Lv.65

真実の扉は愛と優しさで開く








 最初から、ルナには一つ腑に落ちないところがあった。
 今年の生贄が十八歳でなかったということは、誰かが意図的にルールを破ったということ。そしてそのルールを破ったのは十中八九ヒミコだろうと思ったが、それは正解だった。
 だが、それならどうしてルールを破ったのか。いくつかの理由はあれど、どれも正解には近づいていなかったように思う。
 それもヒミコの最期の言葉、スオウ・ガイの尋問の結果、そして今のヨシカズの言葉でようやく説明がついた。
「人間というのはどこまでも悲しい存在ですね」
 外相の執務室で二人きりになるとルナが切り出す。
 向かい合うヨシカズの方は、完全に青ざめた顔をしている。既に自分に全ての真相を見抜かれているのを覚悟しているのだろう。
「一番愛する者を救うために、もう一つの愛する者を差し出さなければならないなんて」
「ルナ殿」
「ああ、すみません。ちょっと感傷にひたってしまいました。話を始めましょうか」
 だが今の言葉でヨシカズも諦めがついたような表情に変わる。
「一つだけお願いがあります」
 ヨシカズから断ってきた。
「この件はヤヨイとイヨ殿下には」
「言いません。もちろん、交換条件を呑んでいただきますが」
 賢者としてのルナに情は存在しない。相手の情を攻撃をすることはあっても、自分の中の情を使うことはない。
 常に感情を抑えること。それが賢者として一番の資質。
「そもそも、誰も確かめなかったのはミドウ様の雰囲気づくりが全てだったんですね」
「確かめる、とは」
「ヤヨイさんの両親が誰なのかということをです」
「あれは──」
「私の前で隠す必要もないでしょう。ヤヨイさんは拾い子ではありません。ミドウ様の血を引くたった一人のお子様。そうなのでしょう?」
「そうです」
 ヨシカズが頷く。
「ですが、ヤヨイとソウタを私は二人とも自分の子として育ててきました」
「分かっています。実際に育てられた期間は短くても、ミドウ様のお考えはソウタには充分に伝わっていると思います。それより、本題を続けましょう。ヤヨイさんの父親はミドウ様。それならば──母親はいったい、誰なのか」
 ヨシカズは黙り込む。
「二十年近く前、ヒミコ陛下は一度行方不明になられたことがおありだったそうですね」
「はい」
「ヤヨイさんを産んだのが、そのときなんですね」
「そうです」
「つまり、ミドウ様と愛し合われてできたお子様なのですね」
「その通りです」
 ヨシカズは隠さずに頷く。
「公にしなかったのは、ヒミコ陛下には敵が多かったからですか」
「それもありますが、別の理由です」
「予言の力ですか」
「そこまでお分かりですか」
「想像はついていました。幼い頃に予言の力があって、今はない。違いはどこにあるのか。女性の神通力はよく処女でなければいけないというのがありますね」
 ルナのような幼い少女からそのような言葉が出てヨシカズが一瞬戸惑う。
「私の推測では、おそらくヒミコ陛下の予言の力は、ヤヨイさんに受け継がれた」
「そうです」
「そうなると問題は受け継がれたことではなく、むしろヒミコ陛下にとって予言の力がなくなったこと。そちらの方ではありませんか」
「さすがに物事がよく見えておいでだ」
「それに、ミドウ様は四条の貴族。もしヒミコ陛下と結ばれるのだとしたら、一条からの大反対を受けることになる。このことを公にすれば、一条の貴族からヤヨイさんが狙われるかもしれない。それらを全てふまえて、ミドウ様とヒミコ陛下は」
 そう考えないとつじつまが合わない。
「最初から、子供を一人産むことしか考えておられなかったのですね」
「そうです」
「はじめから、ヤヨイさんはミドウ様が育てることにしておいて、ヒミコ陛下にはお子を産んでいただくと」
「陛下は──いえ」
 ヨシカズは頭を振る。
「ヒミコは、私の子を欲しがったのです」
「当然でしょう。愛する人なのですから」
「私もヒミコを愛していました。ですが今ではようやく大臣の地位を得ることもできましたが、二十年前の自分など、まだ家督も継いでいたわけでもない。ただの思いあがった小僧にすぎませんでした。それこそ、今のソウタにも及ばない、ただのひよっこにすぎなかったのです」
