Lv.80

戦いを覚悟するということ








「ルナ! どこにいる、ルナ!」
 一方で、ルナの姿がいなくなったフィット家は混乱していた。もう迎えが来ているというのにルナの姿だけがないのだ。
「いったいどうしたんだ。こんな、突然いなくなるなんて」
「あの子のことですもの。理由もなく、書置きもなくいなくなることなんてありえませんわ」
 まだ冷戦状態にあったはずのディアナが冷静に答える。
「何かトラブルがあった、と考えるべきですわね」
 アレスたちの脳裏に、一昨日のディアナ襲撃のことが思い起こされた。ディアナですら狙われたのだ。ヘンリーが一番気に入っているルナが、襲撃の対象になるのは当然のことだ。
「だが、そうなると相手が分からないぜ」
「ヴァイス。あなたはすぐに王宮に行って、ヘンリー王子にこのことを知らせて」
「おう」
「フィット家の人間を使って、ルナの足跡を追います。アレス様とフレイ様はこの場に残っていてください」
「分かった」
「……お願い」
 こういうとき、アレスでは何の力にもならない。いざというときに待機しているのが一番だというのは分かる。
 だが、もどかしい。
「無事でいてくれ、ルナ」
 アレスが苦しげに呻いた。






 日が沈んだころ、ようやくルナは解放された。運ばれた距離はだいたい分かる。捕まった場所からそれほど遠くないところだ。問題はどちら側に連れてこられたかだ。
 目を開くとそこは地下牢だった。ありきたりな展開だが、この程度なら問題ない。いつでも呪文が使える状態なら、敵を倒すことも一人で逃げ出すことも可能だ。
 というより、あまり長い距離を運ばれたわけではないなら、今朝の出来事からしてもだいたいここがどこかは想像がつく。
(おそらくは、ウィリアムズ家の屋敷でしょうね)
 エジンベア城は町の中心に位置する。そこから南側にフィット家とウィリアムズ家があるのだ。だとすればウィリアムズ家に連れてこられたと考えるのが一番妥当だ。
「ようこそ、私の屋敷へ。田舎物さん」
 と、都合よくその人物の声が聞こえてきた。
「ケイト=ウィリアムズ公女ですね。私を誘拐してどうするつもりですか」
「簡単なことですわ。あなたがここで男たちに犯される。そうすればもう王子殿下にふさわしいとはいえないでしょう?」
 分かりやすいことで結構だ。いっそ相手を殺した方が後腐れがないような気がするが、もしかして人殺しなどという野蛮な行為はしたくないのだろうか。女性を犯すことは問題なくても人殺しは問題があるのだとしたら、この人物の観念がよく分からない。
「あなたはおっしゃったわね。私があなたを殺せない、と」
「ええ」
「でも現実はこう。どうかしら、自分の言葉が間違っていたと実感した今の気持ちは」
「そうですね、特には」
「強がりは長くもちませんわよ。まあ、明日の朝には大人しくなっているでしょうけれど」
 ケイトはそれだけを言い残すと、地下牢から引き上げていった。変わりに入ってきたのが十人以上もの男だ。
 これで自分を怖がらせるつもりなのだとしたら笑わせる。自分が賢者であるということすら知らず、マホトーンを使える魔法使いが一人もいないではないか。自分が魔法を使えることすら知らないのだろう。
「喧嘩は相手を見てからするものです」
 にやにや笑って近づいてくる男たちに、ルナは容赦なくバギクロスで切り刻んだ。
「さて」
 男たちは血の海に沈んだ。致命傷ではないが、放置すれば死ぬかもしれない。まあ、犯罪者がどうなろうと知ったことではない。
 両手の拘束は魔法で解いた。というか、単なる縄だったのでバギの魔法で軽く傷をつけてあとは引きちぎるだけだった。たいした作業ではなかった。
「レムオル」
 そして自分の姿を消す。続いて扉に近づき、
「アバカム」
 鍵を開けると、誰にも見られることなくその牢を出る。
 階段を上り、一階へ。途中、魔法の効果時間が切れそうになるたびにレムオルをかけなおす。
 広い屋敷だった。まず三階まで上り、近くの窓から外を眺めた。空の暗さから方角を判断。北の方に城が見えた。やはり南側、ウィリアムズ家の屋敷のようだ。
『ケイト公女を育てた親の顔が見たい、と思いませんでしたか?』
 ふと、王子の言葉が頭をよぎる。なるほど、確かにそれは見てみたい。
 一際豪華な赤い絨毯の廊下を歩き、一番奥。まあ、そこが公爵の部屋として妥当だろう。
