Lv.72

想うだけでただせつなくて








 なんでこうなったんだろう。

 闘技場にやってきたルナはため息をつく。ヘンリー王子の強引な、ある種の傍若無人な振る舞いにつき合わされた格好となった。
 ヘンリーは戻ってくるなり自分の手袋をアレスに叩きつけ「決闘を申し込む。もし自分が勝ったらルナ殿を妻として迎えることを認めてもらう!」と意味不明な宣戦布告を行う。それに対しアレスはちらりとルナを見てから手袋を拾い上げて叩き返し「ルナは大切な仲間。簡単に渡すわけにはいかない」と決闘を受けて立つ。
 というわけで、闘技場で二人が対決することになり、全員で移動してきたというわけだ。
「すみません、アレス様。私の力が足りないばかりに」
 戦いが始まる前に、ルナがアレスに頭を下げる。
「いや、別に気にはしてないよ。ただ確認だけど、遠慮なく勝っていいんだよね?」
「はい。王子がどう行動されるかは分かりませんが、勝っていただいた方が助かります」
「ルナを嫁にあげるわけにはいかないからね。全力で戦ってくるよ」
 笑顔で言う。それが恋人に向けられるものならば良かったのに。アレスの気分としては、自分の娘は簡単に嫁にはやらん、というようなところだろう。
 アレスの後ろでヴァイスがため息をついている。フレイは少し困った顔。ディアナはアレスを冷ややかな目で見ていた。
「ただ、オーブ探しの件についてはもう協力を約束していただきましたし、既に捜索命令を出してもらっています」
「そうなんだ。やっぱりルナは頼りになるな」
「私の力というわけではないんですが」
 ルナは首をかしげる。まったく、ヘンリーがどうして自分などを指名したのかが分からない。
「すみません、ディアナさん。何か変な成り行きになってしまって」
「私はかまいませんわよ」
 ディアナも首をかしげる。
「あなたがエジンベア王妃となるのも悪くありませんわね」
「勘弁してください。私はそんな器ではありませんし、私の望みではありません」
「分かってますわ。それが分からないのはあの王子様くらいでしょう。正直に全部言っても伝わらなかったのでしょう?」
「そうですね。説明不足なところもあったとは思いますが」
「困り者の王子ですわね、まったく」
 同時に『困り者の勇者ですわね』という気持ちだった。ルナがこれだけ献身しているのだから、気づくくらいのことはしてもいいだろうに。
 その勇者が愛しているのが、自分では歯が立たなかった、この隣に立っている魔法使いフレイ。確かに美人だし、ルナと比べて胸もあるし、どこか守ってあげたくなるような様子だし、天然だし、悪いところがまったくないのだが。
(ルナが身を引くのも分かりますけど)
 そしていよいよ決闘の時間となった。
 万が一のことを考えて武器は練習用の木刀。重さは普通の剣と同じ程度にしている。万が一王子の身に何かあったら困ると、そこはルナが全力で主張した。
「僕の身に何かあったら、とは考えてくれないんだ」
「アレス様は傷一つつきません」
 ルナは断言する。それくらいの力の差があるのは見れば分かる。
「信頼されてるってことでいいのかな」
「王子には申し訳ありませんが、時間は十秒。三合も必要ないでしょう。大人と子供の戦いのようなものです。信頼以前の問題です」
「えっと、ルナ、何か怒ってる?」
「怒ってません。ただ、こんな展開にしてしまった自分に少し呆れているだけです」
 自分でも予想外の展開。もしヘンリー王子のことを事前にもっと調べたりしていればこうはならなかった。アレスに会う前までの五年間、自分はいったい何をしていたのか。各国首脳の人となりくらい調べていて良かったのに。
「まあ、僕が勝てばいいだけのことだからね。じゃ、行ってくるよ」
 そして闘技場の真ん中で二人は睨み合う。
 他にギャラリーはいない。もし王子が負けようものなら、それなりに宮廷で話題になる。だから自分たち以外の誰も闘技場にはいない。
「ルナを連れていかせはしないよ」
「そうはいかない。自分も本気だ。彼女は素晴らしい女性だ。彼女といればきっと幸せになれる。勇者殿には他に好きな人がいるのだろう。それなのにルナ殿を手元に置いておこうというのか?」
「好きとか嫌いとかの問題じゃない。僕はバラモスを倒す。そしてルナもバラモスを倒したいと思っている。僕とルナの考えは一致している。王子はそれを邪魔しようとしている」
「そしてルナ殿にはどう報いるつもりだ」
「報いる?」
「ルナ殿も女性、いつかは結婚して、子供を産む。だが勇者殿はその役ではないのだろう」
「それは、まあ」
「ならば自分がその役になりたい。自分の気持ちを否定することが勇者殿にはできるのか?」
 アレスは少し考えて、答えた。
「それは僕の関知するところじゃない。バラモスとの戦いが終われば、あとは王子がルナを口説けるかどうかの問題だと思うけど」
「なるほど。ならばますます、勇者殿を倒さなければならなくなった。ルナ殿から命をかけられているにも関わらず、バラモスを倒してしまえばそれまでと割り切っていられるようならば、勇者殿にルナ殿はふさわしくない。自分がいただく」
 そして、二人が戦闘体勢に入る。
(僕にルナがふさわしくない?)