「ミドウ様はヒミコ陛下を守るために力をつけたわけですね」
「そうです。そして成長するヤヨイをよく連れていきました。最近はヤヨイの年齢の問題もあり、ほとんど会えませんでしたが、それでもヒミコはヤヨイのことを一番に考えておりました」
「スオウが、ヤヨイさんを指名してこなければ」
「そうです。スオウにとって私の存在は邪魔だったのでしょう。だからヤヨイの年齢に目をつけたに違いありません」
「でも、ヒミコ陛下はヤヨイさんだけは生贄にするわけにはいかなかった。そもそも予言などでまかせ。それはヒミコ陛下が一番よく分かっていることでした。おそらくヒミコ陛下もミドウ様も、誰が予言を騙っていたのかを調べていたのではありませんか?」
「ええ。マミヤ殿にも協力をいただきましたが」
「そのような素振りでしたね。先日お会いしたとき、マミヤ様もヒミコ陛下のことをご存知でいらっしゃいました。そしてヒミコ陛下はヤヨイさんが生贄になることを防ぐために、別の生贄を出さなければならなくなった。でも、自分の娘を守るために他の貴族の娘を犠牲にするわけにはいかない。悩んだ末に、決断されたのでしょう」
「おそらくそうだと思います」
 そう。
 ヤヨイの代わりに、イヨを選んだ。
『わらわは、自分のために、そなたを、生贄にすることに、決めました。そなたが、いとおしくなかったのでは、ありません。でも、そうするしか、なかった』
 ヒミコは確かにそう言った。自分のためにイヨを生贄にしたと。
 そこから逆算されることは単純。イヨを生贄にすることでヒミコに得が生まれる。それは他ならぬ、実子が生き延びるということに他ならない。
「おそらく、ヒミコ陛下が予言を全員に告げるまでの時間は少なかったはず。ミドウ様と打ち合わせる時間すらなかった。もしミドウ様がそのことがお分かりだったなら、きっと別の生贄の名前が選定されていたことでしょう。でも、ヒミコ陛下はもうイヨ様しか頭になかった。自分の娘を助けるために、身代わりといってもいいくらい大切に育てていたイヨ様を生贄に差し出すことにした。その苦しみはいかほどだったでしょうね」
 ヨシカズは答えない。もちろんそこには、続きがある。
「そして、ミドウ様はそのヒミコ陛下の決断に対し、了承されたのです。イヨ様を生贄に捧げることに。つまり、ミドウ様はヒミコ陛下の共犯となった」
「はい」
「だからさきほどおっしゃったのですね。『私にはイヨ殿下に仕えるような資格はない』と」
「その言葉がすべてを結びつけた要因でしたか。余計なことを口にするものではありませんな」
「正直、ヒミコ陛下とヤヨイさんには何の接点もなかった。だからこそ私も全くそのことには気づきませんでした。ただ、ミドウ様の言葉で、ヒミコ陛下がヤヨイさんを守ろうとしている、その理由を推測すると、すぐに答が見えてきました」
「お見事です」
「ミドウ様のなさったことは、人としては正しくなかったかもしれません。ですが、親としてはとても正しい、間違っていない行為だったと思います」
 ルナにとってみれば、自分の子を救おうとしない親の方がどうかしていると思う。もちろん、自分の子が可愛くない親もいるだろう。だが、血を分けた子供を守るというのは間違いなく正しい考え方のはずだ。
「ですが、私はこの事実を盾に、ミドウ様を脅迫しなければなりません」
「脅迫、ですか」
「そうです。私はこの事実をイヨ殿下とヤヨイさんに全て話します」
 ヨシカズが呻く。だが、脅迫というからには当然条件がつくはずだ。
「ルナ殿は何がお望みですか」
「正直に言わせてもらえれば、ミドウ様のやり方は卑怯です。自分の守りたいものだけを守ろうとして、他人に大きな迷惑をかけておいて、全てが終わったらその責任もとらずに悠々自適の生活を送ろうとしている。これが卑怯でなくて何だというのですか」
「ですが、私はイヨ殿下を生贄に捧げることに同意したのですぞ。自分の娘を守るというただそのためだけに」
「だとしたら、罪の償い方はやめることではないでしょう。イヨ殿下のためにどれだけのことができるかではないのですか」
