Lv.81
最も大切なものはすぐ傍に
戻ってきたルナを待っていたのはディアナの説教だった。
王妃になろうともあろう人間が約束を破るとは何事か、そもそも誘拐されるとは自分のことをどれだけ考えているのか、だいたい誘拐されるような実力じゃないだろう云々。
ルナはただディアナが叱ってくれるのが嬉しく、それを全部聞き入れた。三十分ほどの長い説教の後、ルナは「すみませんでした」と一言謝る。
「それから聞きましたわ。王子が気持ちのない結婚は駄目だとおっしゃったそうですわね」
「はい」
「あなたの身勝手な決断が、どれほどの人に迷惑をかけたのか、あなたは反省するべきです」
「はい」
「アレスさんやフレイさんがどれほどあなたのことを思っていたか、分かる?」
「はい」
「なら、その気持ちに応えることがあなたの責任ではないの?」
「はい」
「つーか俺の名前が外されてるのってどうよ」
と、そこに戻ってきたヴァイスが声をかけた。
「あなたのことなんて今はどうでもいいですのよ」
「ひでえな、おい」
「では、ディアナも約束してください」
ルナは逆に見返して言う。
「ディアナも、気持ちのない結婚はしないと」
「そ、それとこれとは話が別ですわ」
「別ではありません。ヘンリー王子は気持ちがなければ結婚は駄目だとおっしゃいました。ディアナも同じように思っています。それなら、ディアナ自身にもそれが当てはまるはずです」
「……家が絡む問題では、そう簡単にはいきませんのよ」
「ヘンリー王子に比べれば、大きな問題ではないと思います」
確かに七公爵家と王家、どちらの方が恋愛結婚しにくいかといわれれば、答は明らかだ。
「フィット家は、私が一人娘なんですの。だから、本当なら私は誰かと恋愛し、その相手がフィット家の当主となることを承諾してもらって、入り婿に来てもらうのが一番だと思っていました」
「それでいいではないですか」
「私一人ならそれでもいいでしょう。ですが、まず私の場合、相手にその結論を求めなければいけません。また、私が王子に嫁がないのだとしたら、最悪の場合、ケイト公女かシェリー公女が王妃となる可能性がある。そうすればエジンベア全体が悪い方向に動く。私一人の幸せが、多数の不幸を招く結果にもなるのです」
「そんな仮定の話には意味がありません。だいたい、ヘンリー王子はディアナやポルトガのローザ王女ですら断っているのですから、ケイト公女やシェリー公女がその座につくことなどありえません」
「では、そのかわりに王妃となった人物が良い方であるという保証はあるの?」
「ありません。でもそれは悪い保証もないということです。ディアナがエジンベアのためにできることを探し、それに向けて努力しているのは分かります。でも、それはディアナ自身のためにもならなければ、結果が実ることもありません」
「はっきりと言ってくれますのね」
「はい。今回のことで私も学習しましたから」
実体験をもって話すことができる今のルナは、以前のようにディアナの意見をただ聞くだけにはならない。
「もしあなたが愛もなくエジンベア王妃になろうというのなら、私はあなたと絶交してでもヘンリー王子に嫁ぎます」
「ルナ!」
「あなたが言い出したことですよ、ディアナ。自分一人の幸せが多数の不幸を招く結果にもなる、と。私が王妃になるならその不幸の多くは消すことができます」
「卑怯ですわよ」
「何とおっしゃっても私の意見は変わりません」
ここにきて完全に形勢が逆転していた。ルナは悪かったことは悪かったときちんと反省を受け入れている。だが、ディアナのように自分はするけど相手は駄目だというのでは説得力がまるでない。
「……お父様に相談してみることにします」
ディアナがようやく譲歩案を切り出してきた。
「ディアナ」
「何度も言いますけど、これは家の問題にも関わるのです。だから私の一存では決められません。悪い言い方をしますけど、そこは私とあなたの、決定的な違いでもあるのです。それは理解していただけますわね?」
「ええ。結婚は一人だけの問題ではないのは承知していますから」
「では、この話はここでおしまいですわ」
「後でフィット公に確認しますから」
「……意地が悪いこと」
そして、二人は同時に噴出した。
「あなたとこうして話すのも久しぶりですわ、ルナ」
「はい。ディアナと話せなかったのは正直寂しかったです」
冷戦が終わってしまえば、二人はもうすっかり元通りだ。今までも何度も衝突したことはあった。だが、基本的に自分たちはきっと似たもの同士なのだろう。身分や立場、すべてを超えて自分と同じように話すことができる相手。
それを親友、と呼ぶのではないだろうか。
