Lv.46

魔獣を倒す、唯一の方法








 その老人の発言力が強いということを示すかのように、誰もガイ老人に対して何も返答しない。
(誰だ?)
 アレスが視線でルナに尋ねる。だがルナも小さく首を振る。突然現れたこの老人がいったい何者か、ルナも調べてはいなかった。
「父上」
 言ったのはスオウ・シンヤだ。それでようやく人物関係がはっきりした。
(スオウ・ガイ。確かスオウ家は当主が隠居して、今のシンヤ当主に変わったということでしたね)
 ということはスオウ・レンにあたってはこのガイという人物は祖父にあたるということか。
「シンヤ。それにレンよ。お前たちも何を惑わされておる。よいか、オロチを倒すことは不可能。我らはオロチの恩恵によって生き延びる他はないのだ」
「ですが父上、オロチの恩恵も未来永劫続くと保証されているものではありません。この機会に」
「オロチを倒せないことが分かっておるのにか?」
 ガイが言うと、逆にシンヤも黙り込む。
「よいか。オロチは神剣、草薙の剣でなくば傷をつけることかなわぬ。その剣がない以上、オロチ退治など夢物語よ。ここにいる者共はそれすらも分からぬか」
「失礼ですが」
 そのガイに向かって部外者であるルナが口を挟んだ。疑問は解いておきたいし、このガイという老人の前では三氏はもとより、カズサやヒミコですら口をつぐんでしまう有様だ。自分が尋ねる他はないだろう。
「ガイ様は、草薙の剣でなければ傷を与えられないことをどうしてご存知で?」
「なんじゃ、この小娘は」
 だがガイはぎろりと睨むと周りに尋ねる。
「ダーマから来た賢者殿です」
「ふん。賢者のくせにその程度も推察できぬか。簡単なこと、ワシが八年前の戦いに参加し、直接その場を見ているからよ」
「ガイ様もその戦いに?」
「そうじゃ。先王タケル陛下が剣を構え、王妃ミコト陛下が僧侶の魔法を、そしてワシが魔法使いの魔法を使い、その他大勢の兵士たちと共に挑んだのじゃ。じゃが、タケル陛下の草薙の剣でなければ傷を与えることはかなわなんだ。どんな武器も魔法も全く通じなかった。通じたのは唯一、タケル陛下の草薙の剣だけよ。その剣なくしてオロチに挑むなど無謀にすぎん」
 なるほど、確かに実際に戦ったのならばよく分かっているはずだ。
(もちろん、力量的な問題は残りますが)
 単に先王やガイたちが力不足だったという可能性はある。ただ、それ以上に問題なのは草薙の剣は確実にオロチにダメージを与えていたということだ。だとすると、オロチには何らかの加護がかかっていて、草薙の剣だけがそれを打ち破れるということなのだろう。
「ありがとうございます」
「なに?」
「ガイ様のおかげで方針が決まりました。その草薙の剣を見つけること。それが最優先だということです」
「無理じゃ」
 だがガイはあっさりとその考えを否定した。
「何故です?」
「オロチに知能がないと思っているのか。何故草薙の剣が回収されなかったか、考えたことはあるのか」
 その言葉で、現在草薙の剣がどういう状況なのかということが明確になった。
「そういうことですか」
「ほう、賢者というだけあって察しがいいようだの」
 二人だけが理解しあっていて、他の誰もがついてこられない。
「どういうことなのだ?」
 カズサが尋ねる。
「簡単なことよ。自分を傷つけた神器、草薙の剣を、あのオロチはその場で飲み込みおったのよ」
 全員が愕然とする。大臣の中には立ち上がった者もいた。
「飲み込んだ……」
「そう。オロチにとってもっとも危険な道具を体内に納めることによって、オロチは完全に弱点をなくすことになった。それがあの戦いの真実よ」
「ではガイ殿、あなたは」
「そう。ワシはそれを見ておった。この足の痛みすら忘れての」
 ぽん、とガイは片手で失った足を叩く。
「タケル陛下とミコト陛下が食われ、ワシもこの足を食われて、命からがら逃げるところで振り返ったときに、あの化け物が体内に飲み込むのを見た。それが全てじゃ」
「何故それを今まで話さなかったのだ」
 カズサが叱責する口調で言う。
「言ってどうなる。草薙の剣は二度と手に入らないから諦めよ、と全ての可能性を封殺すれば満足だったか、カズサ」
 くっ、とカズサは言葉に詰まる。そして、この場にいる誰もが分かった。
 オロチ退治が、不可能なのだと。
「こういう事態になったときにはこの秘密を話そうと思っていた。分かったか。草薙の剣の回収は不可能。従ってオロチを倒すことは未来永劫──」
「なるほど。では直接戦闘で取り戻す方法を考えなければなりませんね」
 だが、ルナだけが絶望していなかった。
「小娘。今、言ったことを聞いていなかったのか」
「いえ、聞いていました。つまりオロチの体内に神剣、草薙の剣があるというのでしょう」
