Lv.58

真実か虚偽か、信頼か信用か








 ソウは極秘に明日の準備をする旨、部下たちに指示を与えると、もう一つの仕事に取り掛かることにした。
 政庁を渡り、女王家に連なる人物の部屋を訪れる。
 本来、事前に連絡を入れなければ会える相手ではない。だが、必ず今日中に話さなければならない相手だ。
「イヨ殿下。征戎大将軍、モリヤ・ソウタ様がお見えになりました」
 それでも女官は取り次ぎだけは行う。特にソウの場合は王女に覚えがいいため、必ず取り次ぎができる状態になっている。
「どうぞ、お入りください」
 準備ができたのか、イヨの部屋に入る許可が下りたのは五分後だった。
「ソウタ様」
 部屋の中では綺麗におめかししたイヨの姿があった。
「急なお越しなのですね。ですが、嬉しく思います」
「すみません。緊急の用事があったものですから」
 ソウはイヨに対して礼儀正しく挨拶し、かしこまる。相手はそういう態度に出られるのが少し残念そうだが、それも立場の違いだ。
「なんでしょうか」
「イヨ殿下には、此度のオロチ戦で、大切な役割を果たしていただきたいのです」
「役割?」
「そうです。我ら征戎軍が出発した後、この京の中にいる女王家の方、そして大貴族たちがきちんとそこにいるかどうか、それだけを確かめてほしいのです」
 それを聞いたイヨは、しばらく自分の頭の中でその意味を考える。やがて、彼女の顔色が変わっていく。
 聡明な王女だな、とソウは嬉しく思う。
「まさか、この政庁の中に」
「オロチが紛れ込んでいる可能性がある、と考えています。もちろん、オロチを倒してしまえば問題ないわけですが」
 全ては倒してしまえばいい。だが、どんな場合でも常に保険はかけておかなければならない。そのためのイヨだ。
「どうやって確認すればよいでしょうか」
「戦いは朝から始まって、おそらく半日がかりになると思います。昼前に全員の所在を確認していただければいいのです。カエデに頼んでください。必ず自分で視認することを忘れないように」
「カエデ」
「はっ」
 音もなく、部屋の片隅に彼女の姿が現れる。どこから出てくるのか。
「聞いていましたね」
「委細承知いたしました」
「頼みます」
 ソウも相手に向かって頭を下げる。
「ソウタ様はオロチ討伐に参加されるのですね」
 イヨが確認という形で尋ねてくる。
「大将軍がいなければ話になりません」
「そうですね。無事の帰還を心よりお待ちしております」
 イヨが距離を詰めてくる。そして、二つの手のひらをソウの胸にあてて、そのまま寄り添う。
「殿下」
「しばらく、このままで」
 ソウは動かない。イヨも抱きつくわけではない。ただ、相手に寄り添うだけ。
「少しでも、私の心があなたに届きますように」
「ありがとうございます、殿下」
 無論、イヨの気持ちはソウに確実に伝わっている。
 だが、オロチを倒すまでは自分が気持ちを変えることはないだろう。オロチを倒し、アレスやルナがいなくなって、このジパングに一人だけ取り残される。それからゆっくりと考えなければならない。一人で。
(イヨ殿下に父さん姉さん、ヒビキやユキ)
 自分の周りにはたくさんの人がいる。
 それなのに。
(アレス様やルナに置いていかれることの方が、ずっと辛い)
 それだけソウにとって二人は大切な相手だということだ。
 正直、アレスに対してここまで傾倒するとは思ってもみなかったことだ。ルナに対してというのなら分かる。だがアレスに対してはいったい何がそこまで自分を駆り立てているのか。
 おそらくは圧倒的な実力差。それが大きいのだろう。
