Lv.74

人間の価値を判断するために








 さすがに今の喧嘩に幼いヘレンも動揺したのか、表情が険しくなっている。
「あの、その……」
「いえ、お気になさらないでください。ディアナが怒るのは当然のことですから」
「追いかけなくてよろしいのですか?」
「今は、難しいでしょう。時間をかけて説得するしかありません」
 ルナにとっても、ディアナは数少ない友人だ。自分と対等のレベルで議論できる相手は少ないし、魔法についても自分と互角の力を持つ人物。そんな彼女が自分を友人と認めてくれているのだから、光栄でないわけがない。
 その彼女の信頼を踏みにじるようなことをしているのは分かっている。
『だったら勇者に頼めばいいことですわ。愛人でかまわないから一緒にいさせてほしいって』
 そうだ。きっと今の状況ではそれが自分にとって一番幸せな方法だろう。勇者にとっての一番にはなれなくても、勇者に愛されていればそれで充分幸せ。その幸せの方法をディアナは教えてくれた。そしてそれが自分にとって最もいい方法だと分かった。
 それを捨てるのだから、ディアナが怒るのも無理はない。だが、今はオーブを手に入れることが優先なのだ。
「ルナさんのお相手というのは、それほどの人物なのですか?」
「私の気持ちなど、この際たいした問題ではありません。私は幼い頃から勇者に憧れ、その憧れていた人物が目の前にいて、少し舞い上がっていただけですから」
「ですが」
「この話を持ちかけてきたのはあなたですよ、ヘレン殿下」
 ルナは笑顔で応える。
「私は賢者です。ヘンリー王子と結婚すれば、いろいろとお役に立てることもあるでしょう。ですが、オーブの他にも私が王子に嫁ぐにはいくつか約束していただかなければなりません。まず、たとえ婚約、結婚という運びになったとしても、私はバラモスを倒すことを最優先の使命としております。ですから勇者様と一緒にバラモスを倒しに行かなければなりません」
「でも、あなたはお兄様の妻として、この国にいるべきではないのですか」
「残念ですが、私の考えとは違います。この世界において何よりもまず優先されるべきことは、世界の脅威である魔王を取り除くことです。私にはその力がありますし、私の力なくして勇者様が魔王バラモスを倒すことはできません」
 ルナは胸のお守りに手を当てて答える。無論、それは誇大な言い方ではない。ルナは魔法の使い手として自分より上の存在を知らない。もしいるとすればそれは、心の師匠ともいうべき人物、リュカだけだ。
「バラモスを倒せばエジンベアにも還元されることは多いでしょう。それに、バラモスを倒した賢者がエジンベア王の妻、というのは一つの宣伝文句にはなりませんか?」
 ヘレンは口を閉ざした。立場だけでルナを言いくるめられると思ったら大間違いだ。
 それこそルナは、オーブが本当にエジンベアにあるのだとしたら、盗んでいくことだとてためらわない。ただ、エジンベア王家としこりを残すのはよくない。自分ひとりのことで問題が解決するのならそれでかまわない。
「それから、もしも王女殿下が私を王子殿下の妻にするために虚偽をおっしゃっていたり、そもそもオーブが偽物だったりした場合、私はいかなることがあっても破談させていただきます」
「オーブは本物です」
「ですが私は確認していません。確認できないものに私は自分の将来をかけることはできません」
「ですが、あなたにオーブを見せれば、それを奪って逃げられることも可能でしょう」
「できます。ですが、そんなことをしてダーマの賢者の評判を下げるつもりはありません。私はいかなるときでも賢者であり、賢者は絶対に約束を違えることはありません。オーブが本物であり、王女殿下が私たちにオーブをくださるというのでしたら、誓って私は一生ヘンリー王子にお仕えしましょう」
「ディーン様、お聞きになりましたね」
「は」
 うっそうとした賢者が小さく一礼する。つまり、賢者を証人とするということだ。
「それでは、明日の朝一番にヘンリー王子に返礼をしに参ります。オーブはいつ引き渡してくださいますか」
「婚約が成立したときに」
「成立までどれくらいの時間が必要ですか」
「別に長い時間はかかりません。両者の意思さえ合致していれば、三日といりません」
「分かりました。ありがとうございます」
 ルナは微笑んで頭を下げる。
「どうして礼を? 非難するくらいがちょうどいいと思いますけれど」
「オーブをくださる相手にどうして非難ができましょう。私の望みは勇者と共にバラモスを倒すことだけ。そんな価値のない私ひとりのためにオーブをくださるのですから、大変にありがたいことです」
「あなたに価値がないなんてことはありません。お兄様の愛する人としても、そして賢者としても」
「いいえ。価値はありません。私が私の価値を認めない以上、他の誰が価値を認めていたとしても関係ありませんから」






 ディアナは怒っていた。それはもう使用人が見た瞬間「ひっ」と声をあげて三歩退くくらいに怒っていた。
(あの馬鹿!)
