Lv.75

失われた未来と繋いだ希望








 正直なところを言うと、ルナは苛立っていた。それを表に出さないようにするのが大変だった。
 何しろ自分がアレスを諦めて別の人間と結婚することにしようと考えたのに、そのアレスが先頭きって反対するのだ。これは飼い殺しか。
 山彦の笛を受け取り、屋敷の外でため息をついたところで待ち人が現れた。
「浮かない顔をしているな、ルナ」
 それは無論『風の賢者』ディーン。
「すみません。表情に出ていましたか」
「いや、表情は変わらない。だが、不機嫌なオーラまでは隠しようがないな」
「すみません。気をつけます」
「気にするな。私が原因なのは分かっているつもりだ」
 ディーンは苦笑する。だからといって自分の意見を引かせる気はないあたり、確固たる意思を持っていることの証拠だ。
「山彦の笛は」
「はい。お借りしてきました」
「そうか。ならば急ごう」
 ディーンはルナの手を取ると、すぐにルーラの魔法を唱えた。
 瞬時に場所が移動する。エジンベアとテドンはさほど経度が変わらない。したがってテドンもまた深夜の時間帯だった。
「ここがテドンですか」
 ルナにとって初めて訪れる場所、テドン。かつて魔王バラモスの侵略にあい、一夜にして廃墟と化した町。魔王の瘴気によって、あちこちに毒の沼地が生じ、人の住めない土地となってしまった。
「これは……予想以上です」
 話に聞くテドンと変わりない。瘴気漂い、人が住めない土地。だが、それを伝聞で知るのと実体験するのとでは違う。
「この町に来ると、普通の人間はまず正気ではいられなくなる。この漂う魔王の気に当てられて、体調を悪くする」
「あちこちの毒の沼地が、その気を増大させています」
「そうだ。魔王はこの地を変化させた。人の住めない土地にすることで、自らを守ろうとした」
「自らを守る?」
「そうだ。何故なら、この地にはオーブが眠るという伝承があった。この土地ごとオーブを抹消しようとしたのだ。この地が浄化できぬよう、毒の種をたくさんばら撒いてな」
「毒の種、ですか」
「そうだ。それが今でもこの土地を蝕んでいる。魔王が死なない限り、この瘴気は消えることがあるまい」
 テドンの民は絶え、この土地は瘴気に満ちている。そのような場所で誰がテドンを復興しようとするだろうか。
「魔王を倒すしかないのですね」
「そういうことだ。だが、オーブの件は別だ」
 ディーンがトラマナを唱える。そしてルナが山彦の笛を吹くが、残念ながら山彦は返って来ない。
「ないみたいですね」
「伝承は伝承にすぎんということだ」
 テドンにオーブがないことを確認したところでディーンはすぐに戻ろうとした。が、ルナが首を振る。
「しばらく、この町を探索してもよろしいですか」
 ディーンは少し間を置いてから答えた。
「それはかまわないが。まさか、ルナ。勇者たちに顔を合わせたくないから帰るのを遅らせようとしているとかではなかろうな」
「それは──」
 言われて、その気持ちがないことを否定はできなかった。もちろん、それが理由というわけではないのだが。
「確かに顔を合わせづらいところはありますが、私は私の為すべきことをするだけですから」
「では、このテドンを見て回ることが必要だというのだな?」
「はい。魔王が行ったことをしっかりと目に焼き付ける。その情報がいずれ必要になるときが来るかもしれません」
「道理だ。情報は必要なときになければ困る。ゆっくりと見ておくがいい」
「はい」
「私は先に戻っているがかまわないか」
「無論です。私は自分で帰れますから」
 自分のわがままに付き合わせるつもりなどない。そう言うとディーンは頷く。
「では、ルナよ。お前に私から一つだけ、伝授しておこう」
 身が震えた。
 ディーンは『伝授』と言った。それは、賢者が自分ひとりで身につけたものを相手に伝えるという意味だ。世界に数えるほどしかいない賢者が、その人生で手に入れた知識や技術。それを伝授されるということは、一万冊の本を読破するより貴重だ。
「はい。心してうかがいます」
「なに、それほど気負うことはない。お前も知っての通り、私はそれほど力のある賢者というわけではない。はぐれ者で、自分の気の向くままに生きてきた。だが、だからこそ分かったこともある」
「はい」
「ルナよ。風はどちらから吹く?」
 その質問の意図がはかりかねた。いったい、何を意味しているのか。
「風上からです」
「そうだ。常に風は風上から風下へ吹く。それと同じだ。世の中には『流れ』というものがあって、それを食い止めることや、押し返すことはできない。それを忘れるな」
「はい」
「私の考えは常にこれを基本としている。その言葉の意味をゆっくりと考えるといい」
 そしてディーンは呪文を唱えた。
「ディーン師」
 その相手に向かってルナは頭を下げる。
「伝授、ありがとうございました」
 最後に少し微笑みを浮かべたディーンは、ルーラの魔法でその場から消え去った。
(風は、風上から吹く)
 それは物事を考えるときの思考ルーチンのようなものだ。
 もし自分が風下に立っているのだとしたら、もはや自分は風にあおられるだけ。そのような存在になっては賢者として価値がない。自分が風上に立ち、自分が流れを作る。そうでなければ賢者としての価値がない。