「で、話が終わったところで俺の話もいいかい」
じっと待っていたヴァイスが尋ねる。
「ああ、すっかり忘れてましたわ」
「殴るぞてめえ、自分で王子のとこまで使いに出しやがって」
「それで、王子は何と?」
「王子はすぐに全市に捜索命令を出そうとしたんだが、ヘレン王女がそれを止めてな。で、そこにいたトレイシーさんが『任せてほしい』と一任されたんだ」
ルナとアレスが視線を交わす。なるほど、トレイシーがいたのはそういう理由だったのか。
「しばらくしたら戻ってきて『もう屋敷へ戻ったはずだ』と言ってくれたんで、とりあえずその場は治まった。で、ルナがどこに行ってたのか、教えてほしいんだが?」
かなり苛々していたらしい。それは大変申し訳ないことをした。
「ご迷惑、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。実は、ウィリアムズ家の人間に誘拐されていました」
「……お前、逃げてくるときに容赦しなかっただろ」
「あまり、公言はしないでくださいね。ここの五人だけの秘密にしておいてください」
「いや、トレイシーさんから既に聞いてたんだよ。俺にだけな。王子は誘拐されてたことは知らないはずだぜ」
「どうしてトレイシー様が分かったのですか?」
「屋敷から出てくるルナを見たって言ってたぜ。状況は聞かされてないけど」
「そうですか」
ルナはトレイシーの真意を測ろうとしたが、無駄なことであると諦めた。そして、今日起こったことを簡潔に話す。
「それを知ってたら俺が乗り込んでたぜ。俺ならもっと容赦しねえ」
「右に同じですわね。破壊など生ぬるい。私なら全て灰にして差し上げましたのに」
「さすがに何も知らない人まで巻き込むのは申し訳ないですよ」
まあ、今回の事件でいろいろととばっちりは受けるかもしれないが、そこまで気にしても仕方がない。自分は攻撃してきた相手に正当にやり返しただけなのだから。
「ただ、気になることが二つあります」
「二つ?」
「まず一つは、私を捕らえたケイト公女が、残った邪魔者はディアナ一人だけ、と言っていたことです」
「……なるほど、おかしいですわね。ノルマン公女がまだ対抗馬にいるはずですもの」
「それからもう一つは、屋敷から失敬してきたこれです」
封書をディアナに渡す。中身は全て確認している。それを見たときのディアナの様子も容易に想像できた。
「……これ、は!」
すべてに目を通してからディアナはそれをたたんで封筒にしまう。
「何が書いてあったんだ?」
ヴァイスが口火を切る。どのみちルナからこの話は伝わると思ったのだろうか、ディアナが忌々しげに言う。
「取引の記録、ですわ」
「取引?」
「ええ。海賊との、ですけど」
アレスたちの顔が強張る。
「海賊って」
「聞いたことがありませんこと? 七つの海をめぐる大海賊ブランカの名前を」
「げ」
「……嫌な名前」
「忘れた頃に来るってこういうことか」
アレスたち三人がため息をついている。ルナには何のことかさっぱりだ。
「何か因縁があるのですか?」
「因縁も何も、ブランカとロマリアでやりあったからな」
「ロマリアですか」
「ああ。俺たち、アリアハンから旅の扉を使ってロマリアまで来た話はしたよな?」
「はい。ロマリアからアッサラーム、バハラタを通ってダーマにいらっしゃったんですよね」
「ブランカの部下のカンダタってやつが、ロマリアで盗賊行為を行ったんだ」
アレスが言うと、ルナもディアナも目を丸くした。
「そんな話、聞いたことがありませんわ」
「そりゃ言えないだろ。盗まれたものがものだ」
「何を?」
「ロマリア国王が被る金の冠」
それは国宝とかいうレベルの話ではない。まさに国の威信が問われる。
「そんなことがあったのですね」
「ああ。で、それは俺たちが取り返して、ブランカの部下も追い詰めたんだが、口封じにその部下は殺され、ブランカ本人には逃げられた。ま、因縁といえば因縁だな」
なるほど。勇者パーティにとっては避けては通れない相手ということになるのだろうか。
「で、具体的にはどういう内容なんだ?」
「海賊から財宝を譲ってもらうかわりに、エジンベア軍の海賊警備ルートを流すというものですわ。内部に裏切り者がいたら、それは捕まえることもできませんわね」
それも七公爵家となれば、ほぼ自由に情報を入手することができる。
「……気になりますね」
「何がだ?」
「軍が裏をかかれているのでしたら、普通なら理由を疑います。軍の上層部がウィリアムズ家とつながっているか、もしくは誰かが裏切り者なのだと網を張っているか」
「海軍大将に、ばりばりのウィリアムズ派がいるわ」
ルナの言葉にディアナが答える。
「怪しいな。充分に怪しい」