 ダーマでヴァイスと対峙したとき、確かに今の自分ではかなわないと思った。相手の強さに愕然とした。だが、それは届かない強さではない。自分の肉体をもっと極めれば届く範囲だと思った。
 だがアレスは違う。パワー、スピード、テクニック、どれをとっても自分のはるか先にある。どれだけ訓練しても届くとは思えない。それだけの圧倒的な差。
 自分だって決して努力をしていないわけではない。確かに努力の差が勇者にかなわないのかもしれない。だが、それだけでは説明できない『何か』。
 一言でいうなら『才能』なのかもしれない。どれだけ訓練しても自分には届くことができない存在。それが勇者なのではないだろうか。
(そういえば俺も、最初は勇者になりたかったんだよな)
 だからだろうか。今、目の前に自分の理想の勇者がいる。その人のために何かをしたいと思うのは。
 だが。
(俺はもう)
 最初は、この国を捨ててアレスについていくのもありだと思った。しかし、現状で自分はこのジパングの歯車の一つとなった。自分のために命をかけてくれる部下や、信頼してくれる仲間たち。そうした人の期待を放り捨てることができるほど、自分は情の薄い人間ではない。
 もはやジパングに骨を埋めることを覚悟しなければならない。それも、自分の望まない理由で。
(俺が犠牲になる)
 それに対しては最初から不満があった。
 もちろん、我慢しているのは自分だけではない。勇者への恋心を封じ込めているルナに比べれば、仲間たちの間で暮らしていける自分の方がずっと恵まれているだろう。彼女はこの先、誰にも自分の心を開くこともできず、ただ勇者のための人柱となって世界を救う。
 ルナがその身を犠牲にして世界を救うのだ。自分もジパングくらい救えなくてどうするのか。
(アレス様やルナたちがいなくなった後)
 目の前にいるのは純粋に自分を慕う少女。
(俺は、イヨ殿下を愛することができるんだろうか)
 嫌いではない。むしろ好きだ。だが、恋愛の相手としては見られない相手だ。
 時間が必要だ。彼女を愛していると断言できなければ、この先イヨと共にいることはできない。
「殿下。そろそろ参ります」
 しばらくお互いの熱を感じていた二人だったが、やがてソウから離れた。
「無事に戻って参ります。ですので、どうぞご心配なさらぬよう」
「オロチ相手に安心などできるはずがありません」
「大丈夫です。勇者様の力ならばオロチなど瞬殺ですから」
 そう言って頭を下げると、ソウは王女の部屋を出る。
 これで準備は整った。後は明日を待つばかりだった。
 そうして彼が政庁を出ようとした、そのときだ。
(!)
 殺気。
 思わず、その場を飛びのく。直後に、自分のいた場所を矢が通り過ぎていく。
(弓矢?)
 第二撃があるかと、矢の飛んできた方向を睨みつける。が、どこまで視線で追いかけても誰もいない。どうやら既に立ち去ったようだ。
(まさか俺が狙われるとはな)
 そうして振り返ると、地面に刺さった矢に文がついている。
(矢文? 俺に当たってもかまわなかった、ということか)
 矢で殺せるなら幸運、そうでなくても相手に伝聞を伝えられればいい、ということか。
 既に殺気はない。それでもなお用心しながらソウはその矢文を取る。
 中に書いてある内容を見て、ソウは顔をしかめた。
「何を考えてるんだか」
 はあ、とため息をつく。
「ま、いずれにしてもルナに相談しておかないとな。こんなこと俺一人の考えでどうにかできるもんじゃねえ」
 文を懐にしまい、ミドウ家に戻ろうと政庁を出る。
 が、ふと思い立ったソウは、戻る前に寄り道をしていこうと考えた。
 それは、モリヤ家。






