Lv.66
迫る別れ、歩みだす二人の道
ソウはまだ迷っていた。
もちろん、この国に残ることは決めている。だが、子供の頃からずっと好きだったルナ、そしていまや自分の目の前に目標として存在する勇者アレス。その二人への強い思いが自分を駆り立てていた。
そんな折、あまりパーティに参加していなかったユキがソウのところにやってきて尋ねた。
「浮かない顔ですわね、ソウタさん」
自分がパーティで浮かない顔をするのはいつものことだ。くだらないパーティよりも自分ひとりでいた方が安心できる。
だが、今日ばかりはそれが理由というわけではなかった。
アレスにも、ルナにも、それどころかヴァイスやフレイにも人だかりができている。フレイなどは全く話すつもりがなさそうだが、それでも人の輪が絶えない。
もちろん自分のところにもひっきりなしに人がやってくる。新たに近衛右将軍となった自分に取り入ろうとする者は多い。それどころか自分はイヨとの公認カップルとなりはてている。別にもう否定するつもりもないが、自分の気持ちだけが定まらない。
「いつものことだろ。だいたい、お前だって今日はあんまり浮かない顔じゃねえか」
「それはそうですわ。好きな人は私のことをまったく見てくださらないですし、その人が見ている女性は私ではとてもかなわないと思わせられる、そんな人なのですから」
ユキは目を合わせない。
ソウもまた、何もそれ以上言わなかった。ユキが何を言いたいかは分かっている。だが、自分はその気持ちに応えることはできないのだ。
「オロチ戦の後で、お父様がおっしゃったんです」
「何を?」
「ソウタさんのことは諦めなさい、って。もしどうしても諦められないなら、側室で我慢しなさい、って。ソウタさんはいつか、イヨ殿下と結ばれるのだから、って」
「それはまた、すごい未来図だな」
「そうですわね。確かに私もそう思います。ソウタさんとイヨ殿下が結ばれたら、きっとジパングは平和になるって」
「買いかぶりすぎだ」
「いいえ。私のソウタ兄様は、絶対に私の期待を裏切りませんもの」
くす、とユキが笑う。
「本当に、どうしてあんな人がいらっしゃるのでしょうね」
「誰のことだ?」
「決まってます。ルナさんのことです」
「あいつは特別だからな」
「そうでしょうか? 確かにダーマの賢者になるだけのことはあって、知識も魔法力も桁外れです。でも、それは特別なことじゃありません。ルナさんだって、一人前に恋もすれば悩むでしょう。そして、ソウタさんはその相手じゃありませんものね」
「ぐさりと来るな、おい」
「事実を認めないと駄目ですわよ。私だってこんな会話している時点で脈なしなのですから」
確かにそうだ。ユキの気持ちに応えるつもりは全くない。
「想いの強さが、そのまま報われるならこれほど嬉しいことはないと思いますわ。それでしたら、私ほどソウタさんのことを想っていた人はいないはずですのに」
「俺も、ルナのことを見てきた時間は自分が一番長いと思ってるよ。でもな、ルナは俺がルナを見る前から、ずっと見たこともない勇者のことだけを想い続けてきたんだ」
壁際で話す二人。よほど深刻な顔をしているのか、誰も近づいてこない。まあ、こんな話を誰かに聞かれても困るからありがたいが。
「ソウタさんはそれで諦められますの?」
「諦め?」
「最初から勝負を挑まないで、負けを認めるのは男らしくありませんわよ」
「もう負けてるよ。ダーマにいた時点でふられてる」
「あら」
それを聞いてユキは頭を下げる。
「すみません。何も知らずに」
「いいさ。俺がいつまでも未練たらたらでいるのが悪いんだからな」
「それは否定しませんけど。でも、その未練を断ち切ってくるのも必要なことではありませんか?」
ユキの言っている意味が分からない。だが、次の言葉でそれがよく分かった。
「私は、ソウタさんが好きです」
目を見て、真剣な顔で。
「だから、私を選んでください」
「ユキ」
「お願いします」
ユキほどの可愛い子に言われて嬉しくないはずがない。
だが、イヨにルナ。いろいろなしがらみがあって、自分は自由に何かを言うこともできない。
「悪い」
「これが、諦める、ということですわ」
だが、ふられたユキは逆にさっぱりとした顔をしていた。
「ずっと想っていたことが言えて、すっきりしました」
「ユキ」
「でも、お父様もおっしゃいましたけど、私は別に側室でもかまいません。私は子供のときからずっとソウタさんだけを見てきましたから、今さら他の人を見ることもできません」
