Lv.53

訣別か、それとも成長か








「やれやれ、どうやらモリヤ家の跡継ぎってのも、まんざら悪い奴じゃねえようだな」
 屋敷を出てからヴァイスが言う。だが、ルナは少し小首を傾げただけで、頷きはしなかった。
「何だよ、違うってのか?」
「分かりません。善良に見える悪人は山ほどいますから。ヒロキ様は一見して確かに問題なさそうですが、それは格好だけかもしれません」
「実は黒幕が今の奴だってのか?」
「可能性の問題です。いずれにしても私たちは、仲間の他に信頼するものを持ってはいけません。たとえそれがヒミコ陛下であったとしても」
 ヒロキが何を理由に自分を呼んだかは分からない。ここで話されたことが事実である可能性は高い。だが同時に、実はヒロキが黒幕であり、彼が疑われる前に防波堤を築こうとした、という考えもできる。
 いずれにしても、黒幕が明らかにならない限り、誰も信頼することなどできないのだ。
 もちろん、ここまでいろいろと経験してきた中で、黒幕ではないかと推測している人物はいる。だが、その人物では説明がつかないことが多すぎる。何を企んでいるのか、もう少し明らかにしなければ表立って行動することはできない。
「一つ聞いてもいいか」
「なんでしょう」
「それだけ誰でも疑ってるんなら、別に話を聞く必要はないんじゃねえのか」
 なるほど、ヴァイスの言うことはもっともだ。あちこち話を聞いてまわっても、相手の言うことを全く信じていないのならそれには意味のない行動に見えるだろう。
「誰しも、隠し事は持っているものです」
 ルナはそう前置きしてから言う。
「いろいろな人が、いろいろなことを言う。ただ面白がっている人もいれば、自分の身を守るためや、よりよい生活を求めるためにそうしていることもあるでしょう。大事なのは、その人が『何を求めているのか』を突き止めることなんです。そうしたら自然と、その人の言葉で真実と嘘の部分は見えてきます」
「じゃあ、今の話で何が分かったんだ?」
「まだ何も。ただ、ヒロキ様も自分のために何かしら行動しようとしている。味方ならば歓迎ですが、敵になるなら憂慮しなければならない。相手の姿が見えるということは悪いことではありません」
 その望みが大それたものなのか、ささやかなものにすぎぬのか。それは現状では分からない。だが、わざわざ自分を呼びつけてまで話したのだから、そこには何か意図があるのは間違いない。
「じゃ、現段階で味方だとはっきりしているのは誰だ?」
「アレス様とフレイさん、それにヴァイスさんだけです」
 即答するルナにヴァイスは苦笑する。
「そうじゃなくてよ。この国でってことだ」
「それこそ一人もいませんよ。勘違いしないでください、ヴァイスさん。我々の目的はオロチ退治ではありません。それはアレス様がこの国を放置しておけないから手伝っているだけで、いわば寄り道です。もちろん私だってこの国を放置する気はさらさらありません。ただ、あくまでも我々の最終目的は、オーブを手に入れることなんです」
「そういやそうだったな」
「現状で誰が隠し持っているのかは全くわかりません。ただ、オロチを倒さない限りは我々はオーブを手にすることはできないと思います。だからこの件に全力を尽くすんです」
「待った」
 ヴァイスが手を上げてルナの言葉を止める。
「意味が分からん。オロチを倒さない限りオーブを手にすることができないって、どういうことだ?」
「私は大王家、スオウ家、トモエ家、モリヤ家の中の誰かがオーブを持っていて、それを私たちに隠していると思っています」
「なんだって?」
「オーブの持ち主は、現段階で私たちにオーブを渡すのはよくないと思っているんです。だから黙っているんですよ」
「理由が分からん。いったいどうして」
「そうですね。一番分かりやすい理由を言えば、私たちにオロチ退治をさせるためでしょうね。先に宝石を渡したら私たちに逃げられるかもしれない。だから今は黙っておいて、本当にオロチを倒せたら渡してやろう、そんな風に思っているのではないでしょうか」
「オロチ退治の報酬ってわけか」
「ええ。それも手法としては古典的ですよ。オロチ戦が終わった後に『そういえばうちの宝物庫で昨日見つかった』とか言って私たちに手渡してくれるんです。さも驚いたように。そういう演技は大王家も三氏もやりそうですから、誰が持ち主かは全く分かりませんけどね」
 ただ、オロチを倒すことで譲ってくれるのならば、オロチも倒せてオーブも手に入る。一石二鳥だ。
「そんなことしなくたってオロチなんざ倒してやるのによ」
「そうですね。アレス様はここまで関わって途中で放り投げるような方ではありません。最後まできちんと責任を取ってくださいます」
「あいつの場合は多少、ずる賢くなった方がいいんだけどな」
「そうですね。確かにすぐに騙されそうなタイプですね」
 ようやく二人の間に笑いがこぼれる。
 そうして二人はそのまま政庁に入る。特別目的があるわけではなかったが、ミドウ家の屋敷に戻る前に、政庁の様子を少し見学しておきたかった。
 無論、リカに聞いたヒミコの件、モリヤ家のもう一人の子供、失われた神器、スオウ・ガイ氏の政庁への影響力など、考えたいことは山ほどある。ただそれよりも今は、まずソウの様子を見ておきたかった。今日は確か、征戎大将軍としての初仕事だったはずだ。
 うまくいっただろうか。まあ、ソウなら大丈夫だとは思っているが。
「ああ、賢者殿!」
 政庁をうろついていると、一人の兵士が駆け寄ってきた。
「どうなさいましたか」
「それが、凄いんです! モリヤ家のソウタ様が、自分の部下たち全員と腕比べをして、三十人抜きをしたっていうんですよ!」
 ──何だって?
