Lv.73

最優先にするべき事象と感情








 おそらくはこれを戦果といってもよかったのだろう。王子の協力を取り付けることができて、既にオーブ探索が始まっている。うまくすれば何もしなくても自動的にオーブが手に入るかもしれない。となると次に考えるのは最後の一個がどこにあるのか、という問題だった。
 またルーラであちこち飛んでみるのもいいかもしれないが、可能性のあるところを探していくことも必要だろう。
 ダーマでイエローオーブを隠し持っていたクラウスの情報では、イシスのピラミッド、ランシールの地球のへそ、海賊ブランカ、幽霊船、ネクロゴンドの神殿。それに町ではテドン。これらの中からどこを探すかが問題となる。もっとも、海賊ブランカがどこにアジトを持っているのかなど分からないし、幽霊船がどこに出現するかも分からない。となるとこのあたりは自動的に後回しとなる。
(イシスかランシールが先ですね。テドンまで行くとなると、ポルトガから船を出さなければいけませんし)
 テドンは八年前にバラモスによって滅ぼされた町だ。そこにオーブがあるかどうかなど分からない。ただ、行ってみて山彦の笛で確かめることはできる。
(ルーラを使える人にテドンまで行ってもらって、戻ってきてもらって今度は一緒にルーラで行く。それが一番ロスが少ないですね)
 かつて世界中を巡った際にもテドンだけは行かなかった。ラーガ師にも行ったことがない場所に行くことはできない。
 したがって、他にテドンに行ける人間を探すのがいいだろう。ダーマでルーラを使える魔法使いは少なくない。協力を願えばテドンまで一緒に行ってくれる者は一人や二人ではないだろう。
「ルナ? ちょっとよろしいかしら」
 フィット家の屋敷。夕食後、一人で考えにふけっていたルナのところにディアナがやってくる。もちろん彼女が来ることを否定することはない。喜んで受け入れる。
「どうなさいましたか?」
「なんでもありませんわ。ただ、あなたと少し話したかっただけですの」
 こうして彼女から話しに来ることは少なくない。彼女は自分のことだけは特別扱いをしていた。対等の友人。それがディアナからみたルナの立ち位置だ。
「驚きましたわ。王子殿下があなたをご指名になるなんて」
「私が一番驚いています」
 ルナが苦笑して答える。
「それで、どうするつもりですの?」
「どうするとは?」
「王子の求婚を断るのかどうか、ということですわ」
「もちろんお断りしました」
 ためらう様子もない。
「でも、私が言うのもなんですけれど、王子殿下ならきっと優しくしてくださいますし、あなたの知恵や力も活かせることになりますわよ」
「ディアナさんは、私がヘンリー殿下の妻になることを望んでいるのですか?」
「そうね。少なくともあの鈍感勇者よりはマシだと思ってるわ」
 確かにそうかもしれない。ルナはくすくすと笑う。
「私が未来のエジンベア王妃ですか。似合わないことこの上ないですね」
「似合ってますわ」
 ディアナはきっぱりと言う。
「あなたほどの才能の持ち主ならエジンベアの王妃くらい簡単にこなすでしょう。国王を支え、エジンベアをさらに発展させていくこと間違いありませんわ」
「本気ですか」
「半々というところですわ。私が今回の件であまり怒っていないのは、あなたが王子の妻になってくれるとありがたいって思っているからですわ」
「そうですか。その選択をするということを考えてもみませんでした。私は誰かの妻になるということを願ったことはありませんから」
「ですわね。あなたは勇者と恋愛することしか頭になかったわけですし」
「木っ端微塵に振られてますけどね。現在進行形で」
「振られ続けるのは辛くありませんの?」
「辛いと感じれば辛いのでしょう。普段はそんなことを考えなければいいのですから、別に思われるほど辛くはないですよ」
「あなたはもう少し、自分の幸せを考えた方がいいですわ」
「善処します」
「それは、しない、って言ってるのと同じですわ」
 もう、とディアナがいらいらして言う。
「確かにフレイさんが悪い人だなんて思わないし、勇者に相応しい人なんだっていうのも分かりますけど、あなたが一生そうやって報われない人生を送るのは私は嫌ですわ」
「勇者様に選ばれなかった時点で、私はもう報われることはありません。誰から愛されたとしても、それは私にとっては何の喜びにもなりません。逆に相手を愛することができずに苦しめるだけです。そんな理由で嫁ぐことはできません」
