Lv.82

覚悟と決断、これからの道








「わわわわわわわわわ私の娘が、娘がぁっ!」
 王子が謁見の間にいると聞いて来てみたところ、そこにいたのは四人の男女であった。
 三人までは見覚えがある。ヘンリーとヘレン、それにトレイシーの三人。そしてもう一人は小太りの男であった。
「落ち着いてください、ノルマン公」
「王子! 王子は私の娘のことが心配ではないと申されるか!!」
「心配してますから落ち着いてください」
「おおなんとお心の広い! わが娘を案じてくださるとは! これで私の娘も嫁ぐのに何も心配ございません!」
「それとこれとは話が」
「おおおおおおおお! やはり王子は私の娘のことなど!」
 ヘンリーがひたすら困った様子だった。ヘレンとトレイシーは諦めたような顔をしている。
「何ですの、この無限ループ会話」
「相手が頷くまで話をやめない、悪徳業者みたいですね」
 ディアナとルナがささやきあう。その姿を見たヘンリーが苦笑して声をかけた。
「ノルマン公、どうやら私に客のようで」
「私の娘よりもその客の方が大事だというのですかああああああ!」
「ちょうどよかった。ノルマン公フレーベ様。シェリーさんのことでお話があります」
 ディアナが声をかける。む、とノルマン公と呼ばれた男が警戒心をあらわにする。
「ぬぬぬぬぬぬ、フィット家の娘! 王子殿下に近づくか!」
「……人の話くらい聞いてください。シェリーさんの身に何かあってからでは遅いですわ」
「身に何か」
 さあっ、とノルマン公の顔が青ざめる。
「娘に、娘に何がぁっ!」
「落ち着けっつってんだろこのジジイ! てめえの娘のことを相談しようとしてんのにてめえが話聞かねえでどうすんだ!」
 ノルマン公以上に大声を上げてヴァイスが一喝する。と、ノルマン公はようやく気を取り直したのか、あ、ああ、と声を出してから首を振る。
「いや、醜態を見せた。すまない」
「普通に話せるじゃねえか。それでいいんだよ」
 ヴァイスが「後は任せた」とディアナの肩をたたく。
「王子殿下。まずは遅れたことをお詫び申し上げます」
「いや。とにかくルナも無事に見つかってよかった」
「ご迷惑、ご心配おかけしました。お詫び申し上げます」
「いいんだよ、ルナが無事でいるなら何よりだ」
「その私がどこにいたかはご存知ですか?」
「いや?」
 その答にルナはちらりとトレイシーを見る。どうやら何も言わないでいてくれたようだ。
「ウィリアムズ公女ケイトさんに誘拐されていました」
「誘拐っ!?」
「ここだけの話にしてください。既にケイトさんとは話をつけましたから」
「う、だけど、ルナに何かあったら俺は絶対にウィリアムズ家ごと許さないぞ」
「その前に天罰が落ちたからいいでしょう」
「あ」
 その言葉で、ウィリアムズ家の事情については察してくれたらしい。なるほどなるほど、とヘンリーは笑顔を見せた。
「やっぱりあなたは俺の見込んだ人だ、ルナ」
「ありがとうございます。ですが、そこで聞いた話が問題でした」
 ルナがかいつまんで話す。それでヘンリーも、そしてノルマン公も事情を察してくれた。
「ウィリアムズ! あいつが、私の娘を!」
「その可能性が強い、ということです。ヘンリー王子、私たちがここへ来た理由、お分かりいただけましたか」
「シェリー公女の保護ということだな」
「はい。何かが起こる前なら良かったのですが、まだ間に合うと信じています」
「おお、王子! どうか、わが娘を、娘を!」
「無論です。この国の人間が害される可能性があるのに、黙ってみている王子ではないということをお見せしましょう。トーマス!」
「はっ」
 どこにいたのか、影のように現れたトーマスが近くで膝をつく。
「シェリー殿については今聞いたとおり、ウィリアムズ家がもっとも怪しい。かといってあの家は現状、惨事になってしまっている。するとウィリアムズ家が誘拐した人間を連れていきそうな場所はどこだ?」
「町の中に、ウィリアムズ家の所有する屋敷は他に二つ。別荘が一つです」
「全部捜索させろ」
「ですが、公爵家領は、一種の治外法権を」
「近衛を出せ。強制捜査だ」
「治外法権の領地に入り込むには理由が必要になります。それも、大きな」
「ヘンリー王子」