 見張りをラリホーで眠らせる。造作もない。音を立てないようにして扉を開ける。中は執務室となっていたが、誰もいない。
 机の上に書類が投げっぱなしになっている。それを一瞥し、気になる箇所を見つけてそれを懐にしまった。これは後でヘンリー王子に渡すとしよう。
 その後、奥の部屋から物音がして、誰かが出てきた。
「お父様。今、例の娘を地下で教育しているところですわ」
「ほう。もし生娘だったとしたなら、ワシが最初にいただいても良かったな。そうすればお前の母親となったかもしれんぞ」
「田舎物が母親だなんてぞっとしますわ。それより、これでもう邪魔者はあと一人だけ。フィット家のディアナさえ片付ければ、もう王子は私のものですわよね」
(あと一人だけ──ですが、ノルマン家の公女もいたはずですが)
 既に何か手を打ったということだろうか。今の言葉は深く心に刻んでおく。
「当然だ。いくら王子が言ったところで、結局格式というものからは逃れられん。それがエジンベアという国なのだからな」
「期待してますわ、お父様」
「うむ」
 そうして二人は別の扉から部屋を出た。さて、どうしたものか。
(まあ、何をしたところで問題はないですね)
 決めた。
 この屋敷は、徹底的に破壊する。まずはこの部屋からだ。
「イオナズン!」
 部屋の壁に向かって、魔法をたたきつけた。振動と轟音で、屋敷全体が悲鳴を上げる。
「な、何事じゃ!」
「何が起きましたの!?」
 先ほどの二人が戻ってきたところにラリホーをかける。綺麗に決まって、ぱたりと二人が倒れた。
 火を出さないように、あちこちを爆発の魔法で破壊していく。もちろん、余計な怪我人は出さない。他に働きどころがなく、ここでやむを得ず働いているような人もいるだろうから。それに、絵画、美術品などもできるだけ破壊したくはない。こういうものは後世まできちんと残しておくものだからだ。
 柱を壊さないように、あちこちの壁や天井、床を破壊し、ころあいを見てから外に出る。既に野次馬がたくさん来ていたが、レムオルを使っている自分の姿は当然見えない。
 そのはずだった。
(あれは)
 野次馬の中で、唯一、姿を消しているはずの自分をじっと見ている人間がいた。
 たまたまこちらを見ているのか、それともはっきりと自分を見ているのか。
(トレイシー様)
 すると、彼女は口元に笑みを浮かべて小さく首を動かした。行け、という合図なのだろう。
 小さく「ルーラ」と唱える。一瞬で、ルナは場所を移動した。
 そうしてフィット家の屋敷に、降り立つ。
「ルナ!」
 待ち構えていたのはアレスとフレイ。二人が同時に自分に抱きついてくる。
「あ、アレス様? フレイさん?」
「心配したぞ。いったいどこに行ってたんだ」
「……おしおき」
 こつん、とフレイがルナの頭を叩く。すみません、とルナが頭を下げた。
「ちょっと、事件を起こしてしまいました。この話は私たちの間だけの話にしておいてほしいと思います」
「事件?」
「ここからでも喧騒が聞こえますね」
 それで二人も理解したらしい。
「今、ウィリアムズ家で爆発が起こったって聞いたけど」
「私のイオナズンです。秘密にしておいてくださると助かります」
「……何があったの」
「話すと長くなるのですが、誘拐されました」
 さらりと答えたルナに、二人の顔が引きつる。
「首謀者はケイト=ウィリアムズ。私を捕らえて男たちに犯させ、ヘンリー王子にふさわしくない女にするつもりだったようです」
「な、な、な」
 アレスが顔を真っ赤にしている。怒っているのだ。
「……女の敵」
 フレイも冷たい目で闘志をたぎらせる。
「大丈夫です。私は何もされていませんし、私がイオナズンを使ったことが分からないように、ずっと姿を消していましたから」
「あ、レムオルの魔法かい?」
「ええ。ルーラを使ったらレムオルの魔法は解けてしまうんですけど、向こうでは誰にも見られないようにしていました」
「じゃあ、ルナが爆破したっていうことは」
「誰にも知られていないはずですが、一人だけ」
「誰だい?」
「トレイシー様が、レムオルで姿を消したはずの私が分かったみたいでした」
「トレイシーさんが?」
 そもそもトレイシーがそこにいることも不思議なことだ。野次馬に来たにしても、テューダー家からウィリアムズ家まではかなりの距離がある。
「とにかく、見つかったっていう合図を出さないとな」
