Lv.78

全ての言葉が行動へ至る








 お供のトーマスも加えて三人で移動する。ガーデンを出た三人はまず、問題のヘレン王女のところへ行くことになった。
 オーブを持っているのならそれをルナたちに渡すこと。そして余計なことをして事態をかきまわさないこと。そうやって釘を刺しておかないとヘレンはまたきっと同じことを繰り返す。
「兄思いなだけなんだ。あまり嫌わないでやってくれると助かる」
「私はヘレン王女を嫌ってなどいません。むしろ好印象ですよ」
「それならいいけど、でも相手の弱みにつけこんで取引するような奴だぞ。自分の妹だが」
「私はヘレン王女のように合理的に考えることができる人は好きです。そしてヘレン王女の取引は、私の希望を見事にかなえていたからこそ、価値があると思ったのです」
「ま、嫌ってないんならそれでいいんだが──って、おいおい」
 ヘンリーが肩をすくめた。その三人の前から、アレス、ヴァイス、フレイ、さらにはトレイシーの四人がそろって現れたのだ。
「ヘンリー王子!」
 アレスが声をかける。が、ヘンリーは頭をかいた。
「こんなときに、会いたくない相手に会っちまったなあ」
 それがアレスのことだと誰もが思った。が、そうではなかった。
「私に対して、随分な口の利きようですね、ヘンリー王子殿下?」
 トレイシーだった。彼女はつかつかと歩みよると、突然ヘンリーにヘッドロックをかけた。
 四人の目が丸く見開かれる。お供のトーマスは苦笑するだけだ。
「ギブ! ギブ! トレイシー、ギブ!」
「ごめんなさいは?」
「ごめんなさいっ!」
「よろしい」
 トレイシーはヘッドロックを外すとにこやかな笑顔で言った。
「王子殿下にはご機嫌麗しゅう」
「お前な、今のヘッドロックの直後でその挨拶はないだろ」
「どうやら、足りなかったようですね」
「悪かった!」
 意外なものを見た。なんだか、くだけた後のヘンリーは、丁寧だったときとは正反対だ。だが、これがヘンリーという人物の素顔なのだろう。
「それにしても、トレイシーさん、王子を相手に堂々としてますね」
「まあな。私は王子、王女殿下の教育係でもあったからな。教育係がなめられたらおしまいなのだよ」
「教育係?」
 ルナがヘンリーを見る。王子は「そういうこと」と答えた。
「トレイシーがいてくれたから、俺はこうやって育つことができたんだよ」
「それは皮肉ですか、王子」
「今の流れでどうしてそうなる!?」
 トレイシーが事あるごとにヘンリーにくってかかる。仲のいい二人だった。
「教育係ということは、王子殿下が子供の頃からなのですか?」
 ルナがトレイシーに尋ねる。そうなるな、と答えた。
「私もまだ十代の若かりし頃の話だ。王子、あまり面白い顔をしない方がいい。せっかくの美形が見られない面になるぞ」
「……俺を唯一、脅迫できる人間だ」
「それはそうだろう。あなたの恥ずかしい過去などいくらでも知っている。五歳の頃、庭で──」
「だからっ! なんだってお前はそうやって俺をいじめて楽しんでるんだよ!」
「おや、分かっていたのか。こういうのは知られずにやるから楽しいのだが」
「バレたついでに永久にやめてくれ」
「それは無理だ。王子で遊ぶのは楽しい」
 カラカラと笑う。その様子にヘンリーは右手を壁についてうなだれた。
「……なんだか、話をする空気じゃなくなったな」
「毒気抜かれた感じだぜ」
「……ルナ、お帰り」
 アレスとヴァイスが呆然としている中で、フレイだけがルナに近づいて抱きしめていた。
「はい。ただいま戻りました」
 フレイは無制限にルナを許容する。よほど気に入られたということが分かる。それは魔法の才能に対して敬意を払っているのかもしれないし、単に小さい子が可愛いだけなのかもしれない。
「ちょうどよかった。ルナと王子に用事があったんだ」