 夜。
 すべての準備が整った一同が集まる。アレス、ヴァイス、フレイ、ルナの四人に、ソウが文を渡す。
「よく自分ひとりで動こうとせず、相談してくれましたね」
 ルナがソウを褒める。やはり信頼されていなかったか、とソウはため息をついた。
「そりゃまあ、一人で来いとは書かれてあるけど、相談するなとはどこにも書いてないからな」
「確かにどこにも書いてねえな。けどまあ、そこは文脈を読み取るところじゃねえのか?」
「知らねえよ。だいたい、どこまで本気なんだろうな。馬鹿げてる」
 ソウは機嫌が悪そうに言う。実際こんな文を見せられては気分も悪くなるだろう。

『モリヤ・ソウタ殿。
 あなたの妹君をお預かりした。
 あなたと妹君の仲がよくないことは承知している。
 それでもあなたと半分、血がつながっていることは否定しようのない事実。
 彼女を助けたいと思うのなら、オロチとの戦いの際、一人で以下の場所まで来られたし。
 無論、来なければ妹君の命はない。
 そしてあなたは、妹の命を見捨てた男としてジパングにその名が知れ渡ることになるだろう。』

 そして西の山の洞窟の地図が下に描かれている。
「にしても、これはありがたいな。洞窟の地図があるってことは、オロチまでの道順も推測できるってことだろ?」
 ヴァイスが言うと、ルナも確かにと頷く。
「八年前に攻め込んだわけですから、当然どこかに地図はあると思っていましたが、思わぬところで手に入りました」
「オロチが階段を下りたこっち側だろうな。それで、妹さんがいるのが反対側か」
 アレスが目を細める。
「ソウはどうしたいですか?」
 ルナが尋ねる。
 モリヤ・エミコはソウを目の仇にしているという話だったが、ヒロキと話した結果では好きであることの裏返しということだった。まあ、どこまで本当なのかは分からないが。
「ま、助けに行くべきなんだろうな。気は進まねえけど」
 ソウはため息をつく。
「だいたい、自分から協力するにしたって、もう少しやりようがあるだろうに。あの馬鹿」
 ソウの言葉に、四人が驚く。
「自分から協力?」
 ヴァイスが代表して尋ねる。
「ああ。モリヤの家に立ち寄ってきた。なんでも昨日、少し大きめの荷物を持って出かけて、それから帰ってきてないそうだ」
「じゃあ」
「ああ。エミコとどこかの誰かが俺を罠にかけようとしてるってことだろうな」
「ではエミコ様に危険はないということですか」
「普通に考えればな。もし俺が行けば罠にかけられて殺され、行かなかったら俺のかわりに『エミコを誘拐した犯人』がそのまま救出役になるってとこだろ。まあ、ほったらかしにしておけば犯人も判明するんだろうけど、俺が妹を見捨てたっていう汚名は消せないだろうな。相手もその用意は万端整えてるだろうし」
「会ったことはねえけど、お前さん、随分嫌われてんだな」
「向こうからつっかかってくるんだ。俺は構ってないってのに」
「構ってくれないから、構ってほしくてつっかかってくるのかもしれないぜ?」
 ソウは渋い顔をした。
「たとえそうだとしても、俺の母さんはあいつの母親に殺されてるからな」
「娘さんはそれを謝りたかったのかもしれないぜ。素直になれないだけで」
「そんなのただの子供だろ」
「その子供にしかなれなかったのは、お前さんにも責任があるかもしれないぜ」
 ソウも参ったというように何も答えない。少しは気づくところがあったのだろうか。
「で、どうするつもりだ?」
「まあ助けないわけにはいかないだろ。それに、あいつは自分から犯人と手を組んだつもりかもしれないけど、相手が悪すぎる。あいつ、殺されるぜ」
 ソウの言葉に四人がまた驚く。
「犯人が分かっているのですか?」
「ああ。この状況であいつが協力しそうな相手で、俺を邪魔に思ってる奴なんてそう多くないだろ。十中八九、レン兄で決まりだ」
 近衛左大将、スオウ・レン。それが黒幕だと。
「ソウはいつから賢者になったんですか?」
「冗談言うなよ。ただ俺の方が真実に近いところにいるのと、考える時間が多かっただけだろ」
「でも自信たっぷりですね」
「それ以外に対象が見つからないからな」
 ソウの言葉に四人が視線を交わす。
「でも、ソウが一人で行くのは駄目ですよ」
「一人で来いって書いてあるぜ」
「それでも駄目です。今となってはソウはジパングの希望なんです。絶対に死ぬわけにはいかないんです」
「それは分かってる。でも、レン兄とは決着つけないといけないんだろうな。これからのジパングを考えるって意味では」
「それを相手の舞台でやる必要はありません。一騎打ちで勝負をつけるというのならともかく、こういう手段を使ってくる以上、そうなる可能性は少ないと思います」
「だろうな。それに人質がやっかいだ。自分から協力してると思い込んでる以上、あいつには人質になってるっていう自覚がねえ」
 頭が痛む。
「せめてヒビキ様とユキ様を」
「駄目だろ。多分俺が誰かを連れていったら、間違いなくエミコは殺される。レン兄は躊躇しねえよ。どのみち事情を知ってるエミコを助けるつもりなんか、レン兄にはないんだ」
「でもソウは、出たとこまかせで行くつもりなんですよね」
 それは否定できない。このまま無策で立ち向かっても勝ち目はない。
「やはり、ヒビキ様とユキ様を連れていってください」
「だからそれは」
「いえ、いい方法があるんです」
 ルナはにこりと笑った。
「人質さえ解放できれば問題ないですよね。あとはソウがレン様と一騎打ちするなり、好きに決着をつけてください」
「……お前、何するつもりだ」
「いえ? ただ、賢者には裏技が多いということをお見せするだけです」
 今度はルナが自信満々に言う番だった。
「ヒビキ様とユキ様に救出していただきます。大丈夫です。決して失敗はしませんから」






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