「だったら勇者に頼めばいいことですわ。愛人でかまわないから一緒にいさせてほしいって。きっとフレイさんは反対しないんじゃないですの?」
 それは、完全に予想の範疇を超えた。その突拍子もない意見に思わず笑ってしまう。
「そうですね。もしフレイさんにお許しをいただけたら、アレス様に相談してみます」
「そんなことで喜ばれても困りますけど」
 だがルナはその考えが随分嬉しかったらしく、笑顔が絶えない。
「ところで話はそれがメインではないのですね?」
「ええ。あなたの態度がはっきりしているのなら、少し知恵をお借りしたいですわ」
「ヘンリー王子の妻をどうするかということですね」
 ディアナは頷く。
「残念なことに、殿下は一度決めたらその考えを変えるような方ではありませんわ。ポルトガの王女も断り、七公爵家からも嫁を取らないとなると、殿下に嫁げる人がいなくなってしまいますもの」
「確かにダーマの賢者という私の立場は、外部の血を入れつつ、外戚という問題もなく、外交的にも当たり障りなく、しかも殿下のサポートまでできる、本当に理想的なのでしょうけど、私がまず興味ありませんから」
「だとしたらどなたが王子に嫁げばいいのかということですけれど」
「候補がなければ、そのままにしておかれるのがいいと思います。人は変わるもの。王子もいつか別の女性に心惹かれることも出てくるでしょう。それともエジンベアには急がれる理由がおありですか?」
「ええ。とんでもない理由が。この国の王家がどういう状況か、あなたが知らないはずございませんわよね」
「エドワード王は高齢。正妻にお子様が生まれなかったので、二人の側妻に男女一人ずつを産ませた。その長男であるヘンリー王子が次の国王となる。それは何も問題ないことかと思いますが」
「おおありですわ。何しろ陛下は現在ご病気で、お父様の話だともう永くないとのこと」
 ルナの顔が強張る。
「そんな話は聞いたことがありません」
「あまり表に出さないようにしていますのよ。私も帰ってくるまで存知ませんでしたわ。私が急いで呼び戻された理由、お分かりになりまして?」
「次の国王戴冠が近いから、その前に──ということですか」
「ええ。まあ、国王陛下のこともそんな、一日二日、というようなことではありませんわ。でも、もう数ヶ月のうちには」
 そんなに急なのか。
 ルナは頭の中で国際状況を整理する。エドワードの力でこのエジンベアが強くなったのは分かりきっている。ヘンリー王子の代になったとしたら、間違いなく国力は落ちる。
(ポルトガ王女を断ったのはそれが理由ですね)
 ポルトガは王女を媒介に内側からエジンベアを乗っ取る気なのだ。常套手段だ。
「それに伴って、次男のジョン王子が問題ですのよ」
「ジョン王子殿下。あまり良い噂は聞きませんね」
 第二王子ジョン。あまり政治に関与することなく、国の金で遊び放題の放蕩息子だというもっぱらの噂だ。
「二人の王子の妹たちが、それはまあ兄によく似た性格ですのよ」
「と申しますと」
「ヘンリー王子の妹がヘレン王女。まあポルトガの王女に負けないくらいの美人で気立ても良くて、兄妹で申し分ないお二人ですわ」
「それでは」
「ええ。ジョン王子の妹がグレース。こっちがもう兄を上回る奔放ぶり。宮廷でも手を焼いているそうですわ。宮廷に上がる女官たちは、みんながヘレン殿下を希望して、グレースを希望する人はゼロだとか」
 なるほど。賢兄賢妹に愚兄愚妹ということか。
「まあグレースはそのヘレンを上回るほどの美貌、それこそポルトガの王女よりずっと綺麗なところが嫌みなんですけど」
「宮廷っていうのは怖いところですね」
「全くですわ。私がヘンリー王子に嫁ぐのが嫌なのは、別にヘンリー王子が嫌いというわけではありませんの。あんなところに私が足を踏み入れて、一人でどうしたらいいのか不安が強いからですわ」
「それをしっかりと自覚しているディアナさんでしたら、この国は大丈夫だと思いますけど。ただ、ヘンリー王子からしっかりとサポートをしていただかなければ本当に一人ぼっちですね」
「ええ。そしてヘンリー殿下には私を妻にするつもりがないのでしたら、この話は本当になかったことになりますわ。でも……」
「かといって、ノルマン公女、ウィリアムズ公女が妻となったとしたら……」
「ええ。グレースと同じ。この国を任せるわけにはいきませんわ」
 つまり八方手詰まりということだ。
「困ったものですね。どうしたらいいのか……」
 と、そのとき。下男が二人の部屋に伝令にやってきた。
 夜分だというのに、急な来客だというのだ。
「私ですの?」