 今の自分はどこに立っているのか。風上か、風下か。自分は場をコントロールできているのか。そうした客観的にすべてを見通す力は備わっているのか。
(まだまだですね、私は)
 そして初めて、今回のディーンが行ったことを分析してみる。
 ディーンは最終的にバラモスを倒すという目標を掲げ、そのために何が必要かを判断し、世界の動きをコントロールしようとした。すなわち、エジンベアが魔王と戦うように働きかけた。そうやって流れを作ろうとした。
 自分の結婚についてもそうだ。オーブを持つ王女に近づき、王女を先に篭絡しておいてからルナに接近した。自分は風下にいた。風上にいたのはディーンだ。
 では自分はそれに抗うことはできたのか。できたかもしれないし、できないかもしれない。それは判断が難しい。だが、一度吹き始めた風は、過ぎ去るまで消えることはない。
「奥が深いですね。さすがは『風の賢者』というところでしょうか」
 一人ごちて首をかしげる。まあ、今はそれを考える場ではない。とにかく、このテドンという町を見てみることが先決だ。
 ルナはゆっくりと歩き始める。
 廃墟となった町。建物は全て倒壊し瓦礫となってしまっている。毒の沼地は数え切れないほど。いったいどうすればこれほどの瘴気を放つことができるのか、魔王に直接聞きたいくらいだ。
(いつまでもここにいると、具合が悪くなってきそうですね)
 それでもモンスターの気配はない。死霊族のモンスターならばこういう場所は好むところだろうに、何故かそれすら存在しない。
 もう一度山彦の笛を吹くが、やはり反応はない。
(オーブの伝承というのは、どういうものだったのでしょうか)
 アレスの手の中にあるオーブなのか、それとも全く別のオーブなのか。そもそもオーブの伝承自体が偽りのものなのか。
 確認を取ることはできないが、足跡を追った先にオーブがあるのだとしたら、その作業は決して無駄ではない。
(こういう場合は、長の家に伝承の本などがあると考えられがちですけど、現実にはそんなことは少ないですよね)
 そう、現実はいつも厳しい。そんなに簡単に見つかるようならそもそも魔王によってさっさと灰にされているだろう。いや、この状況がまさにその結果なのか。
 だとしたらこの廃墟をいくら探索しても意味がない。
(割合に無事な建物を全て確認したら戻りましょうか)
 見渡す限りの廃墟。何か残ってそうな形の建物は片手で指折り数えられる程度だ。それほど時間がかかるとは思えない。もっとも、既に魔王なりディーンなりが調べた後だろうが。
 そして予想の通り、何も見つからない。そこは単なる廃墟。それ以上の何でもない。
「何もないようですね」
 だが、一通り見て回ったことで、現在のテドンの様子は分かった。それが唯一の収穫か。
 そうして町の一番奥まで来たところで、ふと足を止める。
(この家は)
 毒の沼地に囲まれた家。もちろん壁などは完全に崩れてしまっている。
 その家の中に入ってみる。土台はしっかりしているらしく、これだけの被災にあったというのにしっかりとしている。もちろん、床板は気をつけないと踏み抜いてしまいそうだが。
(崩れたのは壁と柱だけ。土台がきちんとしているというのはすごいことですね)
 立て直すとしてもそれほど苦労はしないのではないだろうかと思わせるほどだ。たいしたものだ。
「あっ」
 用心していたつもりだったが、それでも床板を踏み抜いてしまった。体が半分ほど埋まってしまったが、手をつかって自分の体を持ち上げる。
(私としたことが、油断でしたね)
 やれやれと思ってその床板を見る。
 その下。
(?)
 随分と広い空間がそこにありそうだった。よく見ると、それは単なる穴ではない。人工的な様子であった。
「レミーラ」
 照明の魔法を唱えて中を見る。やはり、中に空洞がある。
(行くことができるでしょうか)
 だが、その竪穴は予想通り、くもの巣でいっぱいだった。
「とりあえず、ギラ」
 竪穴の下に向けて閃光の魔法を放つ。それでくもの巣は粉々に砕け散った。火の魔法なら残った土台に燃え移る可能性があるので、閃光の魔法で打ち砕いたのだ。
(これは階段でしょうか。随分、急みたいですけど)
 まともに下りたらかかとくらいしか引っかからないだろう。その程度の階段が下に続いていた。
(横に下りるしかないみたいですね)
 入口に腰掛けて、一度右足で段差を確かめてみる。意外にしっかりとしており、体重をかけても問題なさそうだった。
 下を見ないようにして左足を伸ばす。段差にかかり、体重が乗ることを確かめてからさらに下へ。
 交互に足を組み替えながら、ゆっくりとゆっくりと下におりる。
 そうしてようやくたどりついた場所は、かなり広い空間だった。
(ここは……地下牢、ですね)
 罪人を閉じ込めておく場所だったのだろうか。格子扉がそこにある。
「アバカム」
 鍵を開けてその中に入っていく。足元の虫があちこちへ逃げていくのが気持ち悪かった。
 そこに、人の骨があった。
 どのようにして亡くなったのかは分からない。魔王に侵攻されたときに殺されたのか。それとも全く発見されることなく、人知れずここで最期を迎えたのか。
 いずれにしても、牢屋の中で亡くなったことだけは確かだった。
(何か、書かれていますね)
 壁際に文字が残されていた。

