Lv.47
遥か遠き過去と確かな現在
翌日。ルナはアレスたち三人を連れて、ジパングの外へとやってきていた。
当然周辺にははぐれモンスターなどもいたりするのだが、それでもジパング周辺は警備の兵もいることがあってか、ほとんど襲われることはない。ジパングは京に六万人、そしてその周りの集落で約九万人の人口がある。彼らを守るのもジパングの役目だ。
ただ、なるべくなら実際にモンスターが来てくれた方がありがたい。いっそ全員を連れてルーラでモンスターの跋扈するサマンオサまで飛ぶのも良かったかもしれない。
「で、何するんだ?」
連れてこられたヴァイスは既に戦闘準備ができている。訓練をしに行きますから準備してください、とルナに言われるがままに三人はついてきただけだ。
「はい。まずアレス様とヴァイスさんには、私の効果魔法を受けた状態で行動してもらいます」
「なんだ? ボミオスとかでわざと負担して特訓するってあれか」
「いえ、逆です。オロチ戦では初めからお二人にはバイキルトとピオリムをかけた状態で戦っていただきます。ですが、慣れない魔法を唱えると体は動いても頭がついていかない可能性があります。ですから、魔法がかかっている状態の自分というものをきちんと認識してほしいのです」
「そこまでしないと倒せない相手なのか?」
「おそらく厳しい戦いになると思います」
ヴァイスの軽口にルナは丁寧に答える。
「ガイ老人の言うことが正しいとしたら、私たちはまずオロチの体内に飲み込まれた剣を吐き出させるところから始めなければなりません。スピードが要求されます。それだけの動きをしなければいけません」
「それでピオリムか。ま、確かにいきなりかけられるのも不安ではあるがな」
「……私は?」
無表情でフレイが尋ねる。
「使える魔法とその威力を確認させてください。それを見て改めて戦い方を検討しますから」
こく、と頷く。さて、それでは早速。
「ピオリム!」
二人に魔法をかける。さらに、
「バイキルト!」
連続で魔法をかける。何度も訓練しているだけのことはあり、ルナはこれらの魔法を即座に唱えることができる。
「ふうん、何か、あまり変わった感じはしないな」
「では動いてみてください」
ヴァイスが試しに軽く走ろうとすると、思ったより早く足が前に出てつんのめる。
「おわっ」
「慣れないと、結構大変ですよ。私の魔法は効果が強いですから」
「そういうことは早く言ってくれ」
アレスはその様子を見ながら、慎重に自分の体を動かす。
「二人で手合わせするのはまだ待ってください。力が格段に上がっているはずですから、モンスターの影があれば、それを倒すのが一番かと」
「了解」
そうして二人はピオリムの効果を試すためにひたすら走っていく。
「……速い」
あっという間に二人の姿は小さくなっていった。
「さすがにソウとは違いますね。お二人とも、元々の力が高いですから、効果も絶大です」
さて、とルナはフレイを見る。
「じゃあ今度は、フレイさんの魔法を見させてください」
「……よろしくお願いします」
そしてフレイは続けざまに魔法を放つ。
メラ、メラミ、メラゾーマと火球を一通り放ち、ヒャド、ヒャダルコ、ヒャダイン、マヒャド、ギラ、ベギラマ、ベギラゴン、イオ、イオラ、イオナズンと攻撃魔法を全て唱える。
「火の魔法が得意なんですね」
こく、とフレイは頷く。
「これ以外に使える魔法はありますか? 効果魔法なんかは」
「……リレミトとルーラだけ」
なるほど。移動するのに必要な魔法はあるが、他の国に行ったことがないからここまでは旅をしてきたということか。
「じゃあアリアハンに戻ったりすることはできるんですね」
こく、と頷く。
リレミトとルーラを使えるというのは大きい。最悪、パーティが危険な状態に陥ったとき、脱出が可能かどうかというのは常に考えておかなければならない事象だ。
だから最悪のことを考えて、ルナは常にキメラの翼を一つ、絶対に常備している。それは最終手段。生き残ることを優先しなければならないときに使うものだ。
「フレイさんが初めて魔法を使ったのはいつごろですか?」
「……六歳くらい?」
随分と早い。自分が賢者になりたいと思って長老から習ったのもそれくらいの年だ。
「アリアハンでは高名な魔法使いに習ったのですか?」
ふるふる、と首を振る。
「それでは、一人で覚えたのですか?」
こく、と頷く。
「呪文書とかはあったんですよね」
「……家に、たくさん」
「それを、一人で読んで、一人で覚えていったということですか?」
また頷く。それを聞いてルナは戦慄した。
(誰にも習わずにこの実力?)