 これはどう見てもルナに分があった。
「ミドウ様はご自分がどれだけ国際政治に影響を持つようになったかご存知ありません。東方の島国という認識でしかなかったジパング、いえ、上層部の中にはその国の名前すら知らない方がいらっしゃるでしょう。そのジパングを国として認知させることができたのはミドウ様のおかげです。ヒミコ陛下やイヨ殿下ではありません。ジパング、イコールミドウ様なのです」
「その認識はありますが」
「いいえ、まったくお分かりになっていない。ミドウ様が十年の間積み上げてきたもの。それはジパングという国の認知もそうですが、むしろミドウ様本人の認知なのです。東にミドウという切れ者がいる。それはもう全世界共通の認識です。ジパングは知らずともミドウ・ヨシカズは知っている。それが世界です。少なくとも一番近いダーマではそういう認識でした」
「私はそのような大それたものではありません」
「ミドウ様本人がどうというわけではありません。ミドウ・ヨシカズという『名前』が必要なのです」
「名前、ですか」
「ミドウ・ヨシカズが引退したとなれば世界はジパングなど目もくれないでしょう。オロチがなくなってこれからジパングは冬の時代を迎えます。そのときにミドウ様がいなければ食糧援助など全く取り扱ってはくれません。イヨ殿下に迷惑をかけただけではあきたらず、ジパング十五万人すべてを餓死させるおつもりですか」
 ヨシカズは言葉もない。
「あなたはもう、ミドウ・ヨシカズという個人ではないのです。ミドウ様にはジパング十五万人の命すべてがかかっている。それを放り出していくのは、イヨ殿下を生贄に捧げたことに勝る罪だと知りなさい」
 さすがに、そこまで言われてはヨシカズも反論することはできなかった。
「分かりました」
 ヨシカズががっくりとうなだれる。
「全てが終われば、もう何も考えなくていいと思いましたが、違っていたのですね」
「違います。一つの終わりは、次の始まりです。しかも、犠牲を一人出せばすむ今までと違い、これから先はどれほどの苦難が待ち構えているか分かりません。もしかしたらオロチを生かしておけばよかった、などという声が上がってくるかもしれません。いえ、既に上がっているかも」
「まさか」
「オロチ討伐は、生贄にされる人間とその家族を守ってはくれましたが、全く関係のない人々、とくに生贄を出したことがない平民にとっては安定を放り投げる愚策としか映らないはずです。すぐに手を打たなければ大きな問題となります」
「ですが、オロチ討伐は、あなたたちが」
「そうです。放置すればするほど被害が大きくなる。私は間違ったことは言っておりません。そしてあなたたちはそれに従った。つまり、この国の被害を小さくしようと願った。それを今さら、私たちに責任をなすりつけるおつもりですか。ミドウ様はその程度の覚悟で生贄を選び、その程度の覚悟で私たちにかけてくださったのですか」
 ヨシカズは顔をしかめた。
「失言でした。どうかお忘れください」
「分かっています。むしろ、その言葉を引き出すように私は話しましたから。人間というのは常に相反する心を持っています。ミドウ様にもそれがある。それが分かっていただければいいのです」
「は」
「ミドウ様は自分で思っているより、引退したいという気持ちが強いわけではないのですよ。愛するヒミコ陛下を失われ、今は何も考えたくないというところでしょう。ですが同時にこの国を何とかしたいという気持ちも持っている。その気持ちがありながら引退するのは早計です」
「いえ、分かりました。あなたのおっしゃるとおりです、賢者様」
 ヨシカズは深く頭を下げる。
「あなたがいらっしゃらなければ、この国はどうなっていたか分からない。心より、感謝申し上げます」
「だとしたらソウを褒めてあげてください。ソウがいる国だからこそ、私たちはここまでしたのですから」
 ようやく和んだ空気が流れる。
「そうですか。いや、本当にあの子を引き取ってよかった。あの子は私の自慢の息子です」
「私にとっても自慢の友人です」
 そうして話は終わる。
 すべての謎が解決し、ひとまずジパングは不安定な時期に入るかもしれないが、それでも人は育つ。困難に立ち向かう人たちがいる。