 普段決して使わない言葉も頭の中でならいくらでも出せる。それはもう、彼女に『考えられるありとあらゆる罵詈雑言』が頭の中をかけめぐっている。
(馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!)
 頭の中にまで育ちのよさが出るのは仕方のないことだ。
 その彼女の標的はルナというよりはむしろ、その敬慕の対象となっているアレスの方へ向かっている。彼が悪いわけではないのは分かっているが、ルナの気持ちにすら気づかないのはいったいどういう了見なのか。その鈍感さは責められてしかるべきだろう。
「ヴァイス!」
 扉を開けて怒鳴り込む。ヴァイスはもう寝ていたのか、ベッドの中から身を起こして突然の来訪者を見た。
「お前、夜中に男の部屋に上がりこむなんていい度胸し──」
「そんなふざけたこと言ってる場合じゃありませんわ!」
 寝ぼけた状態のヴァイスにディアナが爆弾を落とす。
「ルナが、オーブと引き換えにヘンリー王子との結婚を承諾するつもりなんですのよ!」
「ああ!?」
 寝起きに爆弾を落とされたヴァイスは一瞬で目が覚める。
「なんだその馬鹿げた条件は。つか、だいたいルナがそれを承知するっていうのかよ」
「今、ヘンリー王子の妹のヘレン王女が来て、ルナが承諾したところですのよ!」
「お前、止めなかったのかよ!」
「止めましたわよ! でも決めたことを覆すような子じゃないのも分かるでしょう! ここまでずっと旅をしてきたのなら!」
 ヴァイスは舌打ちすると頭の中を整理する。
「あいつ、アレスとは見込みがないから自棄になってるんじゃねえだろうな」
「私もそう思いますわ。さっき、アレスさんの妻になれないのなら愛人にしてもらいなさいって言ったばかりですのに」
「愛人って、お前」
 ヴァイスは苦笑する。なるほど、確かにそれならば誰からも反対は出ない。あの真面目なアレスが納得するかどうかが問題だが。
「英雄色を好むっていうじゃありませんか」
「それとこれとは話が別だろ。ったく、一夫多妻がまかり通る国はこれだからなあ」
「アリアハンでは違いますの?」
「アリアハンの王様に側室はいねえよ。正妻に息子と娘が二人ずつ」
「でも、王家の血筋を絶やさないためには必要なことですわ」
「絶える血ならそれでもいいだろ。別に王様がいなくても国は動く。ま、そんなことを話してる場合じゃねえな。さて、どうするか……」
 ヴァイスは知恵を振り絞ろうとするが、そもそも考えるのは自分の分野ではない。今まではアレスが指針をしめしてきたし、最近はルナがもっぱらその役割だったのだ。
「じゃ、ルナの弱点から攻めるしかねえか」
「弱点?」
「決まってるだろ、アレスだよ。あいつに止めるように言わせる。俺やお前が言ったところでどうにもならんだろ」
 勇者の言葉は賢者にとって絶対だ。
「そうね。確かに、それが一番かも」
「ああ。じゃ、急ぐか。事は早い方がいいだろ。じゃ、ちょっと外出てくれ。着替えるからよ。それとも、見ていくか?」
「な、何をおっしゃってますの! 早く着替えて来なさい!」
 ディアナは顔を赤らめると、慌てて部屋の外へ出ていく。見送ったヴァイスが楽しそうに笑った。






 一方で、ルナはディーンと直接話をしていた。姫に聞かれたくないというわけではないのだが、ダーマの関係者がエジンベアにいるということで、二人きりで話す方がいいだろうと判断し、別室へと移っていた。
「お久しぶりです、ディーン師」
「いや、お主に師と呼ばれるのはむずがゆい。お主の方がはるかに力が上なのだから」
 ディーンも若くして賢者となった人物だ。東の塔では一番下の位になるものの、実力だけなら『氷の賢者』タイロン師に勝るほどだと聞く。もっとも、話をした回数自体が少ないので、どれだけの実力かを確認したことはない。
「ディーン師は何故エジンベアに」
「いろいろあるが、一番はダーマとエジンベアの連絡を取るため、だな。バラモスを倒すためには国の力が必要だ。アリアハンはもともと協力体制にあるが、エウロペ三国とはつながりが薄い。最強国家のエジンベアが力を貸してくれればバラモスとの戦いは楽になる」