 王子が何を言いたいのか、アレスには理解できない。何しろ、ルナはバラモスを倒すためにこのパーティに加わって、今となってはヴァイスやフレイと同じ、大切な仲間だ。バラモスを倒したところでその絆が切れるとは思っていないが、その目的を果たせば自分たちがパーティを組んでいる理由もなくなる。
(ルナが王子を好きになるかどうかの問題なのに、僕に言われてもなあ)
 バラモスとの戦いが終わって、それからヘンリーに嫁ぐとか、そういうことなら何の問題もないだろう。自分も祝福できる。だが、今は困る。
 その辺りが、この王子は分かっているのだろうか。
「行くぞ!」
 王子が全力で駆けてくる。速い。さすがにエジンベアの剣王子。熟練の兵士に勝る力なのはよく分かる。
 だが。
(僕の敵じゃない)
 ルナの言った通りだ。おそらくその力はソウと同じ程度。ヴァイスにも届かないだろう。
 だからその剣戟は見える。振り下ろされる剣に合わせて剣を繰り出す。
 その一撃の力強さに、ヘンリーの剣は逆に跳ね飛ばされた。
 剣が地面に落ちるより早く、アレスの剣はヘンリーの喉につきつけられていた。
「三合どころか、一合で充分でしたね」
「十秒も必要なかったな。五秒で充分だ」
 ルナの感想とヴァイスの感想が被る。勇者たち一行にとってはこの結果はごく当然のことで、驚愕に値しない。
「な……」
「申し訳ありませんが、王子。自分はルナのことを、バラモスを倒すために必要な、大切な仲間だと思っています。ルナを差し出すわけにはいきません。それでは」
 と、アレスが決着がついたと剣を置いて戻ろうとする。だが、
「待て!」
 ヘンリーがその相手を呼び止める。振り返ったアレスの手に、木刀が渡された。
「もう一回だ!」
「……は?」
「もう一回だ! 勝つまで自分は諦めないからな!」
 目が点になった。
「自分は本気だ。何があってもルナ殿を妻に迎えたい。だから何度でも挑戦する。それとも勇者殿はその挑戦に応えるつもりはないのか。ルナ殿のために戦おうとする自分に対して、ルナ殿を守るために戦おうとはしないのか!」
「何度やっても、結果は変わらないでしょうけど」
 アレスはその剣を取った。
「いいでしょう。痛い目をみないと分からないというのなら、そのようにしてあげましょう」
 アレスが妙なオーラを放つ。
「あれ、何かスイッチ入ったな、あいつ」
 ヴァイスが闘技場で本気モードに入ったアレスを見て言う。
「スイッチ?」
「ああ。あいつ、たまーに本気で怒ると手がつけられなくなる。血を見ないといいけどな」
「いや、それは困ります」
「全くだ。いいところであの王子が諦めてくれるといいんだが」
 二回目以降のアレスはまったくもって容赦がなかった。
 剣を弾き飛ばすのは当然として、足、腕、胴、さらには頭と、容赦なく木刀を打ち込んでいく。しかもアレスはほとんど最初の場所から動いていない。
「本当に大人と子供の戦いだな」
 そんな情景を見せられているルナは複雑な気持ちだった。
 どうしたところで自分の気持ちは変わらない。ヘンリーは届くはずのない気持ちを支えにして、絶対かなわない相手に立ち向かっている。
 どうしてそこまでするのだろう。
 一目ぼれだと、ヘンリーは言った。そんな気持ちを自分は知らない。自分は昔から、空想に描いていた勇者だけを愛してきた。
 そして、目の前に現れた勇者は自分の理想以上の勇者で。ただ、自分の気持ちが届かないことがあまりに悲しくて。
 届かない想いがどれほど辛いかは、自分が一番よく分かっている。
 だからこそ、もう、やめてほしい。
「まだ続けますか」
 冷たいアレスの声。倒れたヘンリーはなおも立ち上がる。
「続けるとも。愛しい人が見ているのだから」
「何度やっても僕にはかないません」
「確かに強い。だが」
 ヘンリーは最後の力を振り絞る。
「愛のない勇者殿に負けるわけにはいかないのだ!」
 全力で剣を振る。それがしっかりとアレスに剣で受け止められる。
 だが、アレスはその勢いを受けとめた剣をその場に落とした。
 一瞬、ヘンリーは何が起こったのかわからなくなる。
 が、次の瞬間。
「僕らの絆を甘くみるな!」
 アレスは振り上げた拳でヘンリーの顎を殴り上げた。
 あまりの光景に、さすがのヴァイスやルナも目を丸くする。フレイが「あ、飛んだ」と冷めた声。
 ノックダウンされた王子は仰向けに倒れてぴくりとも動かなかった。下からの強烈な衝撃で脳震盪を起こしたのだろう。しばらくは立てまい。
