Lv.63

紫の輝き、羅針盤の先へと








 日が沈み、日が昇る。
 ミドウ家に滞在していた四人のところに客が来たのは、オロチを倒した翌日の昼ごろだった。
 やってきたのはトモエ家一同。当主のユキトに、妻のスマコ、そしてソウの副官としての地位を確立させたヒビキとユキだった。
「わざわざお越し、どういったご用件でしたか」
 アレスが和やかな笑みを見せる。
「いや、渡しておくものがありましてな」
 ユキトは懐から袋を取り出すと、その中身を机の上に置いた。
「パープルオーブ!」
「やはり、お持ちだったのですね」
 ルナがユキトを見る。ユキトは苦笑して首をかしげた。
「賢者殿は、私が隠し持っているのをご存知だったようですな」
「ええ。おそらくはジパングの高官のどなたかが、オロチを倒してくれたならその見返りにくれるのではないかと思っていました。スオウ家とモリヤ家が関係していないのなら、あと所持していそうなのはトモエ家しかありませんから。それに」
「それに?」
「ユキト様は隠し事が多そうです。オーブを隠し持っているとしたらユキト様が一番怪しいと睨んでいました」
「おやおや。こんな善良そうな人間を捕まえて隠し事とはの」
「でも私はルナちゃんに同意見です」
「右に同じ」
「お父様は都合の悪いことは何も言いませんから……」
 家族にまでそう思われている当主。ずず、と聞こえない振りをして茶を飲む。なかなかの大物ぶりだ。
「つか、俺らだって父上がオーブ持ってるって知らなかったぜ」
「教えたらお前ら、絶対誰かに言うだろ。敵を騙すには味方から、というやつじゃ」
「お母様もご存知なかったのですか?」
「ええ。これは後で、ゆっくりとお話しないといけないようですわね」
 笑顔のスマコ。だがその背景に『ゴゴゴゴ』と何かが迫ってくるような擬音語が見える。
「いたいけな老人をみんなして苛めるでない」
「まだ四十だろ」
「お父様は少し反省することを覚えた方が良いと思いますわ」
 双子にやり込められながらも笑顔を絶やさない父親。全く、このユキトという人物はどこまでも家族には優しい人間のようだった。
「オーブはいただいてもよろしいのですか」
 アレスが慎重に尋ねる。
「無論。オロチを倒してくれた恩人に、この程度のことしかできんのが歯がゆくて仕方がない」
「ありがとうございます」
 そしてアレスはオーブを大切にしまう。
 これで四つのオーブがそろった。最初にアレスたちが持っていた二つ。ダーマで一つ。ジパングで一つ。あと二つだ。
「残りはレッドオーブとシルバーオーブだな」
「ふむ。レッドオーブならば、一度噂に聞いたことがある」
 ユキトが言う。
「どちらに?」
「これと同じ、色違いの赤い宝石をエジンベア王家で持っている、と」
「エジンベアですか。ですが──」
 以前、エジンベアにはルーラで飛んでオーブの有無を確認している。そのときは反応がなかった。
「もしエジンベアに今はなかったとしても、誰の手に渡っているのかは分かるのかもしれないね」
 アレスが言うと、確かにその通りだと思う。
「じゃ、次の行き先はエジンベアってわけか」
「エジンベアなら私のルーラで行けますし、ダーマで知己も得ています。協力を得ることができると思います」
「うん。それならできるだけ早いうちに行動したいところだな」
 四人の意見が固まる。
「いつごろ、出立されるご予定ですか?」
「それこそ今日だって問題はないけど」
「いやいやアレス、今日一日くらいはゆっくりしようぜ?」
 アレスの強行軍に対して、ヴァイスがさすがに勘弁してくれと両手を上げた。
「そうですね。ソウやイヨ殿下、それに他の方々にも一度ご挨拶しておきたいですし」
「あー、俺パス。なんか昨日、オロチに焼かれてからなんか調子出ないわ」
 ヴァイスが両手を上げる。
「大丈夫ですか?」
 ヤヨイが心配そうに尋ねる。
「ま、一日寝てりゃ心配ないだろうさ」
 そう言ってヴァイスが「じゃ、おやすみー」と自分の部屋へ戻っていった。
「アレス様とフレイさんはどうなさいますか?」
「それじゃあ、一緒に行こうかな。フレイも行くよね?」
 こく、と小さく頷く。
「では私たちもご一緒させていただきますわ」
 ユキが言うとヒビキも頷く。こうして五人パーティで政庁へ向かうこととなった。






