Lv.54
つながらない真実の欠片
そうしてしばらく談笑していると、さらに来訪者がやってくる。ソウが命をかけて守ろうとしている相手、イヨ殿下の登場だった。
「ソウタ様」
小柄な彼女は入ってくるなり、苦しげな表情を浮かべる。
「これは、イヨ殿下」
全員がかしこまり、さらにはソウも布団から出ようとする。が、
「そのままでかまいません。ソウタ様は怪我をされているのでしょう」
「ええ。でももう傷口はふさがってるんですよ。優秀な僧侶がいますからね」
「傷の手当は私がいたしました」
ユキが会釈する。そうでしたか、とイヨが安心したように息をつく。
「ただ、血はそこそこ流れたし、それに体力がまだ戻ってないから、念のために休んでるだけさ。オロチ討伐軍についてはシオンにいろいろ動いてもらってるし、今の俺は一仕事終えて休んでるだけですよ」
「でも、話を聞いたときは本当に驚きました。まさか三十人抜きだなんて、無茶なこと」
「ダーマでただ遊んでたわけじゃないですから。朝が来ても日が沈んでも、とにかく剣ばかり振ってましたからね」
「ソウタさん」
めっ、という顔でユキが睨む。ああそうか、とすぐに理解した。
「イヨ殿下には心配をかけさせてすみませんでした」
「え、いいえ。そんなことは」
「さっきルナからも叱られたばかりなんですよ。でも別に、命に関わるようなことをしたわけじゃないですから、ご安心ください」
「……分かりました」
珍しくイヨが何か煮え切らない様子だった。妙な雰囲気を打破したのはルナだった。
「それでは私たちはそろそろ戻ります」
「そうか。悪かったな、足を運ばせて」
「そうですね。他にも用事がないわけじゃなかったんですけど、別に急ぐものでもありませんでしたから」
「じゃ、また後でな。夜のミーティングには参加するから」
「はい。それでは」
そうして二人が出ていこうとすると「お待ちください」とイヨから声がかかった。
「はい」
「ルナ様は、少しお時間がありますか」
イヨ殿下じきじきのご指名だ。はい、と素直に答える。
「では少し、お話したいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
何の話かは分からないが、当事者の話を聞いておくのは悪いことではない。そう先ほどヴァイスと話したばかりだ。分かりました、と答える。
「すみませんがヴァイスさんは、先に戻っていていただけますか。私一人でもきちんと帰れますから」
「そりゃお前さんがそんじょそこらの野郎に負けるとは思ってないけどな」
状況によってはヴァイスは自分でもルナにはかなわないと思っている。ルナはとにかく呪文の詠唱が早い。しかも正確だ。彼女ならまず何をするだろうか。ラリホーで自分を眠らせてくるのが一番手っ取り早いだろう。だが自分がそれに耐え切る可能性だってある。だったら何だ。ボミオスで素早さを奪うか、マヌーサで幻覚を見せるか。
とにかく彼女は魔法で一撃で片付けるなんていうことはしない。倒せなければ次に危ないのは自分なのだ。彼女の戦法は常に、自分の身の安全を確保した上で行われる。
(オロチ戦でも相手の攻撃方法とかが全部分かってたら、的確な作戦で安全に倒すんだろうな)
それは全く疑っていない。先ほどピオリムとバイキルトの訓練をしたが、あれもその一環だ。とにかく自分が優位に立つ。そのための手段はルナは全部持っている。
「ま、分かった。なるべく早く帰ってこいな」
「分かりました」
それでは、とイヨはルナを連れて自分の部屋へ赴く。
(イヨ殿下ですか)
考えてみれば、この人とじっくり話したことはまだない。誰かを交えての会話ならいくらでもしているが、イヨ殿下が何を考え、何を望み、何をしようとしているのか、それは推測しかできていない。
(当事者のことはきちんと把握していなければいけませんね)
これはいい機会だ。
「どうぞ、こちらへ」
イヨの部屋は質素な作りだった。それもソウから聞いてはいたものの、あまりにも何もない。三氏の屋敷の方がずっときらびやかで豪華だ。
(大王家より三氏の方が勢力があるというのは、こういうところから分かりますね)
うながされるまま、ルナは椅子に座る。そしてイヨは周りを見る。
「カエデ。少しの間、席をはずして」
何も変化はない。だが、イヨは小さく頷くと隣の椅子に座った。
(人払いまでするなんて、どんな用件なのでしょう)
自分を守る隠密すら遠ざけておくということは、かなりプライベートなことと推測される。このタイミングでプライベートな質問といえば、十中八九ソウのことだろう。
「最初にイヨ様に申し上げておきます」
