Lv.64

そして少年は覚悟を決める








 ソウはそのままイヨのところまでやってくる。ヒミコとカズサがいなくなった以上、事実上この国を仕切るのはイヨということになる。
「お疲れではありませんか、殿下」
 さすがに国のトップ二人がいなくなれば、政庁はあわただしい。こんなときにトモエ家の当主ときたら出仕もしないのだから、なかなか肝が据わっている。
「ソウタ様。来てくださったのですね」
 顔には疲労の色が濃かったが、ソウが姿を見せるとぱっと顔が輝いた。
「この辺りで休憩にいたしましょう」
 何人かいた官僚たちが気をきかせて立ち上がる。彼らの間でも、イヨの伴侶としてソウを迎え入れるプランは既に出来上がっているのだろう。
「お忙しいようですね」
 二人きりになって、ソウはイヨに促されて空いた椅子に腰掛ける。
「ええ。でも、ソウタ様の方も大変だと聞いています。左将軍がいなくなれば軍部も混乱するでしょうし」
「こっちは優秀な部下がいますから。でも、殿下の方は信頼できる相手がまだいないでしょう」
「そうでもないですよ。私は今までもたくさんの官僚と友誼を結んでいます。今ここにいた人たちも、ずっと私に協力してくれていた者たちです。よく私のような小娘に仕えてくれるものだと感謝しています」
「イヨ殿下は、自分のことをあまりよく分かっておられないようですね」
 ソウが言うと、イヨは首をかしげる。
「どういうことでしょう?」
「この国にイヨ殿下のファンは多いんですよ。俺もこの間、イヨ殿下のことを頼むと別の兵士から頼まれました」
「たまたまでしょう」
「表に出るものがたまたまだとして、心の中で同じことを思っている者がどれくらいいると思いますか。イヨ殿下は真面目で、素直で、そして国のことには一生懸命で、下の者たちにも優しく思いやり、決して偉ぶらない。みんながイヨ殿下のことを好きで、イヨ殿下のために何かしたいと思っているんですよ。それだけの求心力を備えているんです」
「それは褒めすぎですよ」
 照れもせずにイヨは笑う。どうやら本気には取っていないようだった。
「では、これならどうですか」
 真剣な表情で、ソウがイヨに向き合う。
「俺は、イヨ殿下のためにこの国に留まります」
「ソウタ、様」
 それこそ、先ほどとはうってかわって、イヨの顔が真っ赤に染まる。
「イヨ殿下が国のために自分を押し殺しているのは分かっています。だから、俺が傍にいることで殿下の苦しみや悲しみや孤独や、いろいろなものを癒してあげられるのなら、そうしたいと思っているんです」
「それは──あの、その」
「ああ、すみません。プロポーズというわけじゃないんです」
 無論、ソウはまだルナのことが大好きで、彼女以外に好きな人物を見つけられないでいる。
 だが、イヨならば。
「俺がきちんとこの気持ちに決着をつけて、イヨ殿下のことしか見えなくなったときには、きちんと俺から殿下にはっきりと言います。だから、それまで少し、時間が欲しいんです」
 その言葉は、確かにプロポーズではない。
 だが、いつかは必ずプロポーズをするという宣言のようなものだった。
「はい。はい、もちろんです、ソウタ様」
 それはもう、満開の笑顔でイヨが頷く。
「変わった方ですね、イヨ殿下は」
 ソウが苦笑する。
「俺なんかのどこが、そんなに気に入りましたか」
「好きになることに理由など必要ありません。たとえ相手がどのような人物であれ、好きになってしまえばおしまいです。ただ──条件が一つだけ、ありました」
「条件?」
「はい。私を偶像視しないこと。普通の女の子として見ていただけること。これだけは譲れませんでした。ただ、もちろんそれだけではありません。ソウタ様は、頼りになりますし、誠実で信頼できますし、優しいですし、お強いですし、自分の信念を貫くことができる人ですし」
「それこそ褒めすぎですよ、殿下」
