Lv.77

全ての人の幸福のために








 一つの異分子の混入は、それまであったものを、特に変化への兆しを芽吹かせる効果を持つことになる。
 一人、王宮に入ったルナは仲間たちやヘレン王女、ヘンリー王子といった関係の深い相手を探していたのだが、結局見つからずに広い王宮をさまよっていた。
 時間を無駄に使うのは自分の意図するところではない。特に丸一日休まずに動いているので体も頭も休息を欲しがっている。その状態で無駄な時間を使っているのだから苛々も溜まる。
 ヘンリー王子の件があってから、どうも自分は感情的になっているらしい。ラーガ師からも感情を表に出すなと釘を刺されている。この状況は良くない。
 深呼吸。そして自分の中にある悪い空気を入れ替える。精神を落ち着かせなければ、冷静な思考はできない。
(さて)
 こうして一人、うろうろしていても全く意味はない。であれば、誰か協力してくれる人を探すのがいい。
 ディーン師はいないのだろうか。話をするにはそれが一番なのだが。
「あら、変わった格好の方がいらっしゃいますのね」
 と、そこに自分を呼び止める声があった。明らかに好意的ではないが、トラブルでも何でも現在の何もない状態を打破してくれるのなら充分だ。
「お初にお目にかかります。ルナと申します」
 水色のドレスに身をつつんだ貴族令嬢に頭を下げる。その回りには何人もの取り巻き。数に頼れば自分が強いと思っているのだろうか。
「田舎物でも挨拶くらいはできるのですね。感心感心」
「まあ、ケイト様。下々の者と直接会話なさっては」
「そうですわ。高貴な方が軽々しくお話になってはなりません」
 ──なるほど、本人だけではなく、周りもあまり頭が良くはなさそうだ。
 そして今のやり取りからこの人物の素性が分かった。
 ケイト・ウィリアムズ。問題のウィリアムズ公女。まさかこんなところでお目にかかれるとは。
(なるほど。確かに美形ではありますが、品格的にヘンリー様とつりあいが取れそうにないですね)
 あの真っ直ぐな王子には、こういう貴族貴族した相手は務まらないだろう。
「そこのもの。このような場所で何をしているのか、ケイト様にお答えなさい」
(これは重症ですね)
 一度権力の座につき、その権力に酔いしれてしまったものはもう何を言っても聞かないだろう。
「ヘンリー王子を探しております」
 ぴく、とケイトが反応する。そして取り巻きたちに動揺が走る。
「何をおっしゃるのですか。あなたのような下々の者が王子と会うだなどと、ふてぶてしい」
「そうですわ。さっさとこの城から出ていきなさい」
「エジンベア貴族でもないものが、この城に入るのも不愉快ですわ」
 次々に来る罵声。さて、これをどう沈めたものか。
 言いたいだけなら別にいい。ここにいる人間の顔は既に覚えた。そしてケイトの取り巻きであることが分かっている以上、もしも自分がヘンリー王子に嫁いだなら、すきなように処分できるということだ。まあ、ケイトのような人物をのさばらせるつもりはないが。
(いけないですね。既に思考がエジンベア王妃としての思考になってしまっています)
 引き受けるつもりなのだからそれでもかまわないのだが、まだ決まったわけではない。アレスたちが何とかするかもしれないし、立ち消えになる可能性だってあるのだから。
「まあまあ、みなさん」
 ケイトはたおやかな笑みで一同を静める。
「この方にも事情があってのことでしょう。それを聞いてあげるのも貴族の務めですわ」
「さすがケイト様、お優しい」
「なんと広いお心の持ち主なのでしょう」
「やはりヘンリー殿下にふさわしいのはケイト様しかおりませんわ」
 なんだろうこの茶番は。
 何か事件が起こった方がいいとは思ったが、これでは余計に時間の無駄だ。まったく、どうすればこのような人間が育つのか、親の顔が見たい。
「そこのもの。何故殿下に用事があるのか、答えよ」
 また取り巻きの一人が答える。
 昨日からの苛々がそろそろ頂点に達しようかというところだった。人と話すのに直接ではなく、誰か別の人間を間に挟むという、相手を蔑んだものの見方に吐き気すら覚えた。
「ケイト様は、どうしてヘンリー王子とご結婚なさろうとお考えなのですか?」
 逆に質問した。それ自体が不敬に違いなかったし、当然取り巻きたちも騒ぐ。が、ケイトはそれを手を上げて押さえ、ルナを見返してきた。