「もしかして、私を捜索してくださったのですか」
「当たり前だろ。万が一のことだってある」
「ご迷惑をおかけしました」
 ルナが頭を下げる。なるほど、そういう問題は考えていなかった。自分は一人でも何とかなると思って行動したが、それが回りに迷惑をかけるようなことになろうとは。
「ディアナさんに伝えてくる。フレイはここに」
 こく、と頷くとアレスが駆け出していく。それを見送って、ふう、と一息つく。
 すると、もう一度フレイが抱きしめてきた。
「……本当に、良かった」
「ご迷惑、ご心配をおかけしました」
「……大丈夫だとは思ってた。でも、世の中に絶対なんてことはない」
 思えば、フレイも重い過去を背負っているのだ。失われる恐怖も味わっている。
「すみませんでした」
「……謝るのはこっちの方」
 フレイは少し体を離すと、正面からルナを見つめる。
「ごめんなさい」
「いえ、謝られる理由が分からないのですが」
「……ルナがどう思っていたとしても、私にはアレスが必要」
「あ……」
 その件だったか。完全に不意打ちをされた。
「それはもう、言っても仕方のないことです。アレス様がフレイさんのことを愛しているのは承知していますし、私の入り込む余地なんてありませんから」
「……でも」
「ただ、この間、ディアナに教えてもらったんです。私の気持ちを成就させる方法が」
「……?」
「もし、フレイさんさえよければ、私、アレス様のお妾さんになれれば嬉しいです」
 それを聞いたフレイは、驚き、そしてくすくすと笑った。
「……ルナが一緒にいてくれるのは嬉しい」
「私もフレイさんが大好きです。だから仲を裂こうなんて思えないですから」
「……そのときが来たら、私からもアレスにお願いする」
「いいのですか? 私が傍にいても」
「……ルナなら、大歓迎」
 こういう場合、自分の好きな人をとられたくないとか思うものではないのだろうか。だが、フレイが自分を歓迎してくれているのは分かる。
(そうか)
 自分がフレイを好きなように、フレイもまた自分のことを好きでいてくれているのだ。単純に、ただそれだけのこと。
「でも、ヘンリー王子とのこともきちんと解決しないといけないですからね」
「……その気があるの?」
「ヘンリー王子が良い方なのは分かります。私の気持ちが成就しないなら、ヘンリー王子に嫁ぐのが一番なのでしょうけど」
「……それはだめ」
「はい。私は子供の頃から勇者という存在に憧れていました。そして目の前に、私の理想の勇者様が現れたとき、この上なく嬉しかった。ただ、勇者様には既に決まった方がいらっしゃいましたけど」
「……ごめんなさい」
「謝らないでください。結局私は、勇者様に心を奪われた人間です。賢者になろうと思ったのも、勇者様の力になりたかったから。自分が仕える勇者は一目見たら分かるとラーガ師にも言われていましたけど、本当に分かりました。アレス様がたとえ勇者ではなかったとしても、私はアレス様が好きです。私の勇者は、私が決めます」
 そう。勇者とは周りから言われて決まるものではない。自分が信じた相手こそが勇者なのだ。ラーガ師が『一目で分かる』と言ったのも、そういう意味合いがあるのだろう。
「……ルナは立派」
「一つだけ愚痴を言わせていただけますと」
 ルナは笑って言った。
「立派じゃなくてもいいんです。私の本当の気持ちは、アレス様に見てもらえることです。だから、私はフレイさんがうらやましい」
「……もう謝らない」
「はい。フレイさんはアレス様のお隣で、幸せになってほしいです。私は私にできる全ての力をもって、アレス様を勝利に導きます。それが私が決めた、私の生きる意味です」
「でも」
 フレイはルナを強く抱きしめる。
「無茶はしないで」
「はい」
「……あなたが死んだら、私は悲しい」
「私の気持ちのせいで、フレイさんに嫌われたらどうしようと思っていました」
「……そんなことない」
「私はフレイさんが好きですから、私がアレス様の近くにいるのを気に入らないと思うこともあると思います」
「……ちょっとだけ」
 素直な人だ。ルナは苦笑してしまう。
「すみません。そのときは役得と思わせてください」
「……」
 答えない。どうやら色々と葛藤があるようだった。






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