「もしかして、ヘレン王女のところへ行かれたのですか」
 アレスが頷く。どうやら情報交換の場になったらしい。
「ヘレン王女は、ルナが、その──」
 アレスは落ち込んでいたヘンリーを見る。だが彼も何とか復帰して「かまわない」と答えた。
「俺も妹には言っておくことがある。相手の弱みにつけこんで取引するなど、エジンベア王族としてのプライドが足りん」
 何も言う前から話が伝わっている。アレスは不思議に思ってルナを見た。
「ヘレン王女とのやりとりをヘンリー王子にお伝えしたら、王子が怒ってしまわれて」
「そうだったんですか。じゃあ──」
「ああ。きわめて残念だけど、そんな方法でルナを手に入れるつもりはないよ。ルナが私のことを好きになってくれるまで諦めないし、好きになってくれないのに結婚するのは不幸なことだ。私はそんな不幸な結婚をしたくないから好きな人を探していたんだ。それなのに相手の方が自分を好きになってくれなければ意味がない」
「言うようになったな、王子殿下」
「トレイシーの教育の賜物です」
「まあ、そう思ったから私もアレスさんたちを王子殿下に会わせようと思ったのだが」
「どういうことだ?」
「いや、先ほど私たちはヘレン王女殿下にお会いしてきたのだよ。話は平行線だったがね」
 トレイシーの説明で、ようやくルナも納得がいった。
「つまり、ヘンリー王子を逆に説得すれば、この問題は片付くと思われたのですね」
「そういうこと。まあ、ルナさんが先に王子殿下を説得してしまったわけだが」
「説得されたつもりはないぜ。ルナがまだ俺のことを好きじゃないのに結婚を強要するのは間違ってるって思っただけだ」
「王子殿下は正しい。もしそこで結婚を受け入れていたなら、地獄を見てもらうところだった。自分の気持ちばかりで相手の気持ちも考えないとはどういうことか、とね」
 ヘンリーはひどく複雑な表情を浮かべる。
「さて、それじゃあだいたい情報交換が終わったみたいだが、ヘレン王女のところへ戻ることにしようか?」
「そうだな。こういう問題はさっさと片付けた方がいい」
 トレイシーとヘンリーが頷きあって歩き出す。
「息の合った二人ですね」
「トレイシー様は、王子が子供の頃からずっと王子の面倒を見てこられました」
 ずっと黙っていたトーマスが口を挟む。
「私以外では、一番王子のことを分かっていらっしゃる方です」
「そうなんですか」
 じっとその二人の後姿を見つめる。それこそ、自分がヘンリーと一緒にいるよりずっとお似合いに見える二人だった。
「というか、その前にルナにも話があるんだ」
 後について歩き出した一同だったが、アレスがルナの隣に立って話す。
「はい、なんでしょう」
「頼むから、自分の身と引き換えにオーブを手に入れようなんていうことはやめてくれ。最悪の場合、僕はオーブだけを奪って逃げたってかまわない。もともと他の人の力を借りようと思って始めた旅じゃないんだ。だから──」
「いけません、アレス様」
 だが、その考えになろうとしていたアレスを止める。
「魔王は数多くのモンスターを配下にしています。そのすべてをアレス様おひとりで倒せると思っているのですか」
「それは」
「国とのつながりは、魔王バラモスを倒す上で必要不可欠なものです。私がエジンベアに嫁げば、世界最強国家の後ろ盾をアレス様が得られる。これほど有意義な結婚はないはずなんです」
「でも!」
 アレスが叫んで、ルナの両肩に手を置く。
「僕は、仲間がそうやって自分を犠牲にするなんてこと望まない! そんなことをしてバラモスを倒したって意味がないんだ!」
 アレスの叫びに前を歩くヘンリーとトレイシーが振り向く。両肩をつかまれたルナは、一瞬喜びが表情に出そうになり、こらえる。
(見込みがない相手から、これほどの求愛を受けると、さすがに苦しいですね)