 さて、その政庁では早速ソウがせわしなく働くことになっていた。
 何しろ近衛左大将のレンがいなくなったのだ。軍部の全権がソウの手に転がり込んできたようなものだ。これが小国の怖さだ。
 賢者の石の効果で既に全快している十人の征戎軍メンバーと共に軍制改革の草案をまとめているところだった。
 そしてそれが一段落したところで、本日のメインイベントを実施する。その頃には双子も到着しているに違いない。
「でもこれで近衛左大将の地位は間違いないんじゃないですか」
 運よく生き残ったシオンが話しかけてくる。
 今回の死闘では、生死と運のよさがほぼ比例の関係にあっただろう。シオンの実力が他より高いとはいえ、いつ死んでもおかしくない状況だった。みんながみんなをかばいあいながら、それでも脱落者が増えていった。その結果生き残ったのがこの十名だ。
 シオン、カイリ、ケイ、カズヤ、ナオキ、フミヤ、レイ、コウタ、ゴウキ、ヨシキ。
 二十人が死んだ。二十人もだ。どれだけ力のある戦士でも、この激戦を勝ち抜くことが難しいということだ。
「それよりも、イヨ殿下のところには行かなくていいんですかい」
 カイリが茶々を入れてくる。まだメインイベントには時間がある。その前にすませておくことはすませておいた方がいい、と言っているのだろう。
「そういや一度顔を見せる予定だったな」
 ソウが時間を確認する。もう昼近い。午後からは忙しくなるし、先にイヨに会っておいた方がいいだろう。
「では、先にソウ将軍に確認しておきたいことがあります」
 シオンが代表して尋ねる。
「なんだ?」
「ソウ将軍は、これからもジパングにいていただけるのですか」
 ソウはもともとモリヤ家の人間。だが、六年もの間ダーマに行っていて、ジパングでの縁は少ない。
 部下たちも、もしかしたらジパングからどこか別の国にソウが行ってしまうのではないかというおそれを抱いていたのだろう。
「行きたいのはやまやまなんだけどな」
 ソウは苦笑した。
「それこそ、勇者アレス様についていって、自分の力をもっと磨きたいっていうのはある。正直、俺の力なんて剣とかにはそこそこ優れてるだろうけど、でも国を率いていく器とかじゃないのはよく分かってるんだ」
「謙遜しないでください。ダーマで学士を取ってるっていうんなら、この国の大臣たちよりはずっと器が大きいでしょう」
「うちの大臣たちと比較しないでくれよ。ジパングはまだまだ後進国家だ。アリアハン、サマンオサ、エジンベア、ロマリア、イシス、世界の強国を見ればうちの大臣たちなんて全然なんだぜ」
「だからこそ、ジパングにはソウ将軍が必要なのだと思っています」
「だろうな。俺程度で持ち上げられてるんだから、ジパングには人材が少ないってことがよく分かるよ。で、俺としてはもう少し、人材がほしいところだな。少なくとも軍部はお前たちがもっとしっかりしてくれないと困るぜ」
「それは確かにその通りですが、それで、その」
「分かってる。今のジパングを見捨てていけるほど、俺も情の薄い人間じゃねえよ」
 ソウはとうにそのことは諦めている。
 このジパングを救うために人身御供となろうとしたイヨ殿下。彼女を助けるために自分の自由を売り払うことにした。そのことを後悔するつもりはない。
「このジパングにも、イヨ殿下にも、俺は必要な人材だろうからな」
「イヨ殿下のソウ将軍への信頼ぶりは、ただの主従の関係におさまるものじゃないでしょうから」
 イヨがソウのことを好きだというのは、もう宮廷中に知れ渡っていることだ。近いうち、ソウとイヨの婚約発表もあるのでは、と気の早いことを考えている者までいる。
 問題はソウの方だ。
(イヨ殿下か。もちろん可愛いし、支えになりたいけれど)
 好きかどうかとなれば、難しい問題だ。
(ま、これでようやくルナとも本当に別れることになるだろうし、しばらくゆっくり考えてみるのもいいか)
 そうして気持ちを切り替えるとソウは後事をシオンに任せて立ち上がる。
「じゃ、殿下のところに行ってくる」
「いってらっしゃいませ」
 ジパングに残ると宣言したソウを、部下たちは暖かく見守る。
 誰もがソウよりもずっと年上だ。だが、ソウの器量は既にその十人よりもずっと高く、大きい。
「ジパングはこれから、いい国になるでしょうね」
 シオンが言うと、まったくだと誰もが思った。