そして小首をかしげる。
「それとも、ソウタさんは私が憎らしいほど嫌いですか?」
「まさか。お前と一緒にいて気分が悪いはずない」
「よかった。気がかりなのはそれでしたの。私、ソウタさんとずっと一緒にいたいと思ってましたから」
だが、それ以上接近することはない。それはユキには許されていない。その役割はルナか、イヨのどちらかであるはずなのだ。
「だったら、最後のお別れをしてくるべきではありませんか?」
「最後の?」
「勇者様たちが行かれるのは、私たちがジパングを立て直すよりはるかに険しい道。命を落とすことだって当然ありえます。もし、言いたいことがまだ残っているのでしたら今のうちに言っておかなければ、死ぬまで後悔しますわ」
「そうだな」
「ソウタさん」
ユキが両手の拳を握って言う。
「ファイトッ、ですわ」
「お前、人を元気付けるのうまいな」
「なれっこですもの」
「素直に、ガキの頃にお前から受けたプロポーズに応えておけばよかったよ」
それを聞いたユキが驚いて表情をなくす。
「……覚えて、いたんですね」
「あの当時、俺に近づいてきたのはお前とヒビキくらいだったからな。忘れるはずがない」
「卑怯です」
強くため息をつく。
「辛くされたら忘れることもできるのに、優しくされたら……」
「悪い。二度と言わない」
「嫌です。何回でも聞きたいです」
「ま、その話はそのうちゆっくりとしよう」
そしてソウはターゲットに目をつける。
ルナは今、征戎軍の兵士たちと話している。いったいどんなことを話しているのやら。
「行ってくる」
「行ってらっしゃいませ」
そして。
ソウはゆっくりと歩き出して、ルナのところへ来る。
「ルナ。ちょっとだけいいか」
そう言って、ソウはルナを宴会場から連れ出した。
「ソウにしては、なかなか強引な連れ出し方でしたね」
星空の下に二人は出ていた。
人に話を聞かれたくないというのもあったが、それ以上にルナと二人きりになりたいという気持ちの方が強かった。
「ま、お前ともこれでお別れだからな。ゆっくり話をしておきたかった」
「そうですね。ソウとは長かったですけど、本当にこれでお別れなんですね」
二人はまだ十五歳、十六歳という若さ。そのうち五年間も共に過ごしてきたのだから、自分たちにとって相手がどれほど近くにいる存在かが分かる。
「でもこうして、人はそれぞれ自分の道を行くんですね」
「そうだな。お前は昔から言っていたとおり、勇者と共にバラモス退治か」
「そしてソウはお姉さんを希望通り助けることができました」
「ああ。おかげでジパングの重役なんかやることになって、迷惑してるよ。本当はお前や、アレスさんについていってもっと強くなりたいと思ってる」
「ソウは昔から、強くなることに貪欲でしたから」
「ああ。結局俺の力じゃオロチにはとてもかなわなかった。実際に見たわけでも戦ったわけでもない。でも、アレスさんやお前でも苦戦したんだから、俺なんかじゃとてもかなわないだろ」
「でもソウはレンさんを倒すことができました。強くなっている証拠です」
「体は少し鍛えられたかもな。アレスさんにも稽古を何回かつけてもらったし。でも、まだまだだ」
ソウは言ってから、ルナを見つめる。
「俺はまだまだ、弱い」
「ソウ」
「お前と離れるのも辛いし、アレスさんがいなくなるのも辛い。もっと強くなれる手掛かりが今目の前にあるのに、自分からそれを手放さなければいけないこの立場がうっとうしい。悪い。今、俺、すごいこんがらがってる。父さんに姉さん、イヨ殿下やシオンたち、ヒビキやユキ、エミコ、いろんな問題かかえてて、俺がしっかりしなきゃいけないのが分かっているのに、それでも俺、お前やアレスさんと一緒にいたいと思ってる。すごいわがままなこと考えてる」
ルナは何も言わない。一気に言いたいことは全て言わせてしまおうと思ってるのかもしれない。
「お前の方が一つ下なのに、俺よりずっとしっかりしてて、俺ばっかりうじうじしてて、こんなのがよくないってのは分かってた。でも、それでも言わないと後悔すると思った。だから言う。俺、お前と離れるのが嫌だ。ずっと一緒にいたい」
「ソウ……」
ルナは少しだけ目を伏せる。そして、開いてから言った。
「それなら、一緒に来ますか?」
「え?」
「アレス様も、ヴァイスさんやフレイさんも、今のソウの力なら決して反対はしないと思います。私からアレス様にお願いすることもできます。一緒に来ますか?」
優しい笑顔だった。
ソウはそれを見て、かなわない、と思う。
