Lv.71
叶わぬ願いと届かぬ祈りを
エジンベア王太子ヘンリーは十九歳。いい加減に妻を迎えていい歳なのだが、本人に全くその気がなく今までに出てきた婚礼話がすべて立ち消えになってしまっている。
もちろん王子としては、この複雑な王家と七公爵との関係を円滑にするためにも、簡単に選ぶことはできないということがあるだろう。そうした家同士のつながりといったことで婚約者を選ぶのは真っ平ごめん、というのが王子の言い分だった。
だから『好きな相手ができたとしたら、それが平民だったとしても迎えよう』と一昨年に公言したときはかなりの騒動となった。もちろんそこまで王家の血を軽んじているわけでもなく、ただ本気になったとしたらそれだけの覚悟があるということを示したまでのこと。
「いい女ってのはなかなかいないもんだ」
王子が愚痴ると、側仕えのトーマスが苦笑する。
「素敵な女性は既に結婚されている可能性が高いですからね。先日いらっしゃったフィット家のお嬢さん、悪くないと思いましたけど」
「まあな。家柄で選ぶんなら悪くない。あそこの親父さんは国政に口出しするような外戚にはならんだろうし、はねっかえり娘とつきあうのも悪くはないさ。ただ、疲れるだろうな」
王子の理想はおしとやかで、夫を立てて後ろを守ることができる女性だ。国政について論じられるくらい賢いとなおいいが、そこまでは求めない。自分の部屋に戻ってきて安らげる相手ならば問題はない。
「そしてやっぱり、綺麗じゃねえとな。あ、いや、ディアナ嬢が綺麗じゃないってわけじゃないぜ」
「分かっております。ただ『自分の趣味ではない』ということですよね」
「お前にゃ隠し事はできねえよなあ」
「ポルトガ王女のときに、どれだけ周りが迷惑したか、覚えてらっしゃいますか」
「分かってるよ、んなこたあ」
およそ王子らしくない言葉づかいだが、周りの者は慣れたものである。そしてそんな王子が国民からはやけに人気が出ているのだ。格式を重んじる貴族にとっては頭の痛いことかもしれない。
そうして王子がトーマスと一緒に城内を移動していたときのことである。
たまたま通りかかっただけなのか、そこを、アレスたち勇者一行とはちあわせる。
最初、ヘンリーは『強そうな奴だな』と思った。自分も『剣王子』と呼ばれるくらいに剣の腕前はあるつもりだが、その人物にだけはかなわないような何かを感じた。
「まあ、ヘンリー王子殿下!」
そして、そのすぐ後ろに先日会ったばかりのディアナ嬢。
「おお、ディアナ嬢。こんなところで会えるとは」
「ご拝謁に感謝いたしますわ。実は、ヘンリー王子を探しておりましたの」
「自分を?」
そしてヘンリーはその一行を順番に見回した。
まず目の前のやけに強そうな人物。その隣にディアナ嬢。後ろにあと三人。一人は背の高い槍を持った人物。そしてピンク色のローブを着た魔法使い。そして──
(!!!!!)
最後の一人。
薄い水色の髪の、小柄な女性。
「実は、王子殿下にお願いがございまして」
「お願いですか」
「はい。この方たちに関することなのですが──」
「わかりました」
「は?」
ヘンリーが何も聞かないうちに了承したのを聞いて、さすがにディアナも言葉を失う。
「ただ、先に私のお願いを聞いていただきたい」
「はあ」
「そちらの女性──お名前は何と申されるか」
「は?」
今度はルナが面食らう番だった。
「ルナ、と申しますが」
「ルナさん、ですね。自分はヘンリー。もしよろしければ、私と一席、お茶を飲んでいただきたい」
一目ぼれだった。
「婚約者候補を目の前にして、他の女性を口説くなんてどういうつもりかしら」
ディアナはぷんすかと怒っていた。まあ仕方のないことではある。たとえ自分が望まぬ結婚であったとしても、露骨に無視されるのはプライドに関わる。
「でも、あの王子、別に悪い奴ってわけじゃなさそうだな」
「同感。ヘンリー王子ならエジンベアももっとよくなるんじゃないかな」
ヴァイスの言葉にアレスも同意する。確かに第一印象は全く悪くない。
「ルナに任せておけばこっちの話も伝わるだろうしな」
「でも、本当にルナ一人に任せていいのか?」
アレスの言葉にヴァイスが尋ねる。
「何が?」
「気がついたらルナが俺たちと別れて、次期エジンベア王妃になる可能性だってあるってことだろ」
「それはないよ」
アレスは苦笑して断じる。
「ルナが望むならそれもいいだろうけど、ルナはそれを望まないし、万が一ヘンリー王子が強引に結婚を迫ったとしたなら、実力でそれを跳ね除けることができるから」
「おいおい」
「ルナは絶対に僕たちと一緒にバラモスを倒すんだ。まあ、バラモスを倒した後でこの国に来るとかはあるかもしれないけど、ルナはその一番根っこのところを間違えたりはしないよ。ヴァイスは信じられないのかい?」
「いや、お前がそうやって言い切れるんならいいさ」
はあ、と大きくため息をつく。それを見たディアナも小さく息をついた。