 苦笑する。確かに褒めすぎというのはあまり本気に捕らえることができなくなってしまうようだった。
「でも、私は本当にソウタ様のことをそのように思い、お慕いしております」
「俺はそんな人間じゃないですよ。ただ、俺にも譲れないことがあっただけです」
「それは?」
「誰かを犠牲にして自分だけが幸せになる。そんなのは俺は絶対に嫌だった。もしも姉さんが犠牲になるんだったら、どんなことをしてでも助けるつもりだった。俺の考えなんて、その程度です」
「ですが、同じことを考えても実行に移せる人は多くありません」
「運が良かっただけですよ。もしも俺がミドウ家に引き取られていなかったら、そもそも父親や姉からの愛情を受けることもなく、他人が犠牲になろうがどうしようがどうでもよかったと思います。そしてミドウ家だったからこそ、ダーマへの留学もあっさりと決めることができた。俺がこうして戻ってきてイヨ殿下と会ったのは、本当に偶然の産物です」
「では、その偶然に心から感謝しないといけませんね」
 イヨは微笑むと両手を組んだ。
「私と、ソウタ様を引き合わせてくれた運命に、感謝いたします」
 さすがに、国一番の美少女にそこまで言われて悪い気はしない。
(やっぱりイヨ殿下は可愛いよな)
 穢れを知らない、純粋で無垢な少女。
(イヨ殿下のために、そしてジパングのために、俺の人生を使っても後悔はしないよな)
 いずれはイヨの伴侶となって、このジパングを守っていく。それもいい。
 ソウはそんなことを考えながら、イヨが祈っている姿をただ見つめていた。
「イヨ殿下、ソウタ様」
 と、そこへ部下がやってくる。
「どうしました」
「アレス様、フレイ様、ルナ様、ヒビキ様、ユキ様がいらっしゃっております」
「まあ。どうぞこちらへお通ししてください」
「はっ」
 部下が出ていくと、二人は視線をかわした。
「別れの挨拶でしょうね」
 ソウが少し寂しげに言う。それを見てとったイヨは、そっと尋ねた。
「やはり、アレス様やルナ様についていきたいと思いますか?」
「否定はしませんけど、この国に残りたい気持ちも強いですからね。行きたいのと残りたいのが半々なら、俺を必要としてくれるところにいるのが常道でしょう。俺じゃアレス様の仲間は務まりませんから」
 そうして五人が入ってくる。
「イヨ殿下。お別れを申し上げに来ました」
 アレスが頭を垂れる。
「もう行かれてしまうのですね。いつ、ご出立ですか」
「明日にでも、と思っています。次のオーブの在り処になりそうなヒントを得ましたので」
「そういえば、オーブは」
 ソウが尋ねるとアレスが頷いた。
「ああ、見つかったよ。トモエ家にあった」
「ユキト様か、なるほど」
 ソウから見ても、ユキトならば黙って隠していても不思議はないと思った。
「勇者様たちはこのジパングの恩人。明日出立でしたら、今夜は晩餐にご招待したいと思います」
「いえ、ジパングはこれから厳しい時代を迎えます。あまり無駄をするべきでは」
「もちろん、無駄はいたしません。ですが、恩人を送り出すこともしないのは、あまりに無作法。せめてもの気持ちとして、ぜひご出席ください。それに伯母上が亡くなって、国としてオロチ討伐を大々的に祝うことができません。ですから小規模にささやかな祝宴だけはする予定でおりましたから、一緒にさせていただければ経費がかからずにすみます」
 苦笑しながらイヨが言う。
「しっかりものの国王になりそうですね」
「上に立つ者が倹約の精神を持っていなければ、際限なく浪費してしまいますから」
 そう言ってからイヨは続けてルナを見る。
「ルナ様」
「はい」
「ルナ様のおかげで、この国にかかっていた雲が晴れたように思います」
「いいえ、私は何もしておりません。オロチを倒したのはアレス様ですし、この国を立ち直らせていくのはイヨ殿下であり、ソウです。私はほんの少し、それを後押ししただけです」
