Lv.52

賢者としての、資質と覚悟








 モリヤ・ヒロキは現状でルナが出会っていない重要人物である。
 モリヤ家の正妻から生まれた子供が二人。姉のエミコと弟のヒロキ。既に伝え聞いたところでは二人とも『優秀』ということだったが、それがいかなる実績のもとにくだされた評価なのかはよく分からない。
 エミコの話については既にソウから聞いた。ソウはかなり嫌われているらしい。だからソウもエミコにはあまりかまわないようにしているとのことだ。
 おそらくヒロキもそうなのだろうと思ったが、いまだ表舞台に出てきていない少年のことについて、ソウは「分からない」と答えるだけだった。
 嫌われているわけではないのか、それとも本当に嫌われているのか。もちろん正妻の子としては、自分の兄に側室の子がいれば厄介に見えるだろう。だが、ヒロキが現時点でソウをどう思っているかは未知数だ。
 まずは話をしてみたい。モリヤ家の執事が来た瞬間、ルナの心は決まっていた。
 モリヤ家は相変わらず大きい。一条の左に館を持つモリヤ家に敵う勢力はスオウ家とトモエ家しかいない。
 屋敷の中に入り、長い庭園を抜け、館の中を通りぬけて裏庭へ。そのさらに奥の離れへと二人は案内された。
(跡継ぎなのに、こんな隔離されたところにいるのはどうしたことでしょう)
 何かの罠か。いや、自分たちを罠にかけても意味がないのは誰もが分かっていること。大王家も三氏も、勇者たちをどう利用するかで頭がいっぱいのはず。
「ようこそ、いらっしゃいました」
 離れは一つの大きな部屋になっていた。中心に柱がないのに天井が高く、広い。その奥の方にベッドがあって、この離れの主はその上にいた。なんとか体を起こして出迎えたの主は、小柄な少年だった。
「ヒロキ様ですか」
「そうです。驚かれましたか」
 驚いた。まさか、モリヤ家の跡継ぎが。
「ご病気でいらっしゃったのですか」
「はい。もう自分では立って歩くこともできません。五年前に流行り病にかかって後遺症が出てしまったんです。起き上がることくらいはできますけどね」
 少年は、くす、と笑った。可愛い笑顔だった。
「何と申し上げればいいか」
「気になさらないでください。おかげで余計な仕事が僕のところに来なくてすみますし、いろいろなことを考えるのにはこの離れはすごい便利なんです。あなたのことも聞かせてもらいました。ダーマの『奇跡の賢者』ルナさん」
「光栄です」
「あなたとは話をしてみたかったんです。何しろヒミコ陛下に向かって、お告げなんてないのでは、と直接尋ねたのはあなたが初めてですからね」
「軽率だったと反省しています」
「いえ、そんなことはありません。僕も同じ考えでしたから」
 真剣な表情に変わる。どうやらヒロキはその話がしたくて自分を呼んだらしい。
 ならば、相手の知っていることをできるだけ多く吸収する。それが今の自分がしなければならないこと。
「まずはおかけください。執事がお茶を持ってきますから」
 そうして近くに置かれていた二つの椅子にルナとヴァイスがそれぞれ座る。と同時に執事が茶器を持って戻ってきた。
 静かな部屋の中に、紅茶の香りが漂い、準備が終わると執事は離れから出ていった。
「ルナさんのために用意したファーストフラッシュです。ダーマの方だともっと質がいいのでしょうけど、ジパングではこれが限界です」
「いえ、これは貿易用にしか栽培されていない希少品種です。私もダーマで飲んだことはありません」
 香りが違う。もちろん一口含んだだけで滑らかな舌触りとさわやかな風味が広がる。
「これは、素晴らしい」
「彼──執事のマコトはこういうのは得意なんです。お口にあってよかった」
 ヒロキが安心したように微笑むと、ようやく本題に戻る。
「今日、僕がお招きしたのは、ダーマの賢者であるあなたの考えをお聞きしたかったからです」
「私で答えられることならばなんなりと」
