Lv.69

一夜明けて動き出す物語








 曙のエディンバラは完全に静まり返っている。
 もちろんルナは日課のランニングは欠かさない。何といっても自分を守ること、自分を鍛えることは何にもまさる優先事項。勇者アレスも普段は何もしていないように見えても、一日何もしないでいるということはない。人に見えるところではもちろんだが、見えないところでも訓練は欠かしていない。
 もっとも、王都エディンバラは広い。ダーマはジパングとは比較にならない。都市の端から端まで走っても軽く二十キロはあるのではないだろうか。もちろん中心部は大きな建物が多いが、郊外ともなるとそうでもない。畑なども広がっているのが分かる。
 もっとも今はそこまで観察することはできない。この町の概要はだいたい頭に入っているが、ジパングと違って道が複雑怪奇になっている。どの道がどこに続いているのかをしっかり覚えておかなければいけない。
 時折少年が大きな紙の束を持って走っているのを見かける。何だろうと思って呼び止めてみると、それは新聞売りだった。
(これはすごい)
 ダーマでもこのような情報媒体は存在しない。さすが世界一の先進国家エジンベアだ。もちろんこうした新聞を購入しているのは一部の有識者なのだろうが、それでもその日のエジンベアの出来事や王家の動き、世界情勢などが毎日発行されているというのは尋常ではない。
 その場で購入ができるのか尋ねる。少年は、もちろんできる、と答え、三ゴールドと答えた。それほど高い金額でないことにまた驚く。いや、その金額でもおそらく少年は定価より高めに言ったのかもしれない。ルナは言われた二倍の金額を手渡した。
「本当はいくらなの?」
 これは情報料。少年は気まずそうに「一ゴールド」と答えた。なるほど、少年の持っている量からすると、定期購読している人の分がこれだけだとすると軽くこの一束で五十ゴールド以上の売り上げが出る。全部配達して、給料は手取りで五ゴールドといったところか。だとすれば今日はルナに会えたおかげで一日分以上のボーナスを手にしたことになる。
「これを作っているのはどなたですか?」
 少年は新聞の表面を示す。そこに新聞社の名前と住所が書かれている。
(これはあとで訪ねてみないといけませんね)
 おそらくディアナの家でも新聞は購読しているだろう。だが、これはあくまで自分が必要と思った情報料。その程度の出費は全く痛くない。
(今日はこのあたりにしておきましょうか。この新聞というものもじっくり読んでみたいことですし)
 そうしてその日はいつもの半分の量のランニングで止めることにした。






