの部屋まで連れてこられていた。
ただ、昨日までと明らかに雰囲気が違うのは、彼女がまるで笑わず、何か考え事をしているかのようなところだ。
「何か、今日の視察で問題がありましたか」
九条の視察に行ったとなれば、見たくもないものをたくさん見ているはず。それで考え事をしているのだろうかと思った。
「いえ、それもあるのですが……」
イヨは少し困ったようにしてから「カエデ、少し席をはずしてくれる?」と言った。あたりに気配はなかったが、どうやら今も見守られていたのだろう。
カエデにすら言えないこと。いったい何だというのか。
「ソウタ様は」
イヨは緊張した様子で尋ねた。
「あの、『奇跡の賢者』ルナ様のことをどう思ってらっしゃいますか」
「ルナ?」
突然話を振られて驚く。なるほど、ずっと考えていたのはそのことだったのか。
「ルナになら、つい先日、ふられたばっかりです」
その答も意外すぎて、イヨは逆に驚かされる。
「ふられた?」
「ええ。というわけで俺は現在失恋中です」
自虐的に両手を上げる。
「信じられません」
「何がですか」
「ソウタ様ほどの方に愛されていながら、それを断るということがです」
「仕方ありません。ルナの愛している相手は、俺が父さんを除いて、ただ一人尊敬できる相手ですから」
「もしかして」
イヨも理解したのだろう。ルナの相手が誰なのか。
「アレス様、ですか」
「そういうことです。あ、このことはご内密に。アレス様たちのパーティの中でそれを知っているのは誰もいませんから」
小さく頷いたイヨは、それから困惑した表情をつくる。
「どうかされましたか」
「いえ……その」
照れたように顔を赤らめ、うつむいてしまうイヨ。
「私も、その、これは、失恋したことに、なるのでしょうか、と」
よほど緊張していたのだろう。思わず吹きかけたが、それはあまりにも失礼だ。
「俺は今すぐに結論は出せません。さすがに失恋直後ですから」
「……はい」
「だから、オロチ戦が終わってからゆっくり考える、というのでは駄目ですか」
「え」
「俺がイヨ殿下を守りたいと思っているのは本当です。多分それは、今年生贄になるかもしれなかった俺の姉さんの代わりなんだと思います」
「お姉さま……ヤヨイ様ですね」
「ええ。ただ、この間からちょっと違うんですよね」
「とおっしゃいますと?」
「イヨ殿下の、人生を諦めている目が許せなかった」
真剣な口調で言うと、イヨは苦しいように胸を押さえる。
「俺より小さいのに、そんな目をしているイヨ殿下を、もっと明るくしてあげたい、元気づけてあげたいって思うようになりました」
「それは……」
「少なくとも、俺はイヨ殿下に対して恋愛感情とまではいきませんけど、好意を持っているということです。これがこの先どうなるかは分かりませんが、それは俺の中でルナのことに決着がつけばゆっくり考えられると思うんです」
「そうですか」
イヨは、ふう、と少し安心したように息を吐く。
「私はまだ、失恋したと思わなくてもいいんですね」
「卑怯な言い方で申し訳ありません」
「いえ、いいのです。ソウタ様にはソウタ様の都合も事情もあります。私の勝手な意見ばかり押し付けるわけにはいきません」
緊張しすぎたのか、イヨは力が抜けて、椅子に腰掛けた。
「こんなに緊張したのは生まれて初めてです」
「その相手なのが光栄です。殿下、俺はさっき時間がほしいと言いましたが、実際にはその時間はあまり多くないのは分かっています」
「は?」
「オロチ退治が始まる。そうしてオロチが退治されたら、おそらくイヨ殿下には求婚者が殺到することになりましょう。スオウ家のレンや、トモエ家のヒビキをはじめとし、さまざまな貴族の有力者がイヨ殿下の周りにあふれることになります」
「はい」
「だから俺は、モリヤ家に戻ることにしました」
「モリヤ家に?」
「もともと俺はミドウ家には養子に出されたんです。でも四条の家では殿下につりあわないと反発を受けるのは間違いないですからね。モリヤ家に戻ってそれにふさわしい身分を手に入れるつもりです」
「ですが、モリヤ家はソウタ様にとって」
「ご存知でしたか」
「はい。その……正妻の方に命を狙われていたと」
「事実ですよ。母はそれで死にましたし、俺も毒殺くらいなら何度かされかけました。まあ、俺はあの屋敷で母が死んでから一度も気を許したことはありませんでしたけどね。ミドウ家に養子になって、俺は本当に良かったと思います」
「そのモリヤ家に!」
「別に苗字が変わったからといって俺の生活が変わるわけじゃありません。政庁でイヨ殿下を守る立場にいられればそれでいいんです」
ソウの気持ちとは無関係に、状況は刻々と変わる。
だから自分には気持ちを整理する時間など与えられない。どうすれば気持ちに決着をつけられるのかも分からない。
ならば今は、前に進むだけだ。
「ソウタ様」
イヨは再び立ち上がると、ゆっくりとソウに近づいてその手を取る。
「……私のために」
「俺がそうしたいと思っただけです」
「すみません……ありがとうございます」
そして、そのまま小さな体をソウの体に預ける。
(ああ、なんだ)
ソウはそのままイヨを軽く抱きしめた。
(イヨ殿下って可愛いんだな)
ルナのことを正面から話し合ったせいなのか、逆にイヨを女の子としてみることができたのかもしれない。
(俺も、イヨ殿下を好きになれるかな?)
そうなれば自分がモリヤの家に戻ったことは決して悪いことではないと思えるだろう。
そうなってほしい。
イヨの体温を感じながら、ソウはようやく気持ちが晴れ上がっていくのを感じていた。
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