 だからもう、自分たちがこの国でできることは何もない。
 ルナがイヨのところへ戻ってくると、まだ全員がその場に残っていた。
「いかがでしたか」
 イヨが尋ねると、ルナが大きく頷く。
「大丈夫です。ミドウ様は引退を撤回してくださいます」
「ああ、よかった」
 心から安心したようにイヨが笑顔を見せる。
「何から何まで、ありがとうございます」
「いえ。ジパングにとってミドウ様がどれほど大事な人物かは、国内にいる人より外にいる人の方がよく分かるものです。正直、ヒミコ陛下よりもミドウ様の方が外では知名度が高いくらいですから」
「分かります。ミドウ様がいてくださらなければ、この先のジパングはありません」
「食糧問題がありますから。もちろん、ダーマも援助はできますし、話によればアリアハンだって援助をしてくださるとのこと」
「はい。今年の冬に向けて、まずは食糧を輸入しなければなりませんね」
「ええ。ただ、先にしておくことがありますよ」
「何でしょうか」
「決まっています。戴冠式です」
 ルナが言うと、すっかり忘れていたという顔でイヨが顔を赤らめた。
「そうでしたね、確かに」
「式は必要です。確かに形式だけのものにすぎませんが、式を執り行ってはじめて諸外国にはジパングの女王として認められるのです。できるだけ早く行うのがいいでしょうけど」
「さすがにすぐには無理です。伯母様の喪中には行うことができません」
「そうですね。では、宰相と各大臣だけでも早く決めなければ」
「はい。だいたいはもう、決まっているのですが」
 イヨが言いづらそうに言葉を途切らせる。何だろう、と思っているとソウから口ぞえが入った。
「イヨ殿下は、お前に宰相になってほしいんだと」
 内容が一瞬理解できなかった。逆にアレスやフレイの方が驚いている。
「ああ、私が、ということですか」
「すみません。ルナ様がここにいられる方ではないというのは分かっておりましたのに」
「いえ、ダーマの賢者を召抱えたとなれば箔がつきますからね。その程度のことを考えたこともなかったのですから、ダーマの賢者もたかが知れてますね」
「そんなことありません!」
 イヨが握りこぶしで言う。
「ご指名は非常に嬉しく思いますが、私の命は勇者様に捧げておりますので、ご期待には添えません」
 そんなラブコールも本人がまったく理解してくれないのだから意味がないが。
「ただ、この国で宰相として相応しい人物を推挙させていただきます」
「相応しい? どなたでしょうか」
「はい。マミヤ・ショウ大臣です」
 意外な人物が出てきた、という顔をする。当然だろう。この八年間、彼は全く発言らしい発言をしていない。派閥調整のために大臣になっていると陰口を叩かれるような人物だ。
「マミヤ様は観察眼すぐれ、思慮深く、ジパングへの忠誠心も高い方です。若い人たちが多くなるこのジパング政庁において、上に年配の方がいらっしゃるのは安心できる材料です。また、一条の貴族というわけでもないですから門戸開放にもつながります。さらには私も一度マミヤ様とお話しましたが、その考えはダーマの賢者にも劣りません。非常に優秀な方でいらっしゃいます。しかるべき地位についたとき、もっとも力を発揮するタイプの政治家だと思います」
「そうですか──分かりました」
 必ずしも完全に納得したというわけではないのだろうが、やはりルナの推薦というのが大きかったのだろう。イヨは受け入れる様子を見せた。
「いずれにしても、これから先、この国を率いていくのはイヨ殿下であり、ソウやヒビキ様、ユキ様たちです。ジパングがよりよい方向へ進むことを願っています」
 それで話は終わった。
 一日休めば、もうジパングですることはない。



 その日の晩餐会には、トモエ家、ミドウ家、マミヤ家などの重鎮が列席。さらにはモリヤ家のエミコなども参加していた。
 その晩餐会がずいぶんと賑わってきた頃。
「ルナ。ちょっとだけいいか」
 ソウが、列席者から質問責めにあっていたルナに声をかけた。






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