「ダーマがそのように動いているのですか?」
「いや、ダーマは相変わらずダーマだ。これは私の独断だ。お主はどう考える? バラモス退治を勇者という個人に託すことに、お前は賛成の立場か?」
「無論、バラモスを倒すのは勇者の使命です。が……師のおっしゃることもご尤もです。世界中がバラモスを倒すために協力することができたら、勇者の負担は減ります」
 そう、勇者という最強の駒をバラモスにぶつけるのなら、それまでに勇者を疲弊させてはならない。奇しくもそれをルナはジパングで証明していた。
「世界がバラモスと戦い、手薄になったバラモスを勇者が直接対決で倒す。それが理想だと思います」
「その通りだ。だからこそこうして私はエジンベアの篭絡に力を注いでいる」
「では、私にヘンリー王子の妻となるように仕向けたのも」
「私の考えだ。ヘレン王女は私の誘導に乗っていることに気づいてはおられないだろう」
「つまり、私がヘンリー王子と一緒になることによって、エジンベアを動かそうということですね」
「話が早いな。まあ、お主がこれを引き受けなければどうにもならないことだったし、別にそうでなければ別の方法を考えるまでのこと。お主が人柱になる必要はないのだぞ」
「いえ、勇者にとってもオーブは必要なもの。引き受けさせていただきます」
「まあ、私としてもその方がありがたいが。世界の賢者が全員集まったところでバラモスにはかなわん。勇者の力が必要だし、モンスターと戦うには軍の力が必要だ」
「分かりました。師がこちらにおられるならエジンベアは安泰ですね」
「そうでもない。エジンベアは巨大な国家だけのことはあって、派閥抗争が激しい。貴族たちも蠢動すれば、ヘンリー王子を暗殺しようと企てるものもいる」
「暗殺?」
「分かるだろう。ヘンリー王子が死んだとしたら、一番得をするのは誰だ?」
 決まっている。もう一人の王子がこの国を継ぐ。
「ジョン王子、ですね」
「そうだ。今のところは従者のトーマスもいるから大きな問題にはなっていないが、早いうちにジョンを除かなければならない」
 ルナは顔をしかめる。
「嫌な話ですね。人間が全員協力をしてバラモスと戦うというときに」
「全くだ。だが、人は目先のことに左右されるもの。お主も分かっているだろう」
「はい。バラモスを倒すためなら労苦は惜しみません」
「よい覚悟だ」
 ディーンは頷くと、さらにルナへ情報を伝える。
「テドンへ探索に行ってきた。今は廃墟がそこにある」
「テドン? ダーマが動いてくださったのですか?」
「いや、テドンにオーブがあると聞いて、私個人で行ってみたが、何もなかった」
「そうでしたか。ありがとうございます。ですが、山彦の笛を試したわけではないのですよね」
「うむ。それがあればもしかすると探索結果が変わるかもしれん。もしよければ山彦の笛を持ってもう一度行きたいところだが」
「それでしたら私がアレス様から笛をお借りして、私をテドンまで連れていってください」
「うむ。それを試してみようと思ってな。お主にその話をした」
「分かりました。今からでも?」
「それが良かろう。私も姫を城に帰してくるから、その後、午前二時にもう一度この屋敷に来る。それまでに借りておけ」
「心得ました」
「では、また後でな」
 そうして二人は別れる。
 今までディーン師とはほとんど話したことがなかったが、この賢者は自分と考え方が近い。そして、周囲に理解されにくいタイプの人間だ。合理性だけを求め、そのために他人からの信頼を失っていく。彼が一人で行動しているのはそうした理由からだろう。ラーガ師、タイロン師がこのような考え方をされるとは思えない。
 だからこそ自分に近い。賢者は常に勇者のために行動する。世界の平和を守るために一番合理的な決定をする。自分が犠牲になることでバラモスを倒せるのならば、それがベストなのだ。
(山彦の笛をお預かりしなければいけませんね)