「それが取り戻せないことだということが分からぬのか?」
「分かりません。神剣なれば、おそらくオロチの体内に今も草薙の剣は保管されているはず。なら吐き出させればいいだけのことですから」
 また、一同が言葉を失った。
 ガイの発言が衝撃なら、ルナの前向きな姿勢もまた衝撃だった。なるほど、確かにオロチは体内に剣を持っている。ならそれをどうやって取り返せばいいのか。そんなことすら考えられなかった。
 それはおそらく、ガイの意図的な心理誘導があったのだ。ガイはわざとオロチ退治が不可能だと全員に思わせようとした。そのために草薙の剣がオロチの体内にあることを誰にも言わなかった。
 裏を返せば、ガイは草薙の剣が取り返せるかもしれないということに、唯一気づいている人物でもあるということだ。
「小娘」
「はい」
「名を何という」
「はい。ルナ、と申します」
「覚えておこう。そなたはこの世界に変化をもたらす存在かもしれぬな」
 にやり、とガイは笑う。
 だがそれが自分を歓迎しているわけではないということは分かる。それどころか、必ず殺さなければならない敵を見るような目だ。
(何故、そこまで敵視されなければならないのでしょう)
 こちらは敵視する理由がない。オロチに苦しめられているのだから、それを克服するためにどうすればいいかと考える同士ではないのか。
「ならば好きにするがいい。ただし、一つ確認しておきたいことがある」
 ガイは説得は無理と諦めたか、逆に質問をしてきた。
「ヒミコよ」
「何か」
「生贄の儀、指名されたのは真にイヨなのか」
 疑問を直接ぶつけた。だがヒミコはただ顔をしかめるだけだ。
「わらわはお告げを受け取っただけ。イヨ以外の名は聞いておりませぬ」
「そうかの。これまで生贄は全て十八歳の女子。今年に限って変わったのは、いったいどういう理由があるのかのう」
「それはオロチに聞かなければ分からぬこと」
「そうかの。お告げの内容を聞いたのはお主一人。とすれば、今までに選ばれた生贄たちも、もしかしたらおぬしの一存で決められた可能性はないか」
「笑止」
 ヒミコは薄笑いを浮かべて言う。
「わらわは巫女。神の言葉を受け取るだけの存在。わらわがどうして生贄を自分で選ばねばならぬ」
「それだけとは限るまい。告げられた名前を言わず、別の人間の名前を言うことだってありうる」
「その結果、わらわは自分の姪を生贄として選んだというのですか? 馬鹿馬鹿しい。イヨは私にとって大切な姪であり、このジパングの跡取りです。オロチの指名でなければ、どうして生贄などにしようと思うでしょうか」
「それ以上に守りたい娘がいれば話は別じゃろう……のう?」
 ガイはにやりと笑う。
「イヨは他の娘を助けるために、お主が自ら選んだのではないのか?」
「馬鹿げています。ガイ殿は戯れが過ぎるようですね」
 いよいよ怒り頂点に達したか、ヒミコが目を細める。
「そのあたりにしておいた方がいいでしょう、ガイ様。お告げは神聖なもの、ヒミコ陛下が恣意的に指名を変えることなどありえぬことです」
 と、その間にミドウ・ヨシカズが割って入る。が、そこでガイが目を見開いた。
「黙れ、若造! 最近ヒミコの傍にいるようだが、四条ごとき貴族の出る幕ではないわ! それとも貴様の娘が今回の生贄で、それを助けるためにイヨを代わりにしたか!」
「何と」
 ヨシカズは意外とばかりに顔をしかめる。
「もしヤヨイが生贄だったとしたら、私は決してそのような真似はしません。ヤヨイもジパングのためならその命を惜しみますまい。私はアレをそのように育てました」
「父さん!」
 ソウが叫ぶ。だがヨシカズは口を止めない。
「それに、私がヒミコ陛下に娘の命の安全を願い出たとしても、ヒミコ陛下はお告げの内容を変える方とは思えません。また、変えたとしてもわざわざ自分の姪を差し出す必要がありません。もっと別の、それこそ誰かの貴族の娘の名前を言えばいい。今年対象となっている娘は我が娘を加えても六名。選択肢は多かったはずでしょう」
「理屈で何でも言いくるめることができると思うなよ、若造」
 ガイがヨシカズを睨みつけて言う。
「本当に生贄がイヨなのか、お主こそ疑ったことがないとは言うまい。何しろ対象となっていた娘の親だからの」
「無論、そのことについては何度も考えました。ですが、オロチの指名となれば疑うこともありますまい」
「それが女王の恣意によるものではないということを信じたいものだな」
 くっ、とガイが笑う。
「まあ、好きにするがいい。だが、オロチ討伐に失敗すればジパングそのものが壊滅する危険がある。そのことを忘れるでないぞ!」
 言いたいことを全て言い残して、ガイ老人は去っていった。
 最後に、彼と互角に言い合った小さな賢者を横目でちらりと見て。