「ルナが可哀相ですわ」
「同感。かといって、気づけって言うわけにもいかんしなあ」
アレスとフレイから離れたところで苦労人の二人が意見を交換し合う。
「ルナのこと、ご存知ですのね」
「気づくだろ普通。フレイだってきっと分かってるぜ。気づいてないのはあの馬鹿勇者くらいだ」
「私とルナが会ったのはもう五年も前ですけど、ずっとおっしゃってましたわ。いつか勇者様と一緒に旅立つんだって。そのために力が必要だって」
「まだ見ぬ勇者に恋愛感情を抱いても仕方ねえなあ。ましてやアレスはいい男だ」
「ええ。多分あの子、この十日間でもう悟ったんでしょうね」
もう一度ルナはため息をつく。
「何をだ?」
「自分の気持ちはもう、どこにも届かないっていうこと。決して報われることのない恋に一生を捧げるつもりなんですわ。まだ十五歳なのに」
そのルナは、ヘンリー王子に誘われてフラワーガーデンへ招待されていた。それほど広いガーデンではないが、一面に花が植えられていて、ひと時も目の休まることがない。美しい景観だった。
そのガーデンの中央にひときわ綺麗に装飾されたテーブルと椅子。既に準備させていたのか、二人分のティーセットが準備されている。
「どうぞ、おかけください」
ヘンリー王子が手ずから椅子を引いてルナを座らせる。恐縮する、というほどでもないがいささか畏まってルナが座ると、ヘンリーはその九十度隣の椅子に座った。
「わざわざお招きくださって、ありがとうございます」
「いえ、突然お誘いしたのはこちらの方です。無遠慮でしたが、来てくださって嬉しいです」
素直に笑顔で応えるヘンリー王子に邪気は全くない。既にルナはこの王子の性格を分析し終わっている。この王子は夢を見続けている少年そのもの。よくもまあ、宮廷などという濁った空気の中でこれだけ純粋な青年が育ったものだ。
「女性をこのガーデンにお連れするのは初めてなのですよ」
「光栄です」
「いえ。ただ、もし誤解されていたらと思いまして。初対面ではありますが、私は決して、ルナさんを不純な気持ちでお連れしたわけではないということを」
「はい。分かっております」
ルナも笑顔で応える。裏表のない性格。ただ、自分の意見はきちんと持っていて、他人の意見はきちんと聞いても自分の意見と合わなければ絶対に聞き入れることはない、そうした鉄の意思を持っている。
(ご協力をいただけるなら心強い存在ですけど、もしご協力いただけなかったら手強いですね)
敵ならば強敵、味方ならば心強い存在。そんな稀有な例はそんなに多くない。とにかくこの王子に対する評価はさまざまな面で『優秀』だった。ヘンリーが次期国王ならば、エジンベアも安泰だろう。
「ルナさんは何故このダーマに? それに、ディアナ嬢と一緒に行動されていたようですが」
「はい。今日はディアナさんと一緒に、王子にお願いがあって参ったのです」
向こうから切り出してくれて助かった。まずはこちらの要求を見せておかなければ。
「そうでしたな。私でできることならば」
「はい。実はこの国にあるというオーブと呼ばれる宝石。それをいただきたいのです」
「オーブ?」
聞いたこともない、という様子でヘンリーが首をかしげる。
「はい。一つ、お預かりしてきましたので、ご覧ください」
ルナは懐からオーブを取り出す。握りこぶしくらいの水晶球、パープルオーブ。
「これは見事」
すごい、と素直に賞賛するヘンリー。だが物欲しそうな様子ではなく、単純に美しさを褒めたという様子だ。物欲は満たされているということだろうか。
「これと同じものが、このパープルオーブも含めて世界には六個あるのです。色は全てばらばらです。私たちは既に四つのオーブを集めました。あとはレッドオーブとシルバーオーブの二つ。それを全て集めるのが私の役目。その一つがこのエジンベアにあると聞いてやってきました」
「分かりました。この大きさの水晶球を探せばいいのですね。お急ぎですか?」
「ええ、少しでも早い方が」
「ならば王子の権限を使いましょう。本当は女性の願いとあれば自分の手で見つけてみせたいところですが、急ぎならばそこにこだわるべきではない。トーマス!」
離れていたところにいた従者が近づいてくる。
「この大きさの水晶球を探してくれ。色は赤と銀。この国にあるのは間違いないらしい」
「かしこまりました」
「できるだけ早く、頼むぞ」
「はっ」
そうしてトーマスはガーデンから出ていく。
「申し訳ありません。まさかそこまでしていただけるなんて」
「いえ。女性のお願いを断るわけにはいきません。それに、この方が私も話がしやすい」
「ええ」
そうなることは分かっていた。だが、あえて自分はそこに踏み込んだ。
「実は私は、未来の王妃候補を探しているところです」
「存じています。ディアナさんが候補だということも」
「ええ。ですが、私は七公爵家から妻をいただこうとは思っていないのです」