「あなたはヒミコ陛下にお告げなどないと言い張った。その根拠をお伺いできますか」
「ヒロキ様も同じ考えでしたら、説明の必要はないかと思いますが」
「やはり、生贄の年齢が一つの問題でしたか」
「はい。今年、突然十四歳のイヨ殿下が指名され、その結果ヒミコ陛下への疑いが強まったのは確かですが、私は別のところに逆に作為を感じます」
「ああ、やっぱり賢者様だ。たった数日しかいないのに、そのことに気づかれている」
 ヒロキは首を振った。
「やはり僕では賢者などという職業に就くのは無理そうですね。僕はずっとこの国にいたはずなのに、気づいたのはようやく最近なんです」
 だが、それを傍から聞いているヴァイスには全く理解ができていない。
「今日は俺にとって分からない話ばっかりだな」
「大丈夫です。すぐに分かります」
 ルナはヴァイスを眺めてから尋ねる。
「ヒロキ様のお考えを先に聞かせてもらってもいいですか?」
「ええ。僕もお告げなんていうものは存在しないと思っています。何故なら、過去八年、イヨ殿下以外全てが十八歳の乙女という設定がまずおかしい」
 ヴァイスが首をかしげるが、ルナは力強く頷いた。
「オロチにとって年齢はそれほど重要でしょうか。僕はそうは思いません。生贄がいれば、それを食べる。一年に一度のごちそうになるわけです。それが十八歳でなければいけない理由はない」
「お察しの通りです。食事の内容に誤差があっても何の問題もない。それなのにオロチのお告げは十八歳の女性に限定されている。ということは、その決まりは『オロチのルール』ではありません」
「ええ。それは人間が決めているということ。つまり、オロチを騙った何者かが、ヒミコ陛下にオロチのお告げとして吹き込んでいるということになります」
 オロチのお告げが人間の仕業だということはヒミコにも伝えたが、その根拠までは語っていない。ということはヒロキは自分の考えだけでそこまでたどりついたということだ。
「この場所にいながらそのことに気がつかれたというのですか。素晴らしい才能ですね」
「いいえ。本来なら僕はもっと早く気づける立場にいたんです。それなのにあなたがいらっしゃるまで僕は何も行動できなかったし、自分の考えに自信が持てないでいた。だからあなたをお呼びしたんです。ヒミコ陛下へ直接疑問をたたきつけたあなたを」
 ルナは先ほどの巫女との会話で新たに分かったことがあった。ここでヒロキに話すわけにはいかないが、ヒミコは予言の力が嘘のものだということを隠している。ということは、オロチの予言にしても、それが存在するはずはない。
 だとすると、オロチの予言と称したのは誰か。オロチを騙ってヒミコに生贄を指名してきた者が確実に存在するということだ。
 そして今年の指名が誰だったのか。本当にイヨ殿下が指名されたのだとしたら、逆に今までの考えは大きく変わらなければならない。だが、今年だけが十四歳の少女だということは、今までとは別の意思がそこに入り込んでいることになる。
 指名する人間が変わったのか。それとも同じ人間が指名しているが、ルールを十八歳女性というルールを変更しなければならないようなことがあったのか。
 それともやはり、指名はイヨではなかったのか。貴族の十八歳の女性、もしくは年齢に限らず『イヨ以外の人間』が生贄だったとしたら。『イヨ以外の人間』が指名されているのに、何故ヒミコはイヨの名前を上げることになったのか。簡単な話、ヒミコは『自分の判断で生贄を変えた』ということになる。
 一つ分かれば謎が増える。謎が残っているうちは、まだ情報が足りていないということだ。
「私は最初、ヒミコ陛下は八年前からずっと生贄をヒミコ陛下が決めていたのではないかと思っていたんです。でも、そんな様子ではありませんでした。もっとも、何かをまだ隠しているような気はしましたけど」
「ですがルナさんの考えからすると、まず十八歳の女性というルールを作った者がいるのはもう確定になっているんですね」