 屋敷に戻ってきたルナが最初に目にしたのは、朝日の中で剣を振るアレスの姿だった。
 自分がランニングをしているとき、たいていアレスはこうして稽古をしている。ジパングのときもそうだった。一日の最初を稽古から始めることで、全身から悪い血を抜く。朝の適度な運動は健康に良いし、何より訓練効果が高い。
 そしてアレスの稽古は普通とは違う。ただ単に型をなぞった稽古ではない。正しい太刀筋を確認するのは数回。後は実戦だ。イメージトレーニングの要領で、相手が攻撃してきたところを想像しながら自分が動き、それに合わせて剣を振る。だから無茶な体勢になることもあれば、太刀筋などは全く定まらない。傍から見ているとただがむしゃらに動いているだけのようにも見える。
 だが、アレスは本気だ。稽古に命をかけていると言ってもいいだろう。それだけの真剣さを持って行っている。
 走っているその足が急に止まる。思い切り右足に力を乗せて、剣を振りぬく。と思いきやすぐにバックステップで身を引く。
(かわされたんですね)
 相手が誰なのかは分からないが、アレスの顔が真剣になっているということはよほどの相手なのだろう。
 考えてみればあのオロチ戦のときだってアレスはこれほどに真剣な表情はしなかった。彼にとっては稽古をするときに思い浮かべている相手こそがどんなモンスターよりも強敵なのかもしれない。
「あれ、ルナ?」
 と、自分が見ていたのに気づいてアレスの足が止まる。
「今日は早かったね。どうしたんだい?」
「いえ、面白いものを手に入れて、これを読みたくて早く切り上げてきたんです」
 先ほど手に入れた新聞を掲げる。
「何だい?」
「新聞というもので、昨日このエディンバラで起こったことが書かれている情報誌です」
「へえ」
 そして二人がその新聞の一面を覗き込む。一面記事はエジンベアのヘンリー王子の結婚に関することだった。
「ポルトガのローザ王女からの求婚を断る、だってさ」
「ローザ王女はお見かけしたことがあります。私と同い年なんですが、それはもう、本当にお美しい方です。国内では失政続きの国王よりもずっと人気があります。性格も良いと評判です。三国一の美人と言われていますが、実際に会うと納得がいきます」
 この場合の三国というのは、エジンベア、ロマリア、ポルトガを指す。大西洋に臨むエウロペ三国。この三国はもともと同じ語族が枝分かれしたものだ。
「そんな王女を振るんだ」
「エジンベアとしては難しい選択だったと思います。この結婚を受け入れて、大西洋戦争以来ぎくしゃくしているポルトガとの国交を回復するか、それとも拒否するか。ポルトガが低姿勢に来たのですから、受け入れればよいと思うのですが」
「何か理由があるのかな」
「どうでしょう。ヘンリー王子という方は自分の妻になる人は肩書きでは選ばないとはっきり名言されていますから、別に国がからんだ話ではないと思いますが」
「誰か他に好きな人がいるとか?」
「だとしたら早いでしょうけどね。王子の評判を聞くに、もしそういう方がいらっしゃったとしたら、猪突猛進にアタックし続ける性格ではないでしょうか。結婚がなかなか決まらないのは、恋愛結婚の希望があるからだと思います」
「エジンベアの第一王子なのに、随分こだわるんだな」
「だからなのかもしれません。王子という立場だと誰を選んでも何かと禍根になります。でも恋愛結婚だと自分が言いきれるのなら、ある程度それは和らげることができます」
「なるほど、確かに」
 家柄だけの結婚は大変だ。愛情のないところで家庭を築かなければならないのだ。もちろん付き合っていくうちに感情が打ち解けることもあるだろう。だが、望んだ結婚でないのは事実だ。
「ルナはやっぱり恋愛結婚がしたいと思うのかい?」
 はじまった。
 この勇者の鈍感ぶりは今に始まったことではないが、何もこんな風に尋ねてくることもないだろうに。いったいこれはどういう苛めだろう。
 気を落ち着かせるために胸のお守りに触れる。大丈夫。この程度で心を乱されたりなどしない。
「そうですね。やはり女の子としては恋愛結婚に憧れますけど、私には無理です」
「どうしてだい?」
「人を愛するために自分を投げ出せるほど、無鉄砲にはなれませんから」
「そうかなあ」
 アレスは少し首をかしげる。
「バラモスを倒すために自分を投げ出せるほどなんだから、好きな人ができればその人のためだけに命でもかけそうな気がするんだけどな」
 ルナはため息をついた。
 正解です。この上なく正解です。自分はもう好きな人のためだけに命をかけていますから。誰が何と言おうと、そして自分がどんなに報われないのだとしても、自分はあなたのためにこの命のすべてをかけると決めてしまいましたから。
「それよりもアレス様こそ、フレイさんと早くお幸せになれるといいですね」
 すると突然、アレスは破顔して頷いた。
(本当に、この人は私のことなど何とも思っていない)
 自分に脈がない。だからこそ自分はまだ自分を保っていられるのかもしれない。
「それでは私はここで引き上げます。稽古の邪魔をしてすみませんでした」
 ルナは表情を変えずに引き上げていく。それを見送ったアレスがもう一度稽古に戻ろうとしたときだった。
「よっ」
 早起きしてきたヴァイスがそのアレスに声をかけた。
「なんだ、早いな、ヴァイス」
「いつになく気合の入った剣の音が聞こえたからな。ま、様子見って奴だ」
「なんだ、つきあってくれるのかい?」
「そのつもりだったがやめた。ちょっと出歩いてくる」
 どうもヴァイスの機嫌が悪そうだ。どうしたのかとアレスが相手を気遣う。
「ああ、アレス。ちょっと頭貸せ」
「え?」
 返事を聞く間もなく、ヴァイスはそのアレスの頭を思い切り殴った。
「何するんだ!」
「うるせえよ。殴られた意味も分かってねえのに俺につっかかるな。自覚がねえからこの程度ですましてやってるが、今のは俺でもちょいとムカついたぜ」
「何のことだよ」
「気にするな。じゃあな」
「待てよ、ヴァイス!」
 だが、そんなことを言われて待つヴァイスではない。さっさと屋敷から出ていったヴァイスを見送ったが、一人残されたアレスは憮然とした様子だった。