それは尋常ではない。自分もラーガ師をはじめとする多くの師から教えを受け、その中で切磋琢磨してこの力を手に入れたのだ。
その自分に匹敵する力を、たった一人で習得することなどありえない。それは自分が一番よく分かっている。
(よほど魔法に対する相性がいいんでしょうね)
改めてこの天才を見つめる。しっかりとした顔つきだが、どこか迷い子のように戸惑っているような様子も垣間見える。
「つかぬことを聞いてもいいでしょうか」
「……なに?」
「アレス様とは、どのようにお知り合いになったのですか?」
そもそも自分は三人がどういう関係なのかよく知らない。そうしたことも知っておいた方がフレイのことがよく理解できそうだし、何より早くこのパーティになじむことができるように思えた。
「……アレスは、私の命の恩人」
「恩人?」
「……そう。アリアハンで大火事が起こったとき、私のせいにされそうになった。それを守ってくれたのがアレス。だから私は、一生かけてアレスに恩返しするって決めた」
「アレス様のことがお好きなんですね」
「うん、大好き」
迷わない答。それに少し、胸の痛みを覚える。
「その話を詳しく聞かせてもらってもいいですか?」
頷いてフレイは話し始めた。
勇者オルテガが旅立ったのは今から十二年前。アレスがまだ五歳、フレイも同じく五歳の頃だった。それから勇者オルテガの訃報が届いたのが四年後。ちょうど二人が九歳のとき。
その直後だった。
アリアハンの王都で大火事が起こった。それは王都中とはいかないが、王都の一区画を完全焼失させた。
その火元と思しき場所が、たまたまフレイの家の近くだったことが問題だった。
ここで、フレイの出生が問題となる。
アリアハンの偏屈魔法使いとして有名だった男がいた。彼は誰とも関係を持とうとしなかったが、ある日突然そこに一人の女の子がいた。母親は分からない。男は誰かと結婚していた様子はなかったので、捨て子を拾ってきたのではないかと思われていた。
その男はフレイが四歳の頃には亡くなり、フレイはその家で一人育つことになった。
財産はそれなりにあったらしい。また、その男がオルテガと懇意だったこともあり、オルテガがフレイの面倒を見ることになった。オルテガ出発後はオルテガの妻、すなわちアレスの母にあたるエリスがそれを引き継いでいた。
二人はフレイを引き取ろうとしたのだが、フレイがその家に固執し、結果四歳の女の子がそこで一人暮らしをすることになった。無論、オルテガやエリスという後見人がきちんとついていてのことだ。
アレスもよくエリスの家に遊びに行くようになり、二人は幼馴染として育った。
エリスの家は、元々が魔法使いの家だけに、たくさんの魔法書があった。フレイは遊び道具のかわりに、それらの本をひたすら読み漁った。
六歳の頃に初めて魔法を使った。魔法は簡単なメラの魔法だが、そのせいであやうく火事になりかけた。それは近所の協力でボヤで終わったが、その頃から彼女は白眼視されるようになった。
八歳になるころには家にあった全ての本を読み終えており、そのほとんどの内容が理解されていた。もちろん内容が分かっていることと実際に魔法が使えることとは別だ。
九歳のとき、王都に火事が起きる。火元はフレイの家のすぐ傍だった。過去に魔法でボヤを起こしたフレイはすぐにスケープゴートとなった。誰もがフレイを責め、怒りの矛先をぶつけようとしたのだ。
そのときにフレイを助けたのがエリスであり、アレスだ。アレスはフレイに一度だけ魔法を使ったのかどうかを確認し、彼女が『していない』と答えると二度とそれについて蒸し返すことはせず、フレイを傷つけようとする者と正面から言葉で戦った。
一ヶ月ほどの激闘の果てに、これ以上かばいきれないという状況になったとき、ようやく犯人が見つかった。それはフレイに罪をなすりつけるつもりで火を放った放火魔だった。人々は掌を返して、悪かったとか、信じていたとか言ったが、そのときには既にフレイは誰も信じることをしなくなっていた。
ただアレスとエリスだけは、ずっと彼女をかばいつづけ、彼女も二人のことだけはずっと信頼し続けるようになった。
それが彼女が、最初にアレスに惹かれた理由。
もしアレスがかばわなければ、今頃はこんな風にしていることはなかった。普通にリンチにあって殺されていたかどうかしていただろう。
そして、それからもフレイはアレス以外の人間とは全く交流を持たなかった。いや、持てなかった。