「誰がというのは分かりません。ただ、それは間違いないことです。そしてイヨ殿下を指名したのが別の勢力だとしたら、黒幕が増えるのはあまり考えたいところではないですね」
「ではやはり生贄は誰か十八歳の女性で、ヒミコ陛下は本来指名された名ではなく、イヨ殿下の名前を言ったということになりますか」
「そうなります。いえ、それが一番ありえる話です」
「黒幕が今年に限ってイヨ殿下にしたということは」
「可能性はあるでしょうけど、それにしてはせっかく八年も続けてきたルールを無駄にすることになりますね。あまり得策ではないと思います。それに、この十八歳のルールは実はジパングに平穏をもたらしたことを、おそらく黒幕は気づいているでしょうから」
「平穏?」
「はい。生贄にされるのは十八歳の女性、と決まっていればそれに該当しない人間はひとまず安心していられるわけです。そして十八歳でうまく逃れられれば、もう生贄にされる心配もなくなる。つまり、十八歳の女性というルールは、それに該当しない人たちの安心を生み出していたのです」
 ヒロキはしばらく押し黙る。そして納得して頷きつつ、さらに尋ねた。
「ルナさんは黒幕は誰だとお考えですか」
「先にヒロキ様の考えをうかがいたいところですが」
 すると少し困ったように黙り込む。無論、この段階で怪しいと思える人間は限られてくる。
「身内びいきと思われるかもしれませんが、父が黒幕で生贄を選定している、とは思えないんです」
「理由はありますか」
「これといったものは。ただ、今までトモエ家とスオウ家の派閥の家柄から四名ずつ生贄が出されていることを考えると、明らかにモリヤ家だけが恩恵を被っている形になります。これは誰が見ても明らかに怪しいですよね」
「それでもモリヤ家ではない、と」
「はい。もし父なら、そんな露骨なことはしないんじゃないかと思います。むしろこうやってモリヤ家の派閥から全く犠牲が出ていないという状況を、他の二家のどちらかが作り出していて、何か有事のときにモリヤ家に罪をかぶせてしまおうと考えているんじゃないか、と思っています」
 ルナはゆっくりと呼吸を整える。
 モリヤ家が怪しいと言ったのはヒミコだった。少なくともヒミコはモリヤ家が自分に指示を出していると思っている。
「驚きましたね」
 ルナは苦笑した。
「私の考えと、ほぼ同じです」
「では」
「ええ。もちろん、モリヤ家がやっているという可能性が捨てきれるわけではありません。ただ私の考えではモリヤ家がやっているとしたら、もっと疑われない方法でやると思っています。その点ではヒロキ様と同じ考えです」
「そうですか。少なくともルナさんの考えでは、父がそこまでのことをしているとは思っていないと考えていいのですね」
 即答はしかねた。少し考えてから「そのように考えてもかまいません」と答えた。
 問題はヒロキがいったい何を考えているのか、ということだ。
 もしモリヤ・シゲノブが実際に黒幕で、ヒロキがそのことを知っている、もしくは協力者だったとする。ならばモリヤ家の安泰を考えて、今のうちにモリヤ家にかかっている疑いを解いておくのが一番だ。ルナはその可能性を決して捨てていない。
 裏で何を企んでいるか分からないスオウ家。大王家に対してよい感情を持っていないことが明らかなモリヤ家。一見優しそうな当主だが奥深さを感じさせるトモエ家。当主たちのうち誰が企んでルール設定をしたのかは慎重に見極めなければならない。
「今日、私にお声をかけてくださったのは、この話をなさりたかったからですか」
「ええ。私はこの部屋から出られない体。誰かと話したかった。自分の考えを誰かに聞いてもらいたかった。それが一番でした」
「私はソウと一緒にこのジパングにやってきました。他の誰も味方はできなくても、ソウにだけは絶対に味方です。ヒロキ様にとっては、あまり好ましい相手だとは思いませんが」
「誤解ですよ」
 ヒロキは苦笑しながら首を振る。