 ルナは苦笑した。
「分かりました。簡単に自分を捨てるようなことはしません。お約束します」
「良かった」
 ほっとアレスが表情を和らげる。
「ただ、ヘンリー王子は本当に良い方です。私がヘンリー王子に心から嫁ぎたいと思ったら、祝福してくださいますか?」
「もちろん。そのときはどんな障害があっても僕が突破してみせるよ」
「ありがとうございます」
 もっとも、本当に超えたい障害はそこではない。
(私にとっての障害──)
 ふと振り向くとフレイがそこにいる。フレイもこの状況をどう整理すればいいのか困っているようだった。すみません、と軽く頭を下げる。
(フレイさん相手では、さすがに勝ち目がないですからね)
 だから諦めるしかないというのに、まったくこの勇者は。
「なんだか俺にとってあまりありがたくない話をしていたみたいだな」
 ヘンリーが不満そうに言う。
「王子にルナを渡すわけにはいかないという話ですよ。昨日と同じです」
「それがありがたくないって言ってるんだが、まあ今のところは引き下がるさ。でも、アタックはやめないからな」
「ルナが本当に王子のことを気に入ったのなら応援しますよ。ですが、今の状況ではまだまだです」
「だな。ヘレンもそのあたりのことをもう少し分かってほしいんだけどなあ」
 そうして一同はヘレンの部屋に戻ってくる。だが、そこにいた女官が答えるには、
「さきほど、ヘレン王女殿下は供と一緒にお出かけになられました」
 とのことだった。まださほど時間が経っていないというのに、忙しいことだ。
「ヘレンはまだ十二歳なんだが、国の要職に就いてるからな。なかなか会う機会も少ないんだが」
「一方の王子殿下には仕事はないのかな?」
 トレイシーが鋭く追及する。
「あるさ! でもまあ、俺は優秀だから」
「聞き捨てならないことを聞いたが、トーマス?」
「はい。昨日の決闘の後、本日までに片付けなければいけない業務は全てこなされています。この後会食の予定が入っていること以外は、ですが」
「なるほど。恋は人を変えるというが、これほど劇的に変わるものとは思わなかった。たいしたものだな」
 あまり仕事はしない方なのだろうか。だが、トーマスが嘘をつくような人には思えない。だとしたら確かに優秀なのだろう。
「女官、確か──エリー、といったかな」
 トレイシーが尋ねると、女官は「は、はい」と恐縮したように身を正す。
「トレイシー様に覚えていただけているとは、光栄です」
「人の名前くらい覚えられなければ公爵家令嬢は務まらないぞ。無論、王子もな」
「もちろん覚えてるぜ。アーバン子爵家の令嬢だろ」
「こ、光栄です」
 さらに畏まってエリーが緊張で顔をゆがめる。
「それより、王女殿下がどちらへ向かったか分かるかな」
「外出用ではありませんでしたから、王宮内のこととは思いますが、それ以上は分かりかねます」
「そうか。王宮内だったら探せばそのうち見つかるかな」
 邪魔をした、とトレイシーが声をかけて出て行くと、エリーと呼ばれた女官は深く頭を下げた。
「お二人とも、そこまで人の名前を覚えていらっしゃるのですか」
 感心した。とかく、上に立つ者というのは下の者の名前などなかなか覚えないものだ。覚えても価値がないと切り捨ててしまう。だが、実際に国を動かすのは下で働いている人たちだ。その人たちの忠誠を得るには、名前を覚えるというのが一番なのだ。
「私が教育した。一度会った人間の顔と名前は忘れるな、とな」
「さすがに全員は無理だぜ。でも、さすがに自分の身の回りの人間くらいは覚えるようにしている。ヘレンの付き人なら全員分かる」
「ご立派です」
 この王子は本当に上に立つ者としての資質を身につけている。
「トレイシー様」
「何かな」