だから先手を打っておくことにした。
「はい」
「私とソウはダーマで一緒に修行してきた仲間です。お互いに信頼もしていれば、大切な友人でもあります。ですが、それは恋愛感情とは違うものです」
「は?」
「もし、イヨ様が私とソウとの関係を気にしていらっしゃるのであれば、それは無用のこととお断り申し上げます。むしろ私は、ソウがイヨ様のことを好きになるのなら、全力で応援したいと思っています」
「え、え、え」
ぼっ、と火がついたように顔が赤くなる。
「わ、わ、私は、そそ、そんな」
おろおろとうろたえるイヨ。普段はりりしくしていても、ソウのこととなるといきなり年相応の反応に戻る。
「わ、私は、そんなに、顔に出ていますか……?」
少し涙目になってイヨが尋ねる。
「イヨ様のソウを思う気持ちは、誰が見てもよく分かります」
「うう」
本人はそれでも隠していたつもりなのか、困ったというように呻く。
「まさか、ソウタ様も」
「多分気づいているかと」
「わ、私」
赤い顔がますます赤くなる。
「は、はしたない女だと、思われて、ないでしょうか」
「それはありません。それどころか、純情でかわいらしいと思います。イヨ様が一途にソウのことばかり見ているのが分かりますから。ソウもまだイヨ様のことを恋愛の対象とは見ていないでしょうけど、決して嫌ってなどおりません」
「そう、ですか」
少し残念そうにイヨがうつむく。
「恋愛は時間がかかるものです。でも、イヨ様ならちゃんとうまくいくと思います。だから勇気を持ってください」
「勇気」
「はい。ですが、イヨ様からアタックするのは駄目ですよ。ちゃんとこういうことは、ソウの口から言わせないといけません。男の人をつけあがらせることになりますから」
「はい」
自分も別に恋愛の経験が豊富なわけではないが、この箱入りのお嬢様よりは随分といろいろなものを見ている。そういう、人を見るという意味での経験なら豊富だ。
「それで、イヨ様がこちらにお呼びくださったのは、何が理由でしたか」
「あ、はい」
途端にりりしい表情に戻る。ということは、どうやら今の話ではなかったらしい。
(別の話があるということですね)
自分の中でいくつかの問をシミュレートしてみる。ヒミコのことや、トモエ家、スオウ家、モリヤ家のことなどさまざま思い浮かぶ。が、どれもイヨが自分を指名してまで話そうとすることとは思えなかった。
「これは、他の誰にも言っておりません。私はそれを生まれてから十四年、ずっと隠し続けてきました。もちろんカエデも知らないことです。全ては私の心の中で処理してきましたから」
「はい」
「実は、私は」
少し間があく。そして、
「未来予視ができるんです」
その重大な打ち明けごとはルナを戸惑わせた。
先ほど神社でヒミコの予言を暴いてきたばかりなのだ。その直後にまさか、こんなことを言われるとは。
(予言はヒミコ陛下の神通力などではなく、情報を駆使した『システム』にすぎなかった。でも、もしイヨ様がそうした情報を使わずに予視をしているとなると?)
うまく頭が働かない。
この問題は、自分に何をなげかけているのだろうか。
(それに、イヨ様の目を見れば分かる)
この人は絶対に嘘をつかない。本当に予視をしているのか、それともそう思い込んでいるだけかは分からないが、少なくとも自分は予視ができると信じているのは間違いなさそうだ。
「このタイミングで、そういうことをおっしゃるのでしたら」
イヨの立場にたって考えてみる。今まで誰にも打ち明けなかったことをわざわざ自分に対して言うことはたった一つ。
「その予視で、ソウの危険な場面を見てしまいましたか」
「!……さすがに、賢者様ですね」
イヨは驚いた様子で頷く。
「予視の内容を、できるだけ詳しく」
「はい。おそらく山中だと思います。そこで誰かと対峙しています。そしてソウタ様が抵抗することもなく、一方的にやられてしまうんです」
「相手は?」
「残念ながら、ソウタ様のことしか見えませんでした。でも、おかしいんです。武器もあって、怪我をしていたわけでもないのに、抵抗しないんです」
「予視はどのようにして起こるのですか?」
「私の場合、寝覚めに起きます。夢、と思われるかもしれませんが、夢と予視の区別は私の中ではきちんとつけられます」
「自分で意図的に予視を起こせるわけではない、ということですね」
「はい。予視の内容も別に決まったものではありません。何を見るかは、本当に運によります」
なるほど。それでいろいろなことが見えてくる。
「一つ、うかがってもいいですか」
「はい」