「はい。お嬢様もですが、賢者ルナ様もご一緒にお願いしたいとのことですが、いかがいたしましょうか」
「誰ですの、その無礼な人物は」
「そ、それが」
 下男は冷や汗をかいている。
「ヘレン王女殿下、なのです」
「王女殿下!?」
 こんな夜更けに、王女がわざわざ足を運んだというのか。
「すぐに来客の上座へご案内差し上げて!」
「も、もう既に!」
「ではただちに参ります! すみませんけど、ルナさん。一緒に来ていただけます?」
「もちろんです」
 たった今、話題に上がったばかりのヘレン王女がやってくるとは、これはいったいどういう因果か。
 二人は急いで来客室へ向かうと、下男が扉をうやうやしく開ける。
「王女殿下! 申し訳ありません、わざわざのご足労。それに遅れたことお詫び申し上げます」
「いいえ、お気になさらないでくださいませ。約束もなく来たのは私の方なのですから」
 ヘレン王女殿下はルナよりもずっと小さい子供だった。そういえば年齢は聞いていなかったが、どう見ても十二、三歳といったところか。
 色素の薄い金色の髪。奇をてらうことのない、ストレートのロング。淡いピンクのドレスはそれほど華美ではない。外出用ということだろうか。色が白く、一瞬はかなげに見えるのだが、その目が違う。強い意志と使命感にあふれた、戦士の目だ。
 そして、王女の後ろに立っていた人物を見て、ルナは目を丸くする。
「ディーン師」
『風の賢者』ディーンがそこにいた。壮年というにはまだ早い。年齢の割に若く丹精な顔つき。頬が少しこけているが、それも弱弱しさというよりは精悍さを感じさせる。賢者なのに魔法使いと同じような深いグリーンのローブを全身に羽織っている。
「ここまでは、ディーン師に連れてきていただいたのです」
 ヘレンが言うと、ディーンは少し頭を下げるようにした。
「どうぞ、お座りなさって。ここはディアナの屋敷なのですから、もっと堂々となさっていいのですよ」
 二人よりずっと歳若いのに、どうしてここまでの威厳を出せるのか。
(なるほど、ヘンリー王子の妹君ということですね)
 ヘンリーの前でも緊張しなかったディアナが、ヘレンの前だと気後れしているらしい。一方のルナはあまり構わずに勧められた椅子に座った。
「最初に、お二人に謝らなければいけないことがあります。兄の勝手な振る舞い、どうぞお許しください」
 ヘレンは自分から頭を下げた。その態度にますますディアナが恐縮する。
「恐れ多い! ヘンリー王子のされることに否があろうはずがありません!」
「いいえ。兄は自分のせいでお二人に迷惑をかけているということの自覚がありません。私が言っても聞いてくださいませんが、せめて妹の私から謝罪申し上げねばなりません」
「ヘレン殿下」
「ですが、兄の気持ちも分かるのです」
 ヘレンは小さな両手を胸の前で組む。
「兄は本当に、あなたのことを好きになってしまったようなのです、ルナさん」
「光栄です」
「ですが、あなたには兄の求婚を受ける意思がないと」
「申し訳ありません」
「いえ、無理を言っているのはこちらの方です。が、私からもお願いしたいのです」
 ヘレンは指をそろえて、再びルナに頭を下げる。
「どうか、兄の求婚を受けていただきたく。この通りでございます」
「お顔を上げてください、姫様」
 ルナは何をされても自分の意思を変えるつもりはない。
「私は自分の生き方を既に決めています。賢者として勇者に仕え、この世界を支配しようとしているバラモスと戦う。それが私の、幼い頃から決めていた生き方なのです」
「ルナさんがバラモスと戦う必要がどこにあるというのですか?」
「ありませんね。これは誰から言われたわけでもない、私自身がそのために生きようと思っているだけのことですから」
 相手が王女だろうが誰だろうが、怯まず、自分の意思を貫く。その程度で揺らぐようでは賢者ではない。
「ヘレン王女こそ、どうして会ったこともない私にそこまでおっしゃっていただけるのですか?」
「兄が本気だからです。今度こそ、兄には幸せになってもらいたいのです」
「今度こそ?」
「はい。兄は今まで、二度、大きな失恋をしています。それでくじけるような兄ではありませんが、一度くらい兄には幸せになっていただきたいのです」
「そうでしたか。お兄様想いなのですね」
「たった一人の兄妹の幸せを願うことは普通ではありませんか?」
「ええ、そう思います」
 現実は、そこまで本気で兄妹のために動ける人物は多くない。しかもこのヘレンという王女は、兄のために動く自分に酔いしれるようなタイプではない。話していればわかる。きわめて現実的で理知的。