「あなたはすばらしい方です。一国の王子をこれほどまでに育てる技量、それも幼い頃からずっと継続してこられたというのは、おそらく他に例を見ないでしょう。王子がこのように立派に成長されたのは、手本となる人が同じように行動していなければなりません。つまり、あなたは王子を教育するにあたって、自らがそれを実践された。その行動と努力に敬意を表します」
「あまり褒めすぎないでくれるかな。それを言うのならあなたの方がすごいだろう。ダーマの『奇跡の賢者』殿。一度会ってみたいとは思っていたが、これほど可愛らしい方だったとはね」
「私はあまり可愛げがある方だとは思っていませんが。何でも理屈ばかりで」
「あなたにも同じことが言えるだろう。あなたは机上の空論だけで物事を進めることをしない。自分で行動し、確かめてみなければその価値を判断しない人だ。あなたは私が若かったときよりもずっと立派だと思うよ。だいたい、賢者になったのが十一歳のときだと聞いた。才能はもちろんあるだろうが、よく努力したものだと感心する」
「よくご存知でいらっしゃいますね」
「ディアナ嬢から聞いていたよ。年に一度、彼女は必ず里帰りをしていたしね。彼女から聞く話はほとんどあなたのことばかりだ」
「そうでしたか」
 ルナは嬉しそうに微笑む。もちろん今は冷戦状態になっているが、婚約を解消することになればまた元に戻ることができると信じている。
「それにダーマにはロウィット家のナディア女史が教官として就任しているだろう。あれは私の知己でね。ロウィット家の分家筋にあたる人物だが、非常に優秀な女性だ。彼女と話していると飽きない。まあ、彼女はエジンベアに戻ってくることはまずないだろうがね」
「何故でしょうか。ロウィット公には特別問題があるとは聞いていませんが」
「だからこそなのだろうな。ロウィット公は高齢で、そろそろ世代交代の時期だ。息子は一人だけ。悪い人物ではないが、病弱で政務に耐えられるかが不安視されている」
「だとしたら、別の人物をロウィット公につけるということも考えられるわけですね」
「そういうことだ。もしロウィット家を乗っ取ろうとするなら、一番手っ取り早いのは、分家筋の女性に婿をつけて公爵位を手に入れるということだ。ナディアはそれに巻き込まれるのを防ぐために自らエジンベアを出た。二度と戻ってくるつもりはないだろう」
 なるほど。だから分家筋でも紹介状を出せる身分ということになるわけだ。
「ナディア師にはいろいろとお世話になりました。ご恩返しができればいいのですが」
「それは簡単なことだな。あなたは勇者を助けると言った。それならば勇者の大願を成就させることが何よりも師匠孝行ということになる」
「はい」
「ふふ、あなたのように真面目で一途な娘は好きだよ。これからも努力を重ねたまえ」
「ありがとうございます」
 このトレイシー=テューダーという女性はただの人物ではないことはもう明らかだ。
 王子と王女の教育係も勤め、さらには自らの地位もある。彼女のような人物と知己になれたのはルナにとってとても有意義なことだった。
「さて、それじゃ問題の妹の居場所だが」
 話の切れたところでヘンリーが割って入ってくる。
「一つ、アテがあるんだけど、行ってみるかい」
「ぜひお願いします」
 ルナがすぐに答える。もちろんアレスたちにも否はない。
「宝物庫。もしオーブがしまわれているとしたら、そこだろ?」
「なるほど、確かに」
 トレイシーが頷く。
「だが、王宮の宝物庫は許可のない者は入れないはずだ。私も含めてな」
「俺ならフリーパスだ。ま、ヘレンがいるかどうかを確認するだけなら時間はかからないだろ」
 というわけで、一同は今度は宝物庫へと移動を開始した。
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