「面白い子。この私に質問をしてくるなんて」
 くすくすと笑う。余裕のある様子を見せているが、自分の意のままにならないルナに憤りを感じているのは伝わる。
「私はウィリアムズ公の娘、ケイト。この私が、ちょっと命令を下すだけで、あなたの命などすぐに消すことができることがお分かりになるのかしら?」
「分かりません。あなたに私が殺せるとは到底思えませんから」
 さらりと答える。
 それは掛け値なしの事実。屈強の戦士が何人かかってこようが、ルナは負ける気などさらさらない。勝てないなら逃げればいい。自分の命を最優先にすることは賢者にとっての必須スキルだ。
 だが、そんなことは相手が分かろうはずもない。もはや取り巻きたちの怒号は騒ぎといってもよかった。これだけうるさくなれば、何か事態が変わるかもしれない。
 もっとも、自分にとって都合のいい変わり方かどうかは分からないが。
「命乞いをするなら、もう無駄よ?」
 面白いことを言うものだ。もしルナが本気になれば、ケイトはおろか、その取り巻きまでまとめて瞬殺できる。イオナズンで一発だ。相手はそんなことも分からずに自分に喧嘩を売ってきている。
(力でも知恵でも負ける気はしませんが、相手にするだけ無駄な時間が取られるのは嫌ですね)
 と、そのときだった。
「ルナ殿!」
 一際大きな声。それは、ルナが求めていた声だった。
「ヘンリー王子」
「まあ、王子殿下!」
 ケイトが嬉しそうな表情で王子に抱きつこうとするが、その場の状況を読み取ったヘンリーがそれを固辞し、冷たい視線をケイトに送った。
「これはどういうことですか、ケイト公女。ルナ殿が何かしましたか」
「ええ、その子、この私に無礼をはたらいたのです。これから人を呼んで捕らえますので、お気になさらないでください」
「そうですか」
 ヘンリー王子はため息をついた。そしてルナの方を見てから、再びケイトに向き直る。
「ではケイト公女。あなたは未来の主君を捕まえようというのですね」
「──は?」
「私は、このルナ殿に求婚しています。もし受けてくだされば、ルナ殿が将来、このエジンベアの王妃となるのです」
 ケイトの顔が、それはもうびっくりするくらいに変化した。
「この、田舎物が、王妃、ですって!?」
 思わず丁寧な言葉づかいがなくなる。それほどに衝撃的なことだったのだろう。
「そういうわけですから、ケイト公女。私はあなたの思いに応えることはできません。私はもう、ルナ殿にしか興味がありませんから」
「お、お待ちください、殿下。この娘は、さきほど殿下のことを悪く言ってましたわ。そのような娘と結婚なさるなんて、お考え直しくださいませ」
 自分は何か言っただろうか。まあ、その程度でヘンリーが騙せるとも思えないし、もしヘンリーがそれで騙されるようなら婚約の話は別になかったことにしても問題はない。
「ルナ殿は陰口を言うようなことはしませんよ。それに、仮に言ったとしてもかまうところではありません。自分は強引にルナ殿に迫っている身、ルナ殿にしてみればうっとうしいと思っても仕方のないことでしょう」
「な」
「というわけです。すみません、ルナ殿。あなたがいらっしゃったのは兵から聞きました。お話をうかがわせていただきます」
 それだけ言い切ると、もはやケイトには見向きもせずに、ヘンリーはルナの手を取った。
「よろしいのですか? 私は王子の陰口を叩いている女ですよ?」
「あなたはそんなことは言いません。言ったとしてもかまわないと申しましたが」
「身分も田舎物で、ケイト公女のおっしゃるとおり、分不相応だと思いますが」
「私はもともと、身分など関係なく、自分の愛した女性を娶ると公言しています」
「ですが、国はそれでは納得しないでしょう」
「納得しなければ自分が国を出てもかまわない」
「それは私が困ります」
「ですがルナ殿。私にはあなたが必要です。政治的なことは無論ですが、あなたの存在が自分を安らげてくれる」
 たった一日で随分と好かれたものだ。どう考えても一目ぼれにすぎないはずだが、それにしては情熱的すぎる。
「分かりました。いずれにしても王子とは話をしなければいけませんでしたから」
「ええ。ではこちらへ。昨日のガーデンでよろしいですか?」
「ええ、是非」
「殿下!」
 ケイトが愕然として叫ぶ。
「まさか、あのガーデンに迎え入れたというのですか」