「僕は別に、兄上のことを疎んだりはしていません。むしろ、強い兄上に憧れすら抱いていますから」
「ですが、エミコ様はソウのことを嫌っておいでだと聞きましたが」
「あれは兄上が好きだということの裏返しです」
 ヒロキはきっぱりと断言する。
「もともと姉上は兄上が好きだったんですよ。でも立場の違いなんかもあって、お互いうまく話すことができなかった。さらには兄上も僕や姉上と話そうとしないものですから、溝は深まるばかりだったんです。僕が病弱でなければもう少し違ったのかもしれません。ただ、いずれにしても兄上は僕たち姉弟を許してくれるとは思っていませんが」
「許す?」
「聞いていませんか。兄上の母親を殺したのは、僕たちの母親です」
 もちろん知っている。ソウがモリヤ家を恨むのはむしろ当然だ。
「それは僕や姉の知らないところで行われていました。母も自分の子供が病弱で頼りにならないと分かっていたんでしょうね。いっそのこと競争相手であるソウとその母を殺した方がいいと考えた。結果、それが成功してしまったわけです」
「お母様はどうなさったのですか」
「二年前に病気で。あっけないものでした」
 死んでいたのか。
 ということはこれで、ソウを狙っている者は厳密にはいないことになる。少なくともシゲノブはソウの命を狙っているわけではない。
(というより、今はソウの身は安全ということよね)
 それは安心できる材料だ。もっとも、ソウはそれでもモリヤ家を許すつもりは微塵もないだろうが。
「では、ソウが征戎大将軍になってもヒロキ様は何も思われるところはないのですか」
「もちろんありますよ。僕はこういう体ですから、兄上がうらやましい」
 気がたかぶったのか、ごほっ、と突然むせる。
「すみません。でも、それだけです。兄上は子供の頃から才気煥発でしたから、戻ってきたらそれなりの地位に就くことは予想済みでしたよ」
「協力したい、とお考えですか?」
「僕では駄目でしょう。兄上が僕を嫌う理由はあっても認めてくれる理由はない。トモエ家の双子の方が、僕よりずっと兄上を慕っていますしね。僕の望みは兄上と和解するとか、そんなところにあるわけではありません」
「では?」
「あなたです。ダーマの賢者様」
「は?」
「あなたが僕の才能を少しでも認めてくれるなら、それで僕は満足です。ダーマの賢者が自分の才能を認めてくれた。その事実だけで、僕は充分なんです。どうでしょうか、僕はまだ、あなたに考えは及んでいませんか」
 ようやく分かった。
 この少年は、なまじ頭がよく回るだけに、自分の才能が認められないこの環境に対して不満があるのだ。だから、自分よりも頭がいいと思われる人間、つまりダーマの賢者を狙って話しかけてきたのだ。
「私はヒロキ様は充分に思慮深いと思います」
「そうですか」
「ですが、残念ながらあなたは賢者になれない」
 その言葉は、ヒロキに顔色を失わせた。
「何故ですか」
「賢者とは、自分の決めた勇者のために命をかけるものだからです。私は勇者様がこの世界を平和にしてくださると信じています。そのために私は同行しているのです。ヒロキ様はその力を認めてほしい、つまり自分のためにその知恵を使っている。それは賢者の有り様ではありません」
 賢者はすべて、勇者のために存在する。リュカから教わったことだ。
「なるほど」
 ヒロキは悟ったように微笑む。
「残念です。かなうなら、僕はダーマに行って賢者になりたかった」
「この辺りで失礼させていただきます」
 ルナは立ち上がる。ヒロキも頷いた。
「もしあなたさえよければまた来てください。オロチの問題で僕が知っていることがあれば、いくらでもお伝えします」
「ありがとうございます。必要がありましたら是非」
 そうしてルナとヴァイスは屋敷を出た。






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