「どういうことですか?」
「いや、それが、征戎大将軍っていっても、ただ地位を与えられた子供にしか見えないわけじゃないですか。だからソウタ様の方から、自分の力を見せるから協力しろって言ったそうですよ。格好いいですねえ!」
 兵士は随分興奮している。どうやらこの話はもう政庁では持ちきりなのだろう。
「ソウはどうしているんですか?」
「ソウタ様なら、さすがに怪我と疲労とで現在救護室です。この先を行って、突き当りを左に曲がれば見えてきますよ」
「ありがとう」
 兵士と別れてルナはため息をつく。
「どうしてそんなことをしなければいけないのでしょうか。意味が分かりません」
「そりゃお前さんには分からんだろ。男が命をかけるんだったら、それなりの相手じゃないと納得できないからな。最低でも自分より弱い奴は論外だろ」
 俺はソウに負けるつもりはないけどな、と言外で語っているのがよくわかる。
「なるほど。だからヴァイスさんはアレス様についていくんですね」
「んだよ、悪いか」
「いいえ、素敵なことです。ヴァイスさんがいらっしゃらなければ、アレス様はきっとここまで勇者らしい勇者にはなれなかったのではないでしょうか」
「そりゃ褒めすぎだ」
「いいえ。断言できます。アレス様が今のアレス様になることができたのは、その周りにいてくださった方々のお力です。アレス様の家族の方。フレイさん。ヴァイスさん。アリアハンの国王様も、周りにいる人たちのおかげでアレス様はこうやって健やかに成長されたんです」
「そんなもんかねえ。ま、褒められて悪い気はしないけどな。で、会いに行くんだろ?」
「当然です。何を無茶なことをしているのかと叱らないといけません。まったく、自分の立場を考えて行動しないと、いつかこの国でソウは失敗するかもしれません」
 ルナは足早に救護室へ向かう。扉を開くと、そこにはヒビキとユキ、それに目が覚めたばかりのソウがいた。
「ソウ!」
「おう、ルナか。早いな、もう聞いたのか」
「聞きました」
 近くにいたヒビキやユキにかまわず、ルナは近づいて強く睨む。
「あなたは危険なことをしなくていいんです。たとえ軍の協力がなかったとしても、私たちだけでヤマタノオロチを倒すことだって不可能じゃないんです。
「わかってるよ、そんなこと。でも、これは俺にとって避けられないことだったから」
「無駄に命をかけることがですか。それとも部下になるかもしれない人たちに負けることですか。もしそうなった場合、この国であなたを持ち上げる人は、あなたのお父さんを含めて誰もいなくなりますよ」
「そうか、その手があったんだ。最初の一回でわざと負けておくんだったな。そうしたらあの男も俺を引き取るなんて言わなくなるだろ」
「ソ、ウ?」
 にっこりと笑顔。もちろんその裏には強大な怒りが隠れている。当然ソウはただちに降参する。
「お前の魔法は手加減してても痛いんだから、あまり叱りすぎるなよな」
「あなたの問題でしょう! まったく、どうしてあなたがこんなところで綱渡りしないといけないんですか」
「でも勝ったぜ」
 ソウは真剣な表情だ。
「俺は勝った。もちろん勝つ自信はあった。いや、勝てなくても俺が命をかけていることがみんなに伝わればそれで大丈夫だと思った。それにさっきも言ったけど、これは俺にとっても避けられないことなんだ」
「どういうことですか」
「つまり、俺がこのジパングにずっと居続けるための試練ってやつだよ。俺自身が自分がジパングにいてもいいんだって認めてやらなきゃいけないんだ」
「言っている意味が分かりません。あなたは立派にこの国の人間ではないですか」
「違うさ。俺は国を捨ててダーマに逃げた人間だ。確かにいつかオロチを倒してやろうとは思っていた。力をつけるという大事な目的があった。それは否定しない。でも、あのモリヤっていう家から逃げたくてジパングを飛び出したのも否定はできないんだ」
「だからモリヤ家に戻ることを承諾したのですか? そしてこの国で自分の居場所を作るために」
「そんなところかな。それに、俺は征戎大将軍として、三十人の部下の命を預からないといけない。それだけの力を示す必要もあったしな」
「だから、オロチは私たちだけでも」
「ここまできてなんだが、はっきり言うけどな、ルナ。ジパングは俺たちの国なんだ」
 ソウは引かない。自分がやったことは間違っていないと態度ではっきりと示している。