「そうです。ですから、ケイト公女。あなたの行動はあなたのお父上の首を絞めることにもなりかねません。重々、お気をつけを」
 呆然と立ちすくむケイトにかまわず、ヘンリーがルナをエスコートする。
「たいしたものですね」
「何がですか?」
「王子の権力が、です。ケイト公女はあなたのことなど歯牙にもかけていない。ケイト公女はただひたすら『王子殿下』という立場におそれおののいていただけのことです」
「そうですね。まあ、それも自分の立場の一つですから」
 苦笑したヘンリーだったが、ルナは首を振ってさらに続ける。
「すみません、誤解を招く表現でした。私が言いたかったのは、王子はこれほど素晴らしい方なのに、その大切なところを無視してまで王子という立場しか見ないケイト公女がいっそ哀れだと思ったのです」
「なるほど。私のことは高く評価していただけているのですね」
「はい。正直、このエジンベアという国の中で、王子のような存在は貴重だと思います。どうすればこれほど真っ直ぐに、純粋に育つのか、私には分かりません」
「教育係が良かったからでしょうね」
「教育係、ですか」
「ええ。王子や王女を育てるのは王や王妃ではなく、女官長や指名された教育係が行います。私を育てたその女官長はもう亡くなりましたが、私は自分を育てた彼女に恥じない人間でありたいと思っています。正直──」
 いたずらっ子のような笑顔を見せる。
「ケイト公女を育てた親の顔が見たい、と思いませんでしたか?」
 それはまさに先ほど思ったとおりのことだったので、ぷっと吹き出してしまった。
「ウィリアムズ公はまあ、ケイト公女から推測されるとおりの方ですよ。思考が権力欲に凝り固まっています。まあ、エジンベアにしてみると困った貴族の一人ということですね」
「王家が七公爵家の舵取りをしなければならないのですね」
「ええ。だからこそ、私が選ばなければいけない女性というのはハードルが高いんです。まず何より自分が愛する女性であること。それがなければ結婚は成り立ちません。そして政治に造詣が深く、内政・外交で相談ができる相手であればなおいい。また、七公爵家から命を狙われるかもしれない。そうすると私が守れればそれにこしたことはありまえせんが、自分で自分の身を守れるのが一番です。なおかつ名声があれば問題はない。あなたは、私が望む全ての条件を満たしています」
「条件から相手を探した方が良さそうですね。おそらく世界に五人といないでしょう」
「ええ。ポルトガ王女もそうでした。内政・外交・名声、いずれもあった。まあ、身を守ることはできそうにありませんでしたが、それは護衛を強化すればいいだけのこと。ですが、問題がありました」
「王子が、気に入らなかったということですね」
「そうです。確かにエウロペ三国で一、二を争う美貌の持ち主で、性格もそれに見合って非常によく出来た方でした。それでも、私はあの方を愛することはできませんでした」
 ポルトガ王女の名声はルナももちろん知っている。一度見たこともあるが、その美貌もよく分かっている。自分などとても及ぶどころか、問題外のレベルだ。
「さあ、フラワーガーデンに着きました」
 ガーデンは王子の寝室の隣にある。もともと一つの部屋にすぎなかったところをガーデンとして改築したということだ。
 お供のトーマスが紅茶を既に準備し終えていた。ルナが会いにきたということで、先に準備だけしておき、王子が自らルナを探しに行ったというわけだ。
「申し訳ありません。わがままを申して」
「何をおっしゃいますか。ルナ殿に会えるのが、昨日からの私の一番の喜びなのですから」
「それから、一つお願いがあります」
「なんでしょう」
「王子は他の方に話すときは、こんなに丁寧な話し方をされていないようです。どうか私にも、普段通りに話していただけませんか」
「いえ、ですがご婦人を相手にそんな」
「普通にすることができないというのでしたら、王子が私を安らげる相手だと評してくれたのは嘘ということですね」
 厳しく相手の言質をとらえる。それを聞いていたトーマスが口元をほころばせた。
「笑うな、トーマス」
「申し訳ありません」
 だが笑顔は消えない。ふん、とヘンリーは鼻を鳴らした。
「いや、分かった。じゃ、ルナ殿がそれでいいと言うのなら」
「ルナと呼び捨ててかまいません」
「いや、さすがにそれは」