 ルナが封書を差し出す。さすがにノルマン公の前でこれを読み上げるわけにはいかない。
 ヘンリーは一読して、それをトーマスに渡す。ヘンリーは顔色を変えなかったが、トーマスは明らかに顔色を変えた。
「こ、こ、これは……」
「それを口実にしろ。充分だろう」
「はっ! ただちに行動いたします!」
 トーマスが出ていくと、ヘンリーはノルマン公の肩を叩いた。
「もしウィリアムズ家が首謀者だとしたら、私の近衛たちが必ず見つけ出してくれるでしょう」
「おお、おおおお……ありがとうございます、ありがとうございます!」
「だが、この件は捨ておけん。ヘレン、ノルマン公を別室に。俺はアレスさんたちに話を聞きたい」
「分かりましたわ」
 ヘレンがノルマン公を連れていく。それを見送ったルナが首をかしげる。
「あれがノルマン公ですか? 別に、悪い人のようには思えませんが」
「ええ、悪人ではないわよ。ただ、人の上に立つような器量があると思う?」
 なるほど、確かにノルマン公が外戚となったら、別の意味で『困った』ことになりそうだ。トラブルメイカーになってくれるのは間違いない。
「シェリー公女はどうなんですか?」
「同じようなものね。まあ、ケイトほどじゃないけど普通に欲があって、普通に欲に目がくらむ女性よ。公女でいたなら何も問題ないでしょうけど、王妃はまずいわね」
「なるほど」
 だが、そうしたらノルマン公家はそこまでマークする必要もないということか。いずれにしても、今回の騒動に関することはすべてウィリアムズ家が発端となっているのは違いない。
「とすると、ディアナを襲ったのもウィリアムズ家ということなのでしょうか」
「おそらくはそうでしょうね。もっとも、他に犯人がいてもおかしくはないでしょうけど」
「聞き捨てならないな、今の話は」
 トレイシーがそこに反応してきた。
「ディアナ嬢。あなた、襲われたと言ったか」
「ええ。アレスさんたちがやってきた最初の日の夜ですわ。二日前ですわね」
「このエディンバラでそんなことが起こるとは」
 ヘンリーが唇をかみしめる。王子としての責任を感じたというところか。
「私の場合でしたら、ルーラで逃げることも魔法で撃退することもできました。ですが、シェリーさんでは……」
「何も抵抗できないということですか」
「早く見つかることを願いますわ」
 もう手は打った。あとは近衛が見つけてくれるかどうかだけ。
「ところで、トレイシー様」
「何かな」
「私がウィリアムズ家から出てくるとき、私の姿を見ていましたね」
 トレイシーは苦笑した。
「まあね」
「どうして分かったのですか? 私はレムオルの魔法で姿を消していたのに」
「別に見えていたのではないよ。そこに何かがいるということを感じたのだ」
「感じた?」
「あなたは草むらに立っていた。すると、その下の草はどうなる?」
 当然、踏みつけられれば足跡ができる。
「それだけのことで?」
「無論、他にも感じ取った理由はあるよ。だが、私もウィリアムズ家は怪しいと睨んでいてね。真っ先に来てみれば、壁にあいた大きい穴から誰かが出てきたような気配がした。あなたが賢者で姿を消すこともできるとなれば、そう判断するのが妥当というものだろう」
「普通、それだけでは判断できないと思います」
「だとしたら、私がまともじゃないっていうことかな」
「はい」
 素直にルナは頷く。
「状況を見て整理する能力。おそらく、天才です」
「これはこれは……ダーマの賢者殿に言われるとは、私もたいした才能らしい」
 自嘲するように笑う。
「トレイシー。あまりそういう笑い方はよくないぞ」
「王子。これは私らしさというものだ。別の笑い方をすればそれは私でなくなる」
「俺がそんな風に笑ったらどうする?」
「殴る」
 まったくもって面白いコンビだった。見ているのが微笑ましいような。
「いずれにしても今日はここで一夜を明かさざるを得ないだろうな。客人が泊まっていけるような場所もある。私が案内しよう」
「おい、トレイシー、勝手に」
「王子。いくら好きだからといって、ルナさんの部屋に押し入ろうとはするなよ。もしそうなったら」
「そんな不道徳なことはしねえよ! つか、本当にしたらお前、俺を殺す気だろ!」
「分かっているならいい」