 朝が来て町が動き始める。
 昨夜捕らえた暗殺者たちは予想通り何も知らなかった。別に何かを期待したというわけではない。ディアナが狙われているという事実が明らかになった以上、特別な護衛をつけなければならないのは自明の理だった。
 朝食が終わった勇者たち一行はディアナと共に応接室へと向かう。するとそこには既にディアナの父親が待っていた。
「娘を助けていただいて、感謝に絶えません。アリアハンの勇者殿、そしてダーマの賢者殿。本当にありがとう」
 ディアナの父親、リチャードは紳士的な人物だった。この親にしてこの子ありといったような、模範的な人物のように見えた。
「ま、ここに泊めてもらった宿代にはちょいと安かったかもしれねえけどな」
 ヴァイスが軽口を叩く。貴族の邸宅にそんな言葉づかいはよくないような感じがしたが、リチャードはその程度のことに目くじらを立てるような人物ではなかった。
「とんでもない。命の恩は命で返す。その程度の心構えがなくては公爵は務まりませんよ」
「それでしたら一つだけお願いがあります」
 アレスが尋ねる。もちろん内容は決まっている。
「ああ、さきほど娘から聞きました。何でも探し物があるということでしたね」
「はい。これなんですが」
 アレスが見せたのはイエローオーブ。サイズはどれも同じなので、一度見ればだいたいどのようなものかは分かる。
「これと色違いの宝石を探しています。おそらくエジンベアにあるはずなんですが」
「私は見たことがありませんが、探してみるとしましょう。貴族の家だけでも数多いですからな。さすがに対立している公爵家までは分かりませんが、話をすれば分かってくれるものも多いのですよ」
 頼りになる人物だった。本当にルナのおかげでこうして人脈も作られていく。彼女がこのパーティに加わらなければここまで順調に話は進まなかっただろう。
「それもふまえて、もし可能でしたら国王陛下にもお願いすることができればと思います」
「確かに、この国で一番そうした宝石をお持ちなのは国王陛下だろうが」
 少しリチャードは考えるようにしてから、ふむ、と頷く。
「ディアナ。お前がご案内して差し上げなさい」
「はい、お父様」
「ヘンリー王子殿下にもきちんとご挨拶してくるのだよ」
「分かってますわ」
 あえてそうして言っておくというのは、ディアナがこの結婚に乗り気ではないということを知っているからか。
 貴族の考えというものに対してあれこれと口を挟むような問題ではないというのは分かっている。だが、ルナの目から見て、リチャードもそれほど結婚には積極的ではないように見える。
「一つ、確認をしてもいいでしょうか」
「何だね」
「ディアナがヘンリー王子との結婚に乗り気ではないというのは昨日聞きました。ですが、今こうしてお二人を拝見していると、リチャード様も結婚を積極的に考えている様子ではないようですが」
「まあ、何もなければ娘の望むように結婚をさせてあげたいのだがね」
 ふう、とリチャードはため息をつく。
「だが、これはエジンベアのためなのだ」
「エジンベアの?」
「現王家は国民を苦しめない。何よりポルトガとの戦争も決断し勝利している。決断力、統率力に優れた得がたい君主だ。だが、その現王家の唯一のアキレス腱ともいえるのが、七公爵家だ」
「何故ですか。公爵家はエジンベア王家を補佐するもの。何も問題はないはずですが」
「その公爵家もいろいろでね。それぞれに自分の領地を持っているのだが、統治の仕方は千差万別だ。もしも領民を苦しめるような貴族の娘が王子に嫁いだらどうなると思う?」
 なるほど、懸念していることは分かった。確かにそれは問題だろう。
「現実問題として、どの公爵家が問題なのですか?」
「シーフォード公、ノルマン公、ウィンチェスター公、ウィリアムズ公の四公家だ」
「過半数もですか」
 さすがにそれだけの有力貴族が現王家に対抗するとなれば、問題も大きいだろう。
「だから問題なのだ。しかも今回、王子の婚約者として立候補しているのがノルマン公女のシェリー殿と、ウィリアムズ公女のケイト殿。どちらがファーストレディとなっても問題だ。いや、彼女たちは問題ではないのだろうが、国政に口出しをする父親たちが問題だ」
 それを聞いてルナは頷く。そしてディアナを見た。
「そういうことだったのですね」
「何がですの」
「譲れないことがあるとディアナはおっしゃいました。つまり、このエジンベアを苦しめるような人をヘンリー王子の妻に迎えさせるわけにはいかないと、ディアナはそう考えているのですね」
「そこまで崇高なものじゃないですわ。フィット家の繁栄のためには必要なことですもの」
 だが、ここまで話を聞いてしまえばディアナが何を考えているかなどルナには簡単に分かってしまう。伊達に五年も一緒に修行してきた仲ではない。
「ディアナは立派です」
「およしなさい。まるでエジンベアの人身御供みたいで気分が悪いですわ」
「私はあなたを自分の友人として持てたことに、誇りを感じます」
 それは決して中途半端な言葉ではない。自分もまた報われぬ愛に殉ずる者。だからこそ、愛のない結婚に向かおうとするディアナにどこか親近感を持ったのだ。
「では私はその宝石を探しながら知っている者には声をかけてみることにしよう。アレス殿はすぐに行かれますか」
「ええ。国王陛下にはできるだけ早くお会いしたいですし」
「分かりました」
 そうして二日目の活動が始まる。
 ディアナを守りながら、オーブを探す。
 エジンベアにおける探索も、簡単ではなさそうだった。






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