「王子がいつまでもそうされるというのでしたら、私はもう二度と王子に会いません」
「いや! ちょっと!」
 ヘンリーにしてみれば意味が分からなかっただろう。呼び捨てにしないと会わないというのだから、それは普通とは大きく異なる。
「よろしいのですか?」
「そう申し上げました」
「分かりました──分かった、ルナ」
 ようやく、ざっくばらんに話す王子に戻った。
「よかったです。これで私も少し楽になりました」
「そうか、それならもっと早くするんだったかな。ルナも普通に話していいんだぜ」
 口調をくだけると決めたら本当にくだけてきた。なかなか面白い王子だ。
「いえ、私はもともとこれが普通なのです。アレス様や仲間のみなさんにもこんな調子ですから」
「そっか。じゃ、俺にだけ特別ってわけには」
「すみません。私の性格ではそれは無理なようです」
「残念」
 ヘンリーは肩をすくめた。すっかり仲良しのお兄さんみたいなノリだ。
「それで、俺に用事だったよな」
「はい。昨日の話、お受けしようと思います」
 あっさりと言ったルナに、ヘンリーが眉をひそめた。
「結婚の件か?」
「はい。不束者ですが、よろしくお願いいたします」
「いや待て待て待て待て待て」
 ヘンリーは大慌てだ。それは無論、ルナが受けてくれた方がありがたいに決まっているが、昨日決闘までした相手が、たった一日で気持ちが変わるなどありえない。
「その心変わりの理由を聞かせてくれ」
「私を愛してくださるから、ということではいけませんか?」
「いけないな。言った通り、俺は好きな相手としか結婚するつもりはない。その条件は相手が俺のことをそう思っているっていうのが前提だぜ」
「……それにしては随分と強引な手段を使われたようでしたが」
「自分のために決闘までしてくれる男って、ポイント高くね?」
「今の発言で大幅ポイントダウンです」
「あー、だからくだけて話すの嫌だったのに」
 そして二人で笑う。こうして話をすると、案外に話しやすい相手だった。
「でもな、本気の話、俺はこれからルナに何回でもアタックするつもりだった。そして自分の気持ちが伝わったところでもう一度結婚を申し込みたかった。それが一夜明けたら受けるっておかしいだろ、どうしたって。それでほいほい結婚するなんて言ってみろ、俺よっぽど頭悪いぞ」
「そうですね、確かに」
「そこは否定するところ」
「すみません」
 一度謝ってから、ルナは改めて話した。
「私たちが探しているオーブが見つかったんです」
「なんだと?」
「持っているのはヘレン王女でした」
「あいつが?」
「はい。そしてヘレン王女は交換条件を言ってきました。私がヘンリー王子に嫁ぐのならオーブを渡してもいい、と。私はそれを受けました。それが理由です」
「オーブと自分の結婚を天秤にかけたってのか」
「はい。自分などそれほど価値のあるものではありませんから。それがオーブと取り替えられるのなら、これほどありがたいことはありません」
 ヘンリーは腕を組む。うー、と唸ってもいる。
「ヘンリー王子にとって私が本当に必要とされているのなら、なおのことです。全ての人がこれで幸せになれます。だからこの結婚をお受けするのです」
「お前は?」
 ヘンリーが厳しい視線で尋ねる。
「お前は幸せじゃないだろう」
「ですが、ヘンリー王子は私を愛してくださるのでしょう?」
「そりゃ当然。でもな、好きではない相手にいくら愛されても辛いだけだぜ」
「私は大丈夫です。ですから──」
「いや、駄目だ!」
 ぶんぶんと首を振って否定する。
「俺は馬鹿だ。このままならお前を妻にすることができると分かっていて、それを棒に振ろうとしている。でもな、そんな取引みたいなことでお前を妻にするつもりはないし、そもそもオーブの一個や二個くらいでお前とつりあえるなんて思ってないし、いやそうじゃなくて、だいたいお前が幸せになれないんだったら結婚する意味がないんだよ!」
 はー、とようやく息をつくヘンリー。
「いいか。お前が俺のことを好きになるまで結婚はなしだ」
「ですが」
「オーブならお前にやる! もしヘレンがしぶったら、兄妹の縁を切ってでもお前にやるから、そんな自分を商品みたいにするな。どんなことがあったって、俺はお前の味方なんだからな!」






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