 どうしてもヘンリーはトレイシーに頭が上がらないらしい。だが、こうなると逆に心配の種も出てくる。
「今は護衛のトーマスさんもいらっしゃいません。ヘンリー王子を一人にしておくのは危険です」
「いや、俺も人並みに剣くらい使えるぜ」
「分かっています。ですが、相手が必ず一人とは限りません」
 ルナが提案する。
「今日はこの場所にいて、状況をすぐに確認できるようにしておいた方がいいと思います」
「ふむ……ルナさんが言うなら私は別にかまわないが。それなら隣に仮眠が取れるところがある。ソファになるが、そちらを使わせてもらおうか」
「俺はかまわないぜ」
「僕もルナに賛成だ」
「……寝る」
 フレイはさっさと隣の部屋に入っていった。どこでも寝られるというのはたいしたものだ。
「アレス様はフレイさんの近くに居てあげてください」
「でも」
「かまいません。ここは私や王子、ディアナがいれば足ります。でも、もし仮に戦闘ということになれば、アレス様やヴァイスさん、フレイさんの力が必要になります。休息を取るのもアレス様の仕事です」
「分かった。じゃあ、そうさせてもらう。ヴァイスも休め」
「いや、俺とお前で交代した方がいいだろ。武器が使える奴が一人起きてないとまずい」
「では交代で休みましょう。先にフレイさんとアレス様がお休みください。私やヴァイスさんは後で休ませていただきますから」
「分かった。それじゃあ、お先に」
 こういうときに遠慮するようなことをすれば、それだけ時間が無駄になるそれは旅の鉄則。順番を決めたら、あとはさっさと休む。休まないと体がもたない。
「ルナさんたちは、本当に信頼し合っているんだな」
 それを見たヘンリーが話しかける。
「どうしたのですか、突然」
「いや、四人のうち二人が起きていれば絶対に大丈夫だと思っているから寝られるんだろ。それは信頼の証だ」
「王子は私やトーマスから信頼されていないと思っていたのか。少し話をしようか」
 トレイシーがにやりと笑って言う。
「頼むから勘弁してくれ。とはいえ、俺やトレイシーもいるんだ。ヴァイスさんだって休んでかまわない」
「それを言うなら先にディアナだな。俺は夜まで寝てたからばっちり今は目が冴えてるんだ」
「ですが」
「かまわない。ディアナ嬢、先に休んでくれ。それともベッドのある部屋を案内しようか」
「いえ、私もダーマで修行した身。どのような場所であっても寝ることはできます」
「そうか。やっぱりたくましい人だな。本当に──」
 ヘンリーが苦笑する。
「あなたのような人を好きになれたとしたら、何も問題はなかったんだが」
「同感ですわ。私も王子の人柄には敬服いたしております。ですが……」
「どうやら自分は、ディアナ嬢のお眼鏡にはかなわなかったらしい」
「お互い様ですわね」
 さあどうぞ、とヘンリーが休息を勧める。失礼いたします、とディアナも隣に移動した。
「さて、しばらくは待ち時間ですね」
 ルナが言うと、トレイシーがふとヴァイスを見る。
「ところでヴァイスさん。時間のあるうちに少し話があるのだが、かまわないだろうか」
「俺?」
「そうだ。あなたには問いただしておかなければならないことがある。あまり人に聞かせたい話でもない。ちょっと外に出ようか」
「お、おい」
 ぐい、とヴァイスは引っ張り出される。気づけばルナは、ヘンリーと二人きりになってしまった。
「トレイシーの奴、気をきかせてくれたのかな」
 つまり、二人きりにするために出ていったというのか。
「ヘンリー王子」
「いや、分かってるつもりだ。俺がどんなにアタックしても無理だろうなっていうのは。特に、今夜会ったときに何かもう、吹っ切れたような顔をしていたのを見て、あーこりゃ無理かなって思ってたんだ」
「すみません」
「いや、強引にせまってたのは俺の方だしな。まあ、会って二日っていう短い時間で分かってもらうのも無理だし。でも、なんでこんな短期間で自分の気持ちが決まったんだ?」
「私は結局、勇者様にお仕えするのが一番の喜びに感じる人間なのです」
 それはもう仕方がない。オルテガに助けられて以来、勇者のことを考えない日は一日とてなかったのだから。