「私は、ルナ様を見ていると、納得することがあるのです」
 にっこりと笑って、イヨが言った。
「ソウタ様が好きになられる気持ちが分かるなあ、と」
「い、イヨ様?」
 このような場で言うとは。さすがにルナも珍しく動揺する。
「ソウタ様が一緒に行かれなくてもよろしいのですか?」
「それこそ、ソウの決めたことですから」
 なんとか動揺を隠しながらイヨの言葉に答える。
「もちろんソウが協力してほしいというのでしたら、可能な限り協力したいと思います。ですが、私たちにも先を急ぐ理由がありますから」
「バラモス、ですね」
 そう、バラモス。この世界を支配しようとしている魔王。まだバラモスの名前は世界的に広まっているわけではない。だが、各国の上層部ともなればその名前くらいは聞いていてもおかしくはない。
「私は思うのです。ヤマタノオロチが出てきたのと、魔王バラモスの登場は、時期的に同じでした」
「イヨ殿下は、バラモスとオロチに関係があるとお思いですか」
「直接か間接かは分かりませんが、全くの無関係ではないと思っています。強力なモンスターが、バラモスの登場と時を同じくして現れた。何らかの理由があると考えた方がいいのではないでしょうか。ルナ様は同じ考えではないのですか?」
「直接の関係はないと思っています。でも確かに、間接的には関係しているかもしれませんね」
 バラモスの影響でモンスターが各地で増えている。それまで無害だと思われていたモンスターまでが凶暴化している。
 オロチもまた、凶暴化したモンスターだったのかもしれない。もしバラモスが現れなければ、ジパングでのオロチ被害はなかったのかもしれない。
「では、世界のためにもアレス様たちには何があってもバラモスを退治していただかなければなりませんね。ジパングができることは些細なものかもしれませんが、遠慮なくおっしゃってください。私が女王である限り、最大限の協力をしたいと思います」
「ありがとうございます。僕たちだけでバラモスを倒すことができればそれに越したことはないと思っています。もし何か必要がありましたら、そのときは必ず」
 アレスがうやうやしく頭を下げる。
「イヨ殿下、ミドウ大臣がいらっしゃっています」
 と、そこへ来客の連絡が入る。ソウが少し表情を変えてからイヨを見る。
「大丈夫です。皆様もどうぞご一緒に。こちらへお通ししてください」
「かしこまりました」
 ミドウ・ヨシカズはすぐに入ってくると、イヨに対して深く頭を下げ、それからアレスたちにも頭を下げた。
「このたびは、オロチ討伐を果たしてくださいまして、ありがとうございます」
「いえ、僕たちは必要だと思うことをやっただけですから。それを決断したイヨ殿下やソウの方がずっとすごいですよ」
「ソウタは役に立ちましたか」
「ソウがいなければオロチは倒せませんでした」
 確かにオロチ戦に参加したわけではない。だが、ソウが征戎軍を率いてくれたからこそ、アレスたちは全力でオロチに立ち向かうことができたのだ。
「そう言っていただけるとありがたい」
「言っておくけど、俺は何もしてないぜ」
「レンを倒したそうだな」
「ああ」
「スオウ家は私もヒミコ陛下も危惧していたのだ。お前がその害を取り除いたというのならば、それに勝るものはない」
「でもレン兄だってこの国にとっては」
「害だ」
 ヨシカズは断じる。
「害だと決め付けなければお前の正当性が失われる。まあ、私もヒミコ陛下もスオウ家をどうするかというのが重要な課題だったからな。たとえシンヤ殿やレンが害でなかったとしても、スオウ家にいるということだけで害になる。そういうことも覚えておくがいい」
「了解」
 ソウは気乗りのしない声で答える。
「それで、ミドウ殿は今日はどのようなご用事でいらっしゃいましたか」