 戦いが終わり、アレスの元に仲間たちが集まってくる。
「手を見せてください」
「別に痛くはないよ。それよりも王子の方が怪我をしている」
「アレス様は私のために戦ってくださいました。それなのに私から感謝も祝福もさせてもらえないのですか?」
 アレスの発言を封じて、ルナは回復魔法を唱える。ベホマは一瞬でアレスの疲労と右手の痛みを取り払っていった。
「すみません。私のせいでご迷惑をおかけしました」
「ルナが気にするようなことじゃないと思うけどね。ただ、王子は本当にルナのことが好きみたいだね」
「はい。それも不思議なことですけど」
「バラモスを倒すまでルナを誰にも渡すつもりはないけど、でもそれが終わってからなら、ルナも自分のことを考えてみてもいいんじゃないかな。悪い人ではないし」
「そうですね。考えてみてもいいのかもしれません」
 ルナは感情を押し殺して応える。ヴァイスとディアナがすごい顔で睨んでいるのが分かるが、気にしない。
「それでは、王子を回復します」
 もう一度ベホマを唱えると、ヘンリーの意識が戻る。
「う」
 ヘンリーは目を覚ますとすぐに立ち上がる。
「自分は?」
「意識を失っていたんです。もう回復は終わりました」
「そうか。負けたのか」
 ヘンリーはアレスを見ると、びしっと指を差す。
「自分は諦めない。もっと強くなってから再戦を申し込む」
「ルナは渡しません。僕の大切な仲間たち。誰一人欠けるわけにはいきません。勘違いしてもらっては困りますが、恋愛が最も強い感情だと思っているのならそれは間違いです。僕は自分の仲間たちと一緒にバラモスを倒すという意思、これが何より強いと思っていますから」
「勇者殿の感覚は普通の人間のものではない」
 ふっ、とヘンリーは笑う。
「まあ、今日はいさぎよく身を引かせてもらおう。ただ、先ほど約束したとおり、オーブの探索は急ぎで必ず行わせる。それから、バラモスを倒すための援助はいくらでもさせてもらおう。軍を出せというのなら出すし、費用が必要というのならいくらでも援助する」
「感謝します」
「なに、ルナ殿の前で約束を反故にするなどというみっともないことはできないからな」
 なかなかの人物だというのは誰もが分かっているところだ。敗北を素直に認め、その相手のために行動ができる人物。そんな人間こそ希少だ。
「王子殿下」
 と、そこへヘンリーのお供をしているトーマスが闘技場に入ってくる。
「おお、トーマスか。ここには誰も入るなと言ってあったはずだが」
「はい。ですが勇者様たちもいらっしゃるなら都合が良かったので。まず、オーブの件ですが、王宮の宝物すべてをチェックさせましたが、該当するものは存在しませんでした」
 行動が早い。それに──
(この人、強いな)
 アレスとヴァイスの二人は瞬時にトーマスの力を判断する。ただのお供ではない。彼はおそらく王子の護衛もかねているに違いない。少なくともヘンリー王子よりはるかに強いのは間違いない。
「とするとオーブは」
「地下の積み上げた財宝の中に混じっているか、そうでなければ七公爵家の誰かが持っているかもしれません」
「なんかジパングのときと似た展開だな、おい」
 やれやれという様子でヴァイスが呟く。
「少なくともエジンベアにあることが分かっているだけでも楽になっているんですけどね」
「いずれにしても、このエディンバラの中にあるのでしたら、絶対に見つけてみせます」
 トーマスがそこで話を切り上げると、次の話題に入った。
「それから王子、お客様です」
「誰だ?」
「ウィリアムズ公女ケイト殿です」
「パス」
「王子」
 トーマスが苦笑する。
「公爵家令嬢とは結婚しないって決めたはずだぜ」
「それをこの場でおっしゃるのはどうかと思います」
 ディアナを見てからトーマスが答える。あ、とヘンリーも気づいたように声を出す。
「お気になさらないでください。そういうつもりだというのは存じ上げております」
 ディアナは気にした風でもなく答える。
「とにかくケイト嬢とシェリー嬢には会わない。絶対だ」
「あまりわがままをおっしゃらないでください」
 と、トーマスが毅然と頼むと、しばらく考えてから「わかった」と答える。
「ありがとうございます」
「会うだけだぞ」
「存じております」
「では、ルナ殿。それに勇者殿。この場は失礼させていただく」
 ヘンリーはそういい残すとトーマスと共に闘技場を出ていった。






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