「勇者様は私の生きがいです。そして、誰が勇者様なのかは、一目見れば分かってしまうと教えられました。そして私は分かってしまったんです。アレス様を見たときに。ただ、かなわない恋だと思ったら、誰とでもかまわないと思うようになってしまって」
「で、ちょうどそこに俺がいたわけか。そのまま勘違いしたままでいてくれたらよかったのに」
「申し訳ありません。ですが」
 ルナは一度言葉を区切った。
「私は、アレス様が好きです」
「……」
「アレス様以外の男性は、考えられないんです」
「そこまではっきり言われると、どうにもできないなあ」
 はあ、とため息をつくヘンリー。
「でも、アタックをやめないのはかまわない?」
「応えられないと思いますが」
「いいさ。今までだってそんなことばっかりだったんだから」
「ばかり?」
 それはまた意外な話だった。ヘンリー王子に浮いた話など今まで一度も聞いたことがなかった。
 いや、一度だけ。
「ヘレン王女が、確か、二度失恋したと……」
「なんだあいつ、喋ったのか。ったく」
 そう、ヘンリー王子は二度失恋していると言った。もしそれが本当だとしたら。
「どうして……」
「仕方がない、としかいいようがないな。一人はもう死んだし」
「お亡くなりに?」
「ああ。俺の婚約者だった人だ。すげえ可愛かったぜ。二年前かな。相手もルナと同じくらいの歳だった」
 当時十五歳ということは、王子より二つ年下ということか。
「何故、お亡くなりに」
「暗殺された。犯人はまだ分かってない」
「何という方だったのですか?」
「リア」
 ヘンリーが大切に呼ぶ。
「トーマスと一緒に、こっそり王宮を抜け出して城下町で遊んだときに出会ったんだ。初めての一目惚れだったよ。完成したばかりのフラワーガーデンに招きたいと本気で思った」
「では、相手は貴族ではなく」
「そう。ただの平民。だから問題になった。俺が町娘と結婚したいなんて言い出したせいで、宮廷は上へ下への大パニックさ。その結果、彼女を死なせることになった」
「そんな」
「間違いない。馬車に轢かれたんだ。馬車なんて貴族以外に誰が使う? 今なら分かる。きっとあれもウィリアムズ公の仕業だったんだろうさ」
 何でも誰かのせいにするのはよくない。だが、そう考えても仕方の無い状況ではある。
「では、もう一方は?」
「木っ端微塵に振られた」
「それはまた」
「ルナも知ってる人だぜ」
 ルナは顔をしかめた。とてもそんな相手が──いや、まさか。
「……トレイシー様、ですか」
「ビンゴ」
「何か理由をおっしゃっていましたか」
「ああ、あいつの覚悟を聞いて、しかも納得した自分が嫌になるくらいにな。だがまあ、それ以上は勘弁してくれ。これは俺一人の問題じゃないから」
 たしかに。それを勝手に言いふらすような人では信頼がない。それにトレイシーも勝手に秘密を喋ったということで、軽く首を絞めてくるだろう。
「というわけで俺は、振られなれてるのさ」
「振り続けてもいますけど」
「俺個人を好きになってくれた奴はいないぜ? ま、ポルトガのローザ王女は正直、いい人だったけどな。あの人なら好きになれたかもしれない。でも、あの人自身は良くても、裏にポルトガの思惑が見えちまったからなあ」
「一つだけ、教えてください」
 ルナはそう前置きしてから尋ねた。
「私は、リアさんに似ていますか?」
「いや、全然」
「そうですか。リアさんの面影を私に重ねているのかと思いました」
「それはあってもおかしくないぜ。何しろ、人間の好みは変わらないからな。似た人を好きになるのは当然のことなんだ」
「それは確かに」
「けど、外見も性格も全く違うぜ。あの子は弱い子だった。ルナみたいな強さは微塵もなかった。だから俺が守ろうと思った。守りきれなかったけどな」
「王子」
「一人の力には限界がある。だから、俺が妻に求めるのは『自分で自分の身を守ることができる人』でなきゃいけないんだ」
 それだけいろいろなことを考えているからこそ、結局結婚ができないままでいるのだろう。
「悪かったな、昔話につきあわせて」
「いいえ。ヘンリー王子のことが分かってよかったです」
「そのまま俺と付き合うってのは?」
「すみません」
「即答かよ」
 二人は苦笑した。






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