放火の件の前からフレイに関わろうとする者は多くなかったし、放火の件が誤解だったと分かっても余計に話しかけづらくなったということがある。
しかもその後で、アリアハンにおけるフレイの地位を決定づける事件が起こった。
それは十二歳のとき。
アリアハン城下をモンスターが襲ってきたことがあった。多くのモンスターが城門からなだれこみ、多数の民間人が殺害された。
このとき、アレスは誰よりも多くモンスターを倒し、民間人を救った。
そして彼の隣で巨大な火球を幾度も生み出し、そしてモンスターを一掃した魔法使いの少女。それがフレイだった。
だが、その活躍は決して彼女を他の人々の輪の中に入れる効果を生むことはなかった。人々は強大な力を持つ少女を怖れるようになった。もちろん、迫害するということではない。ただ、誰もが彼女には近づかなかった。
『炎の魔女』
それが彼女につけられた別称だった。
もちろんアレスは彼女が当時、既に魔法を使いこなせることを知っていた。そして父親のかわりにバラモス退治の旅に出ることを決めており、そのことをフレイに話してもいた。
だから彼女ははっきりと答えたのだ。
『……私も行く』
無論、そんな危険な旅に連れていくつもりがなかったアレスは待っていてほしいと伝えたのだが、フレイは小さく首を振った。
『……アレスの居る場所が、私の居る場所』
アレスもこのアリアハンにフレイの居場所がないということは分かっていた。そして二人で旅立つことを決めた。
フレイはアレスと共に育ち、そしてアレスに命を救われてからずっとアレスのためだけに生きてきたのだ。
「……アレスは、私の、全て」
フレイはそう締めくくった。
だが、それを聞いたルナは、少しだけ胸がすく想いだった。
(十二年間、ずっとアレス様のことを想っているのですね)
自分が勇者のために命を捧げる決意をしたのは十年前。
(誰よりも長く勇者様のことを考えているつもりでしたが、上には上がいるものですね)
もちろん想いの長さが全てとは思わない。だが、自分は物心ついてすぐに勇者のためだけに生きる決意をした。だから、自分の人生は全て勇者のものだと思っている。だから、勇者の隣にいる人物がそうでないのは許せないという気持ちがあった。
だがフレイはそうではない。フレイもまた幼い頃からずっとアレスと共にいて、アレスのためだけに生きると決めていた人物。
(私の入る隙間がないのは分かっていましたが、これでは認めるしかなさそうですね)
自分がフレイにかなわないとは思わない。だが、自分と同じだけの想いを持ってアレスに接するのなら、自分は潔くこの想いにピリオドを打つべきなのだろう。どのみち、自分が割ってはいる隙間などないのだし。
「アレス様のこと、本当に愛してらっしゃるのですね」
こく、と頷く。そのしぐさがたまらなく可愛い。
(私より二つ、年上なのに)
くすっ、と笑う。
「お似合いのカップルだと思います。バラモスを倒して、凱旋して結婚式ですね。そのときは是非、私も出席させてください」
だが、その言葉にフレイは少し顔をしかめた。
「どうかなさいましたか?」
「……アレスは、私が好きじゃないかもしれない」
突然の爆弾発言だった。
「どうしてそんなことを」
「……アレスは私を妹みたいに思ってるから」
「そんなことはないと思いますけど」
「……別に、女の子として見られなくてもいい」
フレイは少しだけ表情を和らげる。
「……アレスの傍に、いられるなら」
思わず涙がこみあげる。
自分の恋敵だというのに、自然と応援したくなってくる。
「大丈夫ですよ」
ルナは自分より背の高い魔法使いを、優しく抱きしめる。
「こんなに素敵な女性、アレス様が好きにならないはずがありません」
「……でも」
「自信を持ってください。アレス様は本当にフレイさんのことが好きなんですから」
その顔が赤らむ。
(ああ、この人は)
他の人間と全くコミュニケーションをとったことがないから、感情の表現も言葉の使用も豊かではないのだ。
それなのに、心の中ではたくさんの感情が渦巻いている。
(この人に幸せになってほしい)
素直にそう思える。
「私は、フレイさんに幸せになってほしいです」
笑顔で話しかけた。
フレイは少し困ってから、顔をもっと赤くして答えた。
「……ありがとう」
そんな不器用な答がとても嬉しかった。
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