「名前は何というのですか?」
「ジェームス・テイラー海軍大将。警備ルートの作成を行っている人物ですわ」
「ますますもって怪しい」
「いずれにしても、これは私たちだけでどうにかできる問題ではありませんわ。それに──」
ディアナが四人を見て言う。
「これはあくまでエジンベアの問題。アレスさんたちはオーブを手に入れればすぐに」
「何言ってんだ。海賊ブランカとなりゃ、俺たちだって黙ってないぜ。な、アレス」
「そうだね。ブランカとは決着をつけないといけないし、それにダーマで言ってただろう」
「ダーマ?」
「もしかしたらブランカがオーブを持っているかもしれないと、賢者が」
「ああ、そこで名前出てたな。嫌な名前だったから耳に残ってるぜ」
「そういうことでしたら、お手伝いいただいてもいいかしら」
「こちらからお願いするよ。まずはこの情報の真偽を確かめてからだな」
「それについては王子にお願いいたしましょう」
こうして徐々に方針が固まっていく。
「ところで、本日の晩餐はどうなったのですか?」
ルナが尋ねるとヴァイスが肩をすくめた」
「ああ、とりあえず見つかってからにしようって話してたんだが、明日にでもしようってことになった」
「そうでしたか。ご迷惑をおかけしました」
「もういいさ。事情が事情だったしな」
「それから、ノルマン家のシェリー公女のことが気になります」
「そうね。確かに嫌な相手ではあるけど、ルナを誘拐した相手のことを考えると……」
最悪の場合、もう襲われてしまっている可能性もあるということになる。
「僕たちだけで動くのはまずい。事情を知っている人がいないと」
最悪の場合、犯人役を着せられる可能性だってある。
「やはりヘンリー王子に会っておかなければなりませんね」
「仕方ないですわね。こんな夜更けに移動するのは気が引けますけど」
「移動するなら早い方がいいぜ」
「……眠いけど、我慢する」
ルナ、ディアナ、ヴァイス、フレイと意見を言うと、アレスも頷く。
「よし、王宮へ行こう」
こうして今夜もまた活動することになった。ジパングといい、エジンベアといい、どうしてこうも事件ばかりが続くのだろうか。
五人が到着した頃には既に星が夜空にたくさん輝いていた。
『ウィリアムズ家、謎の爆発事件』によって王宮はかなりあわただしくなっていたが、別段、自分たちがそれに巻き込まれる必要はない。問題は王子と会えるかどうかだ。
「あ、あなた!」
が、そこで問題の人物が姿を現した。無論、ウィリアムズ公女のケイトだ。
「先ほどはどうも」
ルナはにっこりと笑いかける。
「なななななななななんのことですの!?」
「すごいどもりようですわね」
「ここまであからさまに怪しい奴も滅多にいないぜ」
ディアナとヴァイスが親の仇を睨むかのようにケイトを見る。
「もちろん、朝方お会いしたときのことです。他に何かございましたか?」
ルナは笑顔で言う。
「あああああああああるわけないじゃないですの!」
「……あなたにはなくても、私にはある」
フレイが冷たい目で言う。
「な、なんですの」
「仲間を傷つける者は許さない。もし、ルナに何かあったときは、必ずあなたを殺す」
凍りつきそうなフレイの声。
「ど、どういうつもりですの! あなたなどに言われる筋合いは──」
「本当にないのかい?」
アレスもまた、心底怒っていた。
「な、ないに決まってますわ!」
「でしょうね。もし何かあったとしたら、あなたの家に降りかかった天罰はこの程度ではないでしょうから」
言外に、お前の家を破壊したのは自分たちだ、というニュアンスをこめる。
「あ、あ、あ、あなたたちが私の屋敷を!」
「心外ですね。私たちを疑うとは。それとも、疑うような理由でもおありですか?」
ルナが笑顔を消して言う。
五人は完全に戦闘体制だ。いつでも目の前の鬼畜を倒す準備はできている。
「……あ、ありませんわ!」
「であればよかったです。疑いは晴れましたね」
「覚えてらっしゃいませ!」
ケイトは翻って逃げていく。そういえば今日は取り巻きの姿を見ない。もしかして今回の事件で見限られているのだろうか。
「昔の偉い人が言ってたぜ。『去り際に覚えていろと言うのは負けた方』だってな」
「完全勝利というわけですね」
「ああ、この程度で許すわけにはいかないが、まあすっとした」
「まだですわ」
ディアナが表情を緩めずに言う。
「シェリー公女の無事が確認できるまでは、まだです」
「そうでしたね」
ルナも気を引き締める。そう、自分たちが王宮に来たのはそれが理由なのだから」
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