 かなり夜も更けていたが、この時間ならフレイ以外はまだ起きているだろうと考え、ルナはアレスの部屋へ向かう。
「アレス様、ご相談があります」
 ノックをしてから入る。するとそこには、アレスだけではなく、ヴァイスにフレイもそろっていた。パーティ勢揃いだ。
「お二人もご一緒でしたか」
「悪いがルナ。俺たち三人はお前の考えには反対だ」
 いきなりヴァイスが切り出す。何の話だか全く分からない──いや、当然婚約のことなのだろうが、それがどうしてもう知られているのかが分からない。
「何のことでしょうか」
「とぼけるなよ。オーブと引き換えに、王子と婚約することを承諾したそうじゃねえか」
「どこからそれを?」
「その場にいたのはディアナだけだろ。決まってるじゃねえか」
 なるほど、どうやらディアナは先に勇者一行を味方につけたということだ。それなのにこの場にいないというのは、よほど自分は嫌われてしまったらしい。
「だとしたら、どうなさいますか」
「即刻断れ。今なら間に合うだろ。なかったことにしろ。これは命令だ」
「アレス様も同じお考えですか?」
「もちろん」
 アレスは一歩も引かない様子で言う。
「それがルナの望んだ結婚ならもちろん祝福する。でも、ルナはそれを望んでいるわけじゃない」
「望んでいない? どうしてそんなことがアレス様にお分かりになるのですか?」
「王子と直接会ったときには断ってるだろ。それが全てじゃねえのか」
「そうですね。王子と結婚して、何のメリットもないのであればお断りします。私にとって結婚はメリット、デメリットを総合的に計算した上でのものにすぎませんから」
「嘘をつくんじゃねえよ」
 ヴァイスが完全に怒っている。
「俺たちは仲間を犠牲にしてまでバラモス退治をしたいわけじゃねえ!」
「そこは、考え方の相違ですね。私はたとえ自分を犠牲にしてでも、バラモスを倒します。そう誓いましたから」
「だったらここまでだ。お前が王子と結婚するっていう限り、俺はお前とは一緒に行かない。仲間でいられるのは今日までだ」
「ヴァイス、落ち着け」
 アレスがその肩に手を置く。
「落ち着いてられるかってんだよ!」
「……うるさい、ヴァイス」
 フレイは、持っていた杖を容赦なくヴァイスに振り下ろした。鈍い音がした。撲殺去れていても仕方ないほどの勢い。ヴァイスは血を流して倒れた。
「一つだけ教えて、ルナ」
 フレイは表情を変えずに、尋ねる。
「あなたはそれでいいの?」
 フレイは分かっていて聞いているのだろうか。おそらく分かっているのだろう。
 だがフレイも譲る気などないだろうし、そもそもアレスが自分を見ることなどありえない。
 であれば、どこかで吹っ切れるしかないのだ。
「うん」
「そう。なら私から言うのはおしまい。あとはアレスの役目」
「おいおい」
 フレイはもう知らないという様子でそっぽを向く。
「フレイもヴァイスも、ルナのことが心配なんだよ」
「ありがとうございます。それは重々承知しています」
「それでも撤回してはくれないのかい?」
「できません。バラモスを倒すためにオーブが必要で、それを手に入れるために私が必要なら、私を差し出すだけですから」
「でも僕はヴァイスと同じ考えだ。自分を犠牲にするなんていう気持ちで一緒に来られるのは僕が嫌だ。これは僕のわがままだね」
「……つまり、同行を認めていただけないということですか?」
 アレスは困ったように首をかしげた。結局問題はそこか。
「分かりました」
 ルナは当然、自分の意見を引かせるつもりなどない。ということは妥協点が必要になる。
「では条件を出しましょう」
「条件?」
「はい。ヘレン様はオーブを渡すまで、つまり婚約成立まで三日で行うとおっしゃいました。それまでにヘレン様を説得し、婚約を解消した形でオーブをいただいてください。それなら私が結婚する必要はありませんから」






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