『オーブを託すことができて、良かった』

 それは、見過ごすことのできない言葉だった。
 だが、おそらくこの骨となった人物は、生前に自分の持っていたオーブを誰かに渡すことができて、それで満足して亡くなったのだろう。
(何色のオーブだったのでしょうね)
 それはもう分からない。他に何か資料があるのならまだしも、それ以外に何も手掛かりは存在しなかった。
 手を合わせて冥福を祈り、それからもう一度戻ってきて外へ出る。
 ふう、と息を吐いた。
 いずれにしてもここにあったオーブは既に人手に渡り、それを捜索する術はない。もしかしたら既にそのオーブはアレスの手に渡っているのかもしれないし、エジンベアではない残り一つのオーブのことなのかもしれない。
 だが、テドンが滅びたのが八年前だとして、オーブを引き渡したのがその前後と考えるならば、テドンのオーブは今も世界のどこかに存在しているはず。
(失われたのでなければ、いつかめぐり合うこともあるでしょう。いえ、もう既に巡りあっているのかもしれませんが)
 ここでの探索は全て終わった。そしてルナは魔法を唱えた。
 エジンベアへ戻る。五つ目のオーブを今度こそ手にするために。






 戻ってきたエジンベアは、ようやく曙の光が入り込んでいた。
 一睡もせずに動いていたので体がだるい。だが今日もやることは多い。少し仮眠を取ったらまた活動しなければならない。
 テドンでのこともアレスには報告しなければならないし、王子にも会いに行かなければならない。なんだか突然やることが増えてきた。
 フィット家の門をくぐると、既に召使たちが玄関前を掃除していた。自分の姿を見るなり挨拶してくる。こちらも笑顔で応える。
 そして屋敷に入ると、そこにいたのは、
「あら」
 不機嫌顔のディアナだった。
「これは未来の王妃殿下。ご機嫌麗しゅう」
 よそ行きの笑顔で挨拶をしてくる。
「ディアナさん。私は──」
「ご無礼をいたしますが、失礼いたします。私、少し急いでいるものですから」
 親しい会話など全くすることなく通りすぎるディアナ。ここまで完全に拒否されたことは覚えがない。待ってください、と声をかけたがディアナは全く気にせず行こうとする。
「ディアナさん」
 その肩に手をかけようとした。が、次の瞬間、
「触らないで!」
 その手を払いのけた。
「……失礼をいたしました」
 そして顔を背けてディアナが立ち去っていく。
(私はそこまでディアナに嫌われてしまったのですね)
 悲しいことだった。だが、立ち止まるわけにはいかない。
 自分はもう決めたのだ。何があっても勇者の力となり、バラモスを倒すのだと。
 とにかくまずは報告だ。今朝はアレスが稽古をしていなかった。昨夜は遅かったので、もしかするとまだ寝ているのかもしれない。
「アレス様はまだお休みですか?」
 と、召使の一人に尋ねてみる。
「いえ、日が昇る前にヴァイス様とフレイ様の三人で、どこかへお出かけになられました」
「出かけた?」
「はい。どこかは存じません」
 無論、自分を置いて別の町へ行ったなどというわけではない。何しろ自分は山彦の笛を持っている。これ抜きに旅に出るなど、オーブの探索を諦めたようなものだ。
(となると──)
 だいたい、三人の行動の想像はつく。昨夜、最後に自分が言った言葉がすべてだ。
 おそらく、ヘレンのところに直談判に行ったのだ。
(ありがたいことではありますが)
 それだけ自分を大切に思ってくれているということだ。これがありがたくなくて何であろう。
 だが、自分にとって欲しいのはそんなものではない。バラモスを倒すために信頼してくれること、それだけなのに。
(今の私は風に吹かれる草と同じですね)
 いや、自分の言動でアレスたちが動いているのだから、むしろ風上にいるのか。
(すぐに行動しましょう。寝ている暇はなさそうです)
 仮眠も取らず、ルナは取って返して屋敷を出た。






次へ

もどる