「その予視の起こり方が分かっているイヨ様は、ヒミコ陛下の生贄指名の儀式をどう思われますか」
イヨは言葉を失う。
それについては彼女もいろいろと考えてきたのだろう。
「あれも、予言、ということになっていますよね」
「はい」
「ですが、予言の仕組みがイヨ様のおっしゃったとおりだとすると、その儀式はいったいどういう意味を持つのでしょうか」
「あの儀式は……」
苦しそうな表情だった。
「予言では、ない、ということになります」
「予言ではなければ、いったいその儀式で指名された女性は、誰が、どのようにして決めたのでしょうか」
「分かりません!」
ぶんぶん、と首を振る。
「私には、何も!」
「それでよく分かりました。イヨ様が最初、生贄になることを許容されていた理由が」
「はい?」
「イヨ様は、ヒミコ陛下が予言をしているわけではない、と思われているのですね」
「はい」
「つまり、あの生贄の儀式で指名しているのはオロチではない。となると、必然的に指名しているのは儀式に関係している人物、つまりヒミコ陛下以外ありえない」
「そうです」
「だから今年、ヒミコ陛下がイヨ様を指名したということは、ヒミコ陛下がイヨ様を殺してしまうつもりなのだ、とそうお考えになったのですね」
「その、通りです」
脱力したように言う。もっとも今のイヨならば、尊敬するヒミコより、恋愛対象のソウの言葉の方がずっと大切だろう。もはや自分から死ぬなどということは考えまい。
「それは誤解です」
「誤解?」
「実は、生贄の儀式でヒミコ陛下に生贄を指名していた者がいるようなのです」
「……」
「ですから、イヨ様を指名したのはヒミコ陛下ではないのです。ヒミコ陛下を裏から操ろうとしている者が存在する、ということなのですよ」
「……」
途端に、ぼろぼろとイヨの目から大粒の涙がこぼれてくる。
「ヒミコ様」
「だから、ヒミコ陛下はイヨ様を嫌っているわけでも何でもありません。ヒミコ陛下がイヨ様を殺そうとしているわけではないのです」
「うぐっ」
言葉が詰まって何もいえないのか、そのまま震えて肩を落とす。
ルナはそっと、イヨの肩を抱いた。
「ヒミコ様っ!」
わあっ、と声を上げて泣き出すイヨの背を、ルナは優しくなでた。
(今は、これでいい)
ルナは一切、嘘を言っていない。ただ言わなかった事実があるだけだ。だが、それを彼女に伝えるのは酷というものだろう。
イヨの予視を真実だと仮定する。
その場合、ヒミコの予言は完全な偽となる。そして、ヒミコ本人も当然それが分かっている。ヒミコは偽の予言をするためにジパングに神社システムを作り上げ、情報を集めてさも予言が行われていると思わせるようにした。
(だとしたら、先ほど神社で収集した証言が真実味を帯びる)
二十年以上も前にヒミコが行ったという予言。ヒミコも昔は予言ができたが、今はできない。もしかすると予言には年齢制限でもあるのかもしれない。子供の方が感受性が豊かだとか。まあ、理屈は分からないが。
そして問題となる生贄の儀式。当然、予言などでそういったことが分かるはずもないし、そもそもその予言自体が行われていない。
となれば、誰が生贄を決めていたのか。選択肢は二つ。
一つはヒミコ本人が決めていた場合。
もう一つはヒミコを唆している誰かが決めている場合だ。
ヒミコ本人が決めているのならば、それはジパングを守るために十八歳の女性という一つの基準を作ったのも納得がいく。そうすれば余計な混乱は生じない。
では誰かが唆していた場合はどうなるか。そのとき当然ながら、誰が唆したか、という問題も生じるが、この際それはどうでもいい。
問題は、ヒミコが誰かに唆されているということを理解して行動している、ということだ。
ヒミコはオロチの振りをした誰かが、ヒミコに指名してくるのを分かっていた。そしてその通りに実行していた。
だとするとヒミコの狙いは、オロチの振りをした犯人が誰かを暴くことだろう。
だが解せないことが一つだけ残る。ならば今年になって何故、そのルールは破られたのか。
ルールを破ったのは、唆した人間か、それともヒミコ本人か。
(もしルールを破ったのがヒミコ陛下だとしたら)
自分の胸で泣き続ける少女がかわいそうだった。
(結局、イヨ様を指名したのはヒミコ陛下、ということになるんですね)
それが言わなかった真実。イヨが知る必要のない真実。
何なのだろう、このジパングという国は。
自分はきっと真実に近づいている。近づいているのに、誰が何を考え、企んでいるのかがまったく見えてこない。
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