「そうでしたか」
自分から話を促すことはしない。今は王子の話したいことを話させた方がいい。
「七公爵家のパワーバランスは難しいものがありまして、一つの家だけを優遇するわけにもいきません。確かにディアナ嬢は王妃にふさわしい器量があると思っています。ですが、それによって国の混乱を来たしはしまいか、と」
「はい」
「ですから私は、七公爵家以外から妻をいただきたいと思っていました。将来のエジンベア王妃なのですから、いろいろなことが要求されます。気品がなければいけないというのは国から提示される条件です。社交界にも参加していただかなければなりません。ただ、私が望むのは一緒にいて安らぎを得られる相手なのです」
「はい」
「あなたは、その条件を全て満たしていると思う。いえ、そんな言い方は失礼ですね。私は最初にあなたを見たときから、あなたに一目ぼれをしてしまった。あなたと一緒なら幸せになれると思った」
さすがに答えにくい台詞だ。
「ですから、どうか自分の妻となっていただきたい」
この場でOKするのはたやすい。そして相手を利用して、必要でなくなったら切り捨てる。そうすることは可能だ。
だが、自分はそうすることはできない。ダーマの賢者として相手を騙すような行為はできない。
「申し訳ありません」
「理由はありますか。自分に不足しているところがあるならば、いくらでも直しましょう」
「いえ、王子殿下が問題というわけではありません。私は自分の生き方を決めて、それを変えるつもりはないのです」
「生き方?」
「はい。私は幼いときに賢者となることを目指し、勇者のためにこの命を捧げることを生きがいとしてきました。それが私の夢でした。その夢が二つともかない、今の私は幸せの中におります」
幸せ?
自分で言っていておかしくなる。今のどこが幸せというのだろう。自分の気持ちを伝えることもできず、相手の幸せだけをただ外から見ているだけの人生。
幸せであるはずがない。
「ダーマの賢者……」
それを聞いてヘンリーの顔がみるみるうちに真剣なものに変わった。
「ではあなたが、奇跡の賢者、ルナ」
「ご存知でしたか。知られているものですね」
「ええ、あなたの話は何度も聞かされています。それに今、エジンベアにはちょうどダーマから『風の賢者』ディーン様がいらっしゃってます。あなたのこともうかがっております」
「ディーン師が」
風の賢者ディーン。正直、ルナはダーマの八賢者の中では一番会ったことが少ない相手だ。もちろん全く見知らぬわけではないが、この五年間で会ったのはおそらく両手で数えて足りる程度。年に一度か二度、顔を合わせる程度だ。
「そうでしたか。あなたが奇跡の賢者」
そしてもう一度ヘンリーがルナをじっと見つめる。
「ではなおのこと、あなたを妻にしたくなりました」
人の話を聞いていたのか、ヘンリーはさらに話を続ける。
「勇者というのは、先ほど一緒にいらした方ですね。剣を使われる方ですか、それとも槍の方の」
「剣の方です。アリアハンの勇者、アレスと申します」
「アレス。その方があなたの恋人なのですね」
「いえ」
しっかりとルナはそれを否定する。
「アレス様は私が知り合うより以前に恋人がいらっしゃいました。私はその方のことも大好きです。二人には幸せになっていただきたいと思っています」
ヘンリーは首をかしげた。
「では、あなたはどうするのですか」
「アレス様がバラモスを倒し、この世界が平和になったとしたら、私の使命は終わりです。あとは学問の道を究めようと思っています」
「バラモス──なるほど」
ヘンリーは何やら真剣に考え始めた。
いったい次はどういう手で来るのかと、表情には出さず身構える。
「ルナ殿は、勇者のためにその命をかけるというわけですね」
「はい」
「ならば、私も勇者になりましょう」
だが、ヘンリーの言葉は自分の予想の斜め上を来た。
「は?」
「ですから、勇者となれば私もルナ殿の相手としての資格が手に入るわけでしょう」
「いえ、その」
「勇者となるにはどのようなことをすればいいのでしょう。やはりバラモスを倒せばいいのですか」
さすがのルナもどう答えていいかわからない。
ただ、一つだけ言えることがあるとすれば。
「そんなに簡単なことではないのです。少なくとも、私の目に一瞬で勇者だと判断できるくらいでなければ」
「私では役者不足ですか」
「申し訳ありません。というより、アレス様の勇者適性が凄まじく高いだけですけど」
「そうですか」
だが、断られたヘンリーはなおも意気込んで立ち上がる。
「では、勝負といきましょう」
「は?」
「私も『剣王子』と呼ばれるだけの腕前を持っています。私がアレス殿に勝利できたら、あなたを妻として迎えたい。よろしいですか?」
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