「兄が本気になったというあなたに、どうしても求婚を受けていただきたかったのです」
「申し訳ありませんが」
「どうしても、受けてはいただけませんか」
「私は誰かの嫁となるような生き方を考えたことはありませんし、これからも望んでいませんから」
「そうですか。ですが、交換条件をつけたとしたらどうなさいますか?」
「交換条件?」
 ルナは首をかしげる。ヘレンは重大なことを持ちかけるように、声をひそめ、神妙な顔で言う。
「ええ。あなたの探しているというオーブ。それはこの国にあります。というよりも、私が所持しています。あなたが求婚を受けてくださるのでしたらお譲りしましょう」
「なるほど。分かりました。それが事実なら求婚を受け入れましょう」
 だが言われた方のルナはあっさりとしたものだった。肩透かしを受けたようにヘレンは目を丸くする。
「そ、それだけのことで?」
 ヘレンは逆に驚いて尋ねる。少しは悩ませてやろうという気持ちがあったのかもしれない。
「はい。ヘレン王女、あなたはとても賢い方です。私の一番の目的を理解して、それと交換条件を持ちかけるあたり、さすがにヘンリー王子の妹君ですね」
 にっこりと微笑む。だが、あまりにあっさりと答えられたヘレンの方が今度は動揺する。
「ルナさん、お分かりになっているのですか。あなたは次期エジンベア王の妻となる、つまり王妃となると言っているんですよ」
「私には苦ではありません。それよりバラモスを倒すためのオーブが手に入ることの方が大切です。もちろん婚約をする、結婚をするといっても、私がバラモスを倒しに行くことを止められるとは思わないでください。私は私のするべきことを為すだけですから」
「バラモスを倒すために、自分の一生を決めるというのですか」
「エジンベア王妃になることが私の生き方の妨げとなるのなら受けることはできません。ですがバラモスを倒すために必要で、それが妨げにならないのなら問題ありませんから」
「あなたには他に好きな人がいると聞きました」
「そうですね。憧れのようなものは持っていますが、別にそれに殉ずる必要はありません。私は──」
「すみません、殿下。ちょっとお待ちいただけますか」
 だが、それまで二人の会話を黙って聞いていたディアナが会話をさえぎる。王女が話しているのに口を挟むのは無礼のきわみ。だが、ここで放っておくわけにはいかない。
「どういうつもりですの、ルナ」
「どうもこうもありません。探していたものが見つかったのです。オーブの探索ほど今は大切なことはありません」
「あなた個人がそのために生贄にされたとしても、ですの?」
「ディアナも私が求婚を受けることが望ましいと思ってくださっていたではありませんか」
「思っていましたわ。でも、それとこれとは別問題。あなた、自分の気持ちが届かないからといって、好きでもない人のところに嫁ぐつもりですの? そんな結婚がうまくいくと本気で思ってますの?」
「ディアナも、同じことをしようとしていました」
「一緒になさらないでください。私は幼い頃から、この家のために生き、死んでいくように教育されてきました。結婚は家同士で行うものという感覚も分かります。ですが、あなたは違うでしょう。あなたは幼い頃から勇者だけを見て、勇者に嫁ぐことだけを夢みていたはず。その夢を放り投げるつもりですの?」
「その夢がかなわないのでしたら、私の感情に価値はありません。ですが私を必要としてくださる方がいらっしゃるのでしたら、私はその方に嫁ぐこともやぶさかではありません」
「いい加減になさい。やぶれかぶれになってる場合じゃないわ。今の言葉、撤回なさい。私の友人のルナは、そんな程度で自分の夢を諦めるような子じゃありませんわ」
「私の夢は、勇者様と一緒にバラモスを倒すことです」
 瞬間、ルナの頬が痛烈にぶたれた。
「……お許しを、王妃殿下。後日、このことで私をお咎めになるのならどうぞご自由に。もうあなたには何の興味もなくなりました」
「……ディアナ?」
「この屋敷にいる限りは王妃殿下の身の回りのことは不自由ないようにいたします。ですが、もう私に話しかけないで。ルナの姿をしたおぞましい怪物と話すのは、寒気がいたします」
 ディアナは立ち上がると恭しくヘレンに頭を下げた。
「ご無礼をいたしました。後はどうぞ、ご随意に」
 そしてディアナは退出していった。






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