この提案があくまで『ソウのため』にされているものだというのが分かったから。
「なあ、ルナ」
「はい」
「お前、俺と離れるの、どう思う?」
「寂しいです」
表情を変えずに言う。
「私はもう、簡単に表情に出すことが許されなくなった存在ですが、私にとって一番頼りになる人で、アレス様を除けば一番好きな人です。離れるのが寂しくないはずがありません。私だって、ずっとソウが一緒にいてくれれば心強い」
「ルナ」
「私だって分かっています。私はアレス様が好き。ソウの気持ちには応えられない。でも、それなのにソウには傍にいてほしいと思っている卑怯な女。私はソウを自分のために利用したいと思っている。そんな私がソウを誘うことなんて、できません」
それはルナの本心だ。
だが、それを告白することで、ソウがどのように気持ちを変えていくか、それが計算されているのだろう。
心は決まった。
まったく、ルナの言っていることは正しい。
「お前は本当に、卑怯だな」
「そうですか?」
「そうやって言えば、俺が諦めると思って言ってるんだろ。お前、人の心を読むのは得意だからな」
「そうでもありません。人の心ははかりしれませんから」
「俺、お前を好きになって良かった」
ソウはルナに近づくと、そっと腕を回して、優しく抱きしめる。
「でも、これで終わりにする。お前のことを思い出にして、ジパングで生きるよ」
「はい。それが一番正しいことなんです。私たちはバラモスを倒すというたった一つの目的に向かって旅をしています。でも、ソウは違う。ソウには守るべき家族がいて、成し遂げたい目標があります。私たちは、ソウのようにがんばっている人たちのために、戦うんです」
「もう俺、お前を守れない」
「はい。私ももう、ソウに頼ることができません」
「幸せにな」
「難しいですが、努力はしてみます」
そして、ゆっくりと腕を離す。
この一瞬は、今までのどの瞬間よりも大切な時間だった。いつまでも終わってほしくなかった。
だが、これで最後。
二度と、彼女のことで悩むまい。
「もしも必要なことがあったら何でも言えよな。離れてもお前は俺にとって最高の仲間だ。絶対に助けに行く」
「もちろんです。私だって遠慮はしません。ソウ以外に頼る人なんていないんですから」
そのルナの顔に涙が流れていた。
それが演技のはずがない。
ルナもまた、ずっと自分を守ってくれたナイトとの別れを悲しんでいるのだ。
「今日、話しかけてくれてありがとうございました。ソウと何も言わずに別れるのだけは嫌だったんです」
「悪かったな。俺の方がずっと優柔不断で」
「私もです。別れると決まっているのですから、ソウに話しかければいいだけのことだったんです。それなのに、こうして別れ話をするのがためらわれて、結局出発前夜になってしまいました」
「といっても、オロチ倒してからまだ一日しか経ってないけどな」
ようやく二人の気持ちがいつものように落ち着いてくる。
「私、しばらくここにいようと思います」
「ああ」
「ソウは先に戻ってください。私たちよりもソウと話したいっていう人がたくさんいましたよ。それなのにソウがあまりに顔が強張っているから、話しかけられないって」
「やれやれ」
ソウは苦笑すると宴会場に戻る。
それを見送ったルナは、その場に座り込んで星空を見上げた。
「ソウが、私の勇者だったらよかったのに」
それならこんなに悩むことも苦しむこともなかった。
だが、自分はもう決めたのだ。
報われない恋に命をかけると。
しばらくして。
星空の下にたたずむ彼女のところにフレイが近づいてきた。
「……見つけた」
フレイは言って、隣に腰を下ろす。
「汚れますよ」
「……オロチとの戦いでもう汚れたから」
何か違うような気がするが、本人が気にしないというのならいいのだろう。
「私、まだまだ子供ですね」
フレイは答えない。
「分かっていたことなのに、こうして直面したとき、とても苦しい」
「……あなたは立派。私よりずっと立派」
「そんなことありません」
ルナは、隣に座るフレイにしがみついた。
「すみません。やっぱり、別れは辛いです。人に涙を見せてはいけないと、ラーガ師にあれほど言われたのに……!」
「……大切な人と別れるのに、泣かない方がおかしい。だから、ルナは正しい」
しがみついて泣きじゃくるルナの背をフレイが撫でる。
押し殺した涙声が、フレイの耳にだけ届いていた。
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