 ソウが政庁の中を歩いていると、目の前によく見知った人間がいるのに気づいた。が、あえて声をかけることもせず、そのまま通りすぎようとする。
「ちょっと、あいさつも無しだなんて、失礼じゃありませんこと?」
 妹のエミコだった。この期に及んで、まだ自分に難癖をつけようとしてくるのか。
「何か用かよ」
「用もないのにあなたの顔を見にくることなんて、あると思っているの?」
「いいや。なら、さっさとすませてくれ。嫌っている相手の顔はあまり長く見たくないだろう?」
「どうして!」
 エミコは叫んだ。
「どうしてあなたはいつもそうなんですか。私の方から話させてもくれない。いつもそうやって本気で話してくれようとしない」
「あのなあ」
 ソウはため息をつく。
「お前の母親が、俺に何をしたか、わかってないわけじゃねえよな」
「ええ、そんなこと百も承知ですわよ! 母があなたのお母様を殺しているなんて、そんなことはよく分かっておりますわ。それでも、母は母、私は私。私はずっと、あなたとゆっくりと話をしたかった。それなのにあなたは一度だって私を見てくれたことはありませんでしたわ!」
「そりゃ無理だろ。六年前までは俺、お前のことあの女の手先くらいにしか思ってなかったし」
 肩をすくめる。確かに子供の目からすれば、あの母親の娘なんだから自分の敵、くらいに認識するのはむしろ当然の流れだ。
「でも、私は、あなたのお母様もあなたも、嫌ってなんかいなかったですわ」
「さんざん妾の子って馬鹿にされた記憶があるけどな」
「だってそうでもしないとあなたは私の話につきあってくれなかったんじゃありませんか!」
「俺のせいかよ」
「あなたのせいですわよ!」
 思い切り自分のせい呼ばわりされて、思わずソウは苦笑する。
「つまり、なんだ」
 ソウは笑顔で尋ねた。
「エミコは俺のことを兄さんとでも呼びたいわけか?」
「誰があなたのことなんて!」
 と、一度声を上げてから、赤くなってうつむく。
「……呼びたいと思って、悪いですの」
 やれやれ、どこまでも強情な妹だ。
 ソウは苦笑すると、エミコの頭をぽんぽんと撫でた。
「いつでも呼んでいいぜ。お前が俺を嫌ってないならな」
「ちょ、誰もそんなことをしていいとは言ってませんわ!」
「お前な、その強情なところ直さないと嫁にもらってくれる奴がいなくなるぜ」
「和解したとたんにそんな心配ですの!? 大きなお世話ですわ!」
「ま、お前でも相手にしてくれるような奴を探してやるよ」
「だから! そんなことでお兄様のお世話になんかなりませんわ!」
 やれやれだ。まったく、この妹は可愛くないようで、可愛い。
「エミコ」
 その妹に、真剣な表情で臨む。
「なにかしら?」
「俺はもう少ししたら、お前にとって苦しい選択をしなければならなくなるかもしれない」
「苦しい?」
「ああ。モリヤ家をこの政体から外す。つまり、モリヤ・シゲノブには引退していただこうと思ってる」
「な」
 さすがにエミコも突然のことに驚く。
「どうして、いきなり」
「王様が変わるからさ。いままで三氏の当主が強い時代だった。でもこれからは違う。イヨ殿下が女王となって、俺やヒビキ、ユキ、若いメンバーで殿下を支えていかなきゃいけない。ヒビキやユキは副官になりたいとか言ってるけど、あいつらには大臣職くらいを務めてもらわないと困るんだ。だからトモエ家のユキト様にもご引退願おうと思ってる」
「そんな」
「以前から仕えていたメンバーだと、イヨ殿下に心から忠誠を誓うのは難しい。政体が変われば人材も変わるべきなんだ。その改革をこれから俺と周りとでしていかなければならない」
「でも、そうなると国力が一気に下がりますわ」
「下げないようにするのさ。俺たちでな。それにエミコ、お前もだ」
「私、ですか?」
「ああ。特に若い奴らには早く国を担う人材になってもらわないといけない。だからダーマへの特別留学制度を作るつもりだ。それこそ今年中には第一陣を送り込みたいと思っている。賢者にはなれなくても、ダーマで勉強して政治や経済を学んでくることくらいは誰だってできるんだ」
 実際、ソウがそうだった。賢者や勇者のような職業にあこがれ、ただ強くなることだけを願ってダーマへやってきた。でも現実は違う。自分にはそんな才能はなかった。だが、軍を指揮したり、政治や経済の勉強をすることは、将来ジパングに戻ったときの財産になると思って、苦手な勉強もきちんとした。
「そういえば」
 エミコがふと思い返したように言う。
「お兄様はおっしゃいましたわね。自分でできることにどんなことがあるのかって」
 それは再会した直後のことだった。あまりにエミコがつっかかってくるので、思わずむきになって言い返してしまった。
「ああ」
「お兄様は本当に、自分でなんでもお出来になるのですわね」
「突然お前に褒められると気持ちが悪いな」
「茶化さないでくださいませ。わかりました。私も参ります、ダーマへ」
 凛々しい表情でエミコが言う。
「私も、自分でできることを増やしたいと思いますわ」
「ああ。お前は俺より頭がいいんだから、いくらでも成長すると思うぜ」
「おだてないでくださいませ。そしてジパングに戻ってきてお兄様を見返してやりますわ。私はこれだけ成長した。お兄様はどうなのか、と」
 ソウは苦笑した。
「ああ、楽しみにしてるぜ」






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