 会議は終わった。
 ソウの征戎大将軍位、そしてオロチ討伐は正式に承認されることになった。
 そうして大臣たちが散会していく。
 スオウ家の前当主であるガイは、暗い部屋の中に一人、椅子に座って笑っていた。
 いまだにガイの発言力は衰えていない。いざとなればヒミコやカズサを封じ込める権限があることに満足だった。
 そして扉が開かれ、その向こうからかすかに光が漏れ入ってくる。
「終わったか、どうであった」
 光を背後にしているため、その人物の顔は見えない。
「結局、オロチ討伐が決まり、征戎大将軍にモリヤ・ソウタが任命されました」
「やれやれ、あれほど言ってもまだ戦うつもりか。オロチ討伐に失敗したときは、生贄を年に二人にしなければ怒りを鎮めることはできそうにないじゃろうて」
 ガイは喉の奥で笑う。
「やはり、絶対に倒すことはかないませぬか」
「無理じゃよ。もっともあの賢者の言うとおり、オロチの体内から草薙の剣を吐き出させれば話は別じゃがな」
「もし倒したらどうなりますか」
「どうもならん。ヒミコも予言していよう。オロチがなくなれば不作の時代が続く。この不毛の地がこの十年持ちこたえたのはオロチのおかげじゃて。不作になれば大王家に非難が集中しよう。何故オロチを殺したのか、こうなることは分かっていただろうに、と」
「大王家を倒すのはそのときですか」
「うむ。スオウ家からイヨの婿を出せば、一番問題なく乗っ取ることができたのだがな。まあ、大王家が失脚したところで問題はあるまい。ただ……」
「モリヤの動きですね」
「そうだ。モリヤの子倅め、自分の息子をイヨに婿入りさせるつもりだな。あれだけは防がねばならん。よいか、このオロチ討伐でせっかく前線にいるのだから、何があってもあの小僧を仕留めろ」
「御意」
「そしてあの賢者……ルナといったか。たいした娘じゃ」
 くっくっ、とガイが笑う。
「ああいう賢い者は、オロチも気に入るやもしれんな」
「生贄、ですか」
「まあそう簡単にはいくまいが、オロチ討伐に失敗したときは、そのかわりにあの賢者を生贄としてもらおうではないか。彼らがおらねばオロチ討伐などということにはならなかったのだからな」
「心得ました」
「しかしヒミコめ。何故生贄をわざわざ自分の姪に変えたのやら」
 ガイはいまいましそうに顔をしかめる。
「スオウ家が大王家に入り込んでくるのを防ぐためでしょうか」
「ならば婚約自体不成立にすればいいだけのことよ。理由は他にある。必ずな。よいか、ヒミコが何故イヨを生贄にしたのか、それを探るのだ。うまくいけば、ヒミコの決定的な弱みを握ることができるやもしれんぞ」
「ただちに」
「うむ。期待しておるぞ」
 男が部屋を出ていくと、今度こそ暗闇の中にガイ老人は一人きりとなった。
「スオウ家の宿願、果たされる日は近いやもしれんのう」
 くっくっ、と忍び笑いが闇に響いた。






次へ

もどる