「確かにアレス様は強いよ。俺じゃ何回戦っても絶対にかなわない。それはもうよく分かった。だからオロチ退治も協力してくれないと困る。でも、だからって客に戦わせて自分は高見の見物なんてことはしたくないし、そんなことをしたらジパングは誇りも何もない国になる。それだけは絶対に嫌だ。俺はこの国が、もっと良い国であってほしいし、そのためにできるかぎり力を尽くしたい」
「ソウの気持ちは分かっています」
「いや、分かってない」
 ソウは布団を跳ね除けて立ち上がる。双子があわてて近づくが、大丈夫、とその二人を制する。
「俺は嫌なんだ。モリヤ家だとかイヨ殿下だとか、いろんなしがらみが勝手に俺を押しつぶしていくのに耐えられないんだ。だからせめて、この戦いは自分が選んだもの、自分が望んで戦うものでないと、この先俺はジパングで生きていけない。俺はオロチとジパングの戦いに巻き込まれた人間でありたくない。俺は望んでオロチと戦うんだ。それを実感するための戦いだったんだ」
「お前さん、この国に戻ってきてから随分と成長したな」
 そのソウに声をかけたのはヴァイスだった。すると途端にソウは嫌そうな顔をする。
「アンタに褒められると気色悪い」
「悪いな。ただ、ダーマで初めて会ったときの変な正義感ぶった面よりはよっぽどいいぜ。結局人間なんて、自分が何をしたいか、それだけなんだからな」
「アンタと同意見なのは気分が悪いが、その通りだよ。征戎大将軍だって、いやいややったんだったらうまくいくはずがないし、何より命をかけてくれる部下に申し訳ないからな。やるなら本気で、命がけでやらなきゃ駄目なんだ」
 ふう、とルナはため息をつく。そしてまた口を開こうとしたとき、今度は別の場所から横槍が入る。
「ソウタさん」
 話しかけたのは双子の妹、ユキだ。
「確かにルナ様はソウタさんの気持ちが分からないかもしれませんけど、それはソウタさんだって同じなんですよ」
 その言葉にソウは顔をしかめる。
「どういう意味だよ」
「どうしてルナ様がこんなに真剣になって叱っているか、お分かりじゃないでしょう?」
「そりゃ、俺が無茶なことするからだろ」
「だから、その理由です。ソウタさんが無茶なことをしたからって、ルナ様が怒る理由はないでしょう?」
「いや、それは──」
 と言いかけて、ようやくソウはユキの言いたいことが分かった。
「そうか。心配をかけたのか、俺は」
「そういうことです。ついでに言うのでしたら」
 ユキはにっこりと笑ってソウの瞳を覗く。
「すぐ傍で見ていた私の方が、ずぅっと心配していたんですけど、それには言及なしですか? ソウタさん」
「あ、いや、その」
 ちょっと間があいて、ソウは深呼吸する。
「悪かった、ユキ。心配をかけた」
「どういたしまして。さ、ほら。ルナ様にも謝って」
「ああ。ごめんな、ルナ。お前を守るって言ったのに、俺は勝手なことばかりして、心配までかけさせてる」
「あ、ううん」
 そうやって謝られると、ルナとしてもそれ以上何も言えなくなってしまう。
「私こそ、ソウが何の考えもなしにやってるとは思っていません。強く言ってしまってすみません」
「それこそ気にしてねえよ。お前の言ってることは今まで一度だって間違ったことはないからな」
 ソウが言って、ようやく場が和む。その空気を感じて、ルナはようやく気づいたことがあった。
(ああ、そうか)
 自分が何に対していらいらしていたのか。
(独占欲。私がどれだけ勇者様を見ていたとしても、ソウは私のことを一番に考えてくれるはずだという欲目が私の中にあったんだ)
 それは恋愛などではない。自分のものだったのが突然変わってしまうことに対する、単なる不満。
(私は勇者様についていくと決めたのに、ソウが離れていくのは不満に思う。本当に人間というのは、どこまでもいじきたないものですね)
 だが、理解してしまえばそれ以上考える必要はない。
 ソウがこのジパングに根を下ろし、この地で生きようとしている。それを大切な友人として心から応援するだけだ。
「ソウは間違っていません」
 だからルナはきっぱりと言った。
「自信を持ってください。ソウが自分で選んでいくことに、何の間違いもありません。だから、この戦い、必ず生き残ってください」
「ああ、任せろ。父さんと一緒に、この国をもっとよくしていくから、期待しててくれ」

 ──この一件がルナとソウの関係を確定させた、といっても間違いではないだろう。






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