「ああ、失礼いたしました。イヨ殿下。一つ、わがままを聞いていただきたく参上した次第にございます」
「わがまま?」
「はい。イヨ殿下が戴冠された暁には、私も王宮の職を辞し、隠居することを選ばせていただきたく存じます」
 にわかに緊張が走る。
 ミドウ・ヨシカズの影響力というのは国内ではともかく、国外では馬鹿にならない。この十年でジパングが少しずつ国際政治に溶け込んできたのは全て彼の尽力の賜物だ。
「新政権にあなたの力は欠かせません、ミドウ殿」
「ですが、時代は新たな力を求めています。イヨ殿をサポートするのはソウもいれば、ここにいるヒビキ殿やユキ殿もいる。わが娘のヤヨイも力になれましょう。アレには私の外交官としての知識を全て叩き込んでおります。親馬鹿ですが、ヤヨイならば私の後を継いでくれるでしょう」
「この十年、ミドウ殿が築き上げてきた諸外国とのつながりを全て断ち切るおつもりですか」
「根回しはしております。私がいつ倒れても大丈夫なように、万が一のことがあったら娘にはすべてのことを話してあると、他の国に触れ回っておりますから」
「ですが」
「いえ、私のような古い者がイヨ殿下の治世に存在してはいけないのです。新ジパングには古い血を残してはなりません。もちろん、引継ぎはきちんといたします。できれば各国をめぐり、後任を紹介して回ることができればと思っておりますが」
「なりません」
 ぴしり、とイヨは言い切る。
「スオウ家の地位が下がった現在、新たな力が必要とされます。ミドウ殿にはそれを引き受けていただかなければなりません」
「そうした血による政策を行う時代ではないのです。貴族だけではない。才能があるなら平民からでも仕官ができるような能力主義の時代にならなければいけません。イヨ殿下がそれを為そうとするのなら、ためらってはいけません。新しい政権は若者だけで作り上げるべきなのです」
 ヨシカズは自説を曲げない。よほどの覚悟でここにやってきたのが分かる。
「私が本日申し上げるべきはそれだけです。それでは、失礼いたします」
 言いたいだけのことを言って頭を下げる。だが、イヨはなおも言う。
「なるほど、分かりました。ミドウ殿にとって、私は仕えるべき相手としては相応しくない、ということですね」
 声が冷たい。いや、それは怒っているのではない。
 自分の非才を嘆いているのだ。
「私はヒミコ伯母様に比べてあまりに非力。確かにミドウ殿の信頼を得られるほどの力量はないかもしれません。ですが──」
「そうではありません。イヨ殿下は幼い頃から器量よく、私が仕えるべき相手として全く不足ございません。ですが、私にはイヨ殿下に仕えるような資格はないのです」
「何を」
「とにかく、私のことはいなかったと思ってください。それでは、失礼いたします」
 改めて頭を下げて出ていこうとするヨシカズ。
 だが、その彼に声をかけた者がいた。
「ミドウ様。少し、お話をよろしいでしょうか」
 前に出たのはルナだった。
「できれば二人きりで。少し、確認したいことがあるのです」
 そしてルナはイヨを見て小さく頷く。
 ミドウ・ヨシカズの重要性はルナが一番良く分かっている。それこそイヨなどよりずっとよく分かっている。新女王のイヨのことなど諸外国にとってはどうでもいいこと。そこにミドウ・ヨシカズがいるかいないかが一番の問題なのだ。
「一つだけはっきりさせたいことがあるのです。無論、誰もいない方がミドウ様にとっても都合が良いかと思いますが?」
 それは、脅し。
 最後のヨシカズの言葉で、ようやく全てのピースがそろった。
 今、ルナは、このジパングの謎が全て解決できている。
「分かりました」
 ヨシカズも頷く。
「では、参りましょうか」
 ルナは一